教科・魔法牧畜で乳搾り
そう、何とはなく気がついていたけれど、恋愛感情というのは自分自身のことが嫌いじゃない人間に芽生えるものなのだ。あの人にそばにいて欲しいという気持ちは、我が儘を言えないと生じない。誰にも押しも押されぬもしない貴族令嬢でも一筋縄では行かない相手に出会ってしまったときに、突然迷い込んでしまう暗い小路。きっとそういうものなのだ……。
もしくは全く自己を持たず、相手によって引き上げてもらった自分の価値の気持ちよさに囚われてしまった場合に、多くを貪欲に求めてしまうもの――。
もっと欲しい。こっちを見て。同じ時間を過ごしたい。私を救って。消極的で表に出せない願いだ。
お姉ちゃんと私の関係がそうだった。お姉ちゃんに認められたくて念を込める、許しを乞う、全てを投げ出す覚悟になる、でないと存在意義が揺らぎそうだから。
だけど、それでは私自身が消え去ってしまいそうな予感がして逃げ出して来た。ずっと苦しかった。反動でここまで来た。エルフ世界にはもう目を向けたくない。
寒村の青空教室では滅多に転入生を迎えることがなかったけれど、一度だけ森エルフが移住して来たことがあって、雪原の山エルフ女子は都会的な響きにすっかり魅了され彼の話題で持ちきりになったことがあった。お姉ちゃんにしてみたら村の話題を一挙にさらっていった許し難い存在で、その時期は毒づいてばかり。宥めるのが大変だった。
あれ? あの自信満々なお姉ちゃんでも誰かに負けたことがあったんだった。
もしかしたら恋がきっかけで引きこもったの?
一瞬、不埒な考えが頭をかすめたけれど、お姉ちゃんに恋、と組み合わせただけで即座に心の中で打ち消した。確かにとんでもなく我が儘においては資格はあるけれど。
エルフの始祖は魔力溢れる森に発祥だというのが定説なので、彼にはそれこそ貴族のようにノーブルなイメージが付いてまわった。といってもエルフにありがちな高慢さがあった訳ではなく、由緒正しい湧き水、生い茂る緑、青い空……、そうした自然由来の全てを連想させる子だった。
あそこではただの、変化に乏しい白、白、白。雪と氷と無力な太陽光しかなかったから。
食料も豊かな森の感性なのか小ずる賢いところもなく優しく、特徴的な横に伸びた耳の形は、村中の女子の憧れを誘っていた。
私達の耳はもっと人間のように頭に沿って寝そべった形(凍傷になったら困るから)で、生き抜く環境のシビアさが乗り移ったような性格の者も少なくなかった。山があるなら鉱石を求めて剛毅なドワーフも棲みつく筈だが、彼らにも見捨てられた土地だったから。
彼と結婚したらいつか私も都会の森へ――と見果てぬ夢の投影もあったのかもしれない。
だから今でも私は貴族とか王宮とか分からない。私にとっては、この王都に生まれ育ったというだけで十分に眩しいのだ。人間より高貴であると教育されるエルフ種の血がどうだというのだろう。世界を動かしているのは歴史を紐解いてもいつだって人間だ。
皆だってエルフに生まれた誇り以前に、あれ程この王都へ憧れていたではないか。人間の作った社会構造に組み込まれて、そこでうまくやれるのなら大陸の中心部に近づいて根付くことができる。歯車がそのようにまわっているのならば合わせて生きてみたいという漠然とした憧れだ。
私は恋に拠らず全部すっ飛ばして全寮制の学園へ来てしまった訳だが。
貴族のユウが手に入れられないものはそれ程多くはないんだろうけど、誰かの心を振り向かせる難しさは、どんな場所に生を受けて暮らしたとしても、きっと永久不変で尊いことなのだ。エルフ種の中でも田舎だの都会だの、相手にされないだの、延々と堂々巡りしているのだから。
***
心を入れ替えて、手始めに魔法牧畜に本腰を入れることにした。
そもそも生き物を経済動物として見たことがなかった私には新鮮でよく分からないことがこれまで多かったのだけど、他ならぬユウの思い定めた将来につながると思えばこそ。
よくエルフは動物と話が出来ると言われるが、私達のうち森エルフだけがそのような能力を持つと言われている。
担任は透けた骨と皮だけのリッチ。
初授業時の自己紹介もまた印象的だった。
「吾輩は200年程こちらの学校で教鞭を執っている。生と死と世代交代を見つめる門戸を叩くのであれば、諸君らには文字通り心血を注いでもらう。覚悟するように」
大鎌を右手に構えながら壇上に滑り出たリッチ先生は、城郭都市のすぐ外のダンジョンから抜け出してきた死霊さながらの姿で手にした武器の柄で床を打ち鳴らし、気の弱い女子が卒倒して大騒ぎとなった。
後から聞いたところによると、大鎌は飼料を刈り取るための純粋な農具で、生徒を怖がらせる意図は全くなかったのだそう。
リッチ先生はまたジャトロファという低木を木柵として結界を張った中から出られず、夜も眠ったりなどしないため、学園の牧場敷地すぐ隣の魔法植物畑をも監視下に置き、本来ご自分の管轄である飼料畑ごと作物泥棒から見張ってくれているのだとか。
