表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十戒の彼方  作者: ジャックジャパン
1/4

第一章 拉致

ビジネスマン必読。中東イランを舞台に実際の事件に基づくミステリー。時は1981年イラン・イラク戦争の真っただ中である。四章構成の第一章。読みだすと止められないストリー展開の面白さを満喫ください。

 第一章


 拉致

(1981年12月25日付け、長嶋剛志の報告書)


 私は今年4月からイランに長期出張しました。その時、オナキ公団から織物の入札が公告されたのです。それは繊維業界では前例のない、まさしく超大型の入札案件でした。紅忠商事は私も含め担当者3人がかりで対応しました。応札期限が切迫しており、体力的にも精神的にもきつい作業でした。私たちの努力の結果とは申し上げません。新しい有力パートナーと組むことができ、僥倖に恵まれ、紅忠として初めて落札、契約に漕ぎつけたのです。ところがその喜びはつかの間でした。一方で不祥事を惹き起こしました。それは思い出すのも恐ろしく、また、辛い事件でした。が、自ら蒔いた種です。包み隠さず報告いたします。


 出張のきっかけは米国大使館員人質事件の解決です。1979年10月に在テヘラン米国大使館員が全員拘束され、1年3カ月もの間、人質となりました。イラン革命前に同国を統治していたパーレビ国王が亡命、それを米国が匿ったと学生たちが抗議し、なんと米国大使館を占拠、米国人を中心とした職員全員を人質としたのです。対抗手段として日米欧各国政府はイランに対し経済制裁を実施、その一環としてイランとの貿易が禁止されました。今年1月イランのイスラム政権による人質解放を受け、各国政府は制裁を緩和、貿易も再開されました。その機会を日本企業が見過ごす筈がありません。急遽、河本さんや私がイランに出張することになりました。紅忠だけでも20名近くの出張者を数えました。原油取引や自動車、電化製品、食料、繊維雑貨、鉄鋼に加えインフラ関連、石化プラント等、多岐に亘ってビジネスの可能性がありました。私は繊維製品、なかんずく織物を担当しておりました。

 日本からの繊維輸出にとって、イラン市場の位置付けは小さくありません。人口4000万人強(1980年当時)、面積は日本の4倍半、中近東の大国です。イランの住人の大半はペルシャ人です。人類史上最初の大帝国を築いたペルシャ人です。日本が得手とする合繊織物の需要も並外れて大きいものでした。ビジネスの中心はイランの首都テヘランのバザールです。日本でもよく使われる『バザール』だが、その言葉の由来はペルシャ語です。テヘランのバザールは名実ともに中東最大の規模です。バザール商人は抜群の資金力と経験があり、その底力は知れ渡っていました。私はバザール商人に狙いを定め拡販に当たりました。経済制裁でほぼ1年半商流が途絶えていたのです。その反動で大きな需要が見込めました。

 ところが、思惑は外れました。イスラム革命後、バザールの主役だったユダヤ系イラン人が大挙国外逃亡したのも影響したのでしょうか?受注減は日本の繊維業界にも打撃でした。売れないと織機が動きません。織機が遊んでしまうと人も雇いきれません。しかも一旦人員を削減すれば、人は戻って来ません。悪循環に陥ってしまいます。もはや日本の繊維業界に10年前の勢いはありません。競争力も失いつつあり、不況に立ち向かう抵抗力も衰えています。

 私はバザールの隅隅まで足を棒にして歩きました。結果は惨憺たるものでした。取れた注文量は昔の実績の10分の1でした。本社からは、もっと売れるはずだ、他社に売り負けてないか、あの客に行ったか、この客からまだ注文が取れていない、と厳しい催促が続きました。5月に入るとテヘランの気温は急激に上昇します。10月中旬ごろまで、長い真夏日が続きます。ほぼ6カ月間雲一つ無く、雨は一滴も降りません。灼熱のイランで、必死に商売を掘り起こそうとしても、旧来の手立てでは限度がありました。紅忠は繊維ビジネスにおいては日本一、いや世界一の商社です。その分プライドも高く、過去実績が大きいイラン市場だけに『売れない』では社内で通りません。私は焦り、途方に暮れました。

 一方、受注が減ったのは紅忠だけではありませんでした。他商社もよく似た状況でした。各社の出張員は『このままじゃ日本に帰れない』と口口にぼやいていました。


 イランに出張し、ひと月ほど経過した頃でした。どうもオナキ公団で大きな入札がありそうだ、と同業者間で噂が立ちました。オナキは特殊な公団です。軍人の家族や国営石油会社職員向けに、あらゆる消費物資を輸入する権限がありました。過去に大掛かりな織物の入札もありました。しかし、紅忠に実績は皆無です。そこでバザール筋を介して有力代理店であるイルロジ社にアプローチしたのです。『我我に任せば必ず受注する』とイルロジは自信満々でした。ただし、それ相応の『小豆あずき』を売値に潜める条件でした。小豆、と言っても食べ物ではありません。それは紅忠の営業マンなら先刻承知の符牒です。裏金を意味します。イルロジは裏金を工作費として使います。有り体に言えば工作費の大半は賄賂です。一方、人前で露骨に裏金、賄賂と口にするのもは憚られます。そこで符牒を使います。小豆ビジネスと言えば、裏金が必要な入札案件と、ピンときます。

