第三章 カスピ海行
第三章
カスピ海行
(河本潤の報告)
1981年10月5日(月)
チーホル秘書長の手筈は完璧だった。我我は5時半に958号室に集合した。6時半に3班に分かれてホテルを出発した。護衛がどこに配備されているのか、私には分からなかった。私と御手洗は別別の車に乗った。ヤヒモナのスタッフがそれぞれ1名同乗した。私はサングラスを掛けて、後部座席に乗った。車が動き出すと、指示に従い身をかがめた。チーホルに言わせると、『出発時、万が一の安全措置でかがんでもらうが、本来そっくりかえっていても問題ない』とのことだった。
ホテルを出て私の車は北に走り、それから東へ、更に南へと時計回りにテヘラン市内をユックリ移動した。御手洗が乗った車は反対に、先ず南に向かい、それから東へ、次には北へと時計と逆回りに移動した。我我はアバサバード通りで合流し、更に1本北のパリジ通りまで進んだ。それから、とあるクチェ(小道)を南に下った。突き当りで車を降り、案内されるままに車も通れぬ狭い路地を歩んだ。3分程で元のアバサバード通りに抜け出た。そこには別の車が待ち構えていた。車を乗り換え、今度はスピードを上げた。エルブルズ山脈に沿ってカラジ高速道路を西へ走った。尾行車はなかった。
最後にホテルを出た長嶋・畑守班にはチーホルも同乗した。別の大通りで、我我と同じような手法で尾行車をまいた。いや、もう誰も尾行していなかったかも知れない。我我全員が集合したテヘラン郊外には迷彩服姿の護衛が待ち構えていた。手筈が決まっているからだろう、彼等は一言も喋らない。肩に機銃をかかえていた。我我はミニバスに乗り換え、護衛が乗った先導車に続きラシッドへ向け出発した。
テヘランから西へ100キロ程進んだろうか、車列は次第に荒荒しい裸の山脈に接近した。巨大な岩山の間の曲がりくねった道を縫うようによじ登り、おどろおどろしいカーブを何回となく進むと、時折数百メートル下に川のせせらぎが光っていた。ちょうど山脈の中腹辺りに辿り着いた頃だろうか、前方に人工的なオブジェが灰色の姿を現した。カラジダムである。雪解け水をせき止め湛えている。陽光は何本もの稜線で遮られ、窪んだ山腹の日陰には残雪が糸を引いたように残っている。稜線の更に奥まったかなたの一段高い山頂は万年雪をかぶり輝いていた。静寂があたりを支配し、澄んで涼しげな大気に包まれている。テヘランの暑さが別世界のようだった。長嶋の件も一瞬の夢ではないかと思えた。当人は湖面やそそり立つ岩肌を交互に眺めていた。時折ブツブツと独り言を放つが意味は聞きとれない。
ダムを越え、更に進むと山間に潜むように細長い集落があった。真っ直ぐで背の高い広葉樹が最後の一葉を振り落とし、早くも冬支度の仕上げに入る時節だった。寂しげな集落を幾つか通り過ぎたあと、我我の車は再び山道を縫い上がり、せせらぎと別れを告げた。低木帯がところどころに見えるだけの九十九折を車は喘ぎながら進み徐々に天空を目指す。突然、前方を厚い霧が走り視界を遮られたか思うと、漸く分水嶺を通り過ぎた。テヘランを発ってから3時間半以上経過している。なだらかな下り坂は、いつか断崖絶壁に糸を貼り付けたような、頼りなげに曲がりくねった道に変わった。道の上にも下にも切り立った崖が数百メートルも続いている。そこに道があることも、そこを車で移動することも奇跡に思われる。無力感と畏怖感を全身で感じながらカスピ海に向かった。カスピ海は海抜ゼロ以下である。3,4千メートル級の山脈から平地に戻ると、緑も濃くなり、まるで日本の農村のような風景になる。しかも、栽培されているのはジャポニカ米、昔日本の技術者が紹介し、今もジャポニカ主体で農業が営まれている。我我は7時間近く費やして漸くラシッドの町に到着した。目の前に広がる大海原の真向かいはロシアである。ロシアだけでない、アルメニア、アルゼバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンと、カスピ海周辺は民族のるつぼになっている。
「河本さん、当分ラシッドからオナキの業務もフォローすることになるのでしょうね?」
カスピ海の水に手を預けながら畑守は私に確認した。
「そりゃそうだ。君がやらないと誰がやるのだ。私もそろそろ自分の仕事に戻りたい。でも、イルロジとの折衝だけは放り出せない。テヘランに戻ってひと踏ん張りだ」
畑守は頷いて話を続けた。
「今度の件では、私は本当に自分を非力に感じました。こちらの人には敵いません。正直イルロジ社長は怖いし、気合負けします。あの目で睨まれると見返すことも出来ません。私一人だったら震えあがっちゃいますよ。チリウイア副社長も物腰は柔らかいが凄腕です。しかもあの若さです。だから長嶋さんの気持ちも良く分かります。イルロジとやり合っても、ヤヒモナと掛け合っても歯が立たないのです。情けないけど相手がずっと格上に見えました。問題が起こっても私は頼りないし、相談に乗れません。長嶋さんの負担も半端じゃなかったでしょう。こんなじゃ何年たってもイランでは仕事が出来ないように思います。頼りない話をして済みません」
見ると長嶋は10メートルほど離れたところで海辺にしゃがんでいた。小砂か何かを弄っている。我我の話が聞こえていないようだし、関心もないようだった。野心が全身からほとばしって、功名心が溢れ出て来るような商社マン。仕事一途の、あの迫力はどこかに消えてしまった。紅忠マンが通った後はぺんぺん草も生えない。世間ではそのように評判が立っている。が、結局井の中の蛙だったのだろうか。
「長嶋さんは腑抜けたようになっています。でも、当然です、命を狙われたのですから。まるであそこに私自身がいるように感じてしまいます」
畑守は長嶋を眼で追いながら呟いた。
「畑守君、そんなに卑下しなくても良いよ。今回の事は結局金目当ての喧嘩みたいなものだ。勝っても偉くないし、負けても卑下することは無い。それどころか、勝つと自分が偉いと錯覚したり、傲慢になったり、敗者を蔑んだりする。碌なことないよ。それに」
私は笑いながら付け加えた。
「これは支店長の話の受け売りだけど、三十六計逃げるに如かず、という言葉もある。逃げるのを敗北と考えない、負けるが勝ちなんて、なかなかしゃれているね」
畑守も納得顔で笑った。気持ちが落ち着いたのだろう、畑守は話題を変えた。
「それから一昨日でしたか、私は小菅支店長と話をしました。佐藤駐在員と電話してたんですが、それが支店長の方に回されたのです」
「心配しておられただろう?」
「はい、
『自分が動けなくて申し訳ない、安全が一番だから無理をするな、河本君はこういう時に信頼出来る、何でも相談するように』
というようなお話でした」
「いや、私が適役かどうか、自信がない。現実問題としてね、イルロジのチリウイアは大敵だ。こちらに弱みもあるだけに、うっかりしたことも言えない。解決の手口すら見つからなくて四苦八苦だ」
「でも、支店長の信頼は相当なものでした。河本さんに任せておけば安心だって。それからもう1つ仰ってました」
「何だろうか?」
イルロジ関連で、支店長から指示があったのだろうか?
