5.灯る警告
パールは窓辺に立ち、夜のアメジストの庭園を見下ろしていた。
噴水の近くには、先ほどまでレインがいた場所が、かすかに赤く光っている。
(レインの魔法、ノーマルモードとは全然違う)
ゲームの中では、彼の火の魔法は暖かく、人々を元気づける力だったが、今感じたのは、まるで相手を焼き尽くすような冷たい炎だった。
「パール様」
ノックの音と共に、メイドが入ってくる。
「お茶をお持ちしました」
湯気の立つ紅茶には、アメジストの花びらが浮かんでいた。
その香りを吸い込むと、先ほどまでの緊張が少しずつ溶けていく。
「明日の朝食は、お部屋でお召し上がりになりますか?」
メイドが静かに尋ねる。
「それとも、ヴィクター様と食堂でお召し上がりに?」
パールは一瞬考える。
朝一番から魔法の指導。しかも、ヴィクターから。
(緊張するけど・・・)
「食堂で」
パールは微笑む。
「ヴィクター様と一緒に、お願いします」
「承知いたしました」
メイドが一礼して退室すると、部屋に静寂が戻ってきた。
パールはベッドに腰掛け、今日一日を振り返る。
朝の馬車での出来事。
この部屋に案内されたとき。
そして夕食での出来事。
ヴィクターの態度は、その時々で違っていた。
冷たく突き放すかと思えば、思いがけない優しさを見せる。
レインの前では明らかな敵意を、でも自分に対しては。
(ヴィクターは、本当は何を・・・)
窓の外で、アメジストの花が静かに輝いていた。
その光は、まるでパールの問いかけに答えるように、ゆっくりと明滅している。
***
「聖女の力は、五つの宝石と共鳴する」
パールは、先ほどのヴィクターの言葉を思い出していた。
アメジストが最初に反応したから、この館に来ることになったと。
でも、それだけが理由なのだろうか。
立ち上がって、クローゼットを開く。
明日の魔法指導用に、新しい服が用意されていた。
紫を基調としながらも、動きやすそうなデザイン。これもヴィクターが選んだのだろうか。
「魔法の指導」
その言葉を口にしながら、パールは不安を感じていた。
ノーマルモードでは、カイトが丁寧に教えてくれたはず。
でも今は、ヴィクターとレイン。
しかも二人は明らかに対立している。
(これも、ハードモードならでは?)
ベッドに横たわりながら、パールは考える。
アレクサンダーは王太子として、まだ姿を見せていない。
ルシアンとカイトからも、特に連絡はない。
本来なら、もっと後の展開のはずのヴィクターと、こんなに近くにいる。
「全然、予想がつかない」
天井を見上げながら、小さくつぶやく。
ノーマルモードの知識は、どこまで役に立つのだろう。
それとも、かえって邪魔になる?
枕に顔を埋めると、かすかな花の香りがした。
アメジストの香り。不思議と心が落ち着く。
(明日は、どんな魔法を使うんだろう)
考えているうちに、パールの意識は徐々に遠のいていった。
***
夢の中で、パールは見知らぬ場所にいた。
五つの宝石が、それぞれの色を放って輝いている。
晶、蒼、翠、紫、そして紅。
その光が、パールを包み込む。
温かい。でも、どこか切ない。
まるで、何かを訴えかけているかのよう。
「聖女様」
誰かが呼ぶ声。
振り返ろうとした瞬間。
「パール様、お時間です」
メイドの声で、目が覚めた。
窓の外はまだ薄暗い。
夜明け前の静けさが、館を包んでいる。
「昨夜は、よくお休みになられましたか?」
「ええ」
パールは頷く。
夢の内容は、もう曖昧になっていた。
着替えを済ませ、髪を整える。
鏡に映る自分は、少し緊張した面持ち。
紫のワンピースは、予想通り動きやすい。
「ヴィクター様は、既に食堂でお待ちです」
その言葉に、パールの心拍が上がる。
昨夜のレインとの一件で、予定は変更になっていないのだろうか。
それとも、新たな展開が待っているのだろうか。
深く息を吸って、部屋を出る。
廊下には、朝もやが立ち込めていた。
アメジストの花々が、その中で神秘的な輝きを放っている。
(さあ、始まる)
パールは、一歩を踏み出した。
***
食堂に入ると、窓際にヴィクターの姿があった。
朝日が銀髪を淡く照らし、その横顔は昨夜よりも柔らかな印象を放っている。
「おはよう」
振り返ったヴィクターの声は、いつもより穏やかだった。
「おはようございます、ヴィクター様」
テーブルには既に朝食が並んでいる。
紅茶の湯気が立ち上る中、パールは席に着く。
「食後すぐに、魔法の練習を始める」
ヴィクターは紅茶を口に運びながら告げる。
「アメジストの庭園で」
その言葉に、パールは緊張を覚えた。
昨夜、レインが現れた場所。
今でも、かすかに赤い魔力の残滓が感じられるはず。
「心配するな」
パールの表情を読み取ったように、ヴィクターが続ける。
「レインが来ることはない。少なくとも、今朝は」
「はい、でも・・・」
「聖女の力は、まずアメジストと共鳴した」
ヴィクターの紫の瞳が、真っ直ぐにパールを見つめる。
