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「やっほー、信也、来たヨーっ!!」
ホームルームが終わり、昼休みの後のことなどすっかり忘れていた信也だったが、そんな元気な声を耳にして、そのことを思い出した。
「?……ん、今行く。」
はいよ、と手を挙げて、ナーシャのところへ向かう信也。
すると、目ざとく信也が本当のところは忘れていたことに気がついたナーシャは、信也をジロリと睨みつけてきた。
「…なんのことやら?」
「……次忘れたら、怒るカラね?」
ナーシャはなにやら確信を持っているらしく、どうやらしらばっくれることなどできそうにないので、信也が素直に「…ああ。」と返事をしたところ、ナーシャはよろしいと笑みを浮かべ、腕を取り、彼女のペースで信也を引っ張っていきだした。
その間、色々な奴らに話しかけられ…。
「ナーシャ、じゃあね。」
「またアシタ、バイバイ!」
「ナーシャ、今度さ…。」
「オッケーデス。」
「ナーシャ、その人彼氏?」
「そう思いマス?残念デスが、違いマス。」
ナーシャ、ナーシャ、ナーシャと行く先々で声を掛けられており、誰がどう見ても、信也の必要性を感じなかった。確か周る相手がいないからと信也が声を掛けられたはずなのだが…。
……友達がいないわけじゃないのかよ…。
しかし、よくよく考えてみれば、信也の考えなどすぐに棄却されてしまうはずのものだろう。なにせナーシャは人懐っこく、常に楽しそうな笑顔でいるような美少女だ。そんな彼女を放っておくような人間はそれほどはいるまい。
「信也、どうかしたデスか?」
「…いや、人気者だと思ってな。」
「…ふふんっ♪これでも私は人気者なのデス♪日本人ミンナいい人♪」
「でも、これなら別に俺が一緒じゃなくてもいいんじゃないかって、思ってただけだ。」
信也は率直にそう思い、思わず口にした。
すると…。
「…ナーシャは人気者じゃない…デス。」
ナーシャはそう口にして俯くと、信也の腕を解いて、少し距離を取った。
「?」
「ナーシャ、人付き合いは苦手…デス。」
「……。」
「ナーシャ、実は挨拶するくらいで、あんまり友達がいないん…デス。だから…。」
「…わかったわかった。変なこと言って悪かった。だから、これからも仲良くしてくれ。」
信也自身、彼女の言葉が本当なのか、信也に吐いた嘘なのかはわからなかった。ただ、どうやらナーシャは信也と回りたい様子なのはわかったので、再び腕を差し出した。
「…し、仕方がないから、許してあげる…デス。」
ぎゅっ!
ん?なんかさっきより密着が…それに顔も少し紅いような…。
そう信也は一瞬思ったのだが、気の所為かと思い、ナーシャの導きに従うことにした。
まず向かったのは、校庭。
そこでやっていたのは、サッカー部と野球部。
まあ、ここはどうやらナーシャの興味が惹かれないらしく、それぞれの部員たちは美人マネージャーができるのではと思い、元気な声を出していたのだが、ナーシャがさっさと去っていくのを見て、声がどんどんと小さくなっていったのだった。
それからはテニス、陸上、体育館のバスケやバレーにバドミントンなどを見て、男子たちに軒並み同じような反応をさせると、それだけでだいぶ時間が経っていた。
信也は夕食後には、いつもの練習をしなければならないので、そのことを濁して伝えると、最後に一つ寄りたいところがあると、ナーシャが言うので、今日はそれで最後とすることにした。
そして、少し外が暗くなり始めたころ、2人は剣道部へと顔を出したのだ。道場に来た時にはもう、信也たち以外の見学者はなく、どうやら普通の部活動に戻ったらしく、各々試合や打ち込みをしていた。
「ほぉ…って、こら、ナーシャ。」
信也はさっさと道場に入っていこうとするナーシャを叱ると、首根っこを掴んで、元の場所へと戻す。
「っ!?きゅ、急になんですか!」
「道場に入る時は一礼する。これが基本だろう。」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、こんな風に。」
信也は綺麗に45度のお辞儀をすると、中へと入っていく。
それを見て、どうやら信也の意地悪ではなく、本当のことらしいとわかったナーシャはそれを見様見真似でして、中に入った。
すると、それを見た剣道部員の一人が、ナーシャに、「へぇ~、よくわかってるじゃない。感心感心。」と話しかけてきて…。
ん?こいつどこかで…。
「あっ、これハ信也が教えてくれたデス。」
「えっ?安瀬くんが?」
「誰だ、お前?」
信也が無遠慮にそう口にすると、その剣道部の女子生徒は非難の声を上げた。
「え〜〜っ……私、クラスメイトなんだけどな…。ほら覚えてない?よく亜美と一緒にいるんだけど…。」
「……………ああ…。」
確か……いた気がする。
なんか仲良さげだったな。そういえば…。
「ふう…どうやら私の陰が薄いってわけではなさそうでよかった〜。まあ、まだクラスメイトになって一月も経ってないもんね。仕方がないかな?」