 イルロジ社は『受注しなければビタ一文要らない』と強気でした。それだけ自信があったのでしょう。私は色色な筋を介してオナキを調査しました。するとオナキ向けで最も実績がある代理店はヤヒモナ社でした。次いでイルロジでした。この2社は強みを発揮する分野が異なっていました。ヤヒモナは家電製品や食品に強く、他方、イルロジは繊維雑貨に強かったのです。過去の入札でもこの2社の実績が際立っていました。ところが『イルロジは商売のやり方があくどい、紅忠の取り組み先としてはどうだろうか?』と心配するイラン人もいました。彼は紅忠と付き合いが長い、信頼できるバザールの商人でした。それだけにその言葉には重みがありました。でも、紅忠は総合商社、食欲旺盛な鯨みたようです。その大きな胃袋を満たしてくれる魚がどこにでも泳いでいる訳ではありません。また他に当てもありません。やるしかない、と考えました。


 バザールが停滞しているので新天地開拓です。打開策として、私はオナキ公団に照準を合わせました。と言えば格好が良すぎます。本音をいうとオナキに縋るような気持でした。勝算はありませんでした。過去何度も先輩が挑戦し、結局徒労に終わっていました。勝者は毎度のようにイルロジでした。今更風向きを変えるのは至難の業です。しかし、手を拱いておれません。また躊躇っていてもチャンスを逃すだけです。今回は、超大型の入札案件で、納期は来年の3月までとの噂です。噂通りであれば、受注すれば今期中の売り上げに繋がります。が、余りにも大型案件で、却って他商社が怖気をふるう位でした。納期遅れには過酷な罰金が科されます。生産スペースを押さえるだけ押さえて、土壇場でキャンセルでは取引先は承知しません。かと言って事前発注とも行きません。『病ダレ』に『(商)品』の『山』、と書くと『癌』という字になります。『在庫は癌だ。絶対に抱えるな』と、これは先輩から口を酸っぱくして教え込まれました。特に製品在庫はいざ処分するとなると、半値8掛け5割引、つまり帳簿価格の2割で売れれば御の字と言われたものです。また、入札対象の製品群は日本が得意な分野が半分、海外分が残りの半分と想定されました。となれば、生産管理に加え輸送が頭の痛い問題です。日本から欧米に輸出するのとは訳が違います。生産国の中国やマレーシア、タイ、パキスタン、更にはインドネシアからイランに直行船は僅かしかなく、ドバイやシンガポールで積み替える必要があるからです。


 しかし、イルロジにしても納期は悩ましい問題の筈です。プロ集団である紅忠ですら綱渡りの芸当です。逆に、そういう状況だからこそイルロジと組める余地が出てこないだろうか?またイルロジから見て最強の競争相手、つまり紅忠を自陣営に取り込む利点もあるだろう、と藁にも縋る思いでした。

 覚悟を決めてイルロジにアポイントを打診しました。ところが思わぬ展開になりました。期せずしてイルロジが快諾したのです。しかも社長自ら『即刻会いたい』と!ビジネスはもとよりタイミングが大事です。背景は与り知りません。が、イルロジには紅忠と会わねばならぬ何かがある、チャンスだ、と胸が躍りました。


 紅忠は実績主義の会社です。勝てば官軍、負ければ賊軍と言いますが、紅忠はまさにそれを地で行く会社です。儲けてなんぼ、最初に儲けありきです。赤字の部署に発言力はありません。良いも悪いも、紅忠はそういう意味で資本主義の申し子です。もちろん、実際には社会的におかしな言動が許されるわけではありません。しかし、儲けもしないのに何を言うか、という紅忠社内の不文律は時と共に成熟し、膨れ上がるばかりでした。それが外面的に変貌を遂げたのが1970年代です。ちょうど私が入社した頃の話でした。オイルショックに端を発し、商社の買い占め売り惜しみが狂乱物価の一因となりました。主食の米まで値上がりし、社会問題化しました。遂に国会でも取り上げられました。紅忠は社長が引責辞任し、新たな社内行動基準が策定されました。大きく分けると10項目あったため、社員間では『十戒(じっかい)』と呼称しました。呼称の由来は聖書です。モーゼが直接神より授かった10カ条の戒めです。旧約聖書の十戒は信徒にとって絶対的な教えです。紅忠版十戒も同じ意味合いです。紅忠社員である限り、誰であっても、何はさておき遵守すべきなのです。その項目の第1番に『紅忠は、事業を通して社会に貢献します』と記載されています。次に『国内外の法律を遵守し、社会規範に沿った責任ある行動を取ります』と誓っています。ましてや、賄賂ビジネスは論外でした。

 紅忠版十戒はその後も若干の修正を加えながら進展し、会社の行動指針としては2つに集約されました。

1つは 清く、正しく、美しく(CLEAN, HONEST, BEAUTIFUL)

もう1つは 公正に戦う(FIGHT FAIR)

です。商社なので日本語と英語が併記されています。小学校か中学校の校訓のような言葉です。が、紛れもなく紅忠商事のモットーです。紅忠には、この2つを敢えて宣言しなければならない背景があったのです。当時総合商社はどこも類似した行動基準を策定しました。