「はい、私にとっては意外なお話でした。電話を切ろうとしたら、
『畑守君、こういうビジネスは駄目だね。時代が変わってきている。私も偉そうなことは言えない。得意げに小豆ビジネスをやったことがある。世の中って難しいものだ。何がよくて何が悪いか簡単に決められない。しかし、これは犯罪だ。どんなに取り繕うが不正行為だ。商社では麻薬取引が駄目で、小豆ビジネスなら許されるのか?どうして我々の判断力がマヒするのか?金の為か?会社の為か?』
と仰いました」
「君はどう思う?」
「はい、私は学生時代、英語が好きでした。海外旅行するのが夢で一生懸命アルバイトしたものです。シベリア鉄道でヨーロッパに行ったのは忘れがたい経験です。でも、商社のことなど何もわかっていなくて、わからないままに気が付くと紅忠に入社していました。貿易を通して自分自身が何か社会に貢献できる、給料も入るし、一挙両得と見えました。貿易は平和の象徴のように思えました。でも、実際には1にも2にも利益、利益で、しかも次第に違法行為にも痛痒を感じなくなりました。こんなじゃなかったと反省することもありますけど」
そう言って畑守は大海原の水平線に眼を送った。
「私も畑守君と同じだ。他人ごとじゃない。いつ初心を忘れてしまったのだろう?気が付けば小豆ビジネスのプロでは悲しいね、論外だ。論外の筈だが、我我は目を瞑っている。少なくとも片目位は瞑っている」
「支店長はロマンチストですね」
私にも思い当たることがあった。
「うん、そうかもしれない。僕はある時こんな話を聞いた。唐突なので驚いたが、ちょうど囲碁を一局終えた後のことだった。その日は支店長宅で朝から仕事の相談をして、それから碁盤を囲んだのだが、
『河本君、私のお袋は糖尿で、最後は認知症を患い亡くなった。テヘランに赴任する直前のことだった。子供である私の記憶もお袋からは次第に薄れて行き、何とも言いようのない経験だったね。お袋は親父の商売が左前になった後、長らく保険会社の外交員として家計を支えてくれた。お袋が働いてないと、私は大学に行けなかったと思う。保険会社を辞め20年以上経っているのに、まるで今も働いているように話をした。更に
〈急にまた戻って欲しいと会社から言われてなあ〉
と現実にはあり得ない相談を持ち掛けられた。要は認知症でおかしくなっていたのだ。そんな時、私はもう少し時間を割いて優しく話に耳を傾けるべきだった。仕事を抱えて余裕がなかったんだろうね。が、勿論それは私の勝手な言い訳だ。家の壁には我我子供たちや孫たちの名前と生年月日とか、住所や電話番号、会社の名前や所属部署や電話番号とか、更にはお風呂の火を消すのを忘れるなとか、あちこちに丁寧に、大きな字で書いた紙を貼り付けていた。糖尿で目が悪くなっていたからね。最後の頃の注意書きは殆ど平仮名で記されていた。お袋なりに認知症と必死に戦っていたのだろう。今思い出しても涙が出てきそうだ。本当に情けない話だが、私は結局無力で何もしてやれなかった。今までの自分を振り返り後悔する種は多い。が、一番がこれだね。親父もお袋もあの世へ旅立ってしまった。まあ、親孝行したい時には親はなし、という諺を地で行った後悔だ』
支店長は碁石を一つつまみ、パチッと碁盤に打った。
『ひとって、男でも女でも、優しさや思いやりが一番大切と思う。決して仕事の能力じゃない』
その日は色んな話をしたが、何のことない、他のことは覚えていない。この話だけ覚えている」
長嶋は相変わらずぽつねんと砂浜に佇んでいた。
「支店長は仕事だけのひとじゃないのですね」
「誰だって仕事だけじゃないだろう。長嶋も、仕事で何があったにせよ、命を狙われたんじゃ割が合わない」
しかし、現実問題として悠長に構えておれない。ヨーロッパアルプスに繋がる大山脈を横断しカスピ海に来たのも目的はただ一つだ。仕事上のトラブルで追い込まれた出張員の、さしあたっての安全確保だ。
「河本さーん」
後ろから呼びかける声がした。チーホルだった。傍にアリもいた。
「そろそろ別荘にご案内します。我我はテヘランに戻りましょうか。町長や警察署長にはヤヒモナ社長の方から挨拶の電話が入っています。我我が行く必要はありません。遅くなるとテヘランに戻るのが真夜中になってしまいます」
「了解です。長嶋と畑守は別荘でお世話になります。私と御手洗はご一緒にテヘランに戻ります」
「私共のアリは当分別荘に残ります。畑守さん、ご不便があれば何なりとアリにお申しつけ下さい」
チーホルは穏やかに提案し、ブルーの瞳でニッコリ笑った。チーホルは昨晩から殆ど寝ていない筈だ。我我が休んでいる間に、昨晩の警護と、コモドールホテルを尾行されないで出発する手筈とを、ひとりで差配したのだ。腹も座っている。肉体的にもタフだ。しかも我我に対する配慮も行き届いていた。イランには凄いのがゾロゾロいるものだ。
さあ、戦場に戻ろう。そこに待ち構えている相手が居る。が、その前に『避難民』を安全なアジトに移動だ。私は久し振りに見るカスピ海を平和の象徴のように感じた。まだ日差しは高いのに東の空に半月状の月がうっすらと見えた。日本で見る月と少しも変わらない。海を眺めていると気持ちが落ち着いた。そして今から戦場の街、テヘランに引っ返すのだ。良いも悪いもない、そこに自分の役割がある。
1981年10月6日(火)
テヘランに戻り、私は担当の案件で、バザール近くのアミールキャビール通りに行った。イルロジの事務所から東の方へ1キロも離れていない。この通りはタイヤや自動車部品の問屋街として名を馳せている。世界中のタイヤが並んでいる。グッドイヤー、ファイアストーンと言った米国ブランドのタイヤでもお金さえ出せば手に入る。イランではタイヤがひっ迫していた。商品があれば幾らでも売れそうだった。で、イラクとの戦争が続いているのに合弁でタイヤ工場を作ろうと提案を受けた。以前からコンベアベルトや高圧ホースで取引がある先からだった。『今なら別格の条件、且つ、短時間で許可が取れる。既存のタイヤ工場を買い取るのも可能だ。投資金額が平時の4分の1程度の格安で済むのでチャンスだ』と大変積極的だった。戦時中に合弁と言われても?がつく。しかし、提案に端からノーでもないだろう。またタイヤ業界の最新情報を把握するのに絶好の機会だった。
事務所に帰ると御手洗が神妙な顔で私を迎えた。
「どうした、何かあったのか?」
「はい、二つほど」
「一つ目は?」
「昨晩社宅寮の門の鍵が壊されました。誰も気付かないあいだの仕業でした。特殊な技能を持つプロの仕業ではないかと言われています。怪我人はいません。犯人の目星も付きません」
盗みが目的でなければ『脅し』が目的かもしれない。私は聞き流すことにした。
「目星が付かないなら用心する以外にないね。二つ目は?」
「昨日、我我がいない間にイルロジの社長やチリウイア副社長達が来社されたらしいです。大荒れで長嶋さんと話がしたいと、また『これが告訴状のコピーだ』と下書きを置いて行かれたようです」
「誰が応対したのだろう?」
「支店長と佐藤駐在員です。これが佐藤駐在員のレポートです」
見ると『内部資料:イルロジ来社報告 1981年10月5日』とタイトルにあった。
「既に本社にはコピーを送付済みです」
「御手洗君は読んだのか」
「一通り目を通したところです。話した内容や論点は我我がイルロジを訪問した時とほぼ同じと思われました。違いは告訴状のコピーを持ってきた事です。それから当事者の長嶋に会わせろと要求したそうです。現在支店長は外出です。佐藤駐在員は繊維部の部屋に居ます」
「じゃあ、降りて行って直接佐藤君から昨日の話を聞こうか。それから、この種の書類は常に1セット畑守君用にも作っておいて欲しい」
「了解です」
と言うが早いか、御手洗は社内電話で佐藤駐在員を呼び出しに掛かった。
私はその日から3日連続でイルロジと折衝を続けた。オナキとの大型契約のフォローは、ラシッドの畑守出張員とテヘランの佐藤駐在員で片付けてくれた。イルロジと面談する時には、小菅支店長の指示通り、御手洗か佐藤が同行した。『河本さん、おかしな話だ。長嶋さんもいないが、あとの2人、大室さんも畑守さんも消えてしまったじゃないか』ある時、イルロジ社長は私を突きあげた。『元元、この話は長嶋さんが中心で、そこに大室さんと畑守さんが参加していた。ところがその3名が誰も居なくなるなんでおかしいじゃないか。どこかに匿っているのではないか?』と、横からチリウイアも『せめて大室さんか、畑守さんが出席して頂かないと話が進展しませんね。貴社が本当に問題の解決を望んでおられるなら、当然3名の内どなたかが出席すべきでしょう。貴社の誠意を疑ってしまいます』と畳み込んだ。また、交渉相手として小菅支店長の出席を求め出した。
