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初音はご主人ラブな…いや、ご主人様に忠実なメイドである。
元はとある国の特殊部隊に所属しながらも、護衛などをしていたのだが、前ご主人様であるリーミア様の母君が、現ご主人様の母である沙羅と友人であったことから、色々とあった結果、五年ほど前、丁度ご主人様が中学生となられた頃に、晴れてこのお家にやってきた。
こっちに来てからは、炊事、洗濯に掃除といった、信也の生活のサポートをしている。
今も正にたくさんある部屋の掃除をしており、丁度それの片がついた。
「ふう…今日はこんなところですか…。」
夕方頃、初音は今日も仕事が一段落すると、そう呟く。
これで、今しなければならないことは、この掃除用具の片付けのみとなっていた。後はもう少し時間が経たないと、できないことばかりだ。
これで今日も時間が空いてしまった。
「また時間が余ってしまいました。どうしましょう。」
その白々しい言葉が、初音のある種の切り替えのスイッチとなっている。
初音はニヤリと相貌を崩すと、軽やかに信也の部屋に向かって歩き出し、ドアに手をかけ…。
「今行くからね、信也ちゃん♪」
それを開くなり、いつものようにベッドにダイブした。
ボフッ!!
「ん〜〜〜っ♪ん〜〜〜っ♪」
バタバタバタバタと藻搔き、そして…。
す〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ…はぁ~〜〜。
す〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ…はぁ~〜〜〜。
息を吸い込み、深呼吸。
…その様は完全に変態だった。
言いようもなく、形容しがたいほどに。
…でも、まあ、仕方がないのかもしれない。
信也の母で、初音の友人である沙羅の手前、好きな相手と5年間も一つ屋根の下で、本人に思いや欲望を伝えることなく過ごさねば、ならなかったのだから。
それに、これも元々は本当に枕を軽く抱きしめる程度で、ぎゅっと抱きしめて、「ご主人様、早く帰って来てください。」と、馴染みのない異国に来た寂しさ故に、涙するという可愛らしいものだったのだ。
だが、5年という歳月は…時の流れというものは残酷で、エスカレートにエスカレートを重ね、今のようなスタイル…もはや原点とは別物へと変貌を遂げてしまった。
なお、現在の初音の表情は、普段の完全なるポーカーフェイスと違い、蕩けきっていて、正直、完全に18禁である。
「……信也ちゃんっ…信也ちゃん…っ…もっと…もっと…っ…信也ちゃんがほしい。」
愛しげに、そして悩ましげにそう呟くと、信也の枕を抱きしめ、酸欠になるのではと思うほどくんくん、くんくんと…。
そして、ポケットから出した携帯で信也の写真を見つめ、「好き♪好き♪好き♪」と完全にトリップしかけたところで、ヴーヴーと携帯がバイブし始め…。
誰よ…こんないいときに…とほんの一瞬思った初音。
しかし、その表示が出るなり、慌てて携帯をお手玉すると、胸元でぎゅっと大切なものを抱きしめるようにしてそれを開き、こほんと咳払いの後、耳に当てる。
「もしもし。」
『あっ、初音さんか?』
やっぱり、ご主人様だ♪
それはやはり信也で、その声を聞いた瞬間、初音の表情は子供みたいにはしゃいだ。念願のご主人様の声を聞けて嬉しくなったのだ。
実はこの初音、信也との電話が大好きである。理由は遠くにいても、主人である信也の声を聞くことができるから…までならよかったが、色々制限され、拗らせた初音にはまだ続きがある。
そして…信也に耳元で話してもらえるから。
初音は匂いフェチだけでなく、いわゆる音フェチの気質も、異国からこちらに来て開花した。
しかし、初音も今では、プロのメイド。そんな変態チックなことは表に出さず、普段、信也の前では完璧を演じている。まさに今も…。
「ええ。なにか御用でしょうか?」
『ああ、それなんだがな…と、少し聞こえにくいか?今、カラオケに来ていて…な。』
なるほど…だから機械からの音が…ん?それにズボンではなく、スカートが擦れる微かな音が…。
初音はこれでも優秀な特殊部隊の隊員だった。音だけでも、かなりの情報を手に入れることは可能だ。
すると、やはり女性の声がしてきて…。
『信也くんはどうする?って、あっ、ごめん。電話中だった?』
『俺?悪いが、もう少し掛かるから、気にせずやっててくれ。』
『りょうか〜い。』
『…せっかくだから、亜美先輩、私たちも一緒に歌わないか?(実は顔が真っ赤)』
『〜〜〜っ♪いいよ!一緒に歌おうか♪でもそんなことで顔真っ赤にしちゃうなんて、ホント冬美ちゃんって可愛い〜〜っ♪も〜う抱きついちゃう〜♪』
『ちゃ、茶化さないでくれっ!…てっ、きゃっ!』
なんて信也の後ろで行われている声が気になり、耳を傾けていると、その間もどうやら信也は話していたらしい。
『…ということでよろしく頼む。』
……まずい。普通に聞いてませんでした。
『…あの…申し訳ありません。電波が悪いのか、ところどころ聞き逃してしまいました。もう一度お願いできますか?』
初音がそう申し訳なさそうに言うと、全て言い終わるまで、聞こえないことを伝えてこないなんて初音にしては珍しいなと思いつつ、優秀な初音でもそんなこともあるかと軽く流すと、話し始める。
「?…ああ、もちろんだ。じゃあ…っと、小声じゃなくてしっかりと声を出したほうがいいか?それなら外で話すが…。』
そうなぜ信也ではなく、亜美と冬美という2人の女性の声が耳に入りやすかったのかというと、あまり2人の邪魔をしないように、信也が小声で話しており、聞いている側としてはまるで優しく囁くように聞こえていたというのもあった。
「いえ、問題ありません。今は電波の具合がかなりいいので…。」
つまり、初音は信也が女性とカラオケという個室にいるから情報収集をしてしまい、ついうっかりご褒美を受け取り損なってしまったというわけだ。
信也の言葉を受け、今の初音の内心はこんなのだ。
(そんな普通に話すなんてとんでもないです!!勿体なすぎます!!むしろもっと囁くようにして話してくださいませ!!)
