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1.3.1

「え?【シグマド】の【SHINYA】…ですか?」


「ええ、あなたのクラスにいる彼がメジャーデビューしましたので、気を遣ってくれれば、幸いです。忙しいでしょうけど頑張ってください。」


「は、はあ…。」


【シグマド】?【SHINYA】?


深山柚は…いや、世間一般が彼らのことを知らない時に、そのことを学園長である竹中美世に伝えられた。


【SHINYA】こと、安瀬信也、彼は、柚の中で真面目な生徒という印象だった。授業をしっかり聞き、テストの点数もいい、体育もしっかりとして、運動神経も結構も悪くない。これだけのことができれば、人の輪の中にいる、()()()なんかのカテゴライズもされようものだが、彼はそんなことはなかった。


なぜかというと、目元の一切が前髪で隠され、顔の半分が見えないため、不気味さを醸し出し、それでいて口調はぶっきらぼうなものだから。そんな様子では人気など出ようはずもない。目の前に確実にいることがわかる()()()()()()のようなものだ。…あれ?違うかも?まあ、それはともかく…。


そんな彼は明らかにマイノリティーで、人とは明らかに違い、内心いじめられたりしないかと柚は気を配っていた。


しかしながら、どういうわけか、彼には妙なオーラがあって、誰も手出しできない雰囲気でもあるのか、そんな様子は一切感じられなかった。


不思議な魅力がある生徒。これが柚の信也に対する印象だった。


「とても良い子なので、仲良くしてみると良いでしょう。(…少しは気が紛れるのではと。)これで私の話は終わりです。」


「あ、はい!し、失礼しました。」


そうして、柚は学園長室を後にした。



柚が【シグマド】の【SHINYA】を目にするのは、この話を聞いてすぐのこと…というか、その日の夜のことだ。


その日は週末で、いつものように柚は友人であり、同じ学園の体育教師である林田リンダと、保険医である羽田良枝とともに酒盛りをしていた。


「乾杯!」「乾杯。」「…乾杯。」


ゴクゴクゴク。コクコクコクコク。チビチビチビ。


「ぷは〜っと、生ビールもう1杯!ううん、やっぱり3杯で!」


「うわぁ…凄いペースですね。一気に飲み終わるなんて。」


「?何言ってるんだ。お前だってそうだろ…もう空じゃないか?…というか、そんなコクコクとか上品に飲んでいる癖して、もう飲み終わってるとか、お前の方が意味わからないだろ。」


2人は柚の目から見て、楽しそうにしていた。でも、柚としてはそんな気分ではない。なにせ今でも一杯一杯だというのに、さらに仕事が増えたのだから。


学園長に呼びだされたことや、その訳を知らない友人は柚にも話を振ってくる。


「あら?そうかしら?どう思う?柚ちゃん?お〜い、柚ちゃん、や〜い?」


「……はあ…。」


「あら?」


と、ここでようやく柚の様子がおかしいことに気がついたらしい。


「ハハハ、どうした、柚。元気ないじゃないか?」


「そうね、柚ちゃん、どうかしました?」


その頃の柚はとても疲れていた。その原因というのは、元担任が前振り一切なしで寿退社的なことをして、急に学校を辞めたことで、副担任から担任へと昇格したことにある。


二学期になって、学校に行ってみるとそんなことになっており、碌に引き継ぎのなかった仕事が増え、さらには生徒を預かる責任までも急に大きくなり、柚はそれに押しつぶされそうになりながら、頑張っていたのだ。


そこに学園長からの頼みである。頼まれた時は予想外過ぎて、ポカーンとだいぶ適当なことを考えていたが、いざ時間が経って理解してみると、面倒そうな雰囲気をひしひしと感じて、仕事が増えるのではと不安になったというわけだ。


…え?メジャーデビュー?それって私、何すればいいの?ふえ〜ん、もうわかんないよ〜。


柚の内心はもう見た目と完全に同じ、小学生くらいの子供となっていた。


そして、そんな中、今更のことだが、うっかり彼女たちの前で、まるで構って欲しいかのように匂わせてしまったことに気がついた柚はなんとか挽回しようとして…。


「…はあ…よっちゃん、仕事上手くいってる?」


……盛大に墓穴をほっていた。


「……は、はい?」


急に柚が理由のわからないことを聞いてきたものだから、良枝がそう疑問符を浮かべていると、リンダがボソリと呟く。


「…あっ…こりゃ重症だわ…。」


「…そうね…うん…どうやらそうみたいね…柚ちゃんホントになにがあったの?」


「……ううう…。」ただただ唸る柚。


信也のことは学園長に守秘義務と言われていた。もし、それを広めようものならば、法的手段にも訴えるとも…。


柚は別に口が軽いわけではないから、そのあたりを聞き流していたのだが、いざ友人たちを前にすると、ポロリと口を滑らせたい気持ちにかられた。


しかし、それをしてはこの2人に迷惑をかけるからとどうにか口をつぐんでいたのだ。


謝るから、変に匂わせたりしたこと謝るから、今はそっとしといて!ほら、お酒!お酒呑もう!!