ヤヒモナの協力は期待以上のものだった。警護、宿泊、食事、通信手段等万全だった。畑守がラシッドに居ながら契約のフォローが出来たのも別荘があったからである。電話による連絡は極力控えるようにした。必要な場合は別荘の方から連絡を取るようにした。テヘラン事務所の方から電話を掛けると、誰かが傍聴しやすくなる、また電話を掛けた先が追跡されてしまう。現在、別荘以外に安全を確保する場所が無いのだ。我我は長嶋が別荘に匿われていることがばれるのを一番恐れた。長嶋の安全確保が最優先だった。
「ヤヒモナのお陰で最低限度の安全性は保たれている。でも河本君、本当は国外脱出がベストだろうね。幾ら安全な別荘と言っても、イラン国内である事は変わりない。不安が付き纏う」
「支店長、ここに出国する場合のフライトをリストアップしました」
と御手洗はリストを関係者に見せた。
「これが1週間のフライトスケジュールです。出国先としてはフランクフルト、ドバイ、カラチ、不定期便で北京、モスクワ、イスタンブールくらいです。どの便も常に満席ですが、3日間の猶予があれば予約の方は何とかなると思います。また乗客名を突如変更することも可能だと思います。例えば小菅支店長名でフライトを押えておいて急遽私の名前に変更することも可能です。但し、条件があります。出発前々日までにチケット代金の払い込みを済ませる必要があります。払い込みが完了しておれば、そのエビデンスを持参して空港で乗客名を変更出来ます。それからビザの関係で、我我の出国先として望ましいのはフランクフルト、ドバイ、イスタンブールが優先されます。イスタンブール行きは不定期便なので、結局フランクフルトかドバイと言うことになります。このような方法でフライトを押える場合、エコノミークラスでは難しくなります。割高になってもビジネスクラスの片道チケットを確保する必要があります」
御手洗の説明を受けて、私の方からも報告した。
「一方で現在の長嶋の症状が問題です。ひとりでは出国させる事は出来ません。同行者が必要なので、チケットは最低限2枚必要となります」
それを受けて御手洗が追加報告した。
「フランクフルトまでの片道ビジネスクラスは約2千ドル、2名で4千ドル、余裕を見て7日間連続でフライトを押えておくと2万8千ドルの出費となります。また、一旦払い込めば、あとでキャンセルしても払戻金はありません」
「河本君、どうしようか?国外退去、イラン脱出というのは選択肢の一つだね」
小菅支店長は私にそう尋ねた。しかし、もう腹の中は決まっているのだろう。私も今の調子で神経をすり減らす位なら、長嶋の出国を検討すべきだと考えていた。
「もし、イルロジとの交渉が早期に決着を見るならその必要は無いでしょう。これは見通しの問題ですが、正直なところ現在膠着状態です。簡単に合意点を見つけられるとは思いません。イルロジにとって、稼ぐ方法は一つしかありません。紅忠から『お見舞い金』を徴収することでしょう。イルロジの要求額は現在2億円です。はあそうですか、払いましょう、と言えるような金額ではありません。我我は守りの立場なので、時間を掛けて交渉するのも止むを得ないと思います」
「つまり、長嶋がいなければジックリと交渉することも可能だと、そういう判断だね?」
「守りに入っている我我が解決を急いでも、良い結果になりません。足元を見られるのがオチです。我我のアキレス腱はどうしても長嶋でしょう」
支店長は『よし、分かった』と私の方から御手洗の方に眼を移し、結論を伝えた。
「行き先はフランクフルトでルフトハンザ便。2名分のビジネスクラス、私が指示を出してから1週間連続で2名分の座席を確保して欲しい。決行期間の、2日前、余裕があれば3日前に御手洗君に連絡する」
「このような計画は人数を絞るべきなので、支店長、河本、御手洗君の3名で実行時期や手筈の詳細を決めることで如何でしょうか?佐藤君は繊維担当なので、動けば御手洗君以上に目立ちます」
「それが良いね。今日の話は本社に対しても口外無用だ。必要とあれば、私が責任を持って関係先に連絡する」
同席した佐藤駐在員も頷いた。支店長の決断で計画を立てたがタイミングがずれれば2万8千ドルがお釈迦となる。主幹者と言うのはこのような決断をいとも簡単に下せるのか。それともこれは小菅支店長個人の実力だろうか。
1981年10月8日(木)
ところが・・・事態は急変した。私が書類を整理していると佐藤駐在員が飛ぶように来た。青い顔色に緊迫感が漂っていた。
「御手洗君を入れようか?」
佐藤が頷いたので10階に上がって行った。我我2人を見ると御手洗は『会議セット』つまり手帳とノートとペンを持って立ち上がり、会議室を指差した。支店長は外出していた。
「大変です」
佐藤は脂汗を拭い、息せき切って続けた。
「イルロジに別荘のことがバレました」
「バレたって、何があったのだ?」
「私のミスです。申し訳ありません」
と佐藤はほぼ直角に体を曲げ、頭を下げた。
佐藤によるとこうだった。
オナキ向け契約のフォローの為、佐藤は別荘と毎朝連絡を取っている。原則として別荘の方から定時に電話連絡させている。電話を掛けるのは畑守かヤヒモナのアリだ。紅忠事務所の方からの電話は控えている。密通者への防衛上やむを得ない方策だった。
船積み予定表は、先ず紅忠が英語で作成する。それをヤヒモナでペルシャ語に作成し直すのだ。その担当が別荘に居るアリだった。生産計画は頻繁に訂正される。それに基づき船積み予定表も変更するのだ。佐藤は今朝方も畑守と打ち合わせし、その後アリとも話し合い電話を切った。ところが、タイからの船積予定変更を連絡漏れしているのに気付いた。『ああそうだ、この予定も変わったのだ、別荘に連絡しなければ』と思っていた矢先、目の前の電話が鳴った。受話器の向こうにはイラン人が出ていた。『アリさん』と問うと相手は『はい、アリです』と確認した。
「アリさん、ごめんなさい、先ほど連絡するべきだったのだが、タイで生産している品番342も納期が2月から3月にずれ込んだのですよ。その訂正も入れて予定表を作成しなおして下さい。それからこの新しい情報を畑守さんにも伝えて頂けませんか」
「私も今畑守さんを探しているのです。何処に行ったのだろう、テヘランに居ますか?」
と電話のアリは言った。
「えっ、畑守さんは今日テヘランに来るのですか。聞いていなかったなあ、ラシッドには長嶋さん一人になるじゃないですか。アリさんは別荘で長嶋さんに付き添って頂けるでしょうね?」
とまで電話口で話をした時、佐藤の体を電気が走った。自分の話した内容に息が詰まる思いをした。一体誰と話をしているのだろう。
「別荘に長嶋さんと畑守さんがいらっしゃるのですね?」
電話口のアリは確認を求めた。
「あなたはアリさんですよね、ヤヒモナの」
と佐藤は失敗の駄目押しを重ねた。
「ヤヒモナのアリ氏が、ラシッドの別荘で長嶋氏と畑守氏とご一緒なのですね?」
「あなたは一体どちら様ですか?」
絶望感に襲われながら佐藤は訊いた。こういう場合、悪い予感ほどよく当たる。
「私はアリ・レザーと申します。イルロジ社長の秘書です」
沈黙は金、というのは殆どの場合正しい格言だ。アリと言うのはイランでは最も一般的な名前で、日本でいえば太郎と言っているようなものだ。グェン、マリヤ、アリ、ジャック、そんなので相手が特定できれば苦労は無い。と、今更愚痴っても仕方がなかった。これからどのように長嶋を守れば良いのか、具体的な善後策が思い浮かばなかった。
昼過ぎに帰社した小菅支店長に顛末を報告した。御手洗も同席した。
「ヤヒモナ社長に電話連絡しました。お詫びしておきました」
「社長も呆れておられたかな?」
「『別荘に滞在なさる限りご安心ください』と仰いました。しかし、別荘は当然標的になります。テヘランからも離れています。別荘に預けておく訳には行きません」
「では、移動させるとして、河本君、いっそのこと、どうだろうか?」
と、問いかける眼には結論が出ていた。
「出国のタイミングの事でしょうか」
支店長はコックリと頷いた。
「もはや別荘も安全じゃない、長嶋君がイランに居る限り不安の種が尽きない。結局、長嶋君を出国させるべきだろう」