「なんか悪かったな。」
「別にいいって、これで覚えてくれれば、私は鶴田由美香。ゆみゆみって、呼んでネ♪」
「わかった、ゆみゆみ。」
「…いや…まさか本当に呼ぶとは…。しんやんは乗りが良いんだね♪」
「…わかった、由美香。」
「うんうん、親しき仲にも礼儀ありだぞ♪そう呼びたかったら、私のこと陥としてね♪」
「無理だな。」
「あちゃー諦めちゃったよ、この人。残念残念。もし安瀬くんがお金持ちとかだったら、私、陥ちたのにな〜、チラチラッ。」
金持ち…金持ちか…。
実際、信也の家は正直かなり広く、さらにはここから電車で二、三十分ほど離れた一等地に建っている。母は元お嬢様の世界的なバイオリニストで飛び回っており、信也もバンドでかなりの収入を得ていた。まあ、どうせ由美香は冗談で言っているのだ。それならば普通に答えておいてもいいだろう。
「いや、まあ…割とあるが…。」
「えっ、マジ?じゃあ、しんやんは私をゲットできるかもよ〜♪よかったね〜♪ねぇ、ところで、しんやんは私のこと知らなかったみたいだけど、亜美が私の名前出したりしてなかったの?実は私の話とかにならなかった?ねぇ?ねぇ?」
「…いや、別に…なかったが…。」
「「……。」」
「…アハ、アハハ♪…こりゃ、明日…は休みだから、来週、亜美に説教だね♪」
「…重ね重ねなんか悪いな。」
「…ううん、亜美のせいだし。で、今日はどうしたのかな?もしかしてホントに亜美から私に乗り換えたくて来たの?ごめんね〜、私、今テレビの向こうの人に恋してるから…。」
会話が矛盾だらけで、この巫山戯具合。どうやら由美香はかなり愉快な人物らしい。
「もしかして2次元というやつか?…って、そうじゃなかったな。今日はコイツの付き添いだ。なんでも部活見学がしたいとか。」
信也がコイツと呼んだのは、ずっと置いてけぼりを食らっていた、ムスッとした様子のナーシャ。信也は由美香に紹介しようと、彼女の肩を掴み、前に押し出すようにする。
「…新入生のナーシャデス。ヨロシクデス。」
「あら〜?ナーシャちゃんって言うんだ、よろしくね♪それじゃあ行こっか♪」
すると、由美香の表情がさらに明るくなり、信也たちの後ろに回り込むと、背中を押すようにして、部活動が見やすいところへと連れて行く。
「到〜着っ!じゃあ存分に見ていっておくれ、ナーシャくん!なんなら解説とかしちゃうよ〜。」
「いや、お前も稽古あるだろ。こんなところで油売っていていいのか?」
「大丈夫大丈夫。私、これでも部長だから、部員勧誘も私の仕事だし。それに部内最強っていうの?これでも敵なしなんですよ。私。だから…。」
すると、由美香の様子が変わり、信也へと獰猛な獣のような笑みを浮かべていた。
「だから、私、しんやんに興味あるな〜なんて…。雰囲気あるし、道場の入り方とか知ってるし、結構できるんでしょ?」
「信也?そうなの?」
「…残念ながら、剣道はやったことがない。ちょっと護身術を知り合いたちに教わっただけだ。」
「…はあ…躱されちゃったか…じゃあまた、弄り甲斐がある後輩ちゃんでも相手してくるかな〜?」
信也たちにそう言うと、由美香は手ぬぐいを頭に巻き面を着け、小手をはめると、一人の人物のところへと向かっていって…「やろうか?」と一言。
2人が向き合い、一礼の後、竹刀を引き抜くと、相手とそれを合わせ、蹲踞する。そして、立ち上がって睨み合い…。
2人のその様子は真剣そのもので、先程までの由美香とは雲泥の差。どこか戦乙女のような面持ちで……って、ん?今一瞬ニヤリって…。
おもむろに由美香は深呼吸をした。そして…。
「スゥ〜〜っ!しんや〜ん!!私の勇姿見ててね〜〜っ!!」
由美香はそう言うと、ブンブンと竹刀を手に振ってきたのだ。
「「……。」」
唖然とする周囲。
もしかして由美香は目立ちたがり屋さんで注目を集めたかったのだろうか?
まあ、おそらくそれは事実なのだろうが…今回はどうやらそれは違うらしい。
ブンブンと竹刀を振る由美香。そんな彼女に相手は怒りのままに打ち込んでいったのだから。
しかし、それに由美香はそれまでのことが嘘だったかのように、竹刀を構えると、相手の合わせ…さらに鍔迫り合いで押し勝った。
「甘いよ。」
「くっ…。」
それからは激しい打ち合いがしばらく続き、結果は由美香の勝利。危なげなく、由美香より多く打ち込んできて疲れた相手の面に一撃。
それはとても鮮やかで力の差があるかのように見えた者も多いだろう。
「わ〜い、勝った勝った。しんや〜ん、褒めて褒めて。」
と、試合終わりの礼なんかはしっかりとこなし、小手に、面と手ぬぐいを外して、しっかりと竹刀を置いてやってくる由美香。
その傍らしっかりと面や竹刀を置いた人物は小手をつけた拳を床に打ち付け、悔しそうに…。
「ええいっ!!」と声を上げた。
由美香はどうやら彼女を挑発していたらしい。手ぬぐいを頭から外した彼女…それは冬美だった。