そう無理やり笑顔を貼り付け、店員が持ってきたジョッキを2人の方へと寄せようとしたところ…。


バフッ。


「っ!?」


「…言えないなら言わなくてもいいわ。ただ私達はあなたの味方。ずっとそばにいるから、それにどんなことでも力になるから…ただそれだけ覚えていて…。」


…そう口にしながら、良枝は柚の小さな身体を包み込むように抱きしめてくれた。


そんな良枝の体温や優しさに触れ、自然と涙が溢れてきた。


「…ふ、ふぇ…ん…あ…ありがと…。」


こんなことで自然と涙が出てしまう。柚はそれほどまでに追い込まれていた。この一月ほどはそれほどの地獄だったのだ。それを耐え続け、信也のことを任されたことで決壊してしまった。


「…私も相談に乗るぞ。私はそれほど頭がいいわけじゃないから、できることは限られると思うが…。」


「…り、リンちゃんも…ありがと…。」


友人2人の優しさに触れた柚はもう少し頑張ってみるかと心を奮い立たせると、ジョッキを掴み、ちょっとずつちょっとずつのチビチビから、小さい口で一生懸命飲む飲み方のくぴくぴくぴくぴと飲んで、空にすると、「店員さ〜ん、もう一杯〜!」とジョッキを掲げた。


届いたジョッキを片手に、またくぴくぴと飲んでいく柚。


柚のその様子に一安心した2人。3人はいつものように近況やれ、いい男がいないなどと恋愛事情を話していく。


そんなふうにして、今回の女子会も終わるのだろうと思っていた。


すると、全員がまだほぼほぼ素面の時に、良枝がこんなことを話し始め…。


「2人とも、私、最近、【シグマド】っていうバンドにハマってるの。」


ん?あれ?今、何か…引っかかったような…。


「このバンド曲が凄い良くて…それに白状するけど、ボーカルの【SHINYA】って、子がホントにイケメンでカッコいいの!」


イケメン?イケメンか…。


柚にはまったく縁のない話だ。柚は完全なる幼児体型。流石にイカっ腹ではなく、くびれというやつがあるが、胸もお尻もペッタンコ。2人のような胸もお尻も大きなナイスバディであれば、違うのだろうが…と自分を卑下していて、柚はその引っかかりの糸口すら遠ざけてしまう。


「ふ〜ん、そんなイケメンなのか?それってどれくらい?卓也さんくらい?」


「ううん、それ以上!ホント近くにあんな子がいれば、もし生徒でもすぐにアタックするのに…。」


いやいや、それってダメじゃないかな?生徒に手を出すって……っ!?


ん?生徒…生徒っ!?


あれ?【シグマド】?【SHINYA】?もしかしてこれって……。


「ちょっと前まで、インディーズだったんだけど、近々デビューするみたいで…。」


「……あのよっちゃん…。」


と柚が聞こうとしたところで、テレビから歓声が聞こえてきた。


それは週末の夜のこと、この居酒屋には、女性が多く、そのためか野球ではなく、音楽番組が流れていた。


どうやら司会の人物がとあるバンドを紹介したらしい。画面に映ったバンドメンバーは、いずれも美女に美少女、そして…。


『【シグマド】の【SHINYA】だ。これは…。』


と話したその人物はイケメンもイケメンだった。見たことがないほど優れた容姿の彼。


…えっ…これが安瀬くん?本当に()()安瀬くんなのっ!?


そのステージには、他に男はいなかった。一瞬別のバンドなのではと思ったが、良枝も大興奮で「ほら、あれ!あれよ!!きゃ〜〜〜、【SHINYA】く〜ん♪」と声をあげており、どうやら間違いなさそう。


本人は隠しているらしいが、本当のところ、この飲み会代メンバーの中で一番の面喰いであるリンダは目を見開くようにして、彼の一挙手一投足を見逃さないようにしていて…。


そして、挨拶も終わり、『…聴いてくれ。【近くにある希望】。』と曲が始まった。


バンドメンバーたちとの演奏が始まり、その聞こえてくる音。それだけで、今まで聞いていた音楽との違いを感じた。


〜〜♪〜♪〜〜〜〜♪


えっ…なに…これ…。


自然と高揚する。そう心が震えるのだ。


それを周りも同じように感じるのか、先程まで良枝に咎めるような視線を送っていた客や店主も胸のあたりを押さえ始め…。


そして、信也が歌い始めた途端、柚は思わず立ち上がっていた。


その隣では、普段落ち着いた様子の良枝も、さらにはリンダまでもが完全にキャラを崩壊させた様子で立ち上がっていて…というか、居酒屋の女性たち全員、総立ちで歓声を上げていた。


店主がボリュームを上げたのか、大音量で曲が鳴り響く間、そこは熱気に包まれていた。それはまるでライブ会場にいるようで…。どこまでもどこまでもテンションが昇っていけるような感覚を感じていた。


…しかし、それもすぐに終わってしまう。ここはライブ会場ではなく、それを生み出した相手はテレビ画面の向こうにいるのだから。


『〜〜♪……はあはあはあ…。』


誰もが【SHINYA】の歌い終わった息遣いにまで耳を傾けていた。どうやらそれはテレビの中のスタジオでも同じらしく、手慣れているMCたちまでも余韻に浸っており…。


『……っ!?それでは皆さんこちらへどうぞ。』


その言葉に曲が終わったことを悟ると、祭りが終わった後の静けさ、儚さのようなものがその場に流れ、各々席に座ると、【シグマド】メンバーへのインタビューを絶対に逃すまいと誰もが見ていた。店主含め。


その中にはもちろん。柚もいて…。


「【SHINYA】くん…。」


もうその時の柚は日頃の疲れや不安からは完全に無縁で、社会人になって初めて、月曜日が早く来ることを本気で願った。


こうして、信也のクラスの担任である深山柚は【シグマド】の【SHINYA】という推し…心の拠り所を手に入れ、自信を取り戻したのか、不安げな顔をすることはなくなった。


残念ながら、今でもおっちょこちょいや、子供っぽさが抜けず、子供扱いをされてはいるのだが…。


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― 新着の感想 ―
[一言] 担任も落ちちゃってましたか… それにしても、推しが職場にいる生活かぁ 主人公の正体に気付いてる人と気付いてない人とでの視点の差が面白そう そういえば、自力で主人公の正体に気付けた冬…
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