と理由を述べた。私にもその気持ちは分かった。例えラシッドの別荘が安全であってもイランはイラン、我我の神経はすり減る。この2、3日がそうであった。別荘に何時までも滞在する訳にも行かないし、何時かイルロジにバレないかと気遣ってしまう。テヘランには匿う場所がない。とすれば、出国が一番かも知れない。
「悩んでもきりがないね。一層のこと明日、9日の夕刻のフライトでどうだろうか。早朝にラシッドを出発して、そのまま空港に直行し、フランクフルト行き、を計画するのだ。行きと同じカラジダム経由で戻るのでは芸がない話だ。今回はアーブジョ経由、つまり西ルールを避けて、東ルートから一旦テヘランに戻って欲しい。明朝6時にラシッドを出発し午後1時頃テヘランに帰着、ヤヒモナ事務所で時間調整させて頂く。空港のチェックインタイムは午後3時だから良い頃合いだ」
「その場合、一番狙われ易いのがエルブルズ山脈の中だと思います。待ち伏せに好都合な場所は幾らでもあります。私がイルロジ一派なら、山の中で待ち伏せします。もう1つ狙われ易い場所は空港でしょう。長嶋君が車から降りた途端に拉致する、と言うのが荒っぽい手段ですが想定できます」
私も出国させるべきだと考えたが、いざ実行するとなると、色々な問題がありそうな気がした。と、御手洗はいつもの落ち着いた表情で意見を述べた。
「小菅支店長、私も河本さんと同じような考えです。拉致するなら、人気が一番少ない所か、逆に混雑した所で、尚且つ、我我がどうしても通過しなければならないポイントを選ぶと思います。それは山中と空港です」
「空港と言うのは頭の痛いところだね。鼻薬をきかせ易い場所だ。今は持ち物検査が厳しい。例えば、通常の検査と見せかけて別室に誘導し、自然な形で拉致できるかも知れない。しかし、突然空港に長嶋が現れた場合、拉致出来るだろうか。24時間監視しているとは考えられない。イルロジにしても手配に時間が必要だろう。それが1時間か、2時間か、それとも3時間か分からないけどね」
するとまた御手洗が意見を述べた
「私がイルロジなら、利用する可能性の高いルフトハンザ機を重点に監視します。無論、ルフトに的を絞ったとしても空港職員もローテーションがあります。イルロジも準備の時間は必要かと思います。それからフライトの予約ですが、9日というのは無理があります。一番早くて明後日、10月10日なら確実に予約できると思います」
「帰国する長嶋には同伴者が必要ですね、適任は御手洗君ですか」
私は念のため確認した。
「そうだね。よし決行しよう。この計画は佐藤君にも話さない方が良い。当社内でも口外無用だ。フライト予約は御手洗君自身で頼む」
長嶋さえ出国すれば交渉も気楽だ。この機会に一気に懸案解決が望ましいと私も考えた。
「10日のルフト機という前提なら、9日の晩にラシッドに向かいましょう。メンバーは私と御手洗です。10日の早朝にラシッドを出発、ヤヒモナ事務所に立ち寄って時間を調整し、そのまま空港に向かう。フライトは10日の夜のフランクフルト行となります」
私は大まかな予定を立てた。
「御手洗君、明後日、つまり10日に決行だ。ビジネスが満席ならファーストクラスでも良い」
「了解しました。チケットの手配を致します」
1981年10月9日(金)
10月10日のルフトハンザ機を予約できたのを確認して実行に掛かった。9日のお昼過ぎに私はヤヒモナ社長に連絡を取った。10日の早朝に長嶋を別荘からテヘランに移動させる事を通知した。また、出迎えにラシッドまで私と御手洗が行くと通知した。いったんヤヒモナ事務所に集合し、その後我我が長嶋を安全な場所、多分一流ホテルに移動させ、同じフロアーを3室分予約するとヤヒモナに説明した。バナックスクエアー近くの旧シェラトンホテルを実際に予約した。ヤヒモナ事務所からも近距離だ。
一方、フランクフルト経由日本までの同行者は御手洗に決定した。ヤヒモナにさえ事前に伝えなかったのは2点だ。我我がラシッドから東回りで長嶋を連れ戻すことと、同日長嶋をルフト機で出国させることである。
長嶋を10日に出国させる予定は、かん口令をしいた。本社にも、私からは何も報告しなかった。だが、実質的に巨大契約をフォローする為の員数が不足している。大室がインドネシアに飛んだので、畑守と佐藤駐在員しかいない。私は元々オナキ向けの商売とは縁遠いし、それは出張目的でもない。
と、夕刻に辻部長から私に電話が掛かってきた。正確に言うと佐藤駐在員からの電話が回されたのだが。
「河本さん、本社の辻部長です」
佐藤が掲げた受話器を指差した。イラン時間に5時間30分足すと日本時間となる。既に日本は真夜中近かった。
「河本です」
「河本君、今回は君に迷惑掛けたなあ。本当に済まん、ご苦労さん」
辻部長は先ず慰労の気持ちを私に伝えた。
「ご報告いたします。長嶋は無事ラシッドに居ます。但し、精神的なダメージが残っており、仕事をできる状況ではありません。大室出張員もテヘランからジャカルタに向かいました。従い佐藤駐在員と畑守君で仕事のフォローをしていますが、肝心の辻部隊の担当者が現場に居ない状況です。私はイルロジとの折衝等で手が一杯です。追加で出張員を派遣して頂かないと契約のフォローに支障を来します」
「長嶋も大変なへまをやらかしたもんや。こっちでも大騒ぎや。これで人身事故につながってしまえば大問題になってしまう。一体お前とこの部はどうなってるんや、と怒られてしまうがな。選りによって、小豆ビジネスはあかんと厳しいお達しが出されている最中に、長嶋も何ちゅうことをやらかしたんや」
「部長、我我は2つの問題を抱えております。一つ目は長嶋の安全にかかわる問題です。長嶋は窮地に陥り、安全を脅かされています。2つ目は契約のフォローです。これをやらないと紅忠の信用にかかわります。が、今のままでは人手が足りません」
「問題起した上に、この忙しい時に休まれたんじゃかなわんわ。今回の人選は大失敗やった」
私が実務面の問題点を報告しても辻部長は耳を傾けることは無かった。単に彼自身の怒りを電話口にぶつけ続けるだけだった。
「長嶋も早く現場に復帰してもらわんと、これ以上迷惑かけられてはお手上げや。大阪には長嶋のように遊んでる部員は1人もいない。ほんま、トラブルメーカーやな」
直属の上司がこの言い草では長嶋も割に合わない。生まれたばかりの赤子を日本に残し、戦時のイランで頑張って、上司の評価がこれなのだ。ぐぐっと、全身からえも言われぬ憤りがこみ上げてきた。
「部長、長嶋はオナキ向けに初成約したのですよ。5カ月近く現場に張り付いた上での初成約です。が、例えばですが、その仕事の延長線で不注意から足を滑らせ池に落っこちて、本人は泳げなくて、溺死しそうだとしましょう。今はそういう状況です。確かにバカなことをしたのですが、先ずは池から助け出す必要があります。『お前はどうして溺れているのだ』と叱るのは、それが部長のご希望なら、救出してからでも遅くはないでしょう?」
「河本君だったかな。私に説教するつもりか?」
辻部長は威圧的だった。従い、私は逆らうことにした。
「とんでもありません。説教は聞く耳を持たない人に言っても無駄です。私は無駄なことはやらない主義です。ですからこれは説教ではありません。いま緊急にフォローすべきことを報告しているだけです。しかし、部長、部長が部長だから偉いのではないでしょう?部長の役割を果たされるからこそ偉いのです。今部長にお願いしたいのは2つの問題の解決のため、率先垂範してサポート頂くことです」
「君に何が分かるんや!こっちもな、朝から晩までこの件で振り回されている。あれやこれやで他の仕事も手に付かない位や」
「その割には肝心の2つの問題に実際的なサポートを頂いてないように思いますが」
「生意気な口を叩くんじゃない。少し手伝っただけでつけ上がるにも程がある、無礼な奴やな」
「失礼致しました。私と正反対に、部長の場合は上司に対して常に礼を尽くし、無礼が無いようにご配慮なさっておられるのでしょう」
と、皮肉を垂れ終わる前に電話はガチャンと先方から切られてしまった。こんな上司を持って長嶋も気の毒なものだ。だが、辻部長にも多少の情状酌量の余地はありそうだ。上司への釈明疲れで大変なのだ。傍で聞いていた佐藤が目元を和らげた。佐藤は初めて私に親近感を抱いたのかも知れない。
「河本さん、辻部長相手に相当な剣幕だったですね。でも、横で伺っていて気分がスカッとしました。ありがとうございます」
佐藤も事件発生以来、いや、それ以前からかも知れない、辻部長に嫌な思いを重ねて来たのだろう。
