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8.選んだ道

翌朝、パールは早めに目を覚ました。

窓の外はまだ薄暗く、夜明け前の静けさが館を包んでいる。


昨日見た光景が、断片的に蘇ってくる。

神殿、一つの宝石、そして自分と同じ顔を持つ少女。

百年前の聖女。その生まれ変わりが、自分だというのか。


「パール様」

ノックと共に、メイドの声。

「朝食のご用意が整いました」


「ありがとう」

声を出すと、意外なほど落ち着いていた。

昨夜、ヴィクターの言葉が心に残っているからだろうか。


『お前は、お前だ』


その言葉の持つ重みを、今になって実感している。

前世が誰であれ、今を生きているのは自分自身なのだと。


***


食堂に向かう廊下で、パールは立ち止まった。

窓の外では、アメジストの庭園が朝もやに包まれている。

昨日の今頃は、ここで初めての魔法練習をしていたのだ。


(あれから、どれだけのことが)


レインの介入、アレクサンダーの来訪、そして前世の記憶。

たった一日で、全てが変わってしまった。


「パール様」


振り返ると、執事が立っていた。

「ヴィクター様が、お待ちです」


食堂に入ると、いつもの場所にヴィクターの姿。

昨日と変わらない朝の光景に、パールは少し安心する。


「おはよう」

ヴィクターの声も、いつも通り。

「座れ」


テーブルには温かな朝食が並び、紅茶の湯気が立ち上っている。

アメジストの花も、普段と同じように活けられていた。


「今日からの練習は」

ヴィクターが紅茶を口に運びながら告げる。

「基礎から始める」


「基礎、ですか?」


「ああ」

ヴィクターは頷く。

「アメジストの本質を、理解するところから」


パールは黙って頷いた。

昨日の暴走は、自分の力をコントロールできていなかったから。

基礎から学ぶ必要性を、身をもって感じている。


「ただし」

ヴィクターの声が少し低くなる。

「他の守護者たちが、どう動くか分からない」


その言葉に、昨日のできごとを思い出す。

レインとアレクサンダーの突然の介入。

そして、まだ姿を見せていないルシアンとカイト。


「私は」

パールが静かに口を開く。

「アメジストの力を、しっかり理解したいです」


「ああ」

ヴィクターの紫の瞳に、温かな光が宿る。

「それが、正しい選択だ」


朝食を終えると、ヴィクターは立ち上がった。

「今日は、書庫にいく」


「昨日と同じ?」


「いや」

ヴィクターが首を振る。

「もっと古い、地下の書庫へ行く」


パールは驚いて顔を上げた。

地下の書庫?

