ダンジョン2階層にて・野営
私を夜通し追いかけて探して来たピリカの体調を慮って、その日は野営の見張り番を買って出ることにした。
食事も取っていなかったのでドライフルーツを食べさせた。「実家では食に事欠くこともありましたの。何のこれしき」「でも学園での美味しい夕食を1食分、逃してしまいましたわ」「その分、戦利品を持って帰還しますわよ」など言いながら完食していたが、今は私の寝袋に収まっている。
交代で夜の見張りをする取り決めとなり、先に少しでも睡眠を取った私が起きている番だった。
2人いる奇妙な安心感から、すでに順路からは外れている。ここがどこか分からないが、地上に戻ったら次はギルドのマップ本を買うことを心に留める。順路自体に意味はなくとも、歩いた道を記録できればいい。――こうして冒険者ギルドは莫大な収入を得ていくんだろうなぁ。
何日も過ごして会話も交わしたところ――というより、おしゃべりな彼女が色々と話してきたのだが、貴族女子への憤懣やる方ない思いを多少は抱えつつも、ブライス王子への敬愛は本物のようだ。
ブライスは私がエルフだからダンジョン攻略に向いていると見て、おそらくこの光球を贈ってきたのだという説明はピリカを大いに満足させた。
「殿下は冒険者にも偏見がないの。あぁ私も早く冒険者としてお役に立ちたいわ」と。
ますますやる気を出してくれたなら、こちらとしては好都合なのだが、私のことをいずれ冒険者になるものだとして見ている節がある。いや、私はお姉ちゃんを越えて故郷に錦を飾れればいいのだけど……。
またダンジョン内の採集物にも関心が強かった。
お祖父様が勲功を立てたのがもともと冒険者ギルド設立での働きのようで、功績を認められての爵位であり、以来代々継いでいるのだが、ピリカの代では男子がなく誰かしら婿養子を必要をしているとのことだった。 彼女の父がどのように没落していったのかは未だに聞き出せてはいない。触れてはいけない事項のようで、自分から話さないのなら、こちらから聞く訳にはいかない。
年若い人間の少女が、12歳にして使い魔を操ることがどれほど祝福されたことかは分からないけれど、才能があると見て間違いはないだろう。
私の爆弾から取り出した油を地面に垂らして火を灯し、少しずつ2人だけの領土を広げていく。
そうして探索の日々は過ぎて行った。
初めてモンスターに遭遇したのは、ダンジョン内に逗留してから10日も過ぎた頃で、屍食鬼だった。
砂質粘土から造られたレンガと同一の色をしており、気配を潜めるという知能がなかったことから気付くことができたが、ブライスの光球と2人の力を合わせて地面に設置して来たた灯籠の薄暗い灯りだけでは、視覚的には気付くことができなかっただろう。
リッチ先生のように知力を持たないアンデッドの存在は、私達を震え上がらせた。
言葉が通じない、意思疎通ができない、得体のしれない生き物で、見た目も爛れたコボルトのような形をしている。もしかするとダンジョンに生成されたプロトコルにより復活した、犬獣人との融合体なのかもしれない。
「やぁぁっ、どうする!? これ?」
思わず悲鳴を上げてしまう。攻撃手段が自分には乏しい自覚のためか、食事にも困った経験がないためか、私の胆力はピリカに比べてどうも低いようだ。
「燃やしてみますわ。サラっ!!」
ピリカが火の精霊を呼び出し、グールに向かって燃え盛る炎の矢を放った。
顔に直撃したが、痛覚を持たないのかも知れない。怯みもしなかった。
実体があるとはいえ、先を予測する知能や基本的な欲求をほぼ感じないリッチのように死を恐れる感覚すら持ち合わせていないのかもしれない。
「あー、うん、別に倒さなくても逃げてもいいよね」
融合体である故に身体機能は低いようだ。蘇ったばかり? なども考えられた。
そうして私達は、地面に油も引かず、より奥へ迷い込んでしまった。
「そっかぁ、こうして逃げるのも全く問題はない訳ね」
「これまで来たことのある道には火があるだろうし、灯籠を見つけたら辿っていけば帰れるはずよ」
お互いに励まし合いながら、その日は野営をした。
2人いれば逞しくもなれたようである。
翌朝、私達は彷徨ううちに池のような水源を持つ広場に出た。
昨日から話し合って、地面に火を灯して移動することをやめていた。
次に灯籠を見つけたなら、約10日分を要するとはいえ確実にどこかは地上につながっている筈だからだ。
「この水って、飲めると思う?」
ピリカに訊いてみたが返事はない。思案しているようだ。
ダンジョン内に水が湧き出ていることについて、全く別の考えがあったようで、
「ちょっと、この周りだけ火を置いてみてもいいかしら?」
と、やけにいそいそと準備をしている。
その意図に気がついたのは、周囲に油を垂らして大方を照らし出した頃だった。何やら興奮している。
「見て! あそこに小さな茂みが!」
順路以外は舗装された道ですらないので、砂や土や粘土の地面であることはめずらしくもない。
「水を吸い上げた緑なら、植物のうちに毒素も留まってあなたも食べられるでしょう」
うわぁ……。嫌なこと言うな。
「ともかく他の生命が植物にせよ、あるというのは朗報ですわ。完全な無機物だけでは人間は生きていかれませんもの」
行動を共にしているうちに気が付いたのだが、ピリカは私よりも行動力も生存意欲も余程強いのだった。徹底した現実主義者で物事の良い面も悪い面も、ときには実際的でないものは一切かなぐり捨てる勇気もある。
こんな彼女が没落貴族との烙印を押されているのがむしろ解せないくらいだった。何も生み出さず上品ぶっているよりも強く生きる意志を持っている。彼女のような人なら生まれが平民だったとしても一代で爵位を得るのではないだろうか。
本当に死にものぐるいになって欲しいものがあるのであれば、己の階級も外聞も何もかもを投げ捨てて注力すればいい。そうした必死で心からの願いの果てにこそ、栄光があるべきでは?
