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◇◇◇
鈴木が目を開けたらそこは緑だった。
足元は足首くらいまでの草が生え、数メートル離れた先は森。今いるところは森と草原の境界線で森も草原も見渡す限り続いている。
つい今の今まで教室に居たのに、全く別の場所。
けれど極端な世界に飛ばされたわけではなさそうなので、海外旅行とでも思えば大丈夫だろう。
そう思いながらグルリと周囲を見渡すと、数メートル先で地面に倒れていた女子の林がちょうど目覚め、悲鳴をあげて起き上がった。
「信じられない! マダニがいたらどうすんのよ!」
服をバタバタと叩いて草や土を落としながら起き上がる。小柄で可愛らしい見た目なのにスカートを自分で豪快にめくりあげバサバサとしているので目のやり場に困ってしまう。
下に体操服のハーフパンツを履いているけれど、あの行動は許されるのだろうか。
「林さん、その行動はちょっと」
「鈴木くん? あ、居たんだ」
林はちょっと困ったように笑い、スカートを下ろして手で払い落とす作業に切り替えた。鈴木は安心して少し距離を縮める。
「大丈夫そうでよかったよ」
「ほんと。いきなり異世界とか酷くない?」
彼女の言葉に頷きながら周囲を見回す。草と森。人工的なものが何も見当たらない。
修学旅行というから人がいる場所で生活や文化などを見るのかと思ったのに、人がいないというのは最初から破綻してしまっていないか?
これは本当に大丈夫なのだろうか。
「……メニュー?」
とりあえず言ってみる。
すると空中に暗い青の背景色に白い文字、ゲームっぽいというよりそのままのそれで、「マップ、掲示板、お金、トイレ、その他」の五項目が書かれたリストが表示された。そのメニュー画面の右下には現在の時刻と帰還までの残り時間が表示されている。
「あ、メニュー! そうだった。メニューメニュー、おおっ、ゲームっぽい!」
隣で林がメニューを表示させたようだが鈴木の目には何も見えなかった。けれど空中で指先を動かしキャッキャしている。
他人のメニューは見えない仕様になっているのなら、わりと場所や時を選ばずに利用できそうだ。
林の気楽そうな様子に羨ましさを感じつつ、鈴木はメニューを画面をつついてみた。
とにかく今のこの状態に問題がないのかどうかを確認しなければならない。
真っ先に「その他」を選ぶと「連絡板書き込み、詳細設定、帰還時注意事項」という新たな項目が表示された。
連絡板書き込み。おそらくこれで運営と連絡がとれるだろう。
鈴木はそう予想して、転移の位置に問題がある報告と、その対処法を尋ねるべく書き込んだ。
さすがに即返事があるとは思っていないので、すぐ下の「帰還時注意事項」に目を通す。
それよりも他にやるべきことがあるような気がしないでもないが、今は待つ身であるし、もしこちらで何かしらを手に入れた場合の検疫などの情報は重要だろう。
けれど予想に反してそのようなことは何一つ書かれておらず、書かれていたのは「起床しておかなければ転移で凄まじく酔う」ということだけだった。
「残り時間って……時間もう普通にカウント始まっちゃってるしー。それからトイレって何だろう? メニューにトイレっておかしくない?」
横で林も色々と調べているようだ。
運営からの反応はやはりまだないので、鈴木は次にお金の項目を触ってみた。「残金100銭」と書かれたウィンドが新たに表示され、その下に「出金」と書かれた入力欄と数字が並んでいる。「入金」は無いが、ATMと同じ感覚で使えそうだった。
どこから現金が出てくるのかが気になって、鈴木は試しに1銭を出金してみた。音もなく「1銭出金しました」と表示が出て、残金が99銭に変化する。そして新しく、手の平にコインが落ちるアニメが表示された。
鈴木は無言で操作のために軽く握っていた手を表にして開いた。
「いつの間に……」
そこにしっかりと銀色の硬貨が一枚あったのを見て思わず呻く。知らない間に自身の体に干渉されていたことに少し不快感があった。
けれどメニューから直接ジャラジャラと硬貨が出てきても困るのでこれが最適解なはずだと鈴木は自分に言い聞かせ、改めて硬貨を見てみた。500円玉サイズのそれは表面に猫じゃらしのような植物と1の数字の刻印があった。
「林さん、お金を出してみたんだけど、これ猫じゃらしじゃなくて小麦系の何かだったら豊穣の意味合い的にーー」
喋りながら顔を上げて彼女を探す。けれど近くに座っていたはずの彼女の姿が見当たらず、鈴木は首を傾げた。
どこかへ移動するにしても声をかけていくだろうし、今居る場所は少しだけ植物の勢いが弱いが、周辺に道らしい道はなく彼女がどこかへ行った形跡は無い。
「林さん? 林さん!」
キョロキョロと辺りを見回す。けれど森と草が風にそよそよと揺れているだけだ。
周囲の気配をくまなく探ってみるが、獣が潜んでいるような感じもしない。
「林さん!」
急に不安がおし寄せて、鈴木は大声を出した。周辺をウロウロとして、草原を広く見渡し、森の中を覗き込むけれど何の気配もない。
もう一度よく周辺を見回して、鈴木は混乱する自信を落ち着かせようと深呼吸をした。
「大丈夫、何も問題ない」
これまで林が居たのは気のせいで、彼女は最初からいなかった。
そう自分に言い聞かせ、確認する。
けれど自身でそれを拒絶して嘘を暴こうと、心臓がバクバクと痛いほど脈打った。
「無理だ、林さん!」
先ほどと同じように周辺をウロウロとして、草原を広く見渡し、森の中を覗き込む。
しかしやはり林の姿は見当たらず、鈴木は再びメニューの連絡板書き込みを開いた。
助けを呼ばなければならない。これは明らかにイレギュラーな事態だ。
気づけ主催者! トラブルが発生している!