 長期出張の直前に私は辻部長に呼ばれました。期待している、体に気を付けよ、安全第一だ、と話を伺いました。戦争、紛争が絶えない中東です。安全確保は人命に関わる課題でした。一通りの話が終わり、ふっと思いついたように、部長は付け足しました。

「そうそう、出張先はイランやったな。そうなら一言注意しておかんと、上司としての私の役目柄な。他でもない小豆ビジネスの件や」

 そう切り出した部長の目元は和らいでいました。

「小豆ビジネスは厳禁や。日本だけやない。欧米でも賄賂は禁止されとおる。公正な競争を阻害するからな。代理店のような第3者を介した迂回贈賄は尚更悪質と見なされる。せやから誤解されんようにな。紅忠マンは『李下に冠を正さず』や。会社のモットー通り『清く、正しく、美しく』どんなことがあっても『公正に戦う』精神で臨むんや。遵法は紅忠マンとして()()()()()や、今さら言わんでも長嶋君も知っての通りや」

 口調は滑らかで、あたかも諳んじた念仏を唱えるかのようでした。と、今度は厳しい顔付に戻りました。

「と言うても、商売出来(でけ)へんかったら、それ以前の問題や。紅忠には十戒にない不文律がある。そんなことぐらい分かってるわな?。商やっての紅忠マン、商やらん輩は死刑やで。あっはっはっ、と言うのは冗談やけど、体に気ぃ付けてな、気張って商売やってこい」

 一体全体、辻部長の目的は何だったのか?遵法の指示か?保身目的か?それとも本音は別のところにあったのか?頭が混乱しただけで真意は分かりませんでした。


 イルロジの事務所は、パーレビ通りを南に下り、バザールに突き当たったところにありました。私は隣の部の畑守出張員にも同行を促しました。一口に織物と言っても多種類に及びます。入札対象となる商品群は両部に跨っていました。

 初めてイルロジ事務所を訪問した時、正直、その第一印象は良くありませんでした。なにか独特の圧迫感を感じました。政商はこのような雰囲気を持っているものでしょうか?どこか攻撃的で強圧的な、我我に馴染みがない空気が事務所全体に漂っていました。勢い込んで訪問したものの一瞬怯んだくらいです。私より2つ年下の畑守も圧倒されたのでしょう、私の傍で息をひそめておりました。

 が、そのような懸念もイルロジ社長に会うと、たちどころに払拭されました。社長は190センチ近い、眼も鼻も耳も口も全てのつくりが大きな巨漢でした。髭が濃く、厚みのある体躯で、日本では見かけたことが無い風貌です。想像していたより若く、40歳なかばのお年頃で、精悍という表現がぴったり当てはまりました。社長は私を見るなり、その大きな眼を細め、人懐っこい表情に変わりました。私の名刺を両手で受け取って、日本語で

「ありがとう」

と微笑みました。左腕で私を包み込み、右手で会議室に誘導してくれました。石造りの床には大きなペルシャ絨毯が敷き詰められていました。シャーアッバス文という花柄が施され、全体として地上の楽園をイメージしています。その文様はシルクロードを経由して中国から日本に伝来し、我我が唐草文様として親しんでいるものの原形です。要人も来るのでしょう、深々としたソファーは柔らかくしなやかでした。特別な方法で鞣されたのでしょうか、牛皮なのにまるで羊皮のような優しい感触でした。会議室で、社長の右腕であるチリウイアの紹介を受けました。まだ30歳前の青年です。若いが既に恰幅がありました。度のきつい眼鏡の奥の大きな眼に力がみなぎっていました。ドイツ語と英語が堪能で如何にも洗練されたビジネスマンという立ち振る舞いでした。私とほぼ同年齢なのに、チリウイアは既に社長秘書兼副社長の肩書でした。その他数名の実務担当者も同席しました。

「長嶋さん、紅忠商事は前前から存じ上げています。特に繊維は別格の実力をお持ちなさっている。今までどれだけ貴社の為に被害を被ったことか。無論、オナキ向けビジネスの話です。我我は入札で勝ち続けています。が、紅忠には困ったものだ、厳しい価格競争を強いられ、期待した利益を得られなかったのです」

 そう言って、さあどうぞ、とイルロジ社長は2杯目のお茶を進めてくれました。イランでは直径が3センチ、高さが5センチ位の厚手のグラスで濃い目の紅茶を飲むのが習慣です。お茶と同時に角砂糖が出されます。先ず角砂糖を口に含み、少しずつ紅茶をすすって、好みの量の砂糖を溶かしながら飲むのです。飲み切ってしまうと間髪を置かず新しく注いでくれます。


 紅忠は嘗て採算度外視でオナキからの受注を狙ったことがありました。結果的にそれでも受注出来ませんでした。しかし、それが収益面でイルロジを圧迫したのでしょう。と、社長は話を続けました。

「実は、長嶋さんに会う前に、私はそれなりの覚悟もしました。紅忠は本来手強い競争相手、お会いすべきじゃないのです。しかし、昨日の敵は今日の友、そうじゃありませんか?だからこそ、長嶋さんにお会いしたかったのです」

 情報取りではない、協力出来ないか、という含みが言外にありました。社長は最初からざっくばらんでした。私は話を聞くうちに体が火照りました。耳朶まで赤くなったと思います。