「それには、意味がある」
パールは黙って頷く。
朝食を進めながら、昨夜の夢のことを思い出していた。
五つの宝石の光。
あの夢は、何を意味しているのだろう。
***
朝食を終えると、ヴィクターはパールを庭園へと案内した。
朝露に濡れたアメジストの花々が、日の光を受けて輝いている。
「ここで」
噴水の前で立ち止まったヴィクターが、パールに向き直る。
「まずは、アメジストの力を感じてみろ」
「感じる、ですか?」
「ああ」
ヴィクターは胸元の宝石に触れる。
「お前の中にある聖女の力を、解放するんだ」
パールは目を閉じる。
昨夜の夕食時、確かに何かを感じた。
胸の奥で脈打つような、温かな感覚。
「力を押し出すな」
ヴィクターの声が、静かに響く。
「ただ、受け入れるんだ」
その瞬間。
パールの周りで、アメジストの花々が一斉に輝き始めた。
「!」
驚いて目を開けると、紫の光が庭園全体を包んでいる。
まるで、光の海の中にいるよう。
「これが」
ヴィクターの表情が、柔らかくなる。
「お前の力だ」
だが次の瞬間、その光が急に強まった。
パールの体が、宙に浮き上がる。
「パール!」
ヴィクターが駆け寄ろうとした時、赤い光が割り込むように差し込んでくる。
「おや、これは興味深い反応ですね」
レインの声だった。
***
「サンフォード!」
ヴィクターの声が冷気を帯びる。
「何のつもりだ」
「陛下の命により、様子を見に参りました」
レインは優雅に一礼する。
「これは予想以上の反応ですね」
パールは宙に浮かんだまま、状況を把握しようとしていた。
体は自由に動くのに、地面に降りることができない。
そして、胸の奥で脈打つ力が、更に強まっていく。
「下がれ」
ヴィクターがレインの前に立ちはだかる。
「お前の魔力が、パールの力を刺激している」
「いいえ、違いますよ」
レインの笑みが深まる。
「聖女様の力が、私のルビーに反応しているのです」
その言葉通り、レインの胸元のルビーが赤く明滅し始めた。
それに呼応するように、パールを包む紫の光も強さを増していく。
「くっ」
視界が歪み始める。
このまま意識を失いそうになる中、パールは必死で耐えていた。
(これも、選択肢なの?)
ノーマルモードでは、こんな展開はなかった。
でも、これがハードモードの試練なら。
「パール!」
ヴィクターの声が、遠くから聞こえる。
「意識を保て。私の声が聞こえるか?」
***
「聞こえます・・・」
かすれた声で、パールは答える。
その瞬間、アメジストの光が一層強まった。
まるで、ヴィクターの声に反応したかのように。
「面白い」
レインが一歩前に出る。
「では、私の声はどうでしょう?聖女様」
ルビーの赤い光が強まり、パールの意識を引き寄せようとする。
それは、ノーマルモードでは感じたことのない、甘く危険な誘い。
(違う)
パールは必死で意識を保とうとする。
この状況を、どう打開すれば。
選択肢は出てこない。でも、何かできるはず。
「アメジスト」
震える声で、パールは呼びかける。
「助けて」
庭園中のアメジストの花が、一斉に光を放った。
その紫の輝きは、パールを包み込むように集まってくる。
「!」
レインが驚いた表情を見せる。
「まさか、自分で制御を?」
ヴィクターは無言で杖を構える。
氷の魔法が、パールの周りに結界を作り始めた。
「おや、これは予想外」
レインは一歩後ずさる。
「陛下に、報告しないといけませんね」
そう言って、レインは去っていった。
残された赤い魔力が、ゆっくりと消えていく。
パールの体が、静かに地面に降りる。
膝から崩れ落ちそうになったところを、ヴィクターが受け止めた。
***
「大丈夫か?」
ヴィクターの声には、珍しく焦りが混じっていた。
「はい・・・」
パールは小さく頷く。
体の震えは収まらないが、意識ははっきりしていた。
「よく持ちこたえた」
ヴィクターが静かに告げる。
「アメジストに助けを求めたのは、正解だ」
パールは思わず、ヴィクターを見上げる。
その紫の瞳には、安堵と、何か別の感情が浮かんでいた。
「戻ろう」
ヴィクターがパールを抱き上げる。
「きゃあっ!?」
「今日の練習は、ここまでだ」
横抱きにされたまま館に戻る間、ざわつく気持ちを落ち着かせながらパールは考えていた。
レインの突然の来訪。
宝石の反応。
そして、自分の中に眠る力。
(これが、聖女の力?)
部屋に戻ると、既にメイドが待機していた。
温かい紅茶と共に、アメジストの花びらが浮かぶ湯気が立ち上る。
「しばらく休め」
ヴィクターがベッドにそっとおろしながら告げる。
「午後の練習は、室内で行う」
「はい、ヴィクター様」
扉が閉まる音を聞きながら、パールはベッドに腰掛けた。
窓の外では、アメジストの花々が静かに揺れている。
先ほどの光は消えていたが、確かな存在感を放っていた。
(選択肢はなかった)
(でも、私の意思で制御できたんだよね?)
パールは自分の選択に、小さな自信を感じていた。