「実は私も言いたいことを言ったので、スカッとしたかな。しかし、失敗するとやり直しがきかないのが紅忠なら寂しいね。誰だって失敗することがあるのだから」
「つまり前科一犯で終わりという社会ですか?息が詰まりそうですね」
「でも、佐藤君、部長にこんな応対した私は失格だよ。私の真似をしちゃ駄目だ。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ばないとね、立派なサラリーマンにはなれない」
午後9時、私と御手洗は密かにテヘランを出発した。朝6時までにはラシッドの別荘に到着する必要がある。万が一、到着がずれた場合、全ての計画を御破算にする取り決めだった。1週間も経たない間に2度も山越えをするとは予期していなかった。今回はアーブジョ経由で時計と反対回りでラシッドに向かった。山中の気温はすでに肌寒かった。真っ暗な道を西空に傾いた半月が照らすだけだ。真夜中過ぎに車を停車させ夜空を仰いだ。後続車は無い。月は地平線から沈んでしまった。車のライトを消すと満天の星が一斉に生気を取り戻した。無数の輝きが降り注いだ。塵芥の喧噪も、イラクとの戦争もここまでは届かない。南の方角にオリオン星座が見えた。今私が見ている光は、1400年前に彼方の星から全天空に発した無数の光のまさに一筋である。それが私の瞳の中に吸い込まれた。
「河本さん、カスピ海も良かったけど、この夜空には言葉も見つかりません」
少し遅れて車から出た御手洗が言った。
「うん、凄い。テヘランの宝石博物館も顔色なしだ」
そこには世界一ともいわれる特大のダイヤが展示されている。山盛りのダイヤも何十皿とある。
「昔、こんな星空を一緒にご覧になった人が居られたのでしょうね、きっと」
突然御手洗は私に訊くともなしに呟いた。目は夜空を見つめたままだった。
「実は私にもいました、それが今の女房です」
その口調は真面目だった。私も答えざるを得なくなった。
「うん、昔の話だ。確かに一人いた。彼女と婚約していた」
そう打ち明けると当時を思い返してしまった。
「ところがその後、色々あってね。当時の私は問題児だったから。いや、今でも問題社員か」
別れた夜も肌寒かった。もう一度冷たい空気を胸一杯に吸った。
「で、今でも独り身なわけだ。さあ行こうか」
再び車に乗った。
1981年10月10日(土)
予定より早くラシッドに着き、4時半には別荘の近くに停車した。まだ真っ暗だった。我我は全てのライトを消し車中で待機した。6時に別荘の門を静かにくぐった。中には3台の車が待機していた。長嶋と畑守もいた。まずヤヒモナのアリに退避の要領を説明した。先発隊は予定通り3台で、カラジダム経由ヤヒモナ事務所に行く、そこに乗るのは畑守と御手洗だ。我我の車には長嶋、私、それにアリが乗った。ライトを消したまま先発隊が出発後、車中で十分程待った。念のため長嶋がパスポートを持っているか確認した。それから静かに別荘を離れ、アーブジョ方面に出発した。
東の空は既に赤みが差していた。モスクの前を通り過ぎた。アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)礼拝を呼びかけるアザーンが静寂を突き破るようにユックリと一語一語を噛み締めるように響いてきた。1日5回の礼拝の始まりである。
「河本さん」
突然、長嶋が私を見つめて話し掛けてきた。その眼には意思が籠り、今までと別人のように見えた。
「おお、生きていたか、蘇ったな、よかった」
思わず私の口から冗談が出た。実際嬉しさが込み上がってきた。
「今回は本当にご迷惑ばかりを」
「何言っているのだ。君は超大型の商売を作ったのだよ。今まで誰も出来なかったことだ。代理店問題さえ解決すれば万万歳だ」
「基本中の基本さえ踏み外して、私は出来の悪い新入社員以下でした」
そういう長嶋の眼から大粒の涙が溢れ出した。むせ返って大きく肩が揺れた。
「そう卑下することでもない」
私は両手で長嶋の肩を包んだ。
「君のしたことは、成績は満点に近かったのに受験番号を書き忘れたようなものだ。画竜点睛を欠いたのだろうか。だが、ビジネスは入学試験じゃない。眼の玉を描き忘れていたなら今から描き加えればOKだ。それで完璧だ。絵は見事に出来あがっている」
いつしか私は『プロ長嶋』となっていた。長嶋の嗚咽は収まらなかった。
「昔の話ですが、自分の家には内湯が無くて、家族揃って銭湯に行ったものです。男湯に入ると綺麗に洗わないからと、末っ子の私だけは女湯に連れて行かれてお袋が体を洗ってくれました。お袋もひとりで入浴じゃ詰まらなかったのでしょう。銭湯の帰りには、何時も親爺が私を肩車におんぶしてくれました。3人兄弟の末っ子だから、おんぶされるのは私の特権みたいなものでした。しかもおふくろが親爺の横に並んで私と手を繋いでくれるのです。それで親子5人で、片端から童謡を歌いました。あの時のことを昨日のことのように思い出します。親爺は商売をしていたのですが、呆れる程の商売下手でした。必死に働いても少しも暮らし向きが楽にならないのです。よし、自分は商売が上手くなって、親父やお袋に使い切れないくらいのお小遣いをやるのだ、とこれが子供の頃の夢でした」
「長嶋君なら実現出来るよ。頑張り屋だし、経験さえ積めば鬼に金棒だ。これ以上一人で悩むんじゃない」
同じ人間が、ある時は気弱に打ちひしがれ、ある時は信じ難いほど強くなる。勇気と憶病、強気と弱気、一見正反対だが、さほど距離はない。長嶋なら必ず立ち直れる筈だ。
「それにしても、いい夢もっていたんだね、羨ましい」
だが、私の励ましも長嶋の心に届くどころか、耳を掠めたかどうか覚束なかった。
「子供の頃からの夢だったのに、私は親爺以上に商売下手です」
長嶋は項垂れて眼を瞑ってしまった。頬にはまだ涙の痕が光っていた。
「疲れました」
長嶋は最後にそういうと口をつぐんでしまった。一旦何かの拍子で意識が戻ったものの、また朦朧として彼方の世界に戻り、心の扉を閉じてしまった。治癒には時間が必要だ。先ずはイランから出国させねばならない。
我我全員がヤヒモナ事務所に集合したのは午後1時だった。事務所には手筈通り小菅支店長も来ていた。先発隊の畑守や御手洗も到着していた。我我は社長室に続く会議室に案内された。長嶋も出国と聞いて心なしか元気に見えた。御手洗がそろそろ時間ですよ、という顔で私を見た。私は時間を確認した、1時15分になっていた。
「充分間に合いますね。でも余裕を見て15分後、1時30分には出発と言うことで如何でしょうか?」
私は長嶋と御手洗を交互に見ながら小菅支店長に言った。小菅は頷いた。
「それでは御手洗君、準備を頼む。1時30分には出発頼む。私の車を使いなさい」
ヤヒモナ社長と話をする前に委細の段取りを命じておきたかった。ティーボーイに代わり美人の秘書たちが紅茶を準備する。ナディアも澄ましてお茶を淹れている。ヤヒモナ社長はお茶が配られるのを待って切り出した。
「河本さん、今日は、と言うか昨晩からでしたよね、大変お疲れ様でした。突然テヘランに戻るルートを変えられたようで、御手洗さんからお聞きして感心しました。しかし、予定通り全員安着されてホッとしています。チーホルとも無事を祈って心待ちにしておりました」
「いや、お詫びしなければならないのは紅忠の方です。この1週間程、お礼の言葉も見つからない程、貴社にお世話になりました。ここまでご配慮頂いて心苦しい位です」
小菅支店長は逆に恐縮していた。それは私の気持ちでもあった。
「有難うございます。それでは話を承ります」
とヤヒモナ社長は促した。支店長が私の方を見たので、私から概略を説明することになった。
「実は、突然ですが、今晩のフランクフルト行きルフトハンザ機で長嶋を出国させることにしました。御手洗を同行させます。本人の病状は予断を許しません。出国させるのが一番の処方箋かと判断しました」
この突然の話にはヤヒモナ社長も目を丸くした。チーホルを見た顔には、大丈夫だろうかと書いてあった。
「でも、フライトの予約は確認が取れているのでしょうか?」
横からアリが心配顔で訊いた。簡単に予約が取れない事は全員が知っていた。今回の出国は突然の話だった。時間的に切羽詰まっていた。と、申し訳なさそうにヤヒモナ社長が口を挟んだ。
「話の腰を折ってすみません。チーホルは所用があって後20分程で失礼させて頂きます。私は大切な要件の場合は、必ずチーホルにも同席させます。チーホルは、私の片腕であり、後継者でもあります。本来、打ち合わせが終了するまで同席させたいのですが、中座させるのをご容赦ください」