そりゃ真夜中に浮遊しながら移動する、足のない姿を見たら近づきたくないのが本能ってものだろう。
今でこそ男子には「飼料刈り死霊」と馬鹿にされているが、畑仕事も厭わない(汚れない)し、匂いも気にせず(嗅覚がない)に、生き物をこよなく愛して夜も共にする優しい心根の先生として女子からは認識されていた。……まぁ、リッチ先生に心酔しているユウの見解から聞いた情報なので若干脚色はあるかもしれないが。
だって夜は暇でたまらない、家畜でも眺めていた方がいい、もっと言っちゃうと生命力に富んだ生き物達を見るだけでも自分が生き返る研究につながるっていう動機が大きいのだろうし。
それでも私もソルガムきびは好きだ。あまり盗まれてほしくない。私も食べられる砂漠原産物への執着は自慢じゃないが並みではないよ。
意外と関心事というか先生と共通点は多いのかもしれない。
乾燥したサバンナに育つためにもっちりと吸水性を持ち、そのまま炊いてもいいし挽いて粉状にしてパンにしてからでも食べられる。こちらに来てすぐ覚えた穀物の1つだった。家畜と同じ食性と言われるのが嫌で人前では食べないようにしているけれど。
「今日はラクダの特性を見てみよう。食肉にもなるが非常にもったいないので乳絞りをしてもらう」
乳という言葉だけで男子が浮足立っている。
キャメルトゥがどうの、というようなスラングまで聞こえる。
しかし彼らは「死霊の癖に屠殺できねーんだな」と悪口も忘れない。
だから私にはどんなに小さなこそこそ声でも聞こえてしまうんだってば。
せっかく育てたラクダが肉になった姿とご対面できないというのは、食べない眠らない先生からしてみたらどうせ無用の長物なのだし、私には気持ちが分かる。
乳からキャメルミルクやチーズになって循環していく方がよほど美しいだろう。寿命を迎えた最期になめし革になればいい。この教科は牧畜からの生産品加工を学ぶ時間なんだし、肉の塊になったら即終了、料理という別教科になるしかない。
「大昔はラクダに爆弾を乗せて奇襲したこともあった。吾輩が生き永らえる限り、二度とそうした歴史を許さぬが」
生きる……というか、先生はもう生命を失っていますけども?
先生からして『大昔』って、一体何百年前かな?
「乳搾りは男子にしてもらう。女子は見ておれ」
さすが何百年も人間と家畜の生命の深淵をのぞき込んできたリッチ先生だけに、200年も生徒を観察し、たとえ手袋をしていても貴族女子が乳搾りなどしないことはきっちり理解しているようだ。あえて言うなら彼女達の習性を職業的に見て取ったか。
彼女たちの手袋は習慣であり飾りであり、また同胞と舞踏会で踊るときでさえ紳士から肌を潔癖に守るためにあるのだ、と。
しかし、この学園の女子達はこの授業態度よ……。大丈夫か?
自然生成物に近い分野だし、頑張れば私でも最下位クラスから昇格できるかもしれない。気が合うというか性に合う指向性のある学問かもしれない。希望が見えてきた。ユウのために、また自分の将来のために牧畜をもっと知ってみたい。まだ魔法を使用する段階にまで至っていないけれど、生き物を飼育するのに便利な魔法なんて然う然うないのかもしれない。
だけど普段から手袋を着用していない私が乳搾りして点稼ぎなどしたら、卒倒どころではなく末代まで陰口を言われてしまいそうだ。自然を愛するだか何だか知りませんがエルフって野蛮ですのよ、成績を上げるためにあんなことまでして、と軽侮を込めて。
貴族女子ではないとはいえ女子は女子という目で見られているのだろうから。
生前のリッチ先生を伺い知ることなどできないが、たとえ風葬され何百年経って死霊になってもなお風評被害が風化しないだろう。
人間は寿命が短いから生き急ぐのだろうか。
エルフは天気が悪ければ授業は中止だ。
クラスの半数が不真面目な態度でももちろん成立しない。また明日と言わんばかりに気分を害した様子を隠しもせず教壇から飛び降りてしまいそうなエルフ先生ばかり。プライドはある意味、貴族女子より高いのだった。
たとえ形骸化でも何でも、理想や建前や利権のためであっても、隠し果たしてやり抜く人間という種族は凄いのかもしれない。とても社会的な視点を持つ種なんだろうな。
片足をきつく縛られて逃げられなくされたラクダの乳は後ろ足の付け根に近いところにあった。
男子の腕が次々に伸びて順番に実演が始まったのだが、女子達は扇を持って外の気温が高過ぎる振りをして一斉に扇ぎ出す。日光を遮るには不十分な小さい日傘を懸命に前に傾ける者。突然気になりだしてショールを目深に巻き付け直す者。ここまで来ると見ている私としては笑えて来てしまう。
見事、乳が絞れたら加工の方を一緒に頑張ろうか。
彼女達も良質な完成品を知る目でなめし革の精錬などには辣腕を発揮しそうだ。
貴族社会というものが一事が万事こんな様子であるなら、ユウの恋は前途多難だ。
今回の実技で点数を稼げないなら、期末考査でもいいから頑張らなきゃなあ。
ユウと図書館に通うのもいいかもしれない。
どうせ口さがない女子はあまり寄り付かない場所だろう。




