バレンタインで職場のイケメンに義理チョコなのに受け取って貰えなかった私。やってらんないのでかわいい後輩君に愚痴る
「ったくもー!チョコくらい受け取れよぉー。あんのイケメン野郎ぉ」
私、秋川帆波は行きつけの飲み屋でジョッキを呷りながら盛大に愚痴っていた。周囲のどこか生暖かいような目が突き刺さるが、そんなの気にしてられない。
それもこれも、あのいけ好かないイケメンのせいだ!こんにゃろー!
2月14日、世間的にバレンタインとかいわれる日。
職場ではそこそこお淑やかで、そこそこ仕事が出来て、そこそこ優しい人で通っている私は、同僚の皆に配るために安いチョコを買って会社に出勤した。うーん、我ながらなんて優しいんだろう。
そしてそれを配りながら順調に自分の株を上げていた私だったが、少しだけ、少しだけ失敗したんだ。――数が一つ足りなかった。
おかしくない!?大袋にたくさんチョコが入ってるタイプの物を買って適当に配ってたのに、綺麗に一つだけ足りないとかある!?
っていうかこれって、さらっと5、6個取ってった上司のせいじゃん。ふざけんなパワハラくそ美人上司。…嘘です。すみません。新人の時に散々お世話になりました。ありがとうございます。
とまぁ、そんな訳でその時にまだ渡してなかったのが件のイケメン野郎だ。
どうせ女性社員からたくさんチョコ貰ってるんだろうけど、一人だけ渡さないのも印象が悪いと思った私は、近くのコンビニでこれまた安いチョコを買ってきてそれを渡した。いや、正確には渡そうとした。
そうしたら、あのくそイケメン、何を勘違いしやがったのかこう言ったんだ。
――すみません、課長。自分、彼女がいるんで本命は受け取れないっす。すみません――
…はぁー。ふざけんなよガチでよぉ。
確かに、一人だけ渡したチョコが違かったし高かったよ。
でもいくら他の同僚連中よりは単価が高いとはいえ、百数十円だぞ。私は百数十円のチョコを本命にするような女だと思われてるのかー!
もちろんすぐに否定したけど、"恥ずかしくて義理って事にしたんだろうなぁ"とか周りに思われて、生暖かい目を頂きました。ふーざけーんなー。
「はぁー、もうやってらんないわー!恥かかせやがってー!」
「まぁまぁ秋川さん、あんまり飲み過ぎると帰れなくなりますよ?」
…至極真っ当なご意見で非常に耳が痛い。
とはいえ私の唯一の楽しみを本当に奪おうとは思っていないのだろう。今も空になったジョッキにビールを注いでくれている彼は黒崎水斗君。
私のかわいい後輩君で、すっごく素直で真面目な子だ。
*
彼は少し前にこの部署に配属されてきた新卒社員で、新人教育の押し付け合いとかいろいろあった結果、私が担当する事になった。
はぁー、この職場には自分から率先して若者を助けてあげようと思う人すらいないのか。…ちなみに私も、もちろん他のヤツに押し付けてた。悪いとは思ってるんだけどめんどくさいんだよ、右も左もわからない新人に一から教えるの。その上、自尊心だけが肥大化して言うことを聞かない人も少なくないからね。
その点、私の後輩君はとても謙虚だった。言われた事は何でもすぐに実践してみるし、自分でわからない事はちゃんと聞きに来る。決して要領の良い方ではなかったと思うけど、愚直に努力が出来るタイプ。
今ではすっかり一人前になって私も鼻が高いよ。えっへん!
でも、私が特に水斗君を目にかけているのはそれだけが理由じゃない。――水斗君は私が唯一、素の自分を出して話せる人なんだ。
*
私は自分の中に多くの猫を飼っている。
口を開けば他人への愚痴が止まらないのに、お淑やかなふりをする。
仕事は遅いのに、それがあたかも仕方ないかのように理由をつける。
自分の評判と利益のために、自分を必要以上によく見せたがる。
その結果出来上がるのが今の私。
気がついたら虚構にまみれた自分が出来ていた。
*
「はぁー、私の作ってきたイメージがー!明日から可哀想な子ポジションになったらどうしてくれるんだー!」
「はぁ、秋川さんってお酒が入ると本当に変わりますよね」
「あったり前じゃーん!こんな猫被りまくってたらストレス貯まるってのぉー!ひっく」
お酒でも飲んで発散しないと自分見失うってー!