それからしばらく、メニュー画面を睨み続けて反応を待っていた鈴木のすぐそばでガサガサと派手な音がした。
ギョッとして鈴木が体を強張らせた瞬間、森の茂みからニ匹の鳥が飛び立ち、その迫力に気圧されて彼は尻もちをついた。
「ふへっ、は、ははっ。な……なんだよここ」
なんだかもう色々とダメな気分になってくる。この世界にはもう自分一人しかいないのかもしれない。
同級生が一人そばにいたから平然としていられたのに、今はもう心細過ぎて何もしたくない。
どこか人がいるところに行きたい。コンビニでコーヒー買って、ドーナツかじりたい。なんかもう疲れた。
「林さん……」
「え? あ、はーい」
そこには何食わぬ顔をした林がいて、「よっこいしょっと」と、年寄りくさい掛け声で隣に腰を下ろしてきた。
「へ?」
「え?」
「……居なくなったんじゃないの?」
「あー、トイレ行ってたんだけど、鈴木くんがパニックになってるって言われて」
「トイレ?」
返事を聞いた鈴木は眉間に皺を寄せ、それから口を尖らせた。時間が止まったかのように瞬きをせず、少し間をおいてから顔全体をクシャリとさせる。
人に見せるような顔ではないが、どうしても堪えきれずに林から顔を背けた。
「ご、ごめん! こんなことになるとか思ってなくて、いやあの、ね」
慌てたような林の声が聞こえる。けれど鈴木が動けないままでいると、彼女は一度言葉を切り、改めた感じでゆっくりと話し始めた。
「メニューのトイレを押してみたらシュンってトイレの中に入っちゃって、キレイで座れたから私はそこでメニュー見てたんだよね。掲示板ってあるでしょ? そこでクラスの人たちと情報交換してたんだけど……。あー……鈴木くん、一度メニュー画面開き直してみて。多分慌てて気づいて無かったと思うんだけど」
林の声を聞きながら、鈴木は何度か深呼吸を繰り返した。
気持ちはまだ高ぶりグラグラに揺れてしまっているが、表面だけでも取り乱しているのを落ち着かせなければならない。伺うような林の視線を感じたが、鈴木は顔を上げないまま話を促すように頷いた。
「連絡板って運営と連絡をとるものじゃなくて、メニュー画面に直接張り出される連絡事項みたいなんだよね」
だから鈴木が運営に届くと思って書き込んだ「転移先に問題があり、周囲に人の気配がありません。至急対応を求めます」はクラス全員のメニュー画面にデカデカと張り出されており、それに対して『これは運営に届かないと思うので掲示板に来てください』とクラスメイトの堀がわざわざ書き込んでくれていた。
しかし焦っていた鈴木はそれらに全く気づかずに「緊急救助求む! 林が消えた。これは明らかにイレギュラーな事態だ。気づけ主催者! トラブルが発生している」と更に書き込み、掲示板を通じて林に連絡がいったのだ。
ようやく状況がわかった鈴木は慌ててメニューを確認し、すぐに掲示板に目を通した。
そして先程よりも露骨に視線をそらし、俯いたまま小さな声で「林さん、巻き込んでごめん」と言った。
「うん。こっちこそ急にいなくなってごめんね」
羞恥に震える鈴木の鈴木の肩を林がポンポンと叩いてきた。
鈴木が落ち着いて顔を上げたとき、林はメニューを触るような仕草をしていた。
「落ち着いた?」
「うん、良かったよ。林さん、死んでなくて」
「勝手に殺さないでよ!」
バシリと膝を叩かれて鈴木は笑顔を浮かべた。痛いけどちょっと嬉しかった。
「ずっと情報交換が続いてるんだけど、メニューにマップってあるでしょ?」
言われて鈴木はメニューを表示させた。項目のマップを選び、すぐに見たものの思考が停止し、何も考えられなくなる。
そこには歪なハートの形をした島の地図が、全て一昔前のわかりやすいドット絵で表現されていた。
そしてその地図上の様々な場所に前を向いたまま足踏みをしている小さな人のキャラが何体も表示されている。そのうちの一つ、地図のほぼ中央にいる一体だけが王冠を被っており、そのすぐ隣にも王冠を被っていない普通のキャラが居た。
