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「……。」
「隠しても無駄よ。私はあなたが【SHINYA】だって確信しているもの。」
正直、信也には、亜美の言うことの意味がわからなかった。
なぜ亜美がこんな話をするのか、理由がまったくと言っていいほどに…。
「ところで、信也くん、あなたが【シグマド】の【SHINYA】ってバレたら大変ね?」
「え…大変…なのか?」
大変?なにが?
「それはそうでしょ?だって今を時めく【シグマド】のボーカル。他のメンバーはあの芸能系の学校に通っているのが知られてるけど、あなただけは謎。そんな存在の所在が割れたら?」
「……。」
それは確かにまずいかもしれない。
正直、信也としては今現在も変装なんかをしているつもりはなかった。
前髪をかなり伸ばしているのは、信也は忙しく基本的に寝不足なので、授業中寝ていてもバレないからというしょうもないものであり…前髪を間違えて切ったら、ダテのメガネでもかければいいかと思っていたほど…。
まあ、バレたらバレたでいい…とすら思っていたのだ。
…そんなことで別に話題になんかになりはしないだろうと…。
でも、どうやら亜美の態度からもわかるように、信也の素性がバレることは、事実として、かなりの事態が予測されそうだと、信也は今そのことに気がつき、自分の軽率さに頭が痛くなった。
「マスコミがこの学校中を取り囲んでの取材。」
「……。」
…うっ…あ…頭が…。
「…それはもちろんあなただけでなく、在学生、はたまた先生にも及ぶでしょうね。迷惑も迷惑。大迷惑。」
すると、亜美は、信也が俯くようにして、亜美の話を聞いていることに、気がついた。
計画通りと内心笑みを濃くし、信也の強がり(それはあくまでも亜美の視点で、実は有名人としての自覚が生まれた)が失われていくのがわかり、もう少しかと、亜美はさらに追い打ちを掛けることにする。
「マスコミが来れば、噂も広がり……当然、ファンもたくさん来るでしょうね。一体【シグマド】のファンなんて、この街だけで何人いることやら?そうなれば集団パニックに…。」
そう亜美が続けようとしたところで、信也は再び口を開いた。
『なにが望みだ?』
そういう系統の言葉が憎々しげながらも出てくる。亜美はそう思っていた。信也にそんな感情を向けられるのは悲しいが、今の自分が信也とできるだけ早くに触れ合えるようになるには、これしかないので、できるだけ頑張って、これでよかったと認めてもらえるようにと…。
そう…亜美の計画は上手く行ったのだと…そう思っていた。
…しかし…。
しかし、信也の口から出たのは、亜美が予想もしないような言葉だった。
「……そう…か…バレるとそんなことになるのか…なら…。」
「?」ん?あれ?なにか毛色が…。
「……それなら学園やめるしかないな。」
「………………………………え?」
思考フリーズ。
それを何度も繰り返し、ようやく脳のサーバーが立ち上がった結果出た言葉。
「…な、なんでっ!なんで信也くんが学校やめることになるのっ!?」
「なんでって…そりゃあ、この学園に迷惑掛けるなら、やめなくちゃだろ。」
信也はどこか寂しそうにそう告げる。
ここの学園長は信也の母の友人だった。彼女は信也がメジャーデビューして、今より忙しくて学校に行けない時も口にはしないが、サポートしてくれ、学園の宣伝に使うようなこともできたはずなのに、そんなことはしてこないで、彼に穏やかな普通の学園生活を送らせてくれた恩人だ。
それに去年、今年と担任の深山柚。彼女も小さな身体でよく頑張ってくれていた。
後は昨日仲良くなった冬美、あんないい娘…彼女に迷惑は掛けられない。
自分がこの3人がいる学園の邪魔になるというのなら、信也は喜んで身を引く覚悟だった。
「…ありがとう、長谷川。まだ騒ぎになる前に教えてくれて。お前、いいやつだな…。」
本当に感謝だ。もし長谷川がいなかったら、一生彼女たちに顔向けできなかった。
「さて、そうと決まれば、転校先は…っと、あの双子のところがいいか…そういうノウハウとかありそうだし…。」
そんなことを言いながら、亜美から離れていく。
遠く遠く手の届かないところへ…そんな感覚が不思議と感じられ、信也が屋上のドアに手を掛けたところで…「待って!!」と大声で呼び止めていた。
「ん?」と信也はまだ何かあるのか?と頭に疑問符を浮かべており、彼の歩みが止まったことに、亜美は安堵した。
しかし、こんな大声、いつ以来だろう。少し喉が痛い。
でも、その痛みがあまりにも現実感がないそれを実際に現実だと思わせ、しっかりとした亜美の意識を繋ぎ止めていた。
亜美にあったのは、妙な危機感。…そして…大きな困惑だった。
予定と違う。あまりにも違い過ぎる。
そのことに亜美は、今までしたことがないくらいに狼狽えていたのだ。
えっ?だって普通、こんなふうに呼び出されて、あんな焦らせるようなこと言われる時って、疑ったりするものじゃないの?相手が陥れようとしているとか…。
それなのに…。
なんで…なんでそれが信也くんには心配した忠告になっちゃうの?
