第2章 マルタ村のルーク
神聖ワグナ帝国の中のシャルマル地方にマルタ村という村がある。
人口はさほど多くなく、目立った特産物もない平凡な村である。
近くに大きな交易港があり、若者がそこへ流出しているのが村長の悩みの種である。
田畑を継がねばならない長男長女はハズレと語る者までいるのだから。
高藤史郎は15年前、このマルタ村に転生した。
彼は女神シャーリーの言葉通りごく普通の村人の家に生まれ、「ルーク」と名付けられた。
生家は農家だが、彼は「ハズレ」ではなく、次男坊である。
「くそ!」
高藤史郎、改めルークは大声を出す。
彼の手には、くしゃくしゃになった聖書。
「なんで神官になるのがこんな難しいんだよ!」
シャーリーの治癒の奇跡があるのだ。
傷を癒す神官になるのがいい、生活も安定するし、あわよくば美人シスターと仲良く…など思っていた。
しかし、神官は傷を癒すだけではなかった。
聖書の言葉を理解し、迷う者の懺悔を受け彼らを導く。
神聖ワグナ帝国と名乗るだけはあって、日本で言うところの政教分離というような考えはなく、教会は皇帝の政治に多いに口を出す。
皇帝もまた、信心が強いため、教会の意見を尊重する。
この国において、教会の存在感は非常に強く、地方の教会の神官ともなれば、日本でいうところの都道府県庁のお偉いさんぐらいの権力があるのだ。
そのため、神職へ就くことを希望する者は多く、神学校への進学は極めて難しかった。
史郎はそこそこの私立大学を卒業しているため、学力は低くはない。
だが、神聖マグナ帝国の中でも優秀な少年少女が全身全霊で挑む神学校試験を突破できるほどではない。
シャーリー神の治癒の奇跡も、際立って優れたものではない。
治癒の奇跡は外傷を癒すことはできるが、病気には無効だ。
病による痛みを和らげるくらいはできるが、根本的な治療はできない。
外傷も、致命傷クラスの傷は癒せない。
さらに、治癒の奇跡は乱発できない。
祈りには体力を使うのだ。せいぜい、1日に3回が限界だ。
神学校で正式な回復魔法を教わった神官と比べて格段に優れているわけではない。
大きな教会には治癒専門の治癒士を雇うところもある。
治癒士は、神学校を卒業せずともなれる。
在野で薬学を学んだ者など、治癒能力を示せば雇ってもらえるのだ。
しかし、神官の部下として扱われる。
神学校出の奴等に顎で使われるのは嫌だ!!
「ルーク、もう昼前よ!仕事手伝いなさい!」
この世界の母の怒鳴り声。
農家を営む両親にとって、ルーク…史郎は重要な労働力だ。
この世界では、15歳で成人として扱われる。
学才に秀でた者は神学校など上位の学校に進むが、たいていの15歳は家業を継いだり働き口を探しに街に出る。
今年15歳を迎えた史郎の同級生は、ほとんどが働いている。
史郎は何もしていない。
神学校試験は受かる見込みがないから受験すらしていない。
交易港のある街の教会に治癒士募集の貼紙はあったが、上述の理由から応募していない。
家業は兄が継ぐ。
せめて家業くらい手伝えよ、というのが両親の本音である(本音を隠す気はないようだが)。