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◇◇◇
二日目の早朝、森は一泊の世話になった家の人にお礼を伝え、陸にある首都への定期船に乗り込んだ。離れ小島にある小さな漁村には週一往復のこの定期船しか陸へ行く手段がない。
昨日、いきなり現れた自分に声をかけてくれた漁師が「気を付けてな」と手を振ってくれる。森は何度も何度も頭を下げ、船が岸を離れるまで手を振り続けた。
たった一日だけど、この島のことは絶対に忘れないだろう。
世話になる対価として手伝いを願い出たら魚10匹とイカ20杯を捌いて干物にする羽目になった。そしてその後は岩場で食材取り。言われるままに岩から貝を剥がし海藻をこそぎ落としてそれも洗い干した。
風呂は海近くの岩場に湧く温泉。一緒に作業したおばちゃん達との裸の付き合いだ。その頃には疲労で頭が回らなくなっていたが、今考えると混浴だった気がする。
そしてご馳走になった夕食は超豪華な海鮮づくしだった。スープに入っていた大きな貝の身、あれはたぶんアワビだ。
そしてそのまま夢の中――へ、行ければよかったのだが普通に宴会が始まり飲んだり食べたりで全然全くこれっぽっちも休めなかった。
しかも村の人が家にあちこちから出入りするので窓や戸が全て開け放たれ、潮と海風の音が直撃。それに潰れていった人たちのイビキも響き渡るような環境で寝れるはずがなかった。
ようやくウトウトし始めた頃には朝。外では鶏ではなく鳩が鳴いていた。
宴会の片付けを手伝い、残り物の朝食を終えて慌ただしく乗船。
船はけっこう揺れているようだがその揺れが心地いい。
陸に到着するのは夜で、それからきっと宿を探したりしなければならないが今それを言っても仕方がないし何もできることがない。
掲示板へ簡単にそのことを書き込んで、森は小さくあくびをして空いている隣の椅子も使って丸くなった。
◇◇◇
昨日、東と南にルートの指示をし山を下った伊藤は、横川沿いの小さな町の宿の一室で目を覚ました。
この町は木製の楽器を作る工房が多く集まっていて、朝からその工作の音と楽器の音色に起こされたのだ。
窓の戸を開け、川の音と工房の音、それから鳥の鳴き声などをしばらく堪能する。
町についてすぐに興味を持ち工房を覗いて体験した木笛の音も聞こえてくる。リコーダーよりも丸く柔らかい音は吹き手の技術によるものらしく、伊藤の出す音と全く違っていてそれが面白かった。
今日はなんだかいい一日が過ごせそうな気がする。
伊藤は工房体験の終わりに買い求めた木笛を手にし、練習しながら下流への街道をのんびり歩き始めた。
日はポカポカと温かく、川沿いには小さな村や町がちょくちょくあって道中に不安も何も無い。それに対岸へも各村、町で舟を出して行き来しているようなので、急いで渡る必要もなかった。
ピーヒョロピーヒョロと頭上から鳥の鳴き声が聞こえてきて空を仰ぐと、大きな鳥が高いところで旋回していた。
自分の笛の音がおびき寄せてしまったのだろうかと、伊藤は少しだけ気になったが、どこか別のところへ滑空を始めたのを見てフーッと息を吐き出した。
「伊藤くん!」
今度は突然自分の名前を呼ばれ伊藤はキョロキョロと周囲を見回した。前後には誰もおらず自分一人なのを確認する。
「こっち! 川だよー」
再び声が聞こえて伊藤は街道に沿っている川を見やった。
近くの町の渡し舟とは別に、上流から下流へなかなかの速度で移動していく舟がある。舵を取る船頭と座っている数人が居て、その中の一人がこちらに手を降っていた。
遠くて誰だかよくわからなかったが、伊藤はとりあえず大きく手を振り返した。
舟が完全に通り過ぎ去っていった後でマップを見て確認する。
今朝まで同じ横川の上流に居たキャラが消え、自分より下流の方へマップ上からでもわかる速度で移動していた。
「まさかの堀さん。舟早すぎない?」
他の人達の参考になるかもしれないので、伊藤は「横川のほぼ中央にいる自分と今すれ違った」と掲示板に書き込んでおいた。
◇◇◇
昨日遠くに見えた街にたどり着いた吉田は街の中央を大きな川が貫いているのを確認した。
「川の河口に首都の町がある」という山田の情報を補強するように掲示板に書き込む。
「縦川の方ね。横じゃなくて縦に流れてる川。その一番北側、海岸線沿い。一日じゃ街中調べるの無理だけどとりあえず大きな図書館があったし、ロバじゃなくて馬車がバスみたいに動いてる。あと昨日泊まった村の宿は2階建てだったけど、ここは3階建ても普通にあるから凄いんじゃないかな?」