「先ずご理解いただきたいのは、私共にはイルロジという信頼のブランドがあります。紅忠と比べれば、田舎の小さな商店です。しかし、会社の大小だけで成否は決まりません。長嶋さんご承知の通りです。ビジネスは信用第一、影日向なく努力を続け、契約を誠実に履行するのは当然です。オナキが我我に次次と発注するのも、互いに信頼関係があるからです」

 説明を聞くまでもありません。イルロジの実力を知っているからこその面談です。と、少し間をあけた後、社長の話は続きました。

「ところが最近深刻な問題が発生しました。正直にお話ししましょう。これは現在の契約履行についての話です。実は一昨日オナキから、『納期遅れはまかりならぬ、これからも続くならイルロジとの取引を停止する』と、書面で警告を受けました。これは本当に衝撃でした。私どもにも言い分はあります。予定より発注がずれ込んだのは痛かったです。が、我我にも落ち度がありました。結果として・・・極めて深刻な問題になりました」

 タイミングが良かった、提携の可能性が膨らむ、と直感しました。イルロジも紅忠と会わねばならぬ背景があったのです。私は勢い込んで自分自身の経験を披露しました。

「社長、そういう内部事情をお伝えくださったことを感謝します。言うまでもなく契約後の生産や輸送管理は大きな課題です。紅忠は、利益よりも一にも二にも会社の信用が大切と考えております。実は私にも納期の問題で忘れられない思い出があります、それはイランのビジネスではありませんが」

 過去に、納期を守るために専用機をチャーターし、空輸コストがかさんで大赤字となった、それでも契約条件を守りぬき紅忠の信用を高めた、と懸命に説明しました。

「長嶋さん、さすが紅忠です!だからこそ今回お会いしたかったのです。最初に貴社にお会いして良かったです。しかし」

 と、そこで顔をしかめ、イルロジ社長は無念そうな表情を浮かべました。

「この問題さえ起こらなければ、長嶋さんに会うこともなかったでしょう。紅忠に会ったのが知れ渡れば、長年の取引先は大騒ぎします。彼等は新しい契約を待ち望んでおります。注文を出さないと彼等にとっては死活問題です。将来、彼等は競争相手のヤヒモナと組むかも知れません」

 調査通りヤヒモナはイルロジの目の上のたん瘤のような存在でした。両社は食うか食われるか、し烈な競争を繰り返しているのです。そこで社長は話を中断しました。そうして部下たちを見まわし、

「チリウイア以外は席を外してくれんか」

 と退席を命じました。部下にも同席させたくないとは?だが、社長には予定の決定だったのでしょう、その表情は全く変わりませんでした。退出を確かめ、イルロジ社長はA4サイズ数枚のコピーをチリウイア副社長から受け取りました。そして、

「しかし、我我にとってオナキは生命線です。ベストなパートナーと提携し、何としてもビジネスを守らねばならないのです。そして、これが我我の決意の証です」

 と私に手渡しました。紙面の最上部にペルシャ語と英語で『オナキ公団』と印字されていました。入札番号XXXとあるのが目に飛び込みました。日付は何と1週間後(!)でした。まだ公表されていない入札書類なのです。2枚目以降は買い付け品目リストでした。読み進む内に手先が小刻みに震えてしまいました。とてつもなく大きな数量です。二度とないチャンスと実感しました。

「来年の3月末までに全量納入するのが条件となっています」

 イルロジ社長は要点を補足し、徐に付け加えました。

「言うまでもなくこれは極秘の文書です。長嶋さん以外、誰にも見せておりません。貴社にコピーを渡したことが公になれば、私の信用は丸つぶれになります。また、おわかりですね、関係者にも多大の迷惑を掛けることになります。しかし、これをお見せしないと、我我がどれほど真剣か、納得頂けなかったでしょう」

「イルロジ社長、このような貴重な情報を開示頂き感謝の言葉も見つかりません。この情報は絶対に外部に漏らしません。ところで、貴社の取引先を貶す積りは毛頭ありません。が、納期を守れなかったのは、如何なものでしょうか?敢えて申し上げます、会社として誠意に欠けております。彼らは無責任であり、ビジネスのパートナーとしては相応しくありません」

 私は懸命に話しました。他方、我我は本当に納期が守れるだろうか、と内心不安でした。それほど数量が大きく、時間的な猶予がなかったのです。すると、チリウイア副社長が、横から失礼します、と口を挟んできました。

「長嶋さんがおっしゃる通りです。契約を守らねばオナキに迷惑を掛けます。我が社だけの問題では済みません。しかし、彼らと長年取引を続けてきたのです。まことに残念です。納期さえ守ってくれたなら、こうして長嶋さんとお会いすることもなかったでしょう。我我は、苦渋の決断を下したのです」

 チリウイアの説明にイルロジ社長も相槌を打ちました。無念そうに顔をしかめ、ため息まで付いていました。ここぞとばかりに私は力を込めました。

「今回のイルロジ社長のご決断が、お互いにとって良かったなあ、と将来笑って話し合えるように、この入札に全力を尽くします」

「長嶋さん、期待しております。全面的にお任せします。お互い全力を尽くしましょう」

 確かにバザール筋と比較してスケールが桁違いでした。紅忠に新しいビッグビジネスの可能性が開くのです。私と畑守はそう考えて頭がくらくらする位でした。無論、成功すれば紅中マンとしての社内評価も上がります。

