図書館の幽霊
鳥の知能には限界があるためか、ハヤブサとは複雑な会話を試みても成立はしなかったが、意思の念を送ってくれる位はしてくれるようになった。「今から帰ります」「ご飯の用意をお願いします」って旦那かな?
高度な言葉で伝えずとも息が合い始め、給餌のタイミングや嘴や爪の手入れの頃合いが楽になり、削りすぎて暴れられることもなくなり、私の腕にも傷つけぬようそっと止まるようになったため、最近では革のグローブを身に着けていない。
ついに意思疎通ができるようになったと言ったときのリッチ先生の狂喜乱舞ぶりは清々しいほどだった。
「吾輩の見込んだ通り、幼鳥時から寄り添えば、通じたか」
「先生が直接餌をあげられないからじゃあ………」
「森エルフには幼少時から親しみのある動物が多数おる。山エルフも同じ環境が揃えば不可能はないと仮説を立てていたのだよ」
したり顔で自慢してくる。
「次はダンジョン内にも同伴できるような大型生物を目指そうかの」
それはちょっと待ってほしい。
確かに攻撃手段に乏しくあるものの、妖獣から育てて成獣になった際は一体どれだけの量の肉を食べることか。獲物を仕留めて血の滴るままに「美味しいです!」とか言われた日には卒倒してしまいそうだ。
「死体食のコンドルや暗いダンジョンで夜目の利くフクロウもいいぞ」
リッチが死体食の推奨などしないで頂きたい。
「そういえば先生、最近は図書館に『出る』って噂になってますけど……」
前期課程の期末考査も近くなって来ている。
図書館で放課後に勉強をする生徒が増え、中には遅くまで本に向かう者もいる。
夜の帳が降りる頃、誰もいない筈のテーブルの上に開かれた本が風もないのにぱらぱらとめくれ――
そう、リッチ先生が風の魔法を使役して本を読んでいるのである。
生徒達はまだ先生が結界の外も彷徨くことができるようになったことを知らないので、暗くなった図書館の中でまさか移動しているとは思いつきもしないようで、学園には図書館の怪談として広まっていた。
「あぁ、あれか……。せっかく本が山程あるというのに読まない手はないだろう。吾輩は視覚をまだ失ってはおらぬ」
夜な夜な図書館の蔵書を読んでは知識を深めているようだ。
先生の顔の肉がこそげ落ちていなければ赤くなっていたことだろう。
「こないだなど気になる記述を見つけたぞ」
気を引き立てるためか話を逸らしてくる。
私としては先生が博識になるほど助かるので構わないのだが、その場面に遭遇してしまった生徒達が気の毒でたまらない。予想しない場面で他者の魔法行使の息遣いに出くわすことに本能的危機を感じずには居られないだろうからだ。
「知らぬうちに真名を使用された場合においても、契約相手の真名を知ることができれば契約を結び直すことが可能だそうだ」
つまり、お姉ちゃんの従魔である水や風の精霊の真名ということだ。
型の違う魔法を立て続けに習得することは通常ではできないとされている。
寿命の短い人間は特に生涯にただ1つの魔法に出会えれば恵まれた方だと言われる。
お姉ちゃんが先に使役することができるようになったのは水の魔法だった。
氷竜を形作って大空に浮かべられる。今でも水のほうが得意なはずだ。
その最初の契約時におそらく気がついたのだ。妹の名を使えば2倍の速度で魔法が習得できる――と。
いつ他の精霊と、どんな契約をして取られるか分からない命と二重契約をしたがる訳はない。
風の精霊とは私の真名で契約している、と思われる。これでは私は生涯かけても他の風の精霊とは契約することはできない。風の中ではもう完全なる独占契約と思われるからだ。
水の精霊の方は双子であり別の魂であることを納得させられたら、気の遠くなる程のいつかには契約することができるかもしれない、という状況だ。
リッチ先生に指摘されたときから、私も図書館で調べ上げていた。
間接的使役にはなるが、彼が私の代わりに風の魔法を使えて本当に幸運だったと思う。
「もしくは真名を使用した相手の魔法使いを殺害するか」
「……」
考えたくないのであまり考えないようにしていた話題だった。
相手の魔法使い――この場合はお姉ちゃんだけども――を殺害すれば、その従魔ごとこちらに移るはずだということだ。絶命の瞬間に契約解除による開放が履行されなかったことに気付いて本来の宿り主を理解するという訳だ。
だが、そもそもお互いに真名を知る以上、お姉ちゃんも私も相手を呪殺する気になれば最初からできるのである。真名とはそうしたものだ。
お姉ちゃんが私を殺していない以上、私もそこまでの決心はできない。私達はこのまま200年ほどの寿命まで離れて顔を合わせずに暮らすのがお互いにとって最良だ。私がリッチ先生と契約したことを知れば、どのような行動に出るか分からない。既に能力の一部を奪われたことのある者として、私もお姉ちゃんには警戒しかない。どれだけ練習しても精霊に降臨して頂けないことから今では私も確信していた。
「やっぱり田舎の寒村には帰りたくないから、先生、私ダンジョン頑張りまーす!」
「心当たりの者は田舎か……、まぁ、そうであろう」
ところでお姉ちゃんは従魔には何を与える約束をしたのだろう――
約束が履行されなければ命に関わるのは私なのだ。
牧畜地から見る落日はいつも二の句を忘れる程の美しさだった。
赤く染まる空、乾いた砂である筈の大地に短い緑の下草が広がる光景。
近くに植物畑を備えた生き物たちの悠々たる四肢。
やがて夜の――リッチ先生の時間が始まる。
「冒険者ギルドのマップ本を買ってきた方がいいのかなあ」