カリカリと頭を掻いて一度空を仰いでから鈴木は何事もなかったかのように平静を装った声を出した。
「これ、地図とみんなの居場所?」
「なんでゲームなんだ! って言いたいのバレバレだけどそうだと思うよー。真ん中辺りのほぼ同じ場所に王冠とノーマルが居るでしょ?」
「俺と林さんってことか。それじゃみんなけっこうバラバラにされてて、近くに林さんがいた俺はラッキーな感じなのかな」
「近い人どうし集まれればいいねって感じなんだけど、このキャラじゃ性別も誰かも全然わかんなくて……あ、でも離れ島に飛ばされてる3人は高橋くんと渡辺くん、それと森さんってわかってるんだよね。この三人はもう掲示板に居るから大丈夫なんだけど、掲示板に来てない人達がまだけっこういるし」
「あー、じゃあ俺が出席とってみる」
「よろしく。委員長」
小さく息を吐いて、鈴木は言葉をまとめ始めた。
出席をとる作業はまだ始めたばかりだけど、掲示板でクラスメイトの田中と小林が野生の獣に襲われたことがわかり、いつまでもここにいるわけにはいかなくなったので鈴木と林は人里を探すことにした。
どうやら異世界にも人はちゃんと居て、町や整備された街道があるらしい。
みんなから上がってくる掲示板の情報はとても魅力的で参考になるものだったが、鈴木たちが居るのは森と草原の境界線。
あいにくマップでは地形とみんなの所在地しかわからないので、町や街道は自分たちで探すしかない。
それで頑張った結果、鈴木は草むらの中にどこまで続いているのかわからない細い道を見つけたのだが、そちらへ行くことには林が難色を示した。
「ただの獣道。人が通ってたらもっとしっかり草とか薙ぎ払われてるはず」かららしい。
それで今は森の中に進んでいる。林が「こっちに道が続いてる」と自信を持って言ったからだ。
鈴木は道なんて何も見えなくて全然わからなかったので遭難しないように動かないことを提案したが、「迷ってもマップを見たら森から草原に抜けられる方角くらいわかるでしょ」と、林は聞く耳を持たなかった。
抵抗すると一人置いていかれそうな気がして、鈴木も大人しく林の後ろをついて行く。けれど舗装も街灯も何も無いのに「間違いなく人の手が入っている」の意味がわからず、一歩進むごとに不安が増して、鈴木は何度目かになる確認を林にした。
「これ本当に道なの?」
「どう見ても道でしょ」
「どう見ても森だよ。探すなら草原のほうが絶対に良かったと思うけど」
「集落とか探そうと思って木に登ろうとしたのに、ダメって言ったの鈴木くんじゃん」
「危ないことはしない方がいいよ」
鈴木の注意するような言動に、前方を歩いていた林がふいに振り返った。
その顔は眉間に皺が寄っていて、鈴木はギクリとする。
けれど林は何かを言いかけようとして言い淀み、少し思案するように木々の上の方を見上げた。
「出席確認は、どんな感じ?」
たっぷり間を置いて言われた言葉に、鈴木は曖昧に頷いた。
なんだか気まずくて鈴木が視線を逸らすと、林は鈴木の返事を待つこともなく、再び前を向いて歩き始めた。
心なしか先程よりも少しだけ足が速い。段差に埋まった木々を軽々と駆け上り、スタスタと先へ進んでいく。
鈴木は少しだけ息を弾ませながら、置いていかれないように黙ってついていった。
そのままどれだけ歩いただろうか。
前を歩く林が突然走り出した。鈴木はついていけず一瞬立ち止まって呆然と見やったが、後を追ってゆっくりとまた歩き始める。
そうして遅れること数分、大きな木を迂回した先に突然、家が見えた。
森の中なのに辺り一面木々がなく、枝や葉に遮られることがなく空がはっきり見えている。
その先には木で作られた柵があり、丸太が並んで、鶏がいて、看板が立っていて、他の家がいくつもあって、人がいた。
「着いた……」
初めて見る異世界の町並みに感動して、誰かに共有したくて、鈴木はすぐに林の姿を探す。
けれど彼女はとっくに感動なんか覚めているのか、すぐ近くて少し俯き空中をつつくような仕草をしていた。




