医務室にて・ダンジョンに行こうよ
お姉ちゃんから離れられるのであればどこでも良かった。
私がこの学園を選んだのは無試験入学でしかも王都で寮生活ができるためなのだが、ブライスに説明する気はない。
「私はまだ魔法がないの」
痛みを伴うため息と共に告白する。これは黙っていてもいずれ分かることだし、村では周知の事実だった。
水風――基本型のうち2つを操るお姉ちゃん。ウンディーネかシルフかの再来だと騒ぐ大人達。
土にはドワーフやノームもいるから口の端にも上らない。エルフには水風が人気なのだ。
「そこ、攻撃魔法を何も持たずに行けるとこなの?」
「地下1階はモンスターが出現しないよ。ダンジョン機構を保つためにエルフが描いた魔法陣がそこかしこにあるだけ」
なるほど、それでか。ブライスはエルフといえば皆ダンジョンを作れる力があると思っているのだろう。11歳の子供ではお伽話に出てくる伝説の種族ほどの知識しかないのかもしれない。
それ程の強大な力を持つ魔法使いは私達の中でもかなり稀で、まして砂漠に地下遺跡を丸ごと沈めるなど、正気を疑うくらいだ。森や山を離れて何の用事があるというのだろう。こんな乾燥した一帯に――。
「モンスターは2階から。それも滅多なことでは出現しない。最近発表された学会の論文では、モンスターは上の階層で倒れて血を流した人間やモンスターなどの種が融合して長い年月をかけて下の階層に垂れてくるために生まれ出るらしい。ということは、1階に出現しないなら2階にもほぼ出現しない」
クラスで見かける巫山戯けた言動ではないブライスは、無知を諭すような口調になっている。私が何も知らないのは事実だが、此奴にまで言われたくなかった。低く貶められている気がするのは成績が悪い自分の中の劣等感のせいなのか?
話の流れについていけず沈黙を続けていると、
「冒険者志望ではないのか。やはり生活魔法でもやってなよ。それとも僕が召し抱えてあげようか?」
急に真剣な口調から切り替わって面白がっているような態度になる。何だよ、此奴。
「エルフ言語は分かるんだろう?」
「なんなの? 採用面接かな?」
「まぁそう思ってくれてもいい。君なんかでも文字の読み書きはできるんだろうから」
と一瞬、本当に悔しそうな表情を浮かべた。
失礼過ぎない!? どれだけ自信家なのよ。
「自慢じゃないけど山エルフは自ら隔絶して古来からの伝統を保つ種なのよ」
「そういや田舎者だって自己紹介していたっけ」
いちいち嫌味な奴である。
「ま、いいよ。僕とダンジョンに行こうよ。危ないことがあれば守ってあげるからさ」
ラクダのように茶目がちな濡れた大きな瞳がすぐ近くにあった。
クラスの中心としてやんちゃ坊主の名を欲しいままにして来たにも関わらず、外の世界も見据えてやまない小さな貴族男子の小さな願い。そこまでして解明してみたいって、ダンジョンにはエルフ魔法陣の他には何があるんだろう。
急に頭をもたげた疑問が顔に出ていたのか、ブライスはなおも熱っぽく続けた。
「地下水の周りに見たことない植物が咲いていたり、ドワーフも泣いて喜ぶ鉱石が見つかったりするみたいだよ」
「……みたいだよ、って。アンタ行ったことない危険な場所に誘って『守ってあげる』とか言ってんの!?」
シーツを胸元までひっぱり上げると、逆に足のほうが飛び出てしまった。王都では女性が足元を見せるのはご法度である。でも居直って気付かなかった振りをしていたい。私の文化では別によくあることなんだから、っと。
ブライスの方はというと気付いたのか、言いにくそうにしながら、しかしこれだけは訂正しなければならないといったような毅然とした面持ちになった。
「制服の着こなしをからかって済まない。……けど君、ちゃんと履いてるんだね」
やっぱり気絶したときに、どこか触っただろう!?