ぽつりとつぶやいた。道案内があってもなくても、そう代わり映えしないのが2階以降の探索なのだろうが、1人で知らない閉ざされた空間を暗闇の中に進まなければならない恐れをどうしたらいいのだろう。もしかすると前人未到の場所かもしれない可能性すらある。歩いた箇所を記入できる安心感に救いを求めたくなる。
貴重な光球を手に入れたが、不安を完全に拭い去ることはできなかった。――守ってあげる、確かそう言っていたんだっけ。嫌いな奴の顔が浮かびそうで、こちらも慌てて振り払う。ダンジョン攻略に集中っと。
「基本的な持ち込み品は結構揃ったんだけど」
寝袋、灯り用の光球、大量の種子爆弾、清拭用の防汚布、各種ドライフルーツといったところだ。
攻撃魔法を何か覚えられたら、荷物の大半を占める爆弾を置いていくことができるのに。
「魔法陣までの道のりが記してあるという訳でもなかろう」
「えぇ、その通りだと思います……」
冒険者は情報の共有をしたがらない。良い狩場があれば内密に通い、生産物を地上に持ち帰って売り捌くのだ。写本しか能が無い冒険者ならともかく、滅多なことでは市場価格が崩壊するような行為をしない。
「見つからなくとも責めたりはせんよ。2階に魔法紋が必ずあるとも限らぬのだから」
効率の良い採集品のある場所が目的ではない。他の冒険者には手つかずであるが故に思いがけない幸運があるかもしれない。
今はそう思い込むしかなかった。
***
私が制服の下にティアードスカートを履くようになってから女子の目が格段に優しくなった。
一緒に歩いても奇異に映らない安心感と溶け込んだ空気がまとわり付くようになったのだろう。親しげに声をかけられる機会も増えて来た。ようやく人間社会の一員と認めてもらった気分である。
「ねぇ今晩、泊まりに行っていいかしら」と、度々言って来るのはルームメイトと揉め事を起こすので有名な貴族女子のピリカだ。彼女が自宅通いにならないのは没落貴族だからなのよ……とまことしやかな噂が流れている。貴族の事情はよく分からないが、寮生活であれば服代も召使い代も見栄を張るための支出が減るという。
今日も頼んで来たので「ユウに確認したらね」と適当に返事をしたのだが――
「先に帰っているわね。鷹のお世話係、頑張って来るのよ」と言われてしまった。
1人になりたい瞬間があるのはよく分かる。
長い螺旋階段を登るのは骨が折れたが、昨年は行き場がなくて学園の校舎隣の高い塔によく行っていた。そこから見る雄大な城郭の外の砂漠の景色も好きだった。
今も塔がリッチ先生の牧畜地に取って代わられただけで、逃げ込んでいると言えなくもない。
ハヤブサの白い喉に夕食(ぷりぷりの生肉)が飲み込まれるのを見届けてから、寮の部屋に帰ると――
「あ、帰って来ましたわ。説明してもらおうかしらね」
「ちょっと、ピリカ嬢!?」
ピリカとユウが何やら剣呑な雰囲気になっていた。
「あなたの持ち物にブライス王子の光球があったのだけど、どういうことかしら?」
見るとダンジョン行きの用意としてまとめていた荷物の中から、人目には触れてはいけない筈のものが引っ張り出されている。光球なんかより爆弾の方がやばいのだけど……。もしかしてただの黒い球体と思って気が付かなかったのか?
「あなた、殿下から盗みを働いたの!?」
「はっ!?」
どうしてそうなる。というか、泊めてと頼んで来ながらも荷物を漁っているのは何故?
これだからルームメイトが何度も変わって定着しないんだよ。ユウと私は互いの荷物を見たりしない。
色々言ってやりたいことが込み上げて来たが、とりあえず事実を言う。
「ブライス王子から頂いたの」
「嘘おっしゃい!!」
「ちょっと、ピリカ!」
血色を変えて飛びかかってきそうなピリカとの間に、ユウが静止に入ってくれる。優しい彼女にはつらい状況だろう。
怖いから入ってきたばかりの背後のドアから逃げてもいいんだけど、窃盗した誤解が解けなくなりそう。
私よりカールが豊かで背中に流れ落ちる茶色の髪。
ピリカに比べたら、私の赤い髪も可愛らしいストロベリーブロンドにしか見えないだろう。
「ほ、本当だもん……っ」
目を瞑りながら、相手が納得できる嘘を聞きたいと言うなら、聞かせてやろうじゃないかという気分になる。ユウに嘘を吐くのは気が重いけれど……
「一年の終わりに王子が表彰された後、ユウは教室から先に帰ったから知らないことなんだけど」
と、彼女を巻き込まないように前置きして続ける。
「私のところにいらして、平民は蝋燭代に困っているだろうからって下賜くださったの」
本当の理由は分からなかったのだけど、自分の中でそういう解釈になっている風に言ってみる。
自分でも腹落ちはしたくない理由で――でも、それ以上にお詫びの気持ちが籠もっているとは思いたくなかったから考えないように奥底に沈めたままだ。分からないことを他人に勝手に推測もされたくないからこれでいい。
「王子、ではなく殿下とお呼びなさい」
どうやら矛を収めてくれたようだ。
厳しかった目つきが和らいでいる。
「そうなのよ~。殿下はとてもお優しい方なの。私のような没落貴族にも分け隔てなくお声掛けくださるわ」
ただの女好きじゃ……、という疑惑が芽生えたが、口に出さないようにする。
「たまたま見てしまって、ごめんなさいね。鞄の中から、ぼうっと光るものがあったから何かと思ったの。あなたも可哀想にね、木の実をこんなに隠し持って……、たまにはお肉も食べませんと力が付きませんわよ?」
すっかり気分が良くなったようで、寝るまでブライス王子についての話を聞かされた。




