綱渡りの世界
あの遊び面白いよね
君はいつも下を向いて歩くね、そう言ったのかい?なら歩きながらその訳を教えよう。ああ、もう少し右によった方がいい。
餓鬼の時分アスファルトに敷かれた色違いのタイルが気になって仕方なかった。誰にでも似たような経験があるんじゃないかな。いつも白いタイルを踏まない様に歩いてた。そしたらある日確信したんだ。
白いタイルの上にのるといなくなる
意味が通じにくかったかもしれないな。つまりさ、ソイツの存在が無かったことにされるんだよ、過去も今も未来も。
例えば今、僕が君の目の前で急に消滅したとしたら「消えた」ということすら君は知覚できない訳だ。君は何事もなかったかのように歩き去ることだろうね。
もちろんそんな危ない場所がそこら中にある訳じゃない。あったらこんな話ができるまで生きてられないよ。数多あるタイルの中にポツポツと隠れているんだ、ソレは。
どうしてそんな物が存在するのか、今でもまるで見当がつかない。神や悪魔の仕業にしては余りに無意味過ぎるように思う。もっと、自動的な物なんじゃないかな。りんごが地面に向かって落ちていくようなものだと思うんだ。
是がどれだけ理不尽な話かわかるかい?
僕はこの事に気付いてから外出する時はより一層周囲に注意を払うようになった。なにせ命がかかっているからね。そうして分ってきたが、そうやって不運な奴が消えるとその場面を見ていた連中の記憶が修正される際に齟齬が起こるようなんだ。既視感というやつだよ。一度見た風景が今度は一人抜けた姿で再生されるのだから覚えがあって当然だ。
そのことを念頭に置いて生活していると酷く嫌な考えが頭に浮かんでくるんだよ。実を言うと僕は自分に弟がいたのじゃないかと疑っている。
持っていなかった三輪車、通ってもいなかった幼稚園、誰かと遊んだ筈のシーソー、どれも自分とは関連のない事柄の筈なのに側を通ると強い既視感に苛まれる。一体これはなんなのだろうね。
小さい弟の手を引いてやっている兄を見た時に、自分はとても大切な奴を置いてきた気持ちに襲われるんだ。自分が泣いてやらなきゃいけない気分になるんだ。
昔泣き虫だった奴が言っていた言葉を思い出す、「泣けぬことは哭くより悲しい」、本当に、そう思うよ。
どれだけこの世界が不安定なものか、それを考える心底とぞっとする。象や亀や蛇の上に乗っているのと何も変わりはしない。
ずっと考えてきた、何で自分にだけこの事実が「わかった」のか。そこで辿り着いた結論はこうだ。今、僕が君に話しているように昔、誰かが僕にこの事実を「話した」。そしてのっかってしまったのだろう白タイルの上に。後にはその話だけが残されるってね。それが誰だったかは非常に興味があるけど今となっては知る手段が無い。とても残念だよ。
さて、ここから先は白いタイルしかないが君はどうする?僕はもちろん引き返して別の道を探すよ。信じる信じないは君の自由だ。
さあ、どうする?
[完]
いや、ほんと、まじで