***
エルフ言語は共通語とは違う特殊文字を使用するのと接頭接尾に代表される膠着と語形変化に満ちている。100年前に発見されたようだが、ダンジョン自体はもっと以前から地中に存在していたのだろう。一体、何を目的に作られた人工物なのか未だに議論が収まらない。深層に到達したパーティもまだない。
高く城壁の上を歩哨が見回れるよう円形に近く建てられた城郭都市。
冒険者相手の店が立ち並ぶような形で地上は発達し、今では一国家に数えられている。商売気のある店がひしめいており、現在は飽和状態に近くなっていても、なお逃れるかのように上へ上へと空間を伸ばしている。
冒険者ギルドも建国当初から存在しており、クエストと呼ばれる依頼を融通することとパーティメンバー斡旋を主な生業としている。仕事の円滑化のために城郭都市に次々とやって来る冒険者は入門の際にほぼ例外なく登録を求められるルールだ。
他にも明確かつ不可侵なルールが、1つ際立って厳存していた。
『冒険者は一回の探索につき依頼は一つまでとする』
一度とある冒険者パーティに受注されたら、他のパーティは同じクエストを受注することができない。そもそも探索には食糧や日用品や薬や照明の調達などの事前準備が欠かせないために、クエストの難易度から概算を割り出して出発することは冒険者パーティの生存率を上げる大切な見積もりとされていた。そのため同じクエスト報酬から予算編成したパーティが複数あってはならないという訳だ。
だが依頼失敗には冒険者側に罰則が伴う上、実力不足で元より遂行不可能だったと後から判明した日には、できれば早期解決を望む依頼者側の負担は計り知れない。そうしたトラブルを避けるため、冒険者ギルドの受付カウンター業務はクエストマッチングに気を配っており、それ自体が熟練を求められる難易度の高い仕事となっている。必定、マージンも発生する。
一方で、オープンクエストと呼ばれる形式も依頼受付なされている。
1つに限らず、複数パーティが同時に銘々勝手に受注可能なものだが、その代わり報酬が低く設定されており、その上、依然として冒険者側としては一つまでしか依頼を受けることはできないことに変わりはなく、稼ぎが低い種類のクエストとなっている。依頼者側からすると支払わなければならない報酬が一見すると少なく済むように見えるかもしれないが、複数パーティとの手続きが発生して煩雑になるとの名目で冒険者ギルド側に納めるマージンが倍以上も高く設定されており、総合して見ると冒険者と依頼者の双方にあまり人気がない。
受注パーティ数の増加を見込める分、依頼の成功率だけは確実に上がるので緊急を要するケースや決して失敗したくないクエスト要望を満たす受け皿となっている。
見過ごせない、また別の大きなデメリットとしては、他パーティから見て達成が容易に見て取れる討伐などのクエストは横取りされる可能性が大きいということだった。探索者依頼も保護した後にも地上に出るまでの間、闇討ちに気を配らねばなるまい。魔法陣や侵入できない扉を破壊するなどの依頼に至っては最速で地上に上がって早く報告したパーティが不当な報酬を得ることも多々あった。
ダンジョンの各階層は箱状に分化されておらず、なだらかな丘のような斜面状に潰れた階や数階に渡って吹き抜けになっている箇所もある。
自作マップを用いて探索するパーティもあるとされるが、大半は順路と呼ばれる踏み均された道を中心的に記載した地図本を参考に進んで行く。余白も設けられたこの本は、何かの拍子に見慣れた道から逸れてしまった場合であっても新しく書き込めるよう配慮済みだ。冒険者ギルドのクエスト発注業務に次ぐ主要な収入源になっている。走り書きが増えて読み取り難くなれば新しく購入して清書し直す必要があることは言わずもがなだ。
「何を読んでいるの?」
手にしていた『冒険者の心得』という本の上に咄嗟に腕を組み隠そうとしてしまった。
それに気付いたブライスが隠しもしない無遠慮な視線でこちらを見下ろしていた。
奴とは医務塔の部屋で話したとき以来である。
前期は私にしては真面目に授業を受けて考査に挑んだ。
結果発表はもうすぐ来る長期休暇の直前に行われるとのことだった。
うまくいけば後期は最底辺クラスを抜け出せる教科がいくつかあるはず。
「へーぇ、『冒険者の心得』ねえ……」
「やっぱり透視魔法、使えるわけ!?」
あ、いや。
あのときは履いてたんだから使える筈がない。心の中で訂正しなおす。
ペースを崩されて訳が分からなくなってくる。此奴と話すときはいつもそうだ。
「何度も読んだから腕の下から見えてる挿絵だけで分かるよ」
子供の頃に思いを馳せているような顔になる。
「冒険者業に興味が出たの? というか君、人間の本、読めるんだ?」
うわー、馬鹿にしてやがる。
今日のブライスは細いフレームの銀メガネをかけていた。
期末考査も終わり人がまばらな図書館だが何か用事があったんだろう。いつもは女子のように中性的な顔立ちをしているが、ローブを身にまとっていなければしっかり男子に見えた。この頃、急に背が伸びて私に追いついて来たのもあるかもしれない。
郊外授業では砂嵐や埃を避けるために、たとえ体術のような身体を動かす科目であっても外套の着用が義務付けられていた。
「アンタ、まだそんなこと言ってるの。私に投げ飛ばされるようじゃ、ダンジョンとかあきらめたら?」
さっと顔色が変わり、私の口を塞ぎたそうにした。
あれからずっと次に会ったら言ってやろうと用意していたんだ。こうでなきゃね!
「ちょ、図書館では静かにして!」
「図書館でなくてもただ単に聞かれたくないだけなんじゃ……」
奴の手のひらに口を覆われたので、その後はセリフを続けられなかった。
「冒険者ギルドでクエスト受注するのは今の僕たちにはできないよ。まず身分が学生だから」
知りたかったことを話し始めてくれそうなので、やむなく抵抗を断念する。なるべく人の少ないときに来たかったので、ダンジョンや冒険者については試験が終わってからようやく調べ始めたばかりだ。
「……入り口にはレイスがいる。出し抜く方法が分からないとクエスト所持有無を問わず、入場もできない」
此奴わざと『ダンジョン』の言葉を飛ばして説明したな。
「レイスって?」
「リッチが骨と皮の残骸なら、レイスは完全な幽体だ。自我の残るリッチとは違って会話は成立しない。扱いやすいのでネクロマンサーに使役されていることが多い」
「ふーん」
それならリッチ先生に聞けば色々と分かりそうだ。生命体やら魂やらに並々ならぬ関心を抱いている。親友のユウ=レイにも訊いてみよう。通り名にもなった生命体のことの筈。
「……あ。『黒衣物語』っていうのを読んでみたいんだけど」
この流れなら、ユウの名前の元ネタ本の在り処を訊いてもおかしくないはずだ。
「君は5歳の子供が読むような絵本に興味があるのか……」
「エルフは森の暗がりでも真っ直ぐ的を射抜ける弓師の物語を聞かされて育つのよっ」
嫌味を忘れないブライスだが、私の顔から手を離して探して来てくれた。
エルフは優に10年間ほど寝物語を聞かされるのだが、言ってやらんわ。馬鹿にされる!