ノーマルモードでは、その存在すら明かされなかった場所だ。


***


執事の案内で、館の奥へと進んでいく。

普段は使われていない廊下には、アメジストの花が所々に咲いていた。

まるで、道標のように。


大きな扉の前で、一行は立ち止まった。

「ここからは、私たちだけだ」

ヴィクターが執事に目配せすると、静かに下がっていった。


扉の中央には、アメジストの紋章が刻まれている。

ヴィクターがその紋章に手を当てると、紫の光が浮かび上がった。


「この先にあるのは」

ヴィクターの声が静かに響く。

「ムーンライト公爵家に伝わる、最も古い記録だ」


重厚な扉が、ゆっくりと開いていく。

階段が、闇の中へと続いている。


「怖くはないか?」

ヴィクターが、パールを見つめる。


「いいえ」

パールは首を振った。

「ヴィクター様と一緒なら大丈夫です」


その言葉に、ヴィクターの表情が柔らかくなる。


***


階段を降りていくと、空気が変わった。

古い魔力が、重く澱んでいる。

それでも不思議と、息苦しさは感じない。


「アメジストの加護があるからだ」

パールの様子を見ながら、ヴィクターが説明する。

「この場所は、代々の当主が守ってきた聖域」


階段を降り切ると、そこには広大な空間が広がっていた。

無数の本棚が並び、天井まで届きそうな高さ。

古い魔法の灯りが、幻想的な光を投げかけている。


「これが」

パールは息を呑む。

「ムーンライト公爵家の地下書庫」


「ああ」

ヴィクターが一冊の本を取り出す。

「そして、これが家門の歴史だ」


開かれたページには、見たことのない文字が並んでいた。

だが不思議なことに、その意味が理解できる。


「聖女の記憶か」

ヴィクターが静かに告げる。

「それとも、アメジストの力か」


***


「これは・・・」

パールは本の内容に見入っていた。


アメジストの守護者たちの記録。

調和と平和の力を持つ宝石が、どのように使われてきたのか。

そして、かつての聖女たちとの関わり。


「百年前の記録もある」

ヴィクターがページをめくる。

「最後の聖女と、宝石が分かれた日のことも」


パールの指が、その部分で止まる。

昨日、アレクサンダーが見せた光景の詳細が、ここに記されている。


『宝石の分裂は、突然に訪れた』

『聖女は、その力を制御しようと試みたが』

『最後の手段として、自らの命を使って封印を』


「でも、なぜ」

パールが顔を上げる。

「宝石は分かれてしまったのでしょうか」


「それは」

ヴィクターの声が低くなる。

「お前自身に、思い出してもらわなければならない」


***


「思い出す・・・」


パールは本の文字を見つめる。

確かにその意味は分かる。でも、それは記憶というより、ただの理解。

自分の体験としての実感は、まだない。


「焦る必要はない」

ヴィクターが本を閉じる。

「今は、アメジストの力を理解することが先だ」


書架の奥へと進んでいく。

そこには、魔法陣が床一面に描かれた空間があった。


「ここで練習を」

ヴィクターが中央に立つ。

「アメジストの本質は、調和だ」


パールもその横に立つ。

魔法陣が、紫の光を放ち始める。


「他の宝石の力を受け止め」

ヴィクターの声が静かに響く。

「それを正しい方向へ導く」


パールが呟く。

「昨日のように」


***


「そう」

ヴィクターが頷く。

「お前は既に、その力を使っている」


レインのルビーが引き起こした混乱を、アメジストの力で制御できた。

それは偶然ではなく、聖女としての本能だったのかもしれない。


「では」

ヴィクターが杖を構える。

「実践してみよう」


氷の魔法が、パールを包み込む。

冷たいけれど、敵意は感じない。

むしろ、優しく触れるような。


「この力を」

ヴィクターの声が導くように響く。

「受け止めて」


パールは目を閉じ、その感覚に集中する。

アメジストの力が、体の中で目覚めていく。

氷の魔法と共鳴し、溶け合うように。


「できている」

ヴィクターの声に、わずかな驚きが混じる。

「これが、調和の力」


***


パールが目を開けると、魔法陣が美しい光を放っていた。

氷の魔法とアメジストの力が、完璧なバランスで溶け合っている。


「これが、私の力」


「ああ」

ヴィクターの表情が柔らかくなる。

「お前にしかできない」


その瞬間、何かが記憶の奥で震えた。

似たような光景。

誰かと向き合い、力を重ね合わせる感覚。


(前世の記憶だ)