「我我紅忠も、納期や品質管理はもとより、価格、()()()()()()も含めて、ご協力します」

 私は、その他の条件と言うところを強調しました。畑守も傍で大きく頷いていました。それが()()を意味することは言うまでもありません。

 イルロジ社長は、たちどころに意味するところを理解しました。

「長嶋さん、以心伝心とはこのことですな。ご理解いただいているので1つ手間が省けました。この商売にはこの商売特有の()()があります。ご承知の通りです。条件が合わないと絶対に受注できません。しかし、私共はあなたが想像しておられる程、強欲ではありません。お金が全てのビジネスに見えて、実際にはそうではありません。入札も普通のビジネスと変わりません。信用が第一です。誠意と情熱が大切です。当社は紅忠と提携と決まれば、自らの役割をひたすら果たすだけです。我我は運命共同体です。同じボートに乗るのです。まず今回の入札を一緒にやり遂げましょう。必ず成功させましょう」

 感激の余り返す言葉がありませんでした。私はただただ頷きました。相手は実績随一のイルロジです。オナキ向けに突然大きな可能性が開けました。


 事務所に戻り私達はイルロジとの面談内容を洗い直しました。

「イルロジの提案は凄かったですね、長嶋さん。これ程高率の小豆は初めてです、小豆が10粒、契約金額の10%ですよ!」

 最後の方は声をひそめて畑守は言いました。実のところ私も驚きました。代理店手数料は普通3%、どんなに多くても5%です。また、契約金額が大きくなれば率は低くなり1%か2%の場合もあります。いくら小豆が必要としても異常な高率です。しかしイルロジ社長の説明は違いました。

「長嶋さん、ここはイランです。このような報酬は、巡り巡って関係者全員を潤すのです。受注したとして、私が手にした全報酬を自分の懐に入れると思われますか?そのようなことをすれば、直ちに舞台から退場させられます。受注するということは、私が関係者から信頼され、報酬を公正に配分している証です。大半の報酬はフィクサーに行きます。で、フィクサーはまず、オナキの然るべき責任者に配慮します。また、場合によっては競争相手にすら配慮します。競争相手を排除すれば良い、と言うものでもありますまい。将来手を携えることだってあり得るのです。そういう適切な差配が一番大切です。大多数の関係者が納得できる形に持ち込めるかどうかが成否を分かちます。公明正大は必要不可欠な原理原則です。時には私の取り分を犠牲にしないと駄目な位です。いやいや、苦労ばかり多くて本当に割りの合わない仕事ですよ」

 と社長は眉を顰めました。

 それにしても小豆は、サラリーマンの生涯収入を遥かに超える金額になりそうでした。でも、イルロジ社長は諭すように説明を続けました。

「長嶋さん、あなたが優秀な商社マンであることは存じ上げております。しかし、イラン市場でのご経験はこれからでしょう?イランでは大きなビジネスになればなるほど裏金も付き纏う、例え民間のビジネスであってもね。ましてや国相手に手ぶらでは門前払いですよ。そういう世界に我我は住んでいるのです。それを長嶋さん、そんなことも分からないようでは、ここで商売など出来っこないじゃありませんか」

 とイルロジ社長は持論を述べました。その上で、畳み込むように私に言いました。

「私は貴社に10%を提案しましたが、それは最低必要な経費とご理解下さい。私はこのビジネスの一番適正な報酬率を知っています。少なすぎれば相手にされません。多すぎても競争力を失います。また、手数料を独り占めできるほど、私達の社会は甘くありません。欲が深いと弾き出されます」

 そこまで聞くと反論の余地もありませんでした。入札の場合、契約内容は公表されますが、売り手から見て旨味がある契約単価にも、そのような絡繰があったのです。イルロジ社には実績の積み重ねがあります。紅忠が断れば、他社に話が持ち込まれます。繊維に強い紅忠といえども、独り相撲じゃ勝てません。臍をかむ結果に終わるだけです。

「分かりました、イルロジ社長を信じます」

 と私は答えざるを得ませんでした。

「10パーセントで本社を説得します。お時間をください」

このチャンスは絶対に逃したくありません。小豆が10粒というのは途方もなく大きく思えました。また紅忠の十戒に抵触します。でも、『清く、正しく、商い無し』では負け犬の遠吠えです。犬も仲間も餌にありつけません。スピード順守の安全運転で運んでいた鮮魚が腐っては不幸です。算盤さえ合えば契約すれば良いのだ、と悪魔が耳元で囁きました。


 そうは言っても途方もなく膨大な小豆です。私は金縛り状態に陥りました。頭が働かず時間だけが経過しました。そこで私は本社の辻部長に相談の電話を入れました。テレックスやファックスの様な後に証拠が残る交信は避けました。

「確かに大きな口銭やなあ。それでも、それはイルロジの甲斐性やろ?信用も実績もあるから売れるのやろ?小豆ビジネスはあかんけど、これはイルロジへの成功報酬やろ?小豆じゃなく、代理店手数料と違うのか?そういうことなら反対せえへん。それから手数料に負けへん位に稼ぐこっちゃ。稼ぐに追いつく貧乏無し。代理店手数料より紅忠の儲けが少なかったら税務署も納得せんわな。手数料を賄賂と疑われるきっかけを作ってしまう。紅忠の儲けは代理店手数料より大きい、と言うのが正当な取引という証拠にもなるんや」

