12.満月の儀式
翌朝から、館の中は慌ただしくなった。
執事たちが古い書物を運び込み、メイドたちは儀式に使う道具の準備に追われている。
「これだけの準備が必要なのですね」
パールは手伝おうとする手を止められ、ただ見守ることしかできない。
「儀式は厳密に行わなければ」
ルシアンが資料に目を通しながら説明する。
「・・・手順を違えば、宝石の力が暴走する可能性もあります」
その言葉に、パールは息を呑む。
昨日までの練習で、二つの宝石を扱うことには慣れてきた。
だが、三つ目の力が加わることで、どんな変化が起きるのか。
「パール」
ヴィクターが声をかける。
「今日は図書館で、儀式の予習をする」
***
図書館では、儀式に関する古文書が山のように積まれていた。
その多くは見慣れない文字で書かれているが、不思議と意味は理解できる。
サファイアの力のおかげだろうか。
「これが、儀式の詳細な記録」
ルシアンが一冊の本を開く。
「最後に行われたのは、三十年前」
「カイト様が、守護者になった時ですか?」
「ええ」
ルシアンは頷く。
「その時は、私も立ち会いました」
パールは思わず身を乗り出す。
ヴィクターも、興味深そうに耳を傾けている。
「エメラルドの力は、特に慎重な扱いが必要です」
ルシアンが続ける。
「癒しの力は、時として予想外の方向に働く」
確かに、癒すという行為には複雑な要素が含まれている。
傷を治すと同時に、無理に治癒力を引き上げることによる痛みも伴う力。
その力を受け継ぐ儀式となれば、なおさらの慎重さが必要なのだろう。
「アメジストとサファイアの役割は」
ヴィクターが本の図版を指さす。
「その力を正しい方向に導くこと」
三つの宝石が描かれた図には、それぞれの役割が記されている。
紫は全体の調和を保ち、
蒼は方向性を示し、
翠が実際の力を行使する。
***
「儀式は、三つの段階を経て行われます」
ルシアンがページをめくる。
「準備、共鳴、そして結合」
最初の準備段階では、三人の守護者がそれぞれの位置につく。
魔法陣の形に従い、正三角形を描くように。
次の共鳴の段階で、三つの宝石の力を少しずつ重ね合わせていく。
この時が最も難しいのだという。
一つでもバランスを崩せば、力は暴走してしまう。
「そして最後に」
ルシアンの声が低くなる。
「三つの力が完全に一つになる」
パールは、その過程を頭に描いていた。
今の自分には、紫と蒼の力がある。
そこに翠が加わることで、何が起こるのか。
「心配することはない」
ヴィクターが静かに告げる。
「お前には、それだけの力がある」
その言葉に、パールは少し勇気をもらう。
確かに、ここまで二つの宝石の力を扱えるようになった。
三つ目も、きっと大丈夫。
***
「ところで」
パールが気になっていた疑問を口にする。
「なぜ、満月の夜でなければいけないのでしょうか」
ルシアンは本棚から新しい資料を取り出した。
そこには月の満ち欠けと、宝石の力の関係が記されている。
「宝石の力は、月の光に反応する」
ルシアンが説明を始める。
「特に満月の夜は、その力が最も安定する」
それは聖女の力も同じなのだという。
だからこそ、儀式には満月の夜が選ばれる。
力の安定性が、成功の鍵を握っているのだ。
「二日後」
ヴィクターが窓の外を見る。
「月が満ちる夜まで、しっかりと準備を」
パールは頷く。
残された時間は少ない。
それまでに、できることは全てしておきたい。
「では」
ルシアンが立ち上がる。
「午後からは、実際の動きの確認に入りましょう」
***
最上階の儀式の間には、既に必要な道具が配置されていた。
三つの台座が、魔法陣の頂点に据えられている。
それぞれの前に、宝石を置くための台が設けられていた。
「私がここ」
ルシアンが蒼の位置に立つ。
「ヴィクターが紫、そしてカイトが翠」
三角形の中心には、聖女の立ち位置が示されている。
そこに立つと、三つの宝石からの力を、最も効果的に受けることができるのだという。
「まずは」
ヴィクターが自分の位置に立つ。
「二人での練習してみましょうか」
パールは中心に立ち、目を閉じる。
今の自分にある二つの力を、ゆっくりと呼び起こしていく。
紫の柔らかな包容力。
蒼の冴えわたる知性。
それぞれの宝石が、穏やかに輝きを放ち始める。
パールの中で、二つの力が自然な形で溶け合っていく。
もう、それは難しいことではなかった。
***
「上手くいっていますね」
ルシアンの声に、満足が滲む。
「これなら、三つ目の力が加わっても問題ないでしょう」
その時だった。
窓の外で、鮮やかな翠色の光が瞬く。
カイトの気配が、急に強まっている。
「王立魔法学院からです」
ヴィクターが窓際に立つ。
「何かあったのか」
翠色の鳥が、急いで飛んでくる。
その羽には、巻物が括り付けられていた。
ルシアンが巻物を開く。
「これは」
その表情が、一瞬こわばる。
「どうした」
ヴィクターが近づく。
「予定を、早める必要があります」
ルシアンの声が、いつになく緊迫している。
「儀式は、明日の夜に」
パールは息を呑む。
まだ月は満ちていない。
それなのに、なにがあったのか。
***
「レインが動き出した」
ルシアンが巻物の内容を告げる。
「紅の力が、不安定になっているそうです」
その知らせは、パールの胸に重くのしかかる。
レインとの一度目の接触で、彼の力の強さは身をもって知った。
その力が制御を失いかけているというのか。
「カイトの判断では、これ以上待てないとのことです」
確かに、エメラルドの癒しの力があれば、暴走する力を抑えることができるかもしれない。
だが、それには代償が。
ヴィクターが沈んだ声で、
「満月でない夜の儀式は、危険が大きすぎる」
三人の間に、重い沈黙が落ちる。
窓の外では、翠色の鳥が不安げに旋回している。
刻一刻と、事態は深刻さを増していく。
「私」
パールが声を上げる。
「やってみたいと思います」
***
二人の守護者が、パールを見つめる。
その瞳には、驚きと共に、何か確かなものを見出したような色が浮かんでいた。
「理由を」
ヴィクターが静かに問う。
「レイン様の力が暴走すれば」
パールは真っ直ぐに答える。
「もっと大きな危険が待っているのでしょう?」
それに、もう一つ。
言葉にはしなかったが、パールの心には確信があった。
今の自分なら、きっとできる。
「分かりました」
ルシアンが頷く。
「では、今夜から本格的な準備に入りましょう」
窓の外では、夕陽が沈みかけている。
明日の夜、この場所で儀式が行われる。
そして、新たな力を得る。
「パール」
ヴィクターが近づいてくる。
「無理はするな」
その言葉に、パールは小さく微笑む。
紫と蒼の力が、静かに共鳴している。
そこに翠が加われば、きっと道は開けるはず。