第三章 この世界で、君だけが泣いている
放課後、校舎の屋上に吹き込む風はまだ冷たい。
僕は、その場所を見上げていた。
一度目の世界で、如月ひよりが命を絶った場所。
笑顔のまま、何も言わず──それが、彼女の最後だった。
今、彼女は生きている。
でも、それは“ただの猶予”にすぎない気がしていた。
このままじゃ、また彼女は死ぬ。
理由もわからず、心に触れることもできないまま──。
だから、僕は決めた。
彼女の本当の「涙の理由」に、踏み込むことを。
数日後の放課後、僕は、彼女の後をつけていた。
尾行なんて最低だ。でも、そんなことを気にしている暇はない。
彼女は、学校の裏手にあるバス停から、ある場所へと向かった。
それは、市内の中心から外れた古びたアパートだった。
「……ここが、彼女の家?」
想像していたよりもずっと、寂しげで、静かな場所だった。
周囲には誰もおらず、窓の多くはカーテンで閉ざされている。
数分後、玄関が開き、ひよりが出てきた。
その後ろには、やせ細った中年の男──彼女の父親だろうか。
「金は……まだなのか? お前、学校行ってる暇あんのかよ」
その怒鳴り声が、かすかに届いた。
(……家庭環境が、原因?)
彼女の背中が、小さく震えていた。
まるで、声を出さずに泣いているみたいだった。
僕は、その場から動けなかった。
目の前にいる“彼女の現実”を、ただ見ていることしかできなかった。
翌日、彼女は学校に来なかった。
教室の空席が、妙に広く見える。
「如月さん、今日休みなんだって」
隣の席の女子がそう呟いたのを聞いて、僕の中に警鐘が鳴った。
──また、“あの日”が近づいている。
それがわかった。
(何かしなきゃ……でも、どうすれば?)
もどかしさだけが積もる。
何度でもやり直せるわけじゃない。そう直感していた。
ただの繰り返しじゃない。
このタイムリープには“回数の限界”がある。
それがどこから来た確信なのかはわからない。でも、確かにそう“感じる”のだ。
その夜、僕はもう一度、彼女の家を訪れた。
……偶然を装いながら。
そして、偶然を装いながら、彼女に声をかけた。
「ひより」
そう、初めて“名前”を呼んだ。
彼女は驚いたように、でもどこか嬉しそうに、目を細めた。
「……どうしてここに?」
「君が来ないと、心配だから。なんとなく……嫌な予感がしたんだ」
沈黙。
でも、そのあと彼女はぽつりと呟いた。
「ほんとは……誰かに、気づいてほしかったんだ」
その一言に、僕の胸が締めつけられた。
(……そうだ。彼女はずっと、ひとりだったんだ)
彼女が死んだ未来は、誰も気づかない教室だった。
空気みたいに扱われていたのは、僕だけじゃない。
“太陽”に見えた彼女こそが、誰よりも透明だった。
「ユウトくんってさ……前より、少し優しくなったね」
そう言って、彼女は笑った。
けれど、その瞳の奥にはまだ、深い闇を感じた。