社長の横でチーホル秘書長も恐縮していた。極力我我に気付かれないように腕時計で時間を確認していた。余程大切なアポイントだろう。彼等は西欧流で、アポイントに遅れる事がないように気遣うのだ。
「それは恐縮です。いつも私どもの都合ばかりでご迷惑をお掛けしております。チーホルさん、どうかお気遣いなく」
支店長に続き私もお礼を述べた。
「チーホルさんに先約がおありでしたら、お気遣いないようにお願い致します。この間チーホルさんには本当にお世話になりました」
ヤヒモナは大きな組織だ。他にも大切な商談があるだろう。これまで我我の為に十二分に配慮し、時間も割いてくれた。が、チーホルは気遣いのひとだ。
「このような時に中座して申し訳ございません。で、お話を続けなさってください。気掛かりなのはアリが申した通りです。フライトの予約も難しくなっておりますので、話が突然なので心配です」
チーホル自身の出発時刻が迫っているのに長嶋のフライト予約が確かかどうか懸念していた。
「はい、お陰さまで2名分間違いなく押さえる事が出来ました。ただ搭乗者名を変更しなければならず、早めに空港に行く必要があります」
御手洗はそう言って胸ポケット辺を押さえた。そこにチケットが入っているのだろう。
「3時までに着けば十分だろうね」
支店長は念を押した。御手洗はしっかり頷いた。ヤヒモナ社長も漸く納得したのだろう、2度、3度と頷いた。
「それは良かったです。別荘に匿うという私共の提案は結局お役に立ったかどうか、心もとありません。お疲れが残りませんように。ただ本日出発と決まれば、それを確実に実行される事が大切と思います。彼等は、手段を選ばないところがあるようです。彼等の手が届かないところに行くまでは、油断ならないと思います」
やる限りは確実に成功させる必要がある、それがヤヒモナ社長の意見だった。当然我我もそう考えていた。
「長嶋と御手洗はそろそろ出発させた方が宜しいかと思います」
私がそう言うのと同時に御手洗が席を立った。御手洗は手荷物をベンツの方に移動させねばならない。長嶋は相変わらず緩慢にしか動けない。
「長嶋さん、御手洗さん、本来私がお見送りすれば良いのですが、ボン・ボヤージュ、ご無事なご出発をお祈りしています」
チーホルはそう言って長嶋と御手洗の両手を交互に握りしめた。ヤヒモナ社長は
「本来、誰か屈強の者を2、3名同行させた方が良いのだが、それでは目立ちますので。但し、この事務所から尾行するものを発見すれば排除しましょう」
とうけあった。
「チーホルさん、最後までお気遣い済みません。どうかお仕事に支障がありませんように」
小菅がそういうのと同時に、慌ただしく御手洗と長嶋が階下に降り、チーホルも挨拶そこそこに去った。チーホル秘書長のように仕事で忙しいのは羨ましい。しかも将来の社長としての経験を積ませてもらっているのだ。一方。長嶋のように問題を抱え右往左往するのは、商社マンとして不本意だろう。それを長嶋本人が自覚していないのが救いと言える。
「どうか支店長、皆さん、お座りになって下さい」
ヤヒモナ社長は改めて全員を席に案内し、話を続けた。
「実は一昨日ですが、我我の方にも電話がありました。ナディアが電話を受けたのですが、
『お前のところは長嶋を匿っているだろう。長嶋は我我に多大な損害を与えたので・・・相応の処分を下す、ヤヒモナには関係のない問題なので手を染めるな』
と言う趣旨の警告でした。処刑など、昔のイランならともかく、現代のイランではあり得ない話です。何か自己中心的な時代錯誤もあると思います。ただ、非常識な人間や組織は何処にもいます。私共も用心する事にします」
とうとう相手は、ヤヒモナにまで攻撃の手を向けて来たのだろうか?この種ビジネスには常に異常な噂や事件が付き纏う。火のないところに煙は立たぬ、か。そうであれば長嶋が居なくなっても、残された我我にセキュリティの問題が起こらないだろうか?と、小菅支店長が意外な事実を話し出した。
「私のところには今朝、『長嶋に会わせろ。空港から出さないぞ』という趣旨の警告がありました。繊維の担当の佐藤のところに脅しのような電話が掛かって来たのです。すでに空港にも彼等の手が回っているのだなあ、と観念しました。このイラン脱出計画と言うか国外退去案は、私と、河本、御手洗の3名しか知らないのです。社内ですら極秘扱いにしておりました。私共がアイデアとして持っていた事にも先手を打つ位です。我我の行動は既に監視されていると考えて良いでしょう」
小菅支店長の話は私にとっても意外な事実だった。我我がラシッドに居る間にも彼等は次第に攻撃の輪を狭めて来たのだ。改めて不安が押し寄せてきたので私は訊いた。
「と言うことなら、御手洗と長嶋が空港に行くのは不味くないでしょうか?プロから見ればあまりにも無防備過ぎると思います。彼等は重点的にルフトハンザのフライトをチェックするでしょうから」
金が目当てなら、解決してから長嶋を出国させることも出来る筈だ。現時点で敢えて危険な橋を渡るのはどうか。我我が動くことで、予期せざる不幸を招いてしまわないか。私は考えている内に、何か間違いをしでかしたように感じた。今なら引き返すことも可能だ。何故なら・・・空港の手前に、パーレビ王朝全盛時代の1971年に建設したシャーヤド記念塔がある。入出国時に必ず目に入る白亜の記念塔だ。イラン歴2500年を記念して建設したものだ。テヘラン市内から北の高速道路を西に進み、シャーヤド記念塔が見えたところで南に下り、記念塔を中心に据えた大きなロータリーを回って空港に向かう。そこまで行けば空港まで一本道だ。もし、空港に行くことに不都合が生じれば、ロータリーを越した先の大きなタイヤディーラーの店の前に『合図の黄色い布切れ』を掲げることになっていた。タイヤの山の天辺で、旗のように見える黄色い大きな布切れが空に舞えば誰の目にも付く。その時は計画を取り止める。御手洗が懇意のディーラー社長に頼んで手筈を整えていた。如何にも御手洗らしい念を入れた準備である。
「河本君、それは私も考えたよ。でも、『空港から逃さない』というのは、例え話だろう。彼等が我我の計画を知っていて話したのではない。今日の出発は裏をかく、という意味もある。今回を逃すと見張りがもっと厳しくなるだろう。長嶋を国外脱出させる可能性はますます小さくなってしまう。真夜中の迷路ではない。昼間の空港で、信頼出来る御手洗君も付いている。急なことで彼等も手薄になっているだろう。我我の大半がここに居るのだから、長嶋がこっそり出発した事に気付かなかったかも知れない。100%大丈夫とは言えないが、今がチャンスなのは間違いなかろう」
沈黙が我我を包んだ。どんな手段が良いのか、また、悪いのか、判断が付かなかった。肝心な問題なればこそ迷いも生じる。
その時、会議室の電話が鳴った。アリが受話器を取る。紅忠の佐藤駐在員からの電話だった。留守番役がいなくなるので支店に待機させていた。小菅支店長はヤヒモナ社長と話をしているところだった。私が受話器に出た。
「河本さん、大変です」
と叫ぶ声が耳を刺した。電話の向こうで佐藤が興奮している。『君がドジをしなければ、大変でも何でもなかったんだよ』と冷やかしたくなる。マッチポンプそのもののキャラクターである。が、佐藤の報告は続いた。
「いま、彼等から電話がありました」
普段なら『佐藤君、早とちりはよくない、本当に彼等かどうか、今度こそ名前と素性を確認しただろうな』と皮肉りたいところだ。
「まさか、彼等がボン・ボヤージュと言ったのではないだろうな」
私は冗談で返した。が、佐藤は本当に緊張していた。
「彼等は、
『先ほどヤヒモナ事務所から長嶋は出ただろう。国外に脱出するつもりか。我我を侮るのではない。この結果については全てお前たちの責任だ。長嶋を地獄に送ってやる』
と言って電話を切ったのです」
「このまま待って」
私はそう言って、小菅支店長の方を見た。ヤヒモナ社長も不審な眼をこちらに向けていた。
「支店長、残念ですが、リスクは取れません。大きめの黄色い布が必要になってしまいました。時間がないので、ここの電話をお借りしましょう」
