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姫路城プレミアムオーディオガイドの聖地巡礼? 書寫山 圓教寺(しょしゃさんえんぎょうじ)

作者: erie

 そうだ、お墓参りに行こう。


 あの姫路城プレミアムオーディオガイドにすっかり心うばわれてしまった私。具体的なスケジュールを特に決めていなかった一人旅二日目は、忠刻様と三木之介様のお墓参りに決まったのでした。


 調べたら、本多家廟所は 書寫山(しょしゃさん)圓教寺(えんぎょうじ)にあるとあったので、そこに行くことにしました。


 その忠刻様(享年31歳)の墓前で、初七日の7月7日に三木之介様(享年23歳)は殉死したのです。


 お城でもらったパンフレット『姫路観光ガイドブック』で見た「お得なバス乗車券書写山ロープウェイセット」を姫路駅前の営業所で買い求め、10番乗り場から路線バス「ロープウェイ行き」に乗って約30分で、終点のロープウェイ乗り場に着きました。その先にはロープウェイが待っていました。ピカピカな車体に驚きました。天井から床まで届く大きな窓で、景色がばっちり楽しめます。


 発車すると乗務員さんの解説が始まりました。書寫山 圓教寺は由緒ある寺院で、国の重要文化財でもある三つの御堂はハリウッド映画「ラストサムライ」や大河ドラマ「黒田官兵衛」などのロケ地にもなっている、とか紅葉の名所である、とか説明してくれました。

 

 何それ、一粒で二度美味しいやつ!


 と、お墓参りしか頭になかったザンネン仕様の私は歓喜したのでした。


 ロープウェイを降りて少し進むと、山門に着きました。

 そこで入山料をはらうのですが、その時、お寺の入り口までマイクロバスに乗るか坂道を歩くか尋ねられました。


 昨日は早朝の飛行機で羽田を出てから、神戸空港から電車に乗り、ホテルに荷物を預けて姫路城と考古園を見学、と二万歩超えで、私の足は棒状態。迷わす往復五百円のマイクロバスをチョイスしました。

 

 バスを降りると真っ赤なもみじに目を奪われました。


 その中をしばらく進むと、左手には門前の店があり、右手の階段を上ると摩尼殿(まにでん)です。

 さすが、名所とうたわれるだけあって、赤や黄色の木々が青空に映え、ほんとうにきれいです。


 清水寺と同様に岩山の中腹に建つ舞台造りで、中は見えませんが、四天王像が安置されているそうなので、ご挨拶のお参りをして、いよいよその奥の山道を進んで三つの御堂に向かいます。


 その御堂の広場?の入り口右手が本多家廟所でした。白い塀にかこまれています。

 残念なことに柵で中に入れなくなっているので、説明の看板も遠くて読めません。目の前に並んで見えるのは立派な霊屋(たまや)とそこに安置されている五輪墓です。忠刻様たちには霊屋はないとの事なので、左奥の方の、身を乗り出してもこちらからは見えないところで眠られているのでしょう。非公開なら仕方ない。そう思っても諦めきれないモヤモヤが・・・。

 なので、さっそくスマホをポチポチして本多家廟所についての画像を捜しました。


 ありました。いいなあ、この方々は中に入れて、お墓参りできたのですね。

 でもそのおかげで、私も中がどうなっていて、看板に何が書いてあるのか知ることができました。

 ありがとうございます。

 そのまましばし感慨にふけり、ついでに一緒に殉死した人たちのことも知ることができました。


 殉死かぁ。


 あの時代、息子がその立場だったらしてしまうのだろうか。

 私が男でその立場だったら、するのだろうか。


 する、だろうなあ。


 主人(あるじ)に心酔していれば確実に、する。

 普通の関係でも立場と家族のことを思って、する。

 どうにもいけ好かない相手でも、家族の立場のために、イヤイヤする。

 身寄りが全くなく、誰にも迷惑をかけないのなら、出奔するかも。でもそれほどイヤな相手なら、そもそも小姓として続いていないだろうし。そう考えるとほぼ100パーセント主人の後を追うと思う。

 息子が殉死したら、あっぱれと言わなければならないのだろうか。切ない。苦しい。その時代の母は、どうやって気持ちの折り合いをつけたのだろうか。出家せずにはいられなかったかもしれない。


 はあ、時代によって、人の生きかたは変わる。


 今だから、家族から「またか!母親の単独勝手行動」 (はい。そういう君たちみんなもう、大人だからね?) とあきれられながら、一人で好きなところに旅できるけど、昭和以前だったら、そうもいかないと思う。

 彼らが生きていた戦国〜江戸時代初期だったら、ありえないことだ。


 そんなこんなして感慨に耽ったところで、見えないお墓に心から手を合わせ、振り返れば、そこには歴史が感じられる立派な御堂が三つありました。


 右手は大講堂。室町中期に建てられた本堂にあたるものだそうです。こちらは、入れません。

 真ん中奥にある大きな建物が食堂(じきどう)、左手にあって、能楽が聞こえてくるのが、常行堂(じょうぎょうどう)です。


 食堂は入れるようになっていて、御朱印はこちらの窓口でいただけます。待っている間、二階を見学するよう勧められたので、急な階段を上りました。


 二階は資料館になっていました。そこでまた驚くことになりました。なんと、あの弁慶が青少年時代に修行していたというのです。

 その裏側の展示棚には既に無くなってしまったお寺の、廃仏毀釈で雨曝しになったり、壊されそうになりながらも地元の人々に守られてきた、古い木製の仏像がありました。姿の判別も難しいほどですが、何百年も前のものだと思うと感慨深いものがあります。

 一階に戻って御朱印をいただき、常行堂に行きました。

 受け付けで拝観料を納めて、中に入りました。御堂の真ん中には大きな阿弥陀如来像が安置されています。ここは修行三昧をする御堂です。

 ハリウッド映画「ラストサムライ」で渡辺謙が修行するシーンはここで撮影されたそうです。


 この日は奥の院も公開されていて、そちらも行ってきました。

 その途中、和泉式部ゆかりのものも有り、歴史の中、時を重ねて今もここにあるのだと、感慨に浸りました。


 きっかけはプレミアムオーディオガイドの聖地巡礼?だったにもかかわらず、歴史探訪、紅葉満喫、ロケ地見学と、一粒で四度も美味しい秋の一日になったのでした。

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