『俺もその町見えてるけどデカいな』
『馬車の馬ってウンコしないの?』
『黙れ加藤』
今日も朝から掲示板は元気だ。
加藤も本来の調子が戻った様子。
『ところで佐藤は昨日から全然動いてないみたいだけど大丈夫なん?』
『安全なら無理に動く必要はないけど村が小さいとアレ』
『山の上から滑車で降りるんだけど、昨日は雨で滑車が使えなかったからもうちょっとして乾いたら動くよ。東に行くか西に行くかまだ決めてないけど。あ、谷さんは晴れてるなら出発早めに。道がけっこううねってるっぽい』
『霧雨もう止みそうだからそうする。地図もらったけど遊歩道でたぶん岡さんたちが居るところにいけるはず』
『私達もう出発しちゃっから、後であの町のことちょっとまとめて書いとくよ』
それらのやり取りを見て吉田は「よし」と小さく気合を入れた。
マップに表示されるクラスメイトの位置はまだまだ本当にバラバラで誰だどこでどんな困難に襲われるか未だ予想できない。
自身の安全は確保できたのでサポートに回るべきだろう。
図書館は学校の校舎と同じくらいの厳つい建物だった。
こちらの世界の建物としてはとても大きく立派でお金がかかっていることがよくわかる。
あとは中にどれくらいの本が揃っているかだ。
吉田はきちんと入場料を払い、並んで中へ入ろうとした。けれど入口の直前に立っていた門番に「子供は禁止だ」とあしらわれた。
「子供じゃない」と抗議をするが、門番は吉田の頭をポンポンと叩いて「子供は他所で遊びなさい」等とのたまう。
吉田は小柄なので子どもと間違われることが多く、小学生にタメ語で話しかけられることもしょっちゅうだ。
だから公的な場所に行くのはあまり好きではなく、入場料が必要な図書館へ来るのにもわざわざ気合を入れた。
「ちゃんと入場料も払った。入れないなら金を返せ」
実に嫌な言い方だがこれは経験則。これでダメなら入場料金を払った受付の女性を大声で呼ぶ。
少しでも印象付けるために「獣の情報が載ってる本はありますか?」とわざと尋ねているので、この短時間で忘れられたということはないだろう。
吉田が正当な手続きを踏むべく動こうと受付の方を見やったら、察したらしい門番が面倒に思ったのか「騒がないように」とだけ言いおき通してくれた。
◇◇◇
僻地の荒野をポツンと一人ぼっちで走っていた辻は、いつの間にかダチョウに追いかけられていたことに気づいてしまった。
陸上部で走ることに慣れているとはいえ、ダチョウは足が速くスタミナもあるはず。人間の自分が逃げ切れるとは到底思えない。
「メ、メニュー! 掲示板、音声書き込み!」
声に出すとすぐにメニューが表示され、掲示板の入力欄にマイクのマークが表示された。
これは今朝、南によって発見された「メニュー呼び出しを声でするんだから他も声でできるのでは?」というごく普通の疑問によるやり方だ。当然と言えば当然なので、既にそのやり方をしていた人も居たらしく掲示板での反応はいまいちだったが、辻は全力で南に感謝した。
「ダチョウが来た!」
走る速度を上げながら叫ぶ。
音声書き込みはきちんと機能して、掲示板に書き込まれた。そして同時に音声読み上げが機能し始める。
『攻撃してくるから全力で避けろ』
『今どこだ?』
「速いっ、どんどん近づいてくる!」
『ヤバイヤバイヤバイ』
辻の悲鳴に次々と心配の返信が聞こえてくる。
けれど辻にはそれに返事をする余裕がなく「来てる来てる来てる!」と、ただ悲鳴のように叫ぶことしかできなかった。
『辻さん、大丈夫だから速度落として』
『は?』
唐突に聞こえた自分の名前と、自分の心を代弁したかのような誰かの疑問の声。
『辻さん、大丈夫だから速度落として。ゆっくり。あ、吉田です。今、図書館で獣の資料見てます』
『それ信じていいのかよ』
『辻さん、ゆっくり速度を落とす。できるよね?』
「でも来てるんだよ!」
『速度を落としたらダチョウも速度を落とす。習性』
『マジか』
『頑張れ辻。速度を落とせ』
「怖い!」
『落とせ!』
「ひうっ」
辻はチラリと後ろを振り返り、猛烈な勢いで迫るダチョウの姿に恐怖した。
本当に速度を落として大丈夫なのかと心配になるが、同時にもう追いつかれるという諦めも湧いてくる。それにほぼ全力疾走の状態はそう長くは続かず、嫌だと思いながらも自分の速度が落ちていっているのを自覚した。
「ううっ、ひぐ」
怖さに嗚咽が漏れ、涙も流れてくる。
そうすると更に速度が落ち、徐々に走る気力さえ失われていく。間もなく自分は後ろからダチョウに突撃され死ぬだろう。
なんて死だ!
