33<皇帝結界>
クラリス・エリアロード皇女殿下――。
俺達の住むエリアル帝国の頂点、皇帝陛下の直系の実娘。
リザの家系、ガードナー家が代々警護する一族の一人でもある。
皇位継承権第三位ともなれば将来皇帝の座も狙える位置の、上級貴族をも越える存在だ。
それほどの人物が、武器防具を持たないどころか寝間着姿の軽装で、護衛も付けず単身ダンジョンに飛び込んできている?
ただでさえ夜道を歩かせるのも心配な、年端もいかない華奢な少女なのに……?
<あっりえねえ!!>
思わず声にならない叫びを上げる俺。そして、呆然と立ち尽くすレイン。
「クラリス皇女殿下は、そういう……方なのです」
リザは苦虫を噛み潰したような顔をする。
『そういう』と『方なのです』の間には、ネガティブな言葉が挟まりそうだ。
つまり護衛役のガードナー家も困らされていた、頻繁に一人で外に出歩くような問題児ってことか……。
リザ自身も相当辛酸を舐めさせられているのだろう。
そのクラリス皇女は、涼しげな顔でリザに声をかける。
「流石私の親友ね、リザ。貴方が追い詰めてくれたおかげで、アレを魔道書から引きずり出せたよ」
クラリス皇女はバイオレットの方を向き、臨戦態勢を取る。
バイオレットは傷口を押さえつつ、怯み、冷や汗を流しながら強がりを言った。
「……ごふっ……無理に今、殺す必要も無いわね。今回は見逃してあげるわ」
魔獣バイオレットは、出てきた魔道書の元へ戻ろうとした。
すかさずクラリス皇女は小さな魔杖を振り下ろし、カードの刃を数枚放つ。
魔道書はあっという間に切り刻まれ、紙屑に変わった。
「逃がすわけないでしょ、いままでどれだけ追いかけっこさせられたと思ってるのさっ」
バイオレットは舌打ちし、別の本棚へ向かい走り出した。
――まさかあの魔獣、本なら何でも入れるのか!?
クラリス皇女はすかさずカードを先回りさせ、バイオレットの伸ばした手を貫いた。
「本の中に戻るには随分と手間がかかるみたいだね。残念だけど、その隙を逃すほど甘くないのさ」
バイオレットは青筋を立てて怒りを露わにし、声を震わせる。
「……貴様ぁ、皇帝家の顔を立てて、こちらが穏便に済ませようと譲歩してやったのに――もう良いわ」
バイオレットは魔力を解放し、本気を出してきた。
耳障りな羽音が響きだし、平衡感覚を狂わせ、強烈な吐き気と目眩を引き起こす。
リザ、レイン、そしてクラリス皇女も思わず耳を塞ぐ。
高慢な態度を取り戻した魔獣バイオレットは、微笑を浮かべつつ講釈を垂れる。
「自身を本の中に潜めるには魔力を制限する必要があるの。まだ実力の10分の1も出していなかったことにすら、気づいていなかったようね。この死蝶バイオレットと対等な勝負ができると勘違いした時点で、程度はたかが知れたものね。ここで無様に死になさい」
バイオレットの右手が鋭い槍状の刃物に姿を変わり、猛スピードでクラリス皇女の方へ突っ込む。
周囲に飛び交うカードの防壁を軽々と貫き、皇女の細い首元へ刃が届いた。
確かな手応えを感じバイオレットが笑みをこぼすが、すぐに違和感に気づく。
首の皮一枚のところで、右手の刃がぴくりとも動かなくなった。
今度はクラリス皇女が微笑し、罠にかかった哀れな羽虫を見つめ返す。
「【皇帝結界――――Queen of Hearts】!!」
クラリス皇女が口を開いてもいないのに、詠唱が響く。
条件を満たすと自動発動する、カウンター型の魔術……!
目にもとまらぬ速さで魔術結界が周囲に構築されていく。
屋内にいたはずなのに、俺達の天井から壁から何までが夜の星空で埋め尽くされる。
さらに床面に無機質な光の線が走る。
縦横走る光の線は、一辺1メートル程度の8×8マスに区分けされた方眼紙を描きだした。
縦軸には数字の1~8、横軸には英字のa~hが振り分けられている。
これは――チェス盤?
気づけば、俺達の立ち位置が元と変わっている。
俺とレイン、リザはクラリス皇女と8列目の最奥に一列に並ぶように配置された。
対するバイオレットは2列目、少し離れて位置している。
「……何の遊びかしら? こんなふざけた結界で、この私を殺せるとでも?」
困惑するバイオレットに対し、クラリス皇女は挑発をかける。
「先手をどうぞ。貴方の動きが止まるまで、私はここから一歩も動かないよ」
「何をバカなことを。首を洗って待っていろ」
バイオレットは再び手先を鋭く変形させ、クラリス皇女の方へ飛び出す。
その足取りは、たった2メートルほどで不自然に停止した。
バイオレットはそこで、身動き一つ取れなくなる。
「何だ!? いっ、一体何が」
「貴方はd2のポーン、前に2マスしか進めない。今度は私の番。私はd8のクイーンだから、前後左右斜めに無限に進める」
クラリス皇女は手元に1枚のカードを生み出し、バイオレットの元へゆっくり歩く。
魔獣の息づかいが聞こえそうなほどまでに接近するが、バイオレットは変わらず指先一つ動かすことが出来ない。
そして、手元の小さなカードでクラリス皇女はバイオレットの首を掻き切った。
「この空間であらゆる防御は意味を為さない。そういうルールのゲームだからね」
切られたバイオレットの体が光の粒となり、粉々になっていく。
その光の粒はクラリス皇女の手元のカードに集まっていき、全てをその中に収めた。
「チェックメイト」
クラリス皇女の言葉と共に結界が消え、俺達は元の図書迷宮に戻っていた。
戻った後も、位置は結界内での移動が反映されたものになっている。
レインとリザ、地面に突き刺さった俺は横並びで、クラリス皇女は4メートルほど前方にいる。
魔力励起の痕跡は、全く無い。
これが、この特殊結界が神出鬼没の理由か。
結界という異空間を経由することで、障害物を無視しながら誰にも気づかれること無く移動が出来る。
そして、それさえ本来の用途ではなく、あくまで副次的な効果なのだろう。
特筆すべきなのは自身を対象にする攻撃行為をトリガーに発動する結界魔術ということ。
一族を狙う暗殺者を葬り去るため魔力回路に刻まれた、皇帝家に代々受け継がれる強力無比な自動防衛システム……!
クラリス皇女は笑顔でリザに近づき、声を掛けた。
「これにて一件落着ね、リザ」
「え、ええ。」
うろたえるリザの背中を、クラリス皇女は元気づけるように叩く。
「だーいじょうぶ、心配しないで。この一件は私の権力で握りつぶしちゃうから」
「は、はい。ありがとうございます……」
「そんな固くならないでよ、敬語じゃ無くてもいいのにさー。あっそうだ! 握りつぶす代わりに、ちょーっと頼み事があるんだけど」
『頼み事』と聞いて仕事モードに入ったのか、リザは凛として答える。
「はい、何なりと」
クラリス皇女は魔剣の俺を指差した。
「その面白い魔剣、一日貸してくれない?」




