1.5.1
私は青田聖子。【シグマド】の1ファン。
学園では文学部に入っていて、自分ではそうは思わないのだが、少し大人しい生徒だと思われているらしい。
まあ、それは親友であるよっちゃんこと、軽音楽部の赤嶺佳子との対比ではないかと思ったりもするが、最近客観的に見てみると、確かに自分は大人しいのかもしれない…いや、もっと悪く言って、最近では少し気が弱いのかもしれないと思うようになった。
それというのは…。
「ねぇ、空也〜♪口紅変えてみたんだけど〜どうかな〜?」
「…ハァ…まあ、いいんじゃね?」
「そう!やった♪」
……もう一人の親友が変わってしまったことになにも言えず、言葉さえもかけられなかったから。
この娘は私が言うのも変かもしれないけど、私よりも大人しく、私と同じ文学部に入っていた。
容姿は人より少し良いくらいだったと思う。彼女の母や妹と違って。
もし私が彼女の立場だったとしたら、嫉妬するに違いないけれど、彼女は2人のことを自慢だと言っているのを聞いた覚えがある。
でも、化粧というものは本当に凄いと思う。もちろんあの2人には及ばないけど、今では、ぱっと見美人と形容してもいいくらいのものへと変貌を遂げていた。
それに、そんな容姿の変貌もさることながら、男の趣味も随分と変わったらしい。
彼女は安瀬くんという、かつては人と絡むことなどまったくないのに堂々としている、どこか孤高という印象の子と付き合っていたのだが、今ではクラスの中心たる、女遊びをしている、顔立ちが整った陽キャの筆頭と付き合い始めてしまった。
これが良いことなのか悪いことなのかは、それを知った頃の私にはわからなかった。
ただ少し…安瀬くんを捨ててしまったのは勿体ないと思っただけで…。
なにせ彼は彼女のことを大切にしていたから。
彼女はどこか物足りなそうにしてはいたけど、私としてはあれくらいスローペースの方が理想的だった。だから、彼女から恋愛の相談なんかをされた時は本当に羨ましく感じていた。こんなに大切にされてみたいと…。
でも、満たされた顔をした彼女に対して、呑気に気が合う相手と付き合えて良かったなんて、私は思っていた。
…彼女がクラスメイトをパシらせたりしているのを見るまでは…。
「ねぇ、ちょっと飲み物買ってきてよ。」
「え?」
「はい、これお金。お願いね♪」
「……わ、わかったわ…。」
どこかいやらしい笑顔を浮かべる彼女に苦々しげな様子のクラスメイト。
そして、私はようやく事の重大性に気がついたのだ。
あの新しい彼氏が悪い方向に彼女を変えてしまったのだと…。
これには1週間ほどで気がついた。
それから私は彼女に声を掛けようか悩んだのだけど、なぜか足がすくんだ。
その彼氏が他の女性を連れているのも…2回ほど…それも両方とも別の女性を連れているのを見掛けてもいた。
春ちゃんは騙されているんだ!!
この言葉を彼女に告げるのは、結局今までできなかったのだ。なにもきっかけがなかったから。
そんな時、【シグマド】の新曲が出た。これは2人にとっては、大きなきっかけだった。
【シグマド】は、初めてライブハウスに行った時に2人で見つけて、感動した思い出のバンド。
これは神様が与えてくれた千載一遇のチャンスだと思い、声をかけてみることにした。
それから、その彼氏が他の女の人と歩いていたことも伝えようと…。
すると、丁度空也たちが全員席を外した。
「は、春ちゃん!!」
「ん?あれ〜、どったの、聖ちゃん。なんか用〜?」
…こんな話し方はしていなかった。
聖子はそのことに一瞬たじろぐが、声を掛けてしまったからには後には引けないと勇気を振り絞る。
「【シグマド】の新曲出たの知ってる?」
「えっ?マジ?」
「うん、マジだよ。昨日出たんだけど…。」
「チェックしなきゃ!!あんがと、聖ちゃん♪」
聖子に向ける彼女の笑顔は前と変わらなかった。話し掛けてみるとなんてことはない。いつもの彼女だ。
安心した聖子は、それから普段の調子で話し始める。
その時間は懐かしく、【シグマド】のことを彼女と久々に語る時間は聖子にとって、掛け替えのないものだった。
しかし、一つの失言…いや、忠告がそのピリオドを打つ。
「…なんで春ちゃん、安瀬くんと別れて久保くんと付き合い始めたの?」
これは春香が母親に1週間ほど前に言われた言葉に似ていた。
そして、亜美や冬美の行動によって、暗に言われた
ていたものだった。
この言葉を聞いて、春香の瞳は曇った。
そして…。
「…なんでそんなこと言うの、聖ちゃん?…そっか…聖ちゃんも私の敵なんだ…なら、いいかな?」
そう口にした春香の表情が変わった。
…聖子を見下したものへと。
「は、春ちゃん?」
「はあ……聖ちゃん、ううん、聖子。ちょっとあんた調子乗り過ぎじゃない?」
「………え?」
「だいたいさ…私みたいなカースト上位の人間があんたみたいなカースト下位のやつと話してやってるんだから、敬意くらい持ちなさいよ。」
聖子は呆然とした様子で春香を見つめ続け…。
「あんたと話してたら、喉乾いちゃった。はいこれ。」
そして、手渡された五百円玉。
「紅茶買ってきてよ、聖子。」
春香のその言葉。そして、自分のことを見下した笑みを見て聖子は瞳を伏せた。
途中で由美香が咎めにやって来て、彼女を亜美の金魚の糞呼ばわりしたのだが、亜美が声を掛けた途端、逃げるようにどこかへ行ってしまった。
聖子はそっと春香の机に冷たい五百円玉を置いた。
どうやら聖子の知る三瀬春香はもうどこにもいないらしい。




