3.紫の宝石の導き
19時を告げる鐘の音が、白銀の館に響き渡る。
パールは選んだドレスに袖を通し、最後の確認をした。
銀の刺繍が施された淡い紫のドレスは、まるで身体に馴染むように優しく包み込んでくれた。
ヴィクターが選んだものとは思えないほど、女性らしいデザインだ。
(大丈夫、落ち着いて)
鏡に映る自分に深く息を吸う。
先ほどまで窓の外で見かけた彼の姿が、まだ心に残っている。
夕陽に輝く銀髪と、儚げな横顔。
「パール様、お迎えにあがりました」
ノックの音と共に、執事の声。
パールは静かにドアを開けた。
***
階段を降りていく足音が、静かに響く。
銀の装飾が施された壁には、歴代当主の肖像画が並んでいた。
どの肖像画からも、ヴィクターに似た凛とした雰囲気が感じられる。
食堂への廊下には、アメジストの花が活けられていた。
その紫の輝きが、パールの緊張を僅かに和らげる。
「こちらでございます」
扉が開かれ、パールの足が一瞬止まる。
食堂内は、夕陽に染まっていた。
白銀のシャンデリアが柔らかな光を放ち、テーブルには紫を基調とした花々が優雅に配されている。
そして窓際に、ヴィクターの姿が見えた。
夕陽に照らされた銀髪が、まるでオーロラのように輝いていた。
彼は振り返ると、一瞬、紫の瞳が揺れ、言葉を失ったように立ち尽くす。
(私の装いが、おかしかった?)
不安が胸をよぎった。
このときヴィクターの耳が、かすかに赤みを帯びていたことには気づかなかった。
***
「どうぞ」
短い言葉とともに、ヴィクターが椅子を引く。
その仕草は素っ気ないながら、どこか気遣いが感じられた。
テーブルには既に前菜が並んでいる。
銀の食器が、シャンデリアの光を優しく反射していた。
静寂が流れる。
ただ聞こえるのは、食器の音と、窓の外で風に揺れるアメジストの花々のざわめき。
パールは、そっとヴィクターを観察する。
普段の冷たい表情の下に、何か別の感情が隠れているような。
「明日から」
突然、ヴィクターが口を開く。
「魔法の指導をする」
フォークを持つ手が、わずかに震える。
ノーマルモードでは、魔法の指導はカイトの担当だった。
「まずはアメジストの力を、理解する必要がある」
その言葉に、テーブルの上の花が、かすかに輝きを増した。
まるで、宝石が反応するかのように。
パールの胸元で、何かが温かく脈打つ。
聖女としての力が、アメジストに呼応しているのだろうか。
「あの…」
言葉を探していると、ヴィクターの視線がパールに注がれた。
その紫の瞳には、先ほどまでの冷たさは見当たらない。
代わりに、何か深い感情が渦巻いていた。
***
「聖女の力は、五つの宝石すべてと共鳴する」
ヴィクターの声は静かだが、確かな重みを持っていた。
「そのなかで、最初に反応したのがアメジストだった」
テーブルの上の花が、その言葉に呼応するように、より強く輝きを放つ。
夕暮れの食堂に、紫の光が幻想的な影を落とす。
(そういえば、召喚の時)
パールは昨日の記憶を辿る。
確かに、五つの宝石は全て反応していた。
でも、一番強く光を放っていたのは、ヴィクターの胸元のアメジスト。
「それが、貴女がここにいる理由だ」
その言葉には、様々な感情が込められているような気がした。
諦め?覚悟?それとも――。
窓の外では、夜の帳が降りはじめていた。
アメジストの庭園を照らす灯りが、一つずつ灯されていく。
その光は、夜空の星々のように煌めいていた。
***
「・・・ですが」
パールは言葉を選びながら、静かに口を開く。
「昨日は」
言葉が途切れる。
昨日の拒絶的な態度を、どう表現すればいいのか。
ヴィクターの表情が、一瞬だけ揺らぐ。
「それは・・・」
だが、その時。
窓の外で、けたたましい音が響いた。
「!」
パールが振り向くと、庭園の噴水付近で、赤い光が揺らめいている。
まるで、炎のように。
「サンフォード」
ヴィクターの声が、凍てつくように冷たくなる。
「どうして、ここに」
テーブルの上のワイングラスが、薄く凍りはじめた。
アメジストの花も、不穏そうに揺れている。
(レインが、どうして?)
パールの心臓が、大きく跳ねる。
ノーマルモードでは、レインはもっと明るく、人当たりの良いキャラクターだったはず。
こんな形で強引に来訪するなんて。
***
「失礼いたします」
執事が食堂に駆け込んでくる。
「サンフォード公爵家のご子息様が、パール様に謁見を」
「断れ」
ヴィクターの声は、冷酷なまでに冷たい。
「この時間に、よくもまあ」
窓の外では、赤い光が大きく揺らめく。
火の魔法使いの存在を、主張するかのように。
執事が困惑した表情を浮かべる。
「陛下からのご下命とのことです」
その言葉に、ヴィクターの表情が凍りつく。
王命となれば、拒否するわけにはいかない。
パールは、密かに息を呑んでいた。
ノーマルモードでは、レインはいつも笑顔で、周囲を明るくする存在だった。
なのに、この強引な来訪は。
(ハードモードだと、性格も違うの?)
ヴィクターが静かに立ち上がる。
その背中には、明らかな怒りが滲んでいた。
「パール」
彼は振り返り、真っ直ぐにパールを見つめる。
その紫の瞳には、先ほどまでとは違う、何かが宿っていた。
「レインには、気をつけるんだ」
低い声で告げる。
「あの男は、見かけほど単純ではない」
窓の外では、赤い光がより強く、より大きく揺らめいていた。
***
パールは深く息を吸った。
これが、ハードモードの世界。
一つの選択が、生死を分けるかもしれない。
「お通ししてください」
パールの声に、ヴィクターが振り返る。
「陛下のご命令ですから」
「・・・分かってる」
ヴィクターの声は冷たいままだったが、その紫の瞳には何か別の感情が浮かんでいた。
「だが、私も同席させてもらう」
その言葉に、窓の外の赤い光が激しく揺らめく。
まるで、炎が怒りを表すかのようだった。
「レイン様をお迎えしてまいります」
執事が一礼して退室する。
静寂が流れる中、パールはヴィクターの横顔を見つめていた。
(ノーマルモードとは、全然違う)
これまでのゲームの知識が、この世界では通用しないのかもしれない。
扉が開く音に、パールは我に返った。
「失礼いたします」
その声は、想像以上に明るく、そして優雅だった。
レイン・サンフォードは、夜の炎のように輝きを放ち入室してくる。
茶褐色い髪が夜の闇に映え、その立ち姿には第四公爵家の長男としての気品が漂っていた。
胸元のルビーが、赤い光を放っている。
「やっと、お目にかかれました」
レインが柔らかな笑みを浮かべる。
「聖女様」
その笑顔は、ノーマルモードで見た彼そのもの。
でも、その瞳の奥に潜む何かが、パールの背筋を凍らせた。
テーブルの上のアメジストの花が、不安げに揺れる。
ヴィクターの魔法が、空気を冷やし始めていた。
炎と氷。
相反する二つの魔法が、静かに、しかし確実に衝突しようとしている。
(これが、ハードモードの始まり?)
パールは直感的にそう悟っていた。
***