 立て板に水とはこういうことでしょう。部長は滔滔と喋ります。私から口を挟む余地はありませんでした。

「独占代理店契約の仮調印は長嶋君がやっとき。せやけどな、口酸っぽうして小豆ビジネスだけはあかん、と言うたのは忘れんとな。不法行為はあかんのや。あくまで遵法路線や。ほな、オナキの商売頑張ってや」

 結局、小豆ビジネスはダメだが商売は必ずものにせよ、と指示されました。電話から伝わる雰囲気に気圧されました。何も相談できないまま受話器を置きました。


 独占代理店契約書はイルロジ社長と私の間で6月1日に仮調印しました。今回の入札と特定しての独占契約としました。また、有効期限も9月30日と取り決めました。入札結果は7月15日迄に公表される見込みだったので、十二分に余裕がありました。イルロジ社長は調印後ご機嫌でした。

「長嶋さん、この代理店契約はスタートであってゴールではない。ビッグビジネスをものにしてこそ成功と言える、私は本気ですよ、一緒に頑張りましょう」

と大声で笑いながら、握手と同時に私の肩をドンと叩くのでした。


 独占代理店契約を交わしたのち、私は辻部長に出張員の補充を依頼しました。それで私と同じ部の大室出張員が派遣されました。隣の部の畑守と3名体制で臨み、入札期限(6月30日)間際に応札書類を作り上げました。採算間違いやタイプミスがあれば大事です。物理的な睡眠不足と戦い、神経をすり減らす重作業をこなさねばなりませんでした。当初の2人だけでは応札書類作成が間に合わなかったと思います。3人とも20代後半ですが、応札後2,3日は疲れ切って椅子に座っているのも辛かったほどでした。総計200品目余、生産地域は6カ国、60億円の見積り作業が完成しました。


「長嶋さん、受注すれば我我にはお正月もないですね」

 その通りでした。品質や納期の管理は契約書にサインして終わるものではありません。紅忠には結果責任があります。言うまでもなく現場主義は商社マンにとっても基本中の基本です。新しい取り組み先には直接面談して詳細を打合せする必要があります。場合によっては仕入れ先を変更する必要も出てくるかもしれません。

「しかし、繊維の世界でこんなに巨大な案件があるとは驚きでした!」

 大室や畑守の悲鳴に似た感嘆もあながち大袈裟ではありませんでした。また、私には自分に対する賞賛のように聞こえました。注目のイラン市場で、戦禍の最中にもかかわらず、第1号の超大型商談となるのです。イルロジと組んで良かった!次の大型入札も紅忠のものです。

「まだ落札したと決まった訳ではないからね。ここじゃ、99%確実と思っても、しばしばどんでん返しがある。発注書を貰うまで油断ならない。大室君、畑守君、3人で最後まで気を引き締めて頑張ろう」

 言葉と裏腹に私自身浮ついていました。

「そうですね、分かりました。何でもします。ご指示ください」

 2人の私への言葉遣いは既に上司に対する部下のようでした。サラリーマンだから先を読み、忖度もします。最早、小豆ビジネスであろうがあるまいが、ゴール目指して突進する以外になくなりました。


 ところが、ここで想定外の状況が続きました。見積もり有効期限の延長要請です。当初、有効期限は7月15日でした。またその日に発注先が決定される筈でした。それがオナキの要請で7月末となり、更に延長に次ぐ延長となり8月も過ぎ去りました。最終的に9月30日までの延長を余儀なくされました。しかも納期は来年3月と据え置かれたままでした。要請の度に正式書面で見積り期限延長同意書を提出しなければなりませんでした。その際、納期をずらせば他社に契約を取られる、とイルロジは警告しました。イルロジにすれば納期の問題で味噌を付けた直後でした。オナキと交渉できる立場になく、紅忠に無理強いしたのかも知れません。元元懸念していた納期です。どんどん時間だけが経過し、本社からも矢のような催促が入りました。

 私は執拗にイルロジに結果をせっつきました。せめて途中経過の詳報が欲しいと要請しました。でも、イルロジから的確な返事はありませんでした。次第に不信感も頭をよぎるようになりました。待たされるだけ待たされて、他社に商売を取られるのではないか?また、イルロジが元の取り組み先と両天秤を掛けているのではないか?と疑心暗鬼になりました。本社からも同じような懸念が伝えられました。『まさか、我我は裏をかかれているのではないだろうな?長嶋君、本当に大丈夫か?』私ももとより焦っていました。しかし、入札案件だけに受け身です。一旦応札すれば結果を待つ以外になかったのです。


 その時、大変な問題をあとに残す提案が舞い込みました。

 バザールの懇意な客先が

「長嶋さん、オナキ向けならヤヒモナ社ですよ。繊維ビジネスであってもイルロジの時代は終わりました。ここだけの話だが、イルロジは納期遅れで信用を失いました、今回は受注できませんよ。私はヤヒモナを知っているので紹介しましょうか?会うだけでも良いのでどうでしょうか?」