御手洗達はシャーヤド記念塔近辺で『黄色い大きな旗状のもの』を見た。空港行きを断念し、旧シェラトンホテルに引き返した。我我と一緒に、ヤヒモナ社長とアリもホテルで待ち合わせた。ロビーでたむろとも行かない。何はともあれ部屋の方に移動した。チェックインは先着した私が済ませていた。御手洗も相当疲労していた。ほぼ24時間、特異な緊張を強いられたのだ。長嶋は、症状が更に酷くなったようで、我我が誰かも識別できなかった。一連の出来事は商社マンの常識を超えていた。
「支店長、ルフトの継続予約は中止する。大室出張員にはテヘランに戻って来て貰う。更にもう1人追加で本社から出張員を派遣して貰う。以上のように手配しますが、如何でしょうか?手が回らないと全員が疲労で参ってしまう恐れもあります」
私自身も疲労が取れない10日間だった。この調子があと10日間続けば、神経が参ってしまう。ここに居る誰かが入院する羽目になりかねない。大切な契約のフォローも中途半端になれば問題の火種を作ってしまう。員数が足りないと悪循環に陥るのは目に見えていた。
「小菅支店長、皆様に疲れが残りませんように。何かお手伝い出来る事があれば、何なりと申し付け下さい。私共はこれで失礼したいと思います」
ヤヒモナ社長は控え目に申し入れた。
「有難うございます。本日は皆も疲れていますので、後日、出来るだけ早く貴社をお伺いします。改めて相談に乗って頂きたいと思います。この間のご配慮にはお礼の言葉もありません」
小菅は相手の手を取って礼を述べた。
「河本君、これからだけどね、本社からの応援出張は是非とも必要だね。今晩私の方からも電話で依頼しておく。先ずは長嶋君が心配なので、今晩からこのホテルに、長嶋君に加え、河本、畑守、佐藤駐在員、御手洗駐在員も宿泊して欲しい。応援出張組もここに部屋を予約して欲しい」
「部屋割りは私の方で考えて、あとで報告します」
御手洗が部屋番号と宿泊者名のリストを作り始めていた。
「私は、これからアポイントがあるが、そうだね、午後10時過ぎにここに立ち寄りたいと思う。イルロジ対策や、安全対策も再検討したい。河本君、たった1枚の手書きの契約書で恐ろしい結果になるものだね」
「私は、今日、イルロジともう一度話をしたいと思います。ホテルに戻るのは夜遅くになりそうです」
本日の(佐藤駐在員への)恫喝電話にイルロジが関係しているのだろうか?イルロジの2億円という要求を呑めば本当に解決するのか。それとも、別口の組織との折衝も必要なのか?未だに全体像が掴み切れていない。まずはイルロジと話をする以外になかった。
それから3時間後、私と御手洗はイルロジ事務所に居た。イルロジ社長を真ん中に、チリウイア副社長と書記兼秘書が座っている。
「いつも河本さんにはお越し頂いて有難うございます。河本さんが不在の時に、社長は小菅支店長と面談しました。その時の結果が思わしくなかったので、
『もう紅忠と話をする事は無い、契約不履行を告訴して裁判だ』
と怒っております。大人気のない話です。なあに、時間がたてば冷静になりますが、ねえ、社長」
真横にイルロジ社長がいるのに、平気でチリウイアは言った。いつも大声のイルロジ社長はギョロ目を私に据えて黙っている。黙っているように事前に釘を刺されたのかも知れない。私の方は糠に釘と決め込んでいる。何を言われても『イルロジは権利に見合う義務を履行しなかった』とオウム返しにいうのが方針だ。
「突然、お時間を頂いて有難うございます。私は貴社にお邪魔していつも同じような話をしています。私共の考えをご理解頂きたいからです。不毛の論争は願い下げです。裁判になればお互いに時間も費用も大変です。今回は120日間もご一緒に協力し合ったのですが、残念ながら結果に繋がりませんでした。次回こそお互いの持ち味を生かして、結果を出そうではありませんか。イルロジ社長に加えチリウイア副社長もおられます。言い争ったり、なじったりするのを差し控え、商売の可能性を再度話し合えないものでしょうか」
「慰謝料を払い、当社に謝罪するのが先だ。一歩も引かないぞ」
我慢しきれなくなってイルロジ社長が口を挟んだ。
「そのような事を言われると、また以前の話に戻ります。イルロジ社長のお力を使えば受注出来た筈なのです。失注したのは当社の責任ではありません。が、今日は私の方から1つお伺いしたい事があります」
「何でしょうか?」
眼でイルロジ社長を押さえながら、チリウイア副社長が訊いた。
「最近、当社に脅迫電話が掛かって来て困っております。本日も、長嶋が帰国を計画すると、『空港に行けば長嶋を地獄に送る』と脅迫電話を受けたのです。私の質問ですが、このような電話を貴社の関係者が掛けられた可能性は無いでしょうか?」
予め決めていたのだろう、社長の代わりにチリウイアが答えた。
「関係者と言う意味が、当社の従業員という意味なら、脅迫電話を掛けた可能性はゼロです。また、その様な質問をされる前に、貴社の社内を調査なさった方が良いでしょう。アリという名前を聞いただけで、ペラペラと極秘事項を話される日本人駐在員もおられます。物騒な話です。貴社の内部で、誰が、何をしているか、知れたものではありません。もっと用心された方がよいのではないでしょうか」
「つまり、貴社には関係のない脅迫電話であったと言う事ですね」
「当然じゃないですか。我我は紅忠を告訴する準備をしております。もしその時に、弊社が脅迫電話など入れれば、裁判上、大変不利な事態になります。正当な権利を蹂躙されたのですから、独占代理店契約の違反を軸として告訴するのが当社の方針です」
チリウイアの受け答えは冷静だった。
「では、一体誰が電話を寄こしたのでしょうか。心当たりは無いでしょうか?」
私はイルロジ社長とチリウイア副社長を交互に見ながら訊いた。
「私が答えよう」
と我慢しきれなかったのだろう、社長が口を挟んだ。
「心当たりが多過ぎて困る位だ。契約を、しかも署名した本人が、破るような会社だ。ありとあらゆるところで恨みを買っているのだろう。そうそう、チリウイア副社長が言ったように、社内も良く調べればどうだ。会社を恨んでいる社員が多いのではないか。佐藤だったかな、以前に此処に来た駐在員だ、彼も疑った方が良いぞ」
イルロジ社長にしては嫌味を効かせて話したものだ。この社長だけならもっと押したり引いたりすればボロも出て来そうだった。が、問題は防波堤となる若手の副社長だ。
「河本さん、お気を悪くなされないようにお願いします。社長は実直なもので、誤解を招いてしまうこともあります。社長が言いたかったのは、紅忠も相手を疑ってばかりせず、反省すべきところは反省すべきだ、ということです。社長のその気持ちは私にもよく分かります。我我は被害者です。貴社は日本を代表する大商社です。代理店契約で問題を起こさず、もっと堂々とイラン経済のために提言されるお立場ですよ」
「社長、聞いたところ、イルロジとヤヒモナは全く同条件で見積りを提出したと言う事ですね。どうして貴社が失注し、ヤヒモナが受注したのでしょう?」
私はチリウイアを無視して社長に訊いた。
「それは長嶋のせいだ。我我との契約を反故にしてヤヒモナに鞍替えしたからだ」
「でも、ヤヒモナは同条件でビジネスを取ったのですよ。我我から見て、同条件で受注してくれる会社があります。また、同条件なのに名誉棄損だと告訴しようとする会社もあります。どちらがパートナーに相応しいのでしょうか?」
私は社長の方に矛先を向けた。何かを引き出すには社長と話をした方が手っ取り早い。イルロジ社長は顔を真っ赤にして何かを言おうとした。
「河本さん」
と副社長のチリウイアが割って入った。
「我我は契約を重んじる会社です。貴社は当社に対して色々とご不満をお持ちなさっている。しかし、独占契約という大きな幹の話を抜きにされて、枝葉に咲いた花の話だけされるのはおかしいと思います。本末転倒はご免蒙ります」
「独占契約と言う権利の背景にある義務の話をしているのです。決して枝葉の話ではありませんよ」
チリウイア副社長とでは何時までも議論になってしまう。また、肝心の脅迫電話の主に関しては何も情報が得られない。私はこの辺が潮時と判断し、引き上げることにした。一方イルロジ社長は
「河本さん、自らの過ちを認めなければ賠償金を上げるぞ。もう2億では馬鹿らしくなってきた。まるで私の会社が悪いように言うのだから。このような態度で臨まれるなら告訴状の賠償金は3億だ」
と大声で吠えるように言った。