それも、なんかすっごい私の好感度高そうな口調の「ありがとう。」ももらっちゃったし…いやいや、むしろ私のほうがありがとうだから。そ、それに…「いいやつ。」って、それ、私からすればもう半分ゴールだからね……。
ああ…なんで信也くんはカッコいいのに、スレてなくて、こんなにも純粋で…尊くて……私を悶えさせるの…好き…やっぱり大好き♪きゃ~~~♪
……って、今はそれどころじゃない!!
こ、このままじゃ、信也くんどっか行っちゃう……それもあり得ないほどライバルだらけのところに…えっ?よりにもよって、あの芸能関係の学校?あそこ、私の知り合い結構いるけど、すっごい可愛い娘多いんだけど…それも【SHINYA】ファンの…。
信也くん…それ…顔晒して…というか、正体晒して行くんでしょ?
そんなのライオンの檻に入れられた肉でしょ…。そんなのもう私の手に負えなくなっちゃうって…。
…ど、どうにか…どうにかしなくちゃ…。
亜美は萌えで半分ほど壊れかけた頭を振り絞り、思考があっちに行ったりこっち行ったりと何往復かして、一つの考えに行き着いた。
「信也くんの正体!ま、まだ私くらいしか気がついてないから!!」
それは亜美が上げたことがないくらい大声量の言葉だった。
亜美はもう必死も必死!落ち着いて物事を考えるとかいう自分のポリシー?そんなものはかなぐり捨てていた。
「?どういうことだ?」
「だ・か・ら!!そうなる可能性は低いけど、ちゃんと注意しなきゃダメだから呼び出したってこと!!早とちりだよ、信也くん!!」
「…そうなのか?」
あ〜…の、喉が痛い。げ、限界近いかも…。そういえば、私、カラオケであんまり歌わない方だし、喉弱々なのかも…。
「そうなの!!…だ、だから…だから…私が手伝ってあげる…その…もっと可能性下げるために…。それにもし何かあっても、私も手伝うから…。」
あっ…か、かすれちゃった……は、恥ずかしい〜〜〜っ!!!
亜美本人としては、そんな姿を見せたくなかったのだろうが、信也はむしろ亜美がそれほど本気で自分を気遣ってくれていると思い、少し感動していた。
「…長谷川。」
「こ、こほん。で、できれば、亜美って呼んで!!あの…ほら!その…お、同じ業界の仲間だから…ね…。」
「…ありがとう、亜美。」
「っ!?そ、それじゃあ話はそれだけだから!!」
信也のあまりにも優しい声音に耳が幸せとなり、笑顔で信也を押しのけるようにして、屋上を後にする。
それから自分の席につき、上機嫌に頬を染め……染め……ある瞬間、急に顔色が真っ青になった。
理由は簡単。後ろから罪悪感というやつが遅れてやってきたから。
…いやいや、好きな相手を脅迫とかありえないでしょ……。
…あんなふうになるなら、普通に優しく諭してあげればよかったんじゃ…ホントなにやってるの、私…。
…よくよく考えると、あんなの悪役の所業じゃない…。
「…絶対に守らないと…。」
もしバレそうになったとしたら、全力で助ける!!
亜美はその小さな胸でそう決めた。
そして、悪いことなんてするもんじゃない。そんな当たり前だが、守ることが難しいことが亜美の胸にしっかりと刻まれた。
こうして、亜美に後悔の念を植え付けたものの、信也の転校というシナリオは回避されたのだった。