 と勧められました。イルロジが納期遅延したのは既に業界周知のようでした。ヤヒモナがオナキ向け実績でナンバーワンなのは承知していました。『イルロジと心中』で、最後にドデン返しにあったなら最悪です。応札準備に始まり、3名の出張者がテヘランに張り付いているのです。所帯の大きな紅忠と言え、繊維のビジネスで3名が4か月間も海外の一地点に貼り付くのは異例です。発案者の私に一番の責任があります。心理的に追い詰められていた私はその提案に乗りました。ヤヒモナと面談する決心を固めました。


 ヤヒモナは会社の雰囲気も親しみが持てました。同じ政商とは言え威圧感が全くありませんでした。ヤヒモナ社長は『オナキは9月末に最終決定する。イルロジは前回契約分の納入も完了していない。だから絶対に受注出来ない。我我ならイルロジと同条件で契約してみせる』と言い切りました。

 ヤヒモナは紅忠に独占権を要求しなかったのです。そこで私は、ヤヒモナにもイルロジと同条件で見積りを出し、保険を掛けておく。もし入札発表が更に延期となれば、ヤヒモナ一本に乗り換える、と方針を軌道修正しました。9月末の10日ほどの短期間だが、イルロジとヤヒモナを両天秤にかけてしまったのです。だが、多分今回も決定延期となるだろう。それに、期待に反してイルロジからの情報は貧弱でした。これではパートナーとして不足だし、紅忠に権利だけを主張出来ない筈だ、と言い訳を考えました。10月以降完全にヤヒモナに乗り換えれば、直ぐにでも受注出来そうだと踏んだのです。

 功名心も後押しし、切羽詰っていた私はヤヒモナと手書きの代理店契約を結び、自ら署名しました。合意書の内容は、独占契約ではありませんでした。また全般的に紅忠にとって有利な条件でした。ただ、イルロジとの独占契約の件は流石に気に掛かりました。今考えると、契約文は乱雑な手書きで、私の心の乱れと焦りを象徴するかのようでした。


 そうして9月30日の入札結果です。

 紅忠が落札しました。

 代理店として受注したのはヤヒモナでした。

 イルロジは失注しました。

 オナキの決定が下されたのは9月30日の深夜近くでした。たら、れば、と後悔しても遅すぎました。でも、あと1日決定がずれ込めば、イルロジとの独占契約は自然解消出来たのです。事態は縺れる方向に進んでしまいました。


 1981年9月30日(水)

 この日、入札委員会は最終審議に入りました。日も暮れてからヤヒモナ社長から電話連絡が入りました。

「長嶋さん、オナキの件ですが、非常に良い感触です。実は余りにも数量が大きく納期が厳しいので、条件通りの見積りを出せたのは、僅か3社でした。その内の1社はドバイ系の会社です。そこは以前の契約で問題を起し、オナキと係争中です。オナキは彼等には絶対発注しないでしょう」

「では、もう1社はどこなのです?」

 私は受話器を強く握りしめ訊きました。不安がよぎりました。

「それは長嶋さんもご想像がつくでしょう。イルロジです。だが、イルロジはオナキの信頼を失っております。契約履行面で問題を起していないのは当社だけです」

「でも、結局どのように発注されるのですか?貴社とイルロジに半々の発注となるのでしょうか?」

 私は自らの希望的観測を込めて訊きました。何故なら紅忠から2社への見積りは、価格面、納期面とも全く同条件だったからです。2社に分割発注となればイルロジへの申し開きも立ちます。また、イルロジも契約履行のために紅忠に頼らざるを得ないでしょう。しかし、ヤヒモナ社長からは、一縷の望みを絶ち切るような答えが返ってきました。

「そういう場合もありますが、今回は全量ヤヒモナで受注出来ると信じております。我我は水面下で、文字通り全力で工作しています。発注先は本日付で決定され、明日公表されます。実は現在も入札委員会が審議をしている最中です。刻々と状況は掴めております。我我からの続報をお待ちになってください。多分明日、10月1日の午前中か、午後一番には確定情報をご連絡出来る筈です」

 ヤヒモナ社長との電話を終了した後も、私は緊張を解けませんでした。手から汗が出ていたのでしょう、戻した受話器から手のひらのような形をした汗が薄らと光を放ちました。入札結果が間もなく判明する。残った本命と対抗の2社には、どちらも紅忠が関与している様相です。しかし、有頂天とは程遠く、得も言われぬ不安が蠢いていました。

「長嶋さん、どのような連絡だったのでしょうか?」

 隣の机から身を乗り出すように私を見つめていた大室や畑守も心配そうに私を見ました。

「手応えはある。ヤヒモナ経由でも仕掛けたのは正解だった」

 と平静心を装いました。

「長嶋さん、受注すれば満塁ホームランですね。イルロジだけに頼らなかったのは慧眼です」

 と畑守は満面に笑みを浮かべました。

「おだてても駄目だ。分かっているね、成功の暁には畑守君の部から小豆をいただくからね。ただ働きはあり得ない。お礼の気持ちは小豆で示さないとね」

 と冗談交じりに小豆という言葉を使いました。畑守は隣の部に所属しています。紅忠では社内と言え、タダ働きはあり得ないのです。新規のビジネスを紹介すれば、紹介した部経由で取引をするか、紹介料を支払うのが慣例でした。