あー、本当にお酒愛してる。あいらぶゆー。
「…入社してすぐのぺーぺーが泥酔しまくって狂乱状態の上司を見てしまった時の気持ち、考えたことあります?」
「ないでーす!」
「でしょうね」
「良いじゃーん!愚痴吐ける相手を見つけて私は大満足だよー!」
お察しの通り、水斗君がこうして素の私に付き合ってくれるようになったきっかけは、この惨状を見られた事である!
当時はやらかしたと思ったけど、今考えたらラッキーだったなー。
飲み仲間、ゲットだぜ!
「…愚痴相手…ですか…。そうですよね……」
その時、彼の目つきが変わった気がしたけど、だんだんと気分が高揚してきた私はそれを気にも止めなかった。
*
「それでー?水斗君は意中の女の子からチョコもらえたのかぁー?どっかの誰かみたいに断ったりしてないでしょうねー!」
「…まぁ、一応義理ではあったんですけど貰えましたよ」
ふむふむ…。
「あまーい!義理チョコで満足しているようじゃ、いつまで経っても友達止まりだぞぉー!本命を掴みにいけ、本命をぉー!」
まったくー、後輩君は経験が足りませんな。男ならもっとガツガツいかないと!まぁ私も恋愛経験なんてゼロだけどね、がはは!
その時、水斗君は少し震えた声で話した。
「…じゃあ、秋川さんが後藤さんに上げようとしてたチョコ…貰っても良いですか?…」
「んー?これ?いいよいいよ!無駄になっちゃったからあげるあげるー!」
あ、後藤さんってのは件のイケメン野郎である。
あの野郎のために買ってきた百数十円チョコも、水斗君に食べられた方が本望でしょう!
「…後藤さんって凄いですよね。かっこよくて、仕事も出来て、性格も良いですし…。…ぁ、すみません、急に」
やけに神妙な表情で水斗君が溢した言葉だった。うーん、水斗君がこんな事を言うのは珍しい。ちょっと励ましてあげますか!
先輩ですから!
「何言ってんのー?水斗君の方が男として圧勝だってー!」
そういって私は水斗君の少し長めな前髪を上げた。
「ほらー!すっごいイケメンじゃん!確かにあのイケメン野郎とは系統が違うけど、絶対水斗君の方が好みな女の子も多いって!
それに仕事なんて、私だって良い感じに誤魔化しながらやってるし、あのイケメン野郎もどうせ適当に手抜いてるんだから、真面目に頑張ってる水斗君は凄いんだよ!
性格とか比べるまでもなく圧勝!!私は水斗君が好きだよー!」
「………そんなに簡単に好きって言ったら勘違いしますよ」
「勘違いしちゃっても良いんだよ。水斗君可愛いし。ぐへ、ぐへへ…」
私はちょっとだけ茶化すように軽い口調で言った。
水斗君の固まった表情も少しだけほぐれたみたいだ。そうそう、水斗君にはそんな表情は似合ってないよ。
「…秋川さん、ちょっとおっさんくさいですよ」
「しゃらっぷ!それ以上は禁句です!私はそんなことを言う子に育てた覚えはありませーん!」
「秋川さんに育てられた覚えはありません」
「なっ!私が一から仕事を教えてやった恩を忘れたとでも言うのかね!?」
「いやそれはそうですけど、それとこれとは違う話っ…ってめんどくさいな!?」
「おっ!水斗君も良い感じにノって来たねー!あ、もう一本追加お願いしまーす!」
「本当に飲み過ぎないで下さいよ!?」
「はーい!」
水斗君ってば心配性なんだからー!まだ、片手で数えられる程度しか開けてないんだからダイジョブダイジョブ!
