決闘
朝。とある町の宿屋。その薄汚れた白いシーツが敷かれた木のベッドに腰かけ、「ううぅ」と呻く、ある男。
昨晩は飲みすぎた。頭が痛む。そして記憶がまったくない……わけではない。だから呻いている。その悩みの種だけは色濃く頭の中に残っていたのだ。
「入りますよ。おや、起きたんですね。どうも、おはようございます」
「あんたは……」
「おや、お忘れですか? お二人の決闘の立会人を務める者ですよ」
ノックとともに部屋の中に入ってきた男がツカツカと窓の傍へ歩き、外を眺める。
そう、決闘。その約束をした記憶はあった。ただ、理由は覚えていない。恐らく酒場に居合わせた誰かと何かで揉めたのだろうが、相手の顔もふにゃふにゃであった。
「あー、ああ、決闘ね、うん、その件なんだが……」
「いやぁ、町長が乗り気でねぇ、ほら、あそこ。この町の中央。あそこでやろうというんですよ。町民たちもこの町初めての決闘ということでもう興奮して、ああほら、あそこにもうファンが。町娘ですねぇ。可愛らしい。皆、あなたのことを勇ましいって言ってますよ」
彼は返事にも聞こえなくもない、呻き声を上げた。
喧嘩はしょっちゅうあるが、いかに銃を腰に携え、馬を乗り回すガンマンと言えど決闘の経験はない上に、する理由も思い出せないのであればとても乗り気になどなれない。そもそも、用心棒の経験はあるが彼はまだ人を撃ったことなどないのだ。賞金首を捕まえたことはあるが、銃を突きつけただけで相手は大人しくお縄についた。あとは家畜を襲おうとした獣を撃ったぐらいなもの。ゆえに白紙にしようと言い出したかったのだが、外から聞こえた黄色い声援を耳にすると唾と共にその言葉を呑み込んだ。
「おや? 浮かない顔ですねぇ。飲みすぎましたかな? それとも……神聖なる決闘が嫌だとか」
「いや、ああ、いや、そんなことは……」
「まあ、命が掛かっていますからね。お気持ちはわからなくもありませんなんて、臆病者の私と同じ扱いは失礼ですね。すみません。ですが、町を出ようにもあなたの愛馬は厳重に管理されてますし、見張りも立っていますからねぇ。馬なしでこの荒野を行くのはそれこそ自殺行為ですし……」
ああ……と項垂れる彼。それを見て立会人はそっと近づき、囁くように言った。
「ですが……決闘は五日後でございます。他の町から客を招くとかで」
「完全に見世物だな……」
「ええ今も、ここでやるのかぁ、と現場を訪れる影がちらほら。ああ、出店の準備まで。でもさすがに夜は人目がないですよ」
「それがなんだというんだ……逃げられないんだろう? いやまあ、逃げないけど……」
ははは、と笑う彼。その流れで、はぁ……とため息をついた。
「……細工をするチャンスですよ」
「細工?」
「ええ、たとえばそうですねぇ、落とし穴とか」
「ははっ、馬鹿な。そんなことしたら」
「卑怯者だと笑われる? しかし、死んだら元も子もないですし、相手は死人に口なし。あなたがやったという証拠もないですし、もしその気がありましたら、二日後の夜にでも人払いや道具の調達など私もお手伝いしますよ」
「それは……正直、助かるが、だがそううまくかかるかな」
「ふふっ、私は立会人ですよ。決闘がどう行われるかご存じで? えー、この位置から両者背を向いて十歩、歩き、合図とともに振り向いて撃ち合いを始め! といった具合に」
「はははっ、それなら落とし穴を踏ませるのも簡単というわけか。すぐに駆け寄って、驚いている相手をパーンと」
「その通りです。まだご不安でしたら他にも」
「ほう……」
と、策をめぐらすこと、あっという間に決闘の日が訪れた。
決闘する二人を囲むように円が、ただし、流れ弾に当たっては困ると二人のその後ろは開けている。出店の他に仮設席まで作られ、そこに座る町長が満面の笑みで拍手をしている。その隣にも町長同様にスーツに帽子の男や日傘を差した貴婦人。隣町の町長や友人らしい。どうやら「今度うちの町で決闘をやるんだぞ!」と喧伝していたようだ。
興奮し、拍手と指笛で急かす人々。それを苦虫を噛みつぶすような顔で見る彼、ガンマン。
と、相手の男とはこれが初顔合わせのようなものだが、確かに見覚えがある。尤も、あんな苦い顔はしていなかった気がするが。恐らく、相手も乗り気ではないのだろう。だが、後には引けない。
「さあさあ、両者歩み寄り、背を合わせて、さあ、十歩歩いて!」
と、立会人に近寄った彼は、ついニヤッと笑いそうになり、慌てて真剣な顔に戻す。作戦がバレてはまずい。そうとも、作戦があるのだ。だから大丈夫。先程よりもその表情は柔らかくなった。そうだ、勝てばいいのだ、と鼻から息を吐く。
そして、互いに歩きだす。
一歩。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩。
六歩。
七歩。
八歩。
九歩。
十――
と、どうしたことか急変する視界。心臓を取り残し、その場から離れる感覚。落ちた同時に体は反射的に後ろを振り返っていた。
もはや嗅ぎ慣れた土の匂いと砂埃。なぜだ、落ちたのかおれは。落ちた。落ちた。穴はそう深くない。すぐに飛び出せるが出た瞬間、撃たれずにとは行くまい。なんでこうなった。なぜどうして、と混乱する頭。あああ、穴の位置を間違えたのか。それがわかったところでどうするどうするどうする。死ぬ死ぬ死ぬ……。
とりあえずと、そのぐるぐる回る目を安定させ、穴から顔をそーっと出すと、なんとそこに決闘相手の姿はなく、混乱の歯止めが効かない。
いや、あった。同じく、穴からひょっこり顔を出している相手。と、どちらが先か銃を振り上げ、そして引き金を引いた。
まさかの塹壕戦に観客は戸惑いつつも歓声を上げる。そうか、これが決闘なのか、とこの場は自分を納得させる。大事なのはどちらかの命が尽き果てるその瞬間だ。
ガンマンたちも同様に相手から片時も目を離さず、懸命に撃ち合うが、決着はそうそうつかない。なぜなら、その帽子の下とついでに胸の部分には鉄が仕込んであるのだ。これも作戦。無論、落とし穴も作戦。両者、隠し持っていた小さなダイナマイトを投げ合うのも作戦。そう、あの立会人が両者に仕込んだ作戦。
その立会人の姿はいつの間にか消え失せていた。それも作戦。
あの夜、二人に酒を奢り酔わせ、そして唆し、喧嘩させたのも作戦。
銃声に爆発に沸き立つ観客。決着はまだまだつきそうにない。少なくとも、立会人の彼がガラ空きになった町長室の金庫を開け、中身をすっかり盗む時間はありそうだった。