「それは私ごときに権限がございません。大崎部長と辻部長との話し合いでお決めになるでしょう。でも小豆取引は紅忠では禁止されています。払いたくてもお支払いできませんよ」

 畑守はニコニコしながらお道化ました。と、大室が横から疑問を呈しました。

「でも、大崎部長と辻部長の間でお金が絡んだ話し合いなんて成立するでしょうかねえ?私には想像がつきません。延延と口論というか争いが続くんじゃないですか?」

 確かに金が絡めば収拾が付きそうもありませんでした。


 入札結果が待ち遠しいのは事実でした。他方、私の方は内心の不安が徐々に高まりました。『そうだ、私も権限が無かったのだ。ヤヒモナとの代理店契約は、辻部長に先ず相談すべきだった』と不安の原因を咀嚼しました。

 その晩、私は小菅支店長からも状況を聞かれました。

「上手く行けば、の話ですが、近々良いご報告が出来るかも知れません」

 と答えました。その場でも心中持っている不安材料を吐露する気持ちになりませんでした。

「それは凄いね。やはりビジネスは担当者次第だね。このところ疲れ気味だが、疲れた時の1番の薬は新規契約だ。受注すれば深夜だっていつだって構わない、私にも朗報を聞かせて欲しい」

 と煽てられました。


 1981年10月1日(木)

 翌日の昼過ぎ、正確に言うと10月1日の14時頃でした。ヤヒモナ社長から事務所で待機する私に電話が入りました。冷静なヤヒモナ社長の声も心なしか上ずっていました。

「長嶋さん、おめでとうございます。また、有難うございます。昨日正式に貴社に発注が決まりました」

「ヤヒモナ社長、全量でございましょうか?」

「無論、全量です。契約金額は60億円です。私の手元にたった今契約書の原本が到着しました。契約完了です」

「決定日は9月30日になるのでしょうか?」

「無論そうです。オナキからの見積有効期限の依頼は9月30日でしたから。10月1日とはなりません。でも、それは大した問題ではないでしょう?」

 私は耳鳴りしたように感じました。10月1日にならないかと願ったが、最後の望みも潰えました。しかし、私にとって初めての、いや多分生涯最大の、超大型成約です。また、イルロジとの問題はヤヒモナやオナキには全く関わりがありません。

「オナキは見積有効期限内に発注したのです。何か御異存でもあるのでしょうか?」

「いや、何となく気になったもので」

 私はこれ以上有効期限に拘る勇気はありませんでした。何が何でも受注したかったのです。

 電話の横では相変わらず若手2人が心配顔で見つめていました。私の表情からは良い結果か、悪い話だったのか、判定が付かなかったのでしょう。私は右手の親指をグッと立てました。破顔一笑、2人は声を押し殺し、ガッツポーズを作りました。私の方は呆然と受話器を持っていました。受話器の向こうのヤヒモナ社長の話は続いていました。

「長嶋さん、今回のビジネスも大きいが、これは第一歩です。イルロジが・・・オナキも・・・言いました。納期は厳重に管理・・・明日か、明後日にはお会いしましょう。そういうことで宜しいでしょうか」

 ヤヒモナ社長は私の返事を待ちました。

「そうですね。この度は大変ありがとうございました。先ずは本社の辻部長に報告しておきます。貴社にお伺いする時間については」

 答えながら又もや私はボーと頭が霞むのを覚えました。と、ヤヒモナ社長は続けました。

「契約書のオリジナルもお渡しする必要がありますし、オナキに行き・・・では・・・明日、10月2日の午後4時ということで如何でしょうか。長嶋さん、それで宜しいでしょうか。それとも、私が貴社に参りましょうか?」

 私は我に帰り、慌てて答えました。

「了解です。それでは私と大室、畑守の3名でお伺いします。小菅支店長は改めて貴社訪問とさせて頂きます。明日、午後4時、貴社での面談で宜しいですね」

 かろうじて面談予定を確認し、受話器を置きました。今回も受話器には手の形に汗が残りました。超大型契約なのに喜びは湧きませんでした。『さすが、長嶋さんですね。こんなに大きな成約なのに、浮かれておられない。私等とは器が違います』とどちらがいうともなく若手2人は私を持ち上げました。


 私は浮かれるどころではありませんでした。それより、同じ繊維から出張している元駐在員の河本さんに相談したいと思いました。もちろん、イルロジの件です。河本さんはオナキ取引とは無関係でした。だが、どこか頼れるところがあると感じていたのです。またイランの元駐在員でもありました。それとも小菅支店長に相談するのが1番だろうか?頭の中で思いが錯綜しました。

 気を取り直して、私は本社の辻部長に電話を入れました。

「よっしゃ、ようやった!大手柄や。納期は大丈夫か?取引先も喜ぶぞ、これは。小菅支店長にも宜しく伝えて欲しい。それから総支配人や、そうそう肝心のイルロジ社長にも宜しく伝えて欲しい」

「いえ、これはヤヒモナ経由で受注しました」

「ヤヒモナ?それは聞いていないぞ。代理店かいな?」

「最有力の代理店です。ヤヒモナが居ないと今回も受注出来なかったと思います」

「しかし、イルロジともめ事にならへんやろな?独占代理店契約があったさかいな」

 辻部長は疑うように訊きました。動物的ともいえる勘でリスクを嗅ぎ取ったのでしょうか、微妙