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信也にはここ1週間ほど、学園で悩みがあった。
それというのは…教室にいると、どこからか視線を感じる気がするのだ。ねっとりとした悪意を感じるような…そんな視線を…。
信也は割と視線には敏感ではない方なのだが、亜美に指摘されてからは、そういったものにも一応は気をつけ始めたのだ。
だから、慣れていないから、もしかしたら気のせいかもしれないのだが、それは決まって、あの春香の彼氏のあたりからしている気がする。
まあ、本当のところ、信也は亜美や冬美という美少女たちとやたら仲良くしているので、好奇やれ、嫉妬やれの視線にずっと晒されているのだが、気がつかず、殺気にも似た敵意を持っていた、その彼氏のそれだけに気がついたザルなのだが…。
そのことに気がつかない信也は、もしや【シグマド】の【SHINYA】だとバレたのかと思うのだったが、どうやらそんな様子ではなさそうということに気がつく。
彼の目はなにやら憎しみのようなものに溢れていた。
でも正直、信也は理由がわからない。
なにせ信也は彼女である春香を取られた側である。
もし信也が彼を憎しみから睨みつけてなんかいたとすれば、理由もわかろうが、なにせその逆だ。
特に対処法というやつがわからなかった信也は、単に見られているだけと、そんな名も知らぬ彼を放置することにして、昼食を摂るために、亜美とともに教室を後にし、中庭へと向かう。
その彼が忌々しげに「チッ!」という舌打ちをされていたことなど知らずに…。
―
ここ最近…というか、今年度に入ってからは学園のある日は毎日、信也は亜美や冬美なんかと中庭でご飯を食べている。
いつもなら1年生の教室は1階なので、冬美の方が先に来て待っているのだが、どうやら今日はまだ来ていないらしい。
亜美と2人、ベンチに座り、しばらく。今日は少し遅いなと思っていると、冬美の大声が聞こえてきた。
「いい加減離れないか!」
「良いではナイカ〜良いではナイカ〜♪」
そんな冬美に引っついてきたのは、赤髪の褐色肌の美少女。
彼女は、口調というか、イントネーションが微妙に信也たちと違い、どうやらこの国の人ではなさそうだ。
「誰かな?」
「さあな?」
そう亜美の呟きを流した信也はそういえばと、新学期になる前に学園長である美世と話す機会があった時のことを思い出していた。
実は今年、数人留学生が来る予定で、他は夏休み明けに来るのだが、張り切ってしまった子が1人だけ、早くにやってくるらしく、纏めてやってきてくれればいいのに…と愚痴をこぼしていたことを…。
おそらく彼女がその張り切って早く来ちゃった子なのだろう。
確かに信也が言えたことではないが、空気というやつを読めなさそうな雰囲気をひしひしと感じる。
「あっ、信也くんに、亜美先輩、遅れてすまない。こいつに付き纏われてな…。」
「付き纏われてなんて、ヒドいよ、冬美。私たち仲良しじゃない。」
「………いや…仲良し…か?」
そんな彼女にどうやらピンときていない様子の冬美。なぜなら、冬美は常に彼女に圧倒されており、仲良く遊んでいるというよりは、遊ばれているような感覚に近く、友達というよりはむしろ遊具のようなものとして扱われている気がしていた。
しかし、実は褐色肌の彼女としてはそれが友達との触れ合い方であり、冬美との仲良しアピールなのか、再び抱きつくと、自己紹介をしてきた。
「そ〜だよ〜ぎゅっ!私、ナターシャ。好きなものは【シグマド】。あの曲いいよね〜。思わず留学して来ちゃったヨ!とりあえず2人ともナーシャって呼んでネ♪」
「ええい!鬱陶しい!」と振り解くと、小さくため息を吐いた。
【シグマド】で留学してきた?果たしてそれは本当だろうか?
【シグマド】が好きと女の子が言う場合、基本的に【SHINYA】も好きだと付け加える。しかし、中には公言するのが嫌なのか、敢えて【SHINYA】が好きだと口にしない者もいる。いわゆる隠れ【SHINYA】ファンというやつだ。
まあ、冬美も信也と仲良く話したりできるまではそうだったので、あまりとやかくは言えないが、冬美はナーシャも実はそんなパターンではないかと疑っていた。
だから信也に近づけないようにしていたのだ。気がつかれては面倒なライバルになると思って…。なにせナーシャは冬美から見ても、可愛くはある。
いつも笑顔で楽しそうにしており、男女問わず距離感が近い、それ故にもしかしたら、このたった1週間足らずのうちに恋なんてしている人もいるのではないかと思う。信也もバレてアタックされてしまえば、押し負けてしまうのではないかという不安があった。
しかしながら、冬美ではもう、この元気いっぱいのナーシャを押さえておくのは限界。そう思い、しぶしぶながら、今回、連れてきたのだ。
できるだけ、信也の今の見かけに騙されてくれと願いながら。
「…はあ…こんなやつなんだ。まあ、よろしく頼む。(【SHINYA】くんはよろしくしなくてもいいぞ!うん!)」
「うん、それはいいけど…なんか元気な子ね。(【シグマド】が好き?…まさか…ね…。)」
と冬美と亜美が危機感を覚えていた中、信也はトンチンカンなことを考えていた。
信也はそんな冬美とナーシャを見て、なんとなくあの双子を思い出していたのだ。あの元気いっぱいの気分屋な妹のミイとオドオドしている気弱な姉のメイのことを…。
見かけや、冬美の雰囲気はまるで似ていないのだが、妹が妙なことをして、姉が咎めるのだが、用をなさないというスタイル…それがなんとなく酷似していて…。
…そして、思わず…。
「…なんか姉妹みたいだな。結構面白い。はははっ。」
…ボソリと信也がそう口にした。
すると…。
「し、信也くん…それはあんまりだ…。」
と涙目で冬美はすぐに勘弁してくれと反論してきて…。
そして、もう一人の彼女はというと対照的に、一瞬驚いたような顔をしたものの、花が咲くような笑顔を浮かべ…。
「ふふん♪お兄さん、いい人デス。それじゃあ、冬美、これからは私をお姉チャンと…。」
…いや、逆だろ?と信也が内心でツッコミを入れるのとほぼ同時に涙目だった冬美がナーシャの頭をスパンと叩いた。
「誰が呼ぶものか!むしろ姉だと言うなら、私のほうだろうが!」
「痛っつつ…それじゃあ、冬美が姉でいいデス。譲ってあげマス。冬美お姉チャン!私はこれからこれでイキます!」
やはりナーシャはマイペースだ。それに冬美は振り回されている。
「…いや…だから…な…。」
そういうことじゃないんだ。そう頭を抱える冬美など関係ないとナーシャはさらに悪ノリを続け…。
「ホラ、お兄さんモ!」
どうしようか一瞬迷った信也だったが、自分で始めた話なので、普段絶対にすることなどないが、ナーシャに影響されたのか、ノッてしまい…。
「…冬美お姉ちゃん。」
信也がそう口にすると、冬美だけでなく、亜美までもが目を見開き…そして、なぜかナーシャはドヤ顔をしていた。
「……ちっ。」
辞め時を見誤り、自分が話に乗ったせいで、妙な空気になったなと思っていた信也。
気がつくと、横にいた亜美がクイクイと裾を引いてきていて…。
「ん?」
「…信也くん、リピートアフターミー亜美お姉ちゃん、はい。」
「…いや、言わねぇよ。」
「……。」
スベったことで完全に正気に戻った、信也の素っ気ない対応に、亜美は頬を膨らませて、不満顔になり、またそれと対照的に、冬美は頭痛の種などまるでなかったかのように、どこか勝ち誇ったような顔となっていた。
「さあ、お昼休みがなくなってしまうぞ。さっさと食べようではないか!!」
「…冬美ちゃん、ずるい。」
「わ〜い、ゴハンゴハン!冬美、お弁当はナニ?」
「ああ、今日のお弁当も母が作ってくれていて……って、違う違う、ナーシャ。」
冬美のその言葉に不思議そうな顔をするナーシャ。
「どうしたノ、冬美?」
「…いやな…なぜお前がまだここにいる。」
「……へ?ナンデって?私わかんない?」
白々しくそんなことを言ってくるナーシャ。実のところ…というか、知っての通りナーシャは無理やり冬美についてきていた。
冬美がしつこいナーシャに折れたというのもあるが、冬美とてなんの理由もなく、折れたわけではない。
冬美はナーシャと約束したのだ。昼時にどこで何をしているのか、わかったら、大人しく教室に戻ると。そして、今後はその邪魔もしないとも…。
自己紹介までは信也たちが疑問符を浮かべているので、認めはした。しかし、そこまでだろう。
なぜナーシャは冬美がこれほど譲歩したというのに、教室に戻ろうともせずに、ここにいるのが当然だとでも言いたげな様子でいるのか?