イルロジ事務所の帰りに支店事務所に立ち寄った。支店からホテルに電話すると長嶋は眠っているらしかった。畑守も起きたところで、『皆さん大変お疲れなのに恐縮しております』と電話口で詫びた。支店長は相変わらず他のアポイントで外出だった。そうそう今晩10時以降に支店長と会うことになっているのだ。本社からのテレックスを読むと、出来る限り早く大室出張員をテヘランに戻す、更に1名、本社より追加派遣するとの返事が来ていた。2人のテヘラン到着は3日後だ。本社からの返事は辻部長と大崎部長の連名になっていた。よく読むと支店長の(追加派遣の)要請に対する返事だった。
御手洗は申し訳なさそうに『所用で1時間程支店に残りたい。何かあれば、会社に電話を欲しい』と願い出た。他の仕事が山積みになっているのだろう。もうすぐ2人の助っ人が到着する。事務所を出ると既に日が暮れ、裸電球が灯り始めていた。ふと気付くと夕刻になると気温が下がり。過ごし易くなっていた。確実に秋が近付いているのだ。もう直ぐ山からスズメが戻る。テヘランの夏はスズメにとっても暑過ぎるのだろう。
ホテルに戻ると長嶋、畑守、佐藤の3名で簡単な夕食を取っていた。ナンと呼ばれる円盤状のパンと、お茶、ドゥーク(水で薄めたヨーグルト)それにクビデと呼ばれる羊の挽肉をソーセージ風に串焼きしたものだ。
「なかなかおいしそうじゃないか。私もお相伴に預かろうかな。実はね、ほらっ、同じのを私も買って来たのだ」
3人はホテルの部屋から離れられない。私はそう思って4人分を買っていた。部屋の中はイランの匂いで一杯になった。ヒツジ嫌いの長嶋もおいしそうに食べていた。恐怖感もいつまでも続かない、時間がショックを和らげ、次第に慣れも出て来る。更に空腹が一番の調味料になる。お茶を飲みながら、3日後に大室ともう1人の助っ人が来る事を伝えた。そろそろ交代時期だからね、と付け加えた。
夜の9時半過ぎに小菅支店長と御手洗がホテルにやって来た。支店長は『そこまで来ていたのでねえ。河本君もワザワザ社宅に来て貰うのはご苦労だから』と言った。3部屋確保していたので、長嶋と畑守を残し、隣の部屋に入った。私は今夕のイルロジとの面談内容を報告した。イルロジと脅迫電話の主は関係がある筈だ、と自分の考えを付け加えた。が、今のところ両者を紐付ける証拠は無い。
「そうそう、河本君、明日の夕刻にでもヤヒモナ社長とアポを取ってくれないかな。この事件はさておいても、もう少しお互いの取り組みを厚く出来ないか話をしてみたいのだ」
この立て込んでいるときにアポとは私には思いもつかなかった。が、確かにヤヒモナは大切なビジネスパートナーとなる実力があった。
「時間はね、明日午後5時位が一番都合良いかな。善は急げだ。それが難しいなら、明後日の午後の時間帯で頼む。アポには君も出席して欲しい。それから河本君は知っているかな、機械担当駐在員の岩森も出席予定だ」
支店長は手帳で予定を確認しながら指示した。いよいよヤヒモナを相手に『オスガプロジェクト』が進むのだろうか?岩森は最近駐在した建設機械担当の駐在員だが、自動車含め単体機械全般の担当である。快活で、もともと帰国子女なので英語が堪能である。但し、ペルシャ語は殆ど解さない。繊維からスタートして、ビジネスが横に広がるのは歓迎だ。後ろ向きの話ばかりじゃ気も重くなる。前に踏み込まないと活気も出て来ない。元元近江商人が創業した紅忠は繊維ビジネスが根っこにあった。そこから徐々に業容を拡大したのだ。
10月11日(日)
早朝、私はヤヒモナに連絡を入れた。チーホル秘書長が電話に出た。アポイントの趣旨を話すと『そのようなご提案は大歓迎です』と喜んだ。10分も経過しない内に返事が戻って来た。よい機会なので機械、食料、化学品、紙パルプ等の部署の責任者も参加させる、是非とも会議を持ちたい、との返事だった。時間は同日の午後5時で決まった。私は早速小菅支店長に確認電話を入れた。『それじゃあ、我我の方も、都合が付けばもうひとり、化学品の北村駐在員を出席させよう』と支店長も積極的だった。『オスガプロジェクト』で超多忙な時に、この貪欲さは並大抵でない。が、ビジネスの成果は、長い目で見れば、流した汗に比例する。
旧シェラトンホテル逗留は長丁場になりそうだった。佐藤、御手洗両駐在員は寮の方から私物をホテルに運んだ。2人とも初めての駐在で、20代後半である。既婚者だが家族は日本に残しており単身赴任だった。私物を運んで来た御手洗に尋ねた。
「御手洗君は単身赴任だってね」
「はい、不細工な顔で、女性にもてたこともなかったのですが、3年ほど前に今のパートナーに拾われました。世の中も捨てたものではありません」
と何処まで本当か分からない返事だった。
「なるほど、お子さんも居るのかな」
「はい、現在1か10分の7です」
つまり、一人の子供と妊娠7カ月の赤子がお腹にいると言うことだった。家族の事を言う時は幸せそうだった。が、私が婚約解消したのを知って気遣ったのだろう、遠慮気味に答えた。行き掛かり上、御手洗の家族写真を見せて貰った。4か月ほど前に一時帰国した時の写真である。『10分の7』は当然写っていない。2歳位の女の子を真ん中に3人の家族写真だった。
午後5時のアポイントはビジネスの話が中心だ。御手洗は長嶋とホテルに残った。佐藤駐在員は事務所にいる。支店長のベンツで小菅、河本、岩森、北村でヤヒモナを訪問した。運転手がいるので後部座席は3名だ。『長嶋』事件で翻弄され続けたが、そこは商社マン、4名も集まると話も弾み威勢がよかった。支店長も楽しそうに耳を傾けていた。
とびきり美人のナディア秘書がいつものように玄関のロビーで出迎える。最近何度か会っているので気分的にも距離がない。
「凄いじゃないですか、河本さん!繊維の担当は羨ましいですね」
とナディアの後姿を追いながら岩森は言った。
「いやー、参った、参った」
と北村も賛同している。支店長がペルシャ語で何かを言うとキャッキャッとナディアは笑い転げた。チャドール(イランの女性用外衣兼ベール)の下の若い女性は快活で、未来に意欲と希望を持っている。
社長室に繋がる会議室に案内された。いつもの会議室だ。30人はゆったりと入りそうだ。松林の奥に広がるテヘランに岩森や北村は感嘆の声を上げた。
会議にはヤヒモナから社長、秘書長始め約10名が出席した。ナディアは先ほどとは違って、生真面目そうに書記の係をする。会議は盛り上がり、出席者全員が満足げだった。ヤヒモナの担当部署の責任者は、それぞれにプロで、顧客も市場も業界も熟知していた。両社が組めば可能性が拡大する、それは入札ビジネスに限った事ではないと我我は確信した。
気が付くと小菅支店長とヤヒモナ社長は社長室で何かを話し合っていた。ドアは開け広げたままだった。私の方からはヤヒモナ社長の横顔が見えた。何か特別大きなプロジェクトの話かもしれない。10分ほど2人きりだった。と、2人はにこやかに頷いて握手をした。2人は会議室に戻って来た。
今回の会議はお互いの得意分野の説明に終始した。次回はプロジェクト案件と通常取引に分けて、更に詳しく打ち合わせをしようと合意し、会議を締め括った。社長と秘書長が私に近付いて来た。
「河本さん、今日の会議は本当に有意義でした。オナキ向けビジネスも大切ですが、これからは幅広く協力できますね。先ほども小菅支店長にお約束、お願いしたところです、我我に全面的に協力させて下さい」
確かに期待以上の会議となった。
「今日の打ち合わせはどうだった?」
私は駐在員2人に訊いた。
「そりゃあ、女、女、女、それに尽きます。やっぱり女が一番ですね」
岩森は元気いっぱいウィンクした。北村も大喜びで同意した。
「化学品でもヤヒモナと取り組みたいです。あれほどの美人がいるなんて、最高のパートナーですよ」
2人の頭にはナディア嬢のことしか頭に残っていなかった。
「先ずは1つの案件をヤヒモナと一緒に追いかけて、ものにしますからねえ」
と機械担当の岩森駐在員は超積極的である。一体何をものにするのか?独身なので仕事とプライバシーの2兎を追う積りだろうか?化学品の北村駐在員も同じようなスタンスだった。ヨーロッパの原材料をヤヒモナに紹介すると意欲的だった。
「そりゃ、良かった。積極的なのは良いが、イルロジ事件の経緯をよく河本君から聞いておくのだよ。仕事を進めるのは車の運転と似ているね。前方をみないとダメ。また前方しか見ないのもダメ」
と支店長は手綱を緩めなかった。そして
「そうそう河本君、明日の午前中だが、朝一から私の部屋に来て欲しい。それから明日の晩は空けておいて欲しい」
と私の方を振り向いて言った。
- 第四章へ続く-
どんなどんでん返しが待っているか、次回最終章(第四章)をお楽しみください。