*
「すやぁ」
あーあ、また寝ちゃったよ…。この人はいつもいつもよく飽きないな。
「秋川さん、秋川さん!帰れますか?」
「うー、チョコ受け取れよー!無駄金になっただろうがー!」
寝惚けながらそういった秋川さんの顔を見るとチクリと胸が痛む。
夢まで彼に取られてしまうのか。可愛らしいこの寝顔を運ぶのは自分なのに、そこに登場する人物は彼なのか。
醜い感情がどくどくと生まれてきたのを自覚して、無意識に手を強く握ってしまう。
手の中に包まれているそれは秋川さんの本命チョコ。だけど、それは自分に向けられた物じゃなくて、彼への気持ち。胸がまた、チクリと痛む。
そんな時、秋川さんの言葉がフラッシュバックした。
――義理チョコで満足しているようじゃ、いつまで経っても友達止まりだぞぉー!本命を掴みにいけ、本命をぉー!――
…貴女が言ったんですからね。こんなワルい男の前で寝ちゃった貴女がワルいんですよ。
そんな言い訳を並べてお店を後にした。
*
「ふぁぁぁあぁ」
あれ、なんで家に着いてるの?
私が目覚めたのは自宅のベットの上、日付を跨いでから3、4時間ほど過ぎた時だった。
ぼんやりとした思考力をフルに使って事の顛末を思い出す。………までもなくいつもの事だ。
お酒を飲み過ぎた結果、眠りこけた私を水斗君が運んでくれたんだろう。
私が派手に飲むときはいつもこうで、水斗君と飲むようになってから、もう何回彼のお世話になったのか分からない。ありがとうございます。
毎度の事過ぎるので水斗君には合鍵を渡しているし。
水斗君はいつも私をベットの上に寝かせて、テーブルにお水と軽食、あと小言の書いてある手紙を残して帰っている。
彼は紳士なのだ。だからこそ、私も合鍵なんて物を渡している。普通に惚れそう。
「秋川さん、起きましたか?」
ふとそんな時、比較的暗めな照明の元で誰かの声が響く。よく知る声だ。
「あれ、水斗君?今日はまだ帰ってなかったんだー!」
「…はい。秋川さんに一つだけ、伝えたい事があったので」
「んー?何ー?」
一呼吸の間をおいて、彼の声が聞こえてくる。
「――好きです。俺と付き合って下さい――」
「…えっ?」
水斗君は今なんと言った?好き?私の事が?どうして?
そんな疑問に答えるように、水斗君はさらに言葉を紡ぐ。
「貴女の他愛もない愚痴を聞くのが好きです。貴女にお酒を注ぐの何気ない時間が好きです。貴女のイタズラっぽい笑顔が好きです。貴女の誰にも見せてないその顔を、独り占めしたいくらい好きです」
まったく着飾っていない、真っ直ぐな言葉。
―だけど、それは私の猫を容易に潜り抜けてくる、魔力のこもった言葉だった。
「後藤さんには敵わないかもしれません。だけど、俺にもチャンスを下さい!」
「いや、なんでそこであのイケメン野郎が出てくるの!?」
本当になんで!?
正直、私結構揺らいでたよ!?なんでそこで他の男の名前を出した!?
告白中に他の男の名前なんて出すもんじゃないでしょ!?絶対!!
「隠さなくても良いんです。今日の一件で秋川さんが後藤さんの事が好きなことくらい知ってます。だから、これは宣戦布告です。俺は負けたくない!」
あ、うん。そーゆーことね。完全に理解したわ。
これ、水斗君も勘違いしちゃってるやつね。自分で引き起こした事だから少しバツが悪い。
少なくとも、私の中であのイケメン野郎の好感度低いから、負けようがないと思うよ。うん。
「それにしても、水斗君も男らしいところあったんだね。少しときめいたよ」
そもそも、私は水斗君の事が嫌いじゃない。
一緒にいて落ち着くし、私が一番自然体でいられるのは水斗君の隣だから。
それこそ、付き合っても良いかなって思っちゃうくらい、好きだ。だから――
「良いよ、付き合おっ。水斗君!」
これが私の答えかな?
「本当ですか!?やった!夢じゃないですよね!良かった!本当は俺なしじゃ生きていけないくらいぐちゃぐちゃにワカラセようとしてたけど、実行しなくて良かったぁ!これから一緒に進んで行けば良いですもんね!」
その後の言葉は聞かなかったことにします!
一言だけ言うなら、夜の彼は全然可愛くなかった。