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「…秋穂さん、サメだ。」
「ホント。サメさんね。他のお魚さんと一緒に泳いでいるわね。」
信也と秋穂のデートを静香は水族館で1人、観察していた。
正直な話、信也の尾行任務には私情が絡んでいる。そんな静香なら普通に考えれば、こんなふうに見ていれば、こんな系統の光景なら歯痒さを感じ、それが転じて嫉妬心を煽ろうものだろう。静香自身そんなことは、もちろんという表現をするほどに事前に理解し、覚悟をしていた。
…しかしながら、まったくと言っていいほどにそんな感情が出てきやしない。もちろん羨ましいという気持ちが湧くのは間違いないのだが、そこでストップ。嫉妬やどうにかしてやりたいというような黒い感情というやつが顔すら出して来やしないのだ。
「…ホント不思議です…ね…。」
と腕を組み、小首を傾げながら呟く静香。
きっちりとしたスーツ姿で1人そんなことをする彼女の行動は、さながら視察に来ている上役やタイアップ企画でも考えに来ている企業の者であり、本日はそのどちらの可能性も著しく高いことからして、水族館の職員たちに、「なにかまずいことでもあったか?」「いや、水槽内も明かりも問題は…。」というような不安を与えていたらしい。
まあ、そんな事情を彼らが抱えているとは思ってすらいない彼女は、このまま移動を始めた信也たちの尾行を遂行するのみ。
そうさらなる一歩を踏み出そうとしたところ、ポケットがなにやら蠢いた。ブーブーという携帯のバイブ音。
それをほんのブッ程度の音で感じ取り、何事かと思い、すぐさま手に取ると…。
「……はぁ…。」
…その宛名は先ほど電車で別れた人物。
やれやれ今度は一体なんだろうか?
静香は通話ボタンに手を掛けつつ、一度しっかり後ろを振り返りその人物がいないことを確認すると、胸を撫で下ろしつつボタンをタップ。
「……な、なにか御用でしょうか?」
『もしもし。今あなたの後ろにはいない初音です。いえ、少し様子が気になったもので。信也様たちは今、なにしていますか?』
…ホントこの人はなんなのだろう。
静香はそう一度身体をぐったりさせると、考える気もなかったので、そのまま初音に見たままの光景を伝えた。
「…え?今…ですか…ああ…それならサメ…いえ、今度はマンボウを見ていますね。」
『…どのように?』
初音の答えの意味がわからず、静香は「は?」と思わず口にしそうになるが、なんとなく彼女に眉を顰められそうな気がしたので、それを抑えると再び見たままの様子を答えることにする。
「…横に2人並んで…『マンボウだ。』『そうね。大きいわね。』という具合です。」
『…そうですか…もしやいい雰囲気ですか?』
…もう自分で見に来いと言いたい。
正直嫌だし、初音が確実にここ以外のどこかにいるという安心感を捨てるのは忍びないことだけれど、こんなストーカーまがいのことを事細かに報告するというのはなんとも静香のメンタルを傷つける。しかも付け加えるならば、適当なことを言えば初音に恨まれかねないのだから、損な役回りであることこの上ないだろう。
「ええ、まあ…2人とも笑顔ではありそうなので…。」
『…………。』
ムスッとしつつ、どうしたものかと悩み答えた静香。しかし、初音の回答は無言。
本当にそれだけはやめてほしいという回答。
もしかして機嫌を損ねた?
トラウマにそんな反応をされては気が気ではない。
静香が「ちょっ!?まっ…。」と口にした時、通話はいつの間にかプツリと切れており…。
「あっ……。」
そうしばらく固まっていると、静香は2人を見失った。完全にロスト。
…うん、これで良かったのかもしれないわね…。帰って書類整理でもしましょう。それで今日はビデオでも…。
そう思うことにした静香は、せっかくここまで来たのだからお昼は海鮮丼でも食べて…とフードコートに向かい…そして、小さく項垂れるのだった。
それからしばらく後、静香の嫉妬心は留まるところを知らないことになる。
このタイミングでの帰宅こそ彼女にとってのベストな選択だったのかもしれない。