信也の声、特に囁くような声にノイズを混ぜさせないため、わざわざ初音は通話の際の音が特に鮮明な携帯を選んでいるほど、そんな信也の囁く声というやつは、格別に初音の大好物である。
『いつも世話かけるな…初音さん。とりあえず用件だけ伝えさせてもらう。』
そして、初音が聞いたのは、いつもの3人が来るから、夕飯をその3人分追加とのこと。
もちろんできるメイドたる初音はそんなことは織り込み済みで、仕込みの一部もしていた。
だから問題ない…問題はないのだが、信也が用件はそれだけだと電話を切ろうとしたところで、思わず声を出してしまう。
「あっ……。」
用件もないのに、主人を呼び止める。それは主従で許されることではない。
『?どうかしたか?』
まさかご主人様に気を遣わせてしまうとは…なんたる失態だ。
「………いえ、委細承知いたしました。お気をつけておかえりくださいませ。」
『…そうか。よろしく頼む。』
と信也に通話が切られる。
その電話を耳から離し画面を見つめると、嫌がらせかのように、ほんの十分程度しか電話していなかったことが、コンマ数秒あたりまで表示されていた。
「……もっとお話していたかったです。」
そんな呟きを思わずしてしまうとこれではいけないと頭を振り、よし!とベッドから立ち上がると、まずシーツを整えてから、作業を開始した。
まず初音はお風呂の準備を開始し、その傍ら夕飯の仕込みを完全に終わらせる。
初音が作業を片付けていると、程なくして、一癖も二癖もあるバンドメンバーたちがやってくる。
まず、カナリアこと御剣神奈が最初に来て挨拶をするなり、地下室に引っ込んだ。
それから双子がやってきて…。
「ミイちゃん、偶にはちゃんと門から入ろうよ〜。」
「静かにしてよ、メイちゃん。気づかれちゃうじゃん!」
なんて電柱を上って、家に入ろうとしているミイの肩をポンポンと叩く。
「ミイ様。なにをなさっているので?」
「………にゃんでもにゃいです。」
ミイこと初夏美依を猫掴みにし、門から家に入れ、玄関のところで、しっかりと靴を揃えさせる。
「むう…。」と不満げな顔をしたミイをメイこと咲月が宥めて…。
こんなふうにリビングに通すと、理由はわからないが、いつの間にか、気分屋なミイの機嫌が直っており、クッションに顔を埋めると、自分の家のようにソファに寝転がってテレビを見始める。
初音に「すいません。」と謝ったメイが、テレビを見ているミイの横で床に座り、宿題らしいものを始めたので、初音は邪魔にならないように、2人にそっとお菓子と飲み物を出し、ついでにミイの捲れ上がったスカートを正す。
これが彼女たち双子が来た時の、初音の主な対応だ。
まったく…これではまるで母娘である。
初音はまだこんな大きな娘たちを持つような年齢ではないので、内心やれやれと苦笑しながら、作業に戻る。
そんなこんなで幾ばくか時間が過ぎ、初音がスープの仕上げをしていると、匂いに誘われたのか、ミイがやってきて物欲しそうにしてきたので、ふ〜ふ〜あ〜んして味見をさせてあげていると、宿題が終わってミイと一緒にテレビを見ていたメイもやってきて、もじもじとおねだりしてきて…。
なんてやってると、そのうちカナも地下室から出てきた。
「あれ?仲が良いわね?私もいいかな、初音さん?」
「……はい。」
……3人娘ですか…。
それが終わると、信也が帰って来る前に、今日の本題である会議が始まる。