「この水源そのものから水を得るのは嫌だけど、植物の方ならいいよ、何か試してみようか」
そう返事をするや否や、彼女は全てをぶちっと引き抜いて、悪びれもせずにこう言った。
「よく分かりませんが、地下の水源に繁茂する薬草を手に入れましたので、いちど地上に戻りましょう」
ピリカが収穫物を持って地上に上がるつもりなのことには気がついていたし、そろそろ退却に必要とされる日数も気になっていたため、私達は灯籠を探すつもりで来たと思われる方角を引き返し始めた。
少し行ったところで植物の群生していた一帯から少し離れたところに墓地を見つけたのはピリカだった。
「あれを御覧なさい。誰か来ているのじゃなくて?」
目を凝らすと結構な数の個別の墓と、中央に盛り上がった土まんじゅうが見えた。整えられており、明らかに人の手によるものである。
「どこかに地上につながる道があるのかも」
定期的にダンジョンで墓守をする必要があるのであれば、また闇雲に彷徨って地上への道を見失うよりも、数日待って人が降りてくるのを待つ方が確実だ。
そうして私達は薬草の群生地と墓地を往復する道を覚え、互いに見張り番を交代しながら数日を過ごし――ピリカが不在の間に、私はリッチ先生を召喚して相談も済ませておいた。
「王都の民は砂漠での風葬が一般的であるぞ。ここで行われているのは土葬のようだ。血を一箇所に集めるとなると、3階にはどこか大量のモンスターの出生地があるだろうな。いやしかし、こうして集められた死体の中から親和性の高い肉体同士で再生することがあれば、限りなく人間に近い知能の者が3階にはおるかもしれぬ」
こう言ったかと思えば、
「前回の仮説は忘れてくれ。考え直してみたのだが、ダンジョン全体に1つ下層での融合の魔法がかけられているのであれば、近くに埋める埋めないなどという瑣末事がモンスターとしての再生の仕組みに影響するとは思えない。これまで出現したモンスター達は全く同じ地面に重ねて倒れたとは思えんのだしのう…」
と、先生にも分からないようだ。
ただ今年は墓地を見つけた成果で満足したため、ダンジョンに潜入するのはまた来年で良いということになった。リッチ先生の好奇心に間接的に殺されることがないよう、一年の間に魔法技術を再び研鑽するつもりだ。
ピリカと交代の番を始めてから4日ほど経過した頃、目深にショールを巻き付けた男たちがラバを引き連れて土葬する荷物を運んできたようだった。作業の終わりを待ち、男たちの引き上げの後を付けて、私達は15~20日くらいぶりに無事に地上から夜空を見上げることができた。
***
後期課程が始まる前に、ピリカには商職人ギルドへの同行を頼まれたが、好きに売却すればいいと言って断った。ユウともまだ市街地に出掛けていない。子供っぽい感傷かもしれないが、遊びに行くのなら最初はユウとが良かった。
「鋸草でしたのよ。めずらしくはないけれど元手が無料というのは魅力ですわね。来年もお連れ下さいね」と笑顔のピリカから後ほど報告を受け、冒険者ギルドで買ってきてもらったマップ本を手渡された。後払いでの請願だったが、請求されなかったところを見ると予想以上に鋸草を高く買ってもらえたのかも知れない。
長期休暇のうちに煙幕爆弾の開発に目鼻を付けてしまいたかったし、離れていたハヤブサとの時間をなるべく取ってやりたかったのもあった。
リッチ先生もハヤブサの餌にするためだけに鳥類を育てることはしていない。見ない間に立派に成長していて、既に初めて都市上空で獲物で仕留めていた。本能が備わっているとはいえ、なるべく多く狩りの経験を積ませたい。一方で、慣れている牧畜地の生き物以外で都市部で散歩している地上のペットなどを狩ることがないよう仕込む必要もあった。
昼はそうして活動的に過ごし、夜はマップ本を眺めながら、ときどき寮母さんの食事支度を手伝ううちに長期休暇は飛び行くように過ぎてしまった。
ユウが帰ってきたのはいつも通り休暇明け前日である。
「ねえ、気がついたんだけど、もしかして寮母さんって学園最強の生活魔法士なのでは!?」
「オンナミ先生よりも?」
オンナミ先生とは、魔法植物のノミデス先生と仲の良い、生活魔法のおばあちゃんノームの通り名だ。
「この学園を支配しているプロトコルがノーム言語で作られているからといって、ノームの一般的な言葉だけで使役している先生よりも、実際的な使い方や効率的に体系的に研究して人間でも使えるようになっている寮母さんってすごいと思うんだわ」
「私の着替えの魔法はやはり学園の卒業生である母から習ったの。母は卒業時に総代にもなったほど優秀な魔法使いですのよ。学園のプロトコル外で私に練習させることもできたし、実家は学園のノーム言語を使って魔法を張り巡らせてありますの」
ユウの母もノームではなく人間種だ。
新魔法開発もできるようで、ほぼ最上位クラスの授業を受けているユウが優秀なのも頷ける。
「人間は他言語でも工夫するのが本当に得意よね。エルフ言語で作られたダンジョンでもきっと研究すれば魔法が使えてしまったりするんだろうなぁ」
ユウがまつげの陰から私の顔色を伺っている。ダンジョンに興味を持っていることを薄々勘付いているのかもしれない。失言だったかもしれない。