「…お前が昼休みにどこに行っているのかとうるさく聞いてくるから連れてきてやったのだ。約束だろう?もうお前は帰れ!そうしないと昼休みがなくなるぞ!」
「アハハハは…そうだったっケ?で、でも実は私、今日、お弁当を忘れて来ちゃって…。」
なんて、ナーシャが惚けたことを言ってくるが、冬美は厳しい。
「…それならば、購買やれ学食にでも行けばいいだろう。」
「……お財布忘れてきちゃっタ♪てへ♪あっ、でもレジャーシートは持ってキタ。これで4人全員座レル。ヤッタね♪」
どうやら前々からこの昼食に、ナーシャは混じろうと思っていたらしく、今日それを決行したようなのだが、詰めが甘く、弁当を忘れてきたというのに、それ単体では用を為さないレジャーシートのみを持ってきたと言ってきたのだ。
それがなんともチグハグで怒っていいのか、笑っていいのかわからず、冬美は呆れた様子で…。
「…まったく…お前というやつは…。」
「…だからお弁当分けて!冬美!!」
「…仕方がないな…。」
まあ、厳しいとは言っても、冬美は面倒見が良いのて、こんなふうに結局は折れてしまう。
「…でもいいの、冬美ちゃん。お前今日部活でしょ?お腹空かない?」
確かに運動部というやつは、一部の例外を除いて、腹が減る。
なにせチャイムが鳴るなり、購買が運動部で溢れかえり、男女問わずマナー不要の戦場となるのだ。このことからもわかるように、運動部というやつは相当に飢えている。
まして剣道部はあんなにも重そうな防具を着けて、稽古を行うのだ。それはもしかしたら、下手な運動部よりもキツいのではなかろうか?
「……確か部長が今日は掛かり稽古がどうとか…見学に派手なのを見せたいとかなんとか言っていたか…。…ああ…確かにかなりキツイかもな…でもな…。」
割と本気でキツそうな渋面を作る冬美。どうやら掛かり稽古というやつは、剣道の稽古の中でもかなりキツいらしい。
本当のところは弁当を分ける余裕などなさそうな冬美に、信也は提案する。
「…なら、購買でなにか買ってくるか?」
「…致し方あるまい。それでは…。」
冬美がそう弁当を置いていこうとしたところ、なぜかナーシャが信也に甘えるようにして、こんなことを言ってきた。
「ねぇ、お兄チャンが買ってきて〜。」
「?お兄ちゃんって、俺か?まあ、別に構わんが、なにが食べたい?」
「……えっ?」
信也の返答に思わずそんな声を上げるナーシャ。
本当のところ、ナーシャとしては冗談のつもりで信也にそう言った。冬美が立ち上がったのに付いて行って、欲しいものを買ってもらって後でお金を返そうと…。だから、別にナーシャは信也にパシリ紛いのことをさせる気はなかったのだ。
しかし、信也はそうナーシャに言われたときに、ふとあることに気がついた。なので、せっかくだからと、この機会を利用することにしたのだ。
「時間がないから、さっさと言え。」
「ジャ、じゃあ…め、メロンぱん。」
「冬美は?」
「…本当にいいのか?」
「くどいな。秋穂さんの弁当の礼みたいなもんだ。飲み物もだろ?ほらさっさと言え。」
そう、よくよく考えてみれば、信也はずっと秋穂にもらいっ放しだった。頼んでないと言えばそれまでだろうが、それはあまりにも人情味がないではないか、この機会に少しくらい、彼女の娘である冬美に返しておいてもバチは当たるまい。
「そ、それじゃあ…。」