ふいにバカみたいなことが頭をよぎり笑けてくる。
脱力してもはや走ることもできなくなり、ただいつか来る衝撃の瞬間を知らずに済むよう俯いてトボトボと歩く。
『3分くらい無言だけど辻さん生きてる?』
『死んだんじゃない?』
『やめろ』
「まだ生きてるよ」
読み上げられた掲示板の音声に力なく返事する。
『今そっち行ってる』
『急げ中村』
『もう襲撃された後か?』
「まだだよ、怖いから言わないで」
『まだ大丈夫ってことだよね?歩いてるんだよね?』
「うん、そうだよ」
辻はもうとっくに現実を諦めて逃避しているのに現実を突きつけてくるクラスメイトが恨めしい。
それなのに「じゃあ、ちょっと嫌なこと言うけど」と、とても恐ろしい前置きをされ、辻は鼻の奥がツンと痛くなった。
『たぶん、隣りにいる』
聞こえた瞬間、辻はガバッと顔を上げ隣を見た。ダチョウのとてもとても大きな目がそこにあった。
◇◇◇
『死んだら面白いのに』
書き込んだ言葉になんの返信もつかず完全に無視されて掲示板の話題が切り替わっていく。
馬鹿ばかりのくせにこういうときだけいい子ちゃんぶって気色悪い。
「つまんない」
星はメニューを閉じ、ベッドの上にゴロリと横になった。
異世界修学旅行と聞いてワクワクしたのに、転移してみればそこは農村で、牛と鶏も居てとても臭かった。
とっくに通り過ぎた過去の文明の世界で何を学べというのか。家畜の世話をしてジャムを作り硬いパンでも感謝しろと言いたいのだろうか。
牛の周りにはハエが飛び、不衛生なので絶対に近づきたくない。
強い決心で村人たちの「やってみるかい?」という誘いを頑なに拒み、逃げ出すように村を出て道なりに歩き通し到着した海の町。
今居るこの部屋もそうだが、海風と干された魚の臭さが町中に染み渡りとても臭い。
これは学ぶ以前の問題だ。
何かを学ばせたいならせめて同じ生活水準の世界を選んで欲しい。同じ世紀の攻殻機動部隊な異世界もあったはずだ。
期待した分、裏切られた思いが強く苛立ちが募る。
この世界に転移させられたことに疑問を持たず浮かれるクラスメートの書き込みを見るとムシャクシャした。
開け放ったままの窓の戸から入る外の光が線のまま床に刺さり照らしている。
それもまた珍しくはないが、戸の形をくっきり写している節のある板の間にもイライラして、星は乱暴に戸を閉め布団を被った。
◇◇◇
「星さんだったね」
「窓閉めた黒髪? こっちに気づいて閉めた感じなら、声かけないほうがいいのかね?」
「俺は近づきたくないかな。けどあともう一人、誰かあっちの大きい町に居るんだよね」
「それ多分、原だわ。山本とわりと近いとこ居るって言ってたからこっちのエリアのはず」
「ああ、原さん。彼女が近くに居るなら女子同士で話が合うんじゃないかな」
「関わりたくないからこのままズラからろうぜー。俺も賛成」
「気が合うね」
高橋と渡辺は互いに顔を見合わせフフッと笑みを浮かべた。
無人島から漁師に救助されお礼に一緒にちょっと網の修理作業を手伝った程度の間柄なのに、なかなか意見の一致率が高くて気楽で良い。
掲示板で他者を煽っている二人には近づかないことを即決め、これから先を少し話し合う。とりあえずは出会わないようにこの町を出る。
「それから……街道進んで首都目指したんでいいと思う?」
「いいと思うよ。それより貸しロバがあるんだけど、ロバ乗らない?」
「行き先にもっと興味持って? 渡辺って自由だよな」
「異世界くらい自由にしてもバチは当たらないでしょ」
「へーへー」
海の町、森の町、草原の町。
場所により産業が違ってもそれほど大きな差は無いだろう。
高橋と渡辺にとって異世界初のこの海の町も2時間ほどで見るものが無くなり飽きた。
釣り好きなら別の感想があったかもしれないが、昨晩食堂で食べたのはサバの塩焼き。普通だった。
「せっかく来たんだからできないことをやらないと損だよな。俺は藁を積んだ荷車に載りたい」
「それって草原の町? 街道がどうなってるからわからないけど、マップ見た限りだと可能性ありそう……ん?」
高橋が疑問の声をあげた渡辺を見やると、彼は空中を指さした。
おそらくはマップで何かあったのだろう。他人のものは見えないので高橋もすぐに自分のマップを開く。
「森にいた人たちが一気に移動してる。ほら、岡さん達とか」
「山田と、委員長達もだな。これあれじゃね? 川下り。伊藤が舟早いって書いてたし」
「ああ、それか。じゃあみんな首都に流れ着きそうだ」
高橋は「舟もで行くのもありだな」と大きく頷いて、貸しロバ屋に向かった。