「パール?」

ヴィクターの声に、心配が滲む。


「大丈夫です」

パールは微笑む。

「ただ、何か・・・懐かしい感じがして」


「無理はするな」

ヴィクターが魔法を解く。

「記憶は、自然と戻ってくる」


***


練習を終え、パールは書架の間を歩いていた。

ヴィクターは何か資料を探しているらしく、奥の方で本を調べている。


古い本の背表紙に、パールの目が留まる。

手を伸ばすと、不思議と体が覚えていた。

この高さ、この場所。


本を開くと、そこには一枚の絵が。

五つの宝石が、円を描くように並んでいる。

その中心に立つ少女は、やはり自分に似ていた。


「それは」

ヴィクターの声が背後から聞こえる。

「最初の聖女の記録」


「最初の・・・」


「そう」

ヴィクターが静かに続ける。

「宝石が一つだった頃の、聖女のものだ」


パールは息を呑む。

アレクサンダーが見せたのは、最後の聖女。

でも、その始まりはもっと遠い過去にあったのだ。


***


「記録によれば」

ヴィクターがページをめくる。

「最初の聖女は、宝石の力を完璧に制御できたという」


五つの属性が一つに溶け合い、理想的な調和を生み出す。

その力は、国を豊かに、人々を幸せにした。


「でも」

パールは首を傾げる。

「なぜ分かれてしまったのでしょう」


「それは」

ヴィクターの声が低くなる。

「王家にも、詳しい記録が残っていない」


ただ一つ確かなのは、宝石の分裂と共に聖女の力も分かれ、以降は五つの宝石を完全に一つにすることはできなかったということ。


「百年前、」

ヴィクターが続ける。

「最後の聖女が、再び統合を試みた」


その結果が、アレクサンダーの見せた光景。

命を懸けた封印と、百年後の予言。


「そして、私が」

パールは本を見つめる。

「その聖女の、生まれ変わりなのですね」


***


「パール」

ヴィクターの声が、いつになく真剣だった。

「お前は、お前の道を選べばいい」


パールは顔を上げる。

紫の瞳が、真っ直ぐに自分を見つめている。


「前世の記憶も、予言も」

ヴィクターが続ける。

「お前を縛るものではない」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。

そうだ。たとえ前世の記憶が蘇っても、今の自分には今の意志がある。


「ヴィクター様」

パールは本を胸に抱く。

「私、アメジストの力をもっと、」


言葉が途切れた瞬間、地下書庫が揺れ始めた。

本棚から、古い巻物が落ちてくる。


「!!」


ヴィクターがパールを抱き寄せ、防御の魔法を展開する。

上階から、何かの気配が。


「この魔力は」

ヴィクターの表情が険しくなる。

「サファイアだ」


***


「ルシアン様が?」

パールの声が震える。


知恵と魔法の宝石、サファイアの守護者。

ノーマルモードでは、誰にでも優しく接する人物だったはず。

なのに、この威圧的な魔力はどういうことなんだろう。


「行くぞ」

ヴィクターがパールの手を取る。

「地上へ」


階段を駆け上がる途中、青い光が差し込んでくる。

サファイアの輝きは、アメジストとも、ダイヤモンドとも違う。

知的で、冷徹な輝きを放っている。


大広間に出ると、そこには一人の男が立っていた。

金髪に碧眼。優雅な立ち居振る舞いは、第一公爵家の長男そのものだ。


「やっと見つけた」

ルシアンが微笑む。

「聖女様を、独り占めするつもりかな、ヴィクター?」


***


「ルシアン」

ヴィクターの声が冷たくなる。

「陛下の許可は得たのか?」


「もちろん」

ルシアンは軽やかに一礼する。

「私も、聖女様の力を確かめる権利がある」


その言葉に、パールは息を呑む。

アレクサンダーの真実の開示。

レインの力の試し。

そして今度は、サファイアの守護者。


「知恵の力で」

ルシアンが胸元の青い宝石に触れる。

「聖女様の記憶を、呼び覚ましましょう」


「パールには、もっと時間が必要だ」

ヴィクターが前に出る。


「時間?」

ルシアンの笑みが深まる。

「それとも、独占したいだけかな」


サファイアの輝きが強まっていく。

知恵の宝石は、まるで真実を暴こうとするかのように青い光を放つ。


「私たちにも知る権利がある」

ルシアンの声が冴えわたる。

「聖女の真の姿を」


その瞬間、パールの頭に鋭い痛みが走った。

何かが、記憶の奥を掻き分けていく。

サファイアの力が、強引に過去を呼び覚まそうとしているのだ。


「パール!」


ヴィクターの声が遠のいていく。

視界が青く染まり、そこに新たな光景が浮かび上がる。


神殿。

祭壇。

そして――。


***


「やめて!」


パールの叫び声と同時に、アメジストの光が放たれた。

サファイアの青い光を押し返すように、紫の輝きが広がる。


「これは」

ルシアンの表情が変わる。

「記憶を拒絶している?」


「違う」

ヴィクターの声が響く。

「パールが、自分の意志で選んでいるんだ」


強引に呼び覚まされる記憶ではなく、今の自分で選び取る道。

アメジストの力は、その意志を守るように輝いていた。


「面白い」

ルシアンがサファイアの力を収める。

「これも、調和の力なのかな」


パールの視界が徐々に戻ってくる。

先ほどの痛みは消え、代わりに不思議な安心感が残っていた。


「記憶は、私のもの」

パールは静かに告げる。

「誰かに、無理に呼び覚まされるものじゃない」

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