由美の場合
東京都江東区住吉駅そばにある「トークバンク」という喫茶店。ここにはいつも悩めるお客さんが訪れママに話を聞いてもらっている。
由美の編
「この喫茶店いつからやっているんですか?」
確かにここ暫く贔屓にしてくれてるお客さんだ。誰かの紹介で来てくれてのではないお客さんにしては珍しく、多分最初からカウンター席に座っていて、この時初めてママに声かけてきた。お客さんが他に誰もいないのもあって話がはずんだ。
「3年目なんですよ。貴女は住吉に住んでいるの?」
「由美っていいます。菊川に住んでいます。」
「隣の駅の?」
「彼氏が住吉に住んでいるんです。もうじき結婚するんです。」
真剣な顔で真っ直ぐに言うから少し驚いたが、
「それはおめでとうございます。彼氏さんは何歳の方?って失礼だったかしら。」
と言うと
「いいえ。彼は35歳で私は30歳です。」
由美はそう答えた。千代ちゃんと同じ歳なんだぁ。ママは由美の大人びたというより疲れた感じにびっくりした。これから結婚するという一番幸せな時期なのになぜこんなに疲れた感じがするのだろう…。と思いながら由美と話した。
話によると彼は同じ職場でウェイターをやっているらしい。由美は同じ店で契約している歌手らしい。
そこへ千代の友人で来月挙式する優が入ってきた。
「あら優ちゃんいらっしゃい。結婚式の用意は進んでいるの?」
「今日は結婚式の招待状を持ってきました。」
「あらぁ。ありがとう。出席させていただきます。」
とママが言うとそこへ声かけたのは由美だった。
「あなたも結婚するの?私も近々結婚するの。祝電送っていいですか?」
びっくりしている優に
「こちらは由美さん。こちらは優さん。」
とママが紹介すると、優が
「ありがとうございます。うれしいです。軽井沢ブリリアントホテルで6月10日11時で名前は城田優です。」
嬉しそうに答えた。ママがすぐにメモって由美に渡した。
「私も祝電送ります。」
と優が由美に言うと
「私はそのぅ…。まだ決まってないので…。」
由美は困った素振りをみせた。
そうだ!由美は彼との結婚の話になるとどこか物哀しい感じがする。結婚はすると言うものの、詳しい話はしたがらない。
「後から彼が来るから、先にミルクティーお願いします。」
優は女の目線から見てもキュートでコケティッシュな感じの今時の女の子だ。こういう女の子がさりげなくいい男をつかむんだなとママは思った。
「ママー。もう帰ります。」
と由美が言った。
「あ、はーい。ありがとうございます。これからお仕事?」
「そうなのよ。あ、ママさん店に遊びに来てよ。」
と、財布から名刺を取り出して渡した。
「私の携帯番号書いといたから何かあったらよろしくね。」
と言うとにっこり笑って帰って行った。
それから由美は時間があるとトークバンクに顔を出すようになった。由美は六本木の「月下美人」という店で歌手として働いている。彼はウェイターなのだが、収入がはるかに由美の方が良いらしい。歌もとても上手くて、シャンソンやジャズなんかもリクエストがあると歌うそうだ。由美の容貌がもう少しよければ一流の歌手になれたのじゃないかな…とママは思った。
そしてそのうち由美は彼氏である悟のことを愚痴るようになった。実は悟はパチンコにハマりお金がなくなると由美に無心するようになっていた。家賃も平気で滞納するし、その都度由美が支払ってあげていた。
そんなある日、我慢出来なくなった由美は怒り狂い
「金返せよ!!パチンカス!!」
と詰め寄った。悟はそんな由美をしっかりと抱きしめ
「由美!由美は疲れているんだよ。そうだ!結婚しよう。」
と言った。由美は嬉しさと幸せとで泣きながら何度もうなずいた。悟のために何でもしようと、この時思った。
由美は幸せだった。美人とはいえない容貌の為歴代の男たちには苦労され続けてきた。
ある日ママは由美の携帯に
「由美ちゃんの店に今日行って平気かな?」
と電話をした。由美は喜んで
「わかった。六本木に着いたら電話してね。」
と言った。
ママが六本木駅に着いて電話をするとしばらくして由美が小走りでやってきた。
麻布十番の方に歩いて行ったところに「月下氷人」という店があった。店での由美は生き生きとしていて何より歌が上手い。
「ねぇ、由美ちゃん。悟さんは?」
と言うとすぐに悟を伴ってきた。
「こちらがトークバンクのママさんです。」
「ママの近藤です。」
「いらっしゃいませ。今日は楽しんでいってください。」
ふつーうの青年でびっくりした。ママは久しぶりに六本木の夜を由美の歌で楽しんだ。
2、3日して、ママがまた由美の携帯に電話をした。
「ねぇ、由美ちゃん、今お店に誰もいないからでかけてこない?」
「私も伺おうと思っていたところだったの。すぐに行くね」
「先日はわざわざありがとうございました。ねぇ、ママ、彼のことどう思った?」
来るなり由美が言った。
「それだけど、由美ちゃん。はっきり言うけど彼はやめた方がいいと思う。由美ちゃんは由美ちゃんとしての仕事が確立しているのだから、もっと良い人が見つかると思うの。」
由美は大粒の涙をポロポロこぼしながら
「悟は結婚しよう!って言ってくれたんよ。私絶対悟と結婚するのっ!」
と言う。
「由美ちゃん…。」
「私絶対結婚するの…」
泣きながらそう言う由美にママはこれ以上かける言葉もなかった。きっと悟は軽い気持ちで結婚というワードを使ったのだろう。由美は疲れた日常の中でそのワードに縋りたくなったのだろう。
それからまた一週間位して由美が来た。
「悟が仕事辞めて故郷に帰って農業継ぐんだって…。」
と言う。
「ねぇ、由美ちゃん!本当に悟さんの事は忘れなさいよ。由美ちゃんは今のお仕事で立派に食べていけるじゃない。男に頼らなくても大丈夫じゃない!」
「ママ。私ね。私も仕事辞めて悟の故郷に行こうと思ってるの。」
「何言ってるの!由美ちゃん…。」
「ママ…。私ね。ほんとは解ってるの。悟が私と結婚なんてする気がないことも。私自身女として売れる程の魅力も若さもないことも。でもね、どうしても悟のそばにいたいの。馬鹿だよね。解ってるんだけどね…。」
「そこまで言うなら、私何も言わないわ。故郷ってどこなの?」
「福島県の会津なの。私、六本木でもやってきたんだから、会津では半年でちぃママよ!!」
由美ならやってのけるだろうなとママは思った。
「悟さんはなんて言ってるの?」
「ううん、なんも…。ウザいだけなんじゃないかな。」
「いつ会津に行っちゃうの?」
「今月いっぱいで店辞めて6月になったらどこか店探すわ。もうオーナーには辞めるって言ってあるの。」
「そっかぁ…。寂しくなるわね。落ち着いたら連絡ちょうだいね。」
「はい!ママには本当にお世話になりました。」
由美はそれを最後に来なくなり、連絡もこなくなった。
ママは時々思い出すが由美のことだから元気でいるのだろう。
優にはきちんと祝電がきて
「ご結婚おめでとうございます。私もすぐに結婚します!!」
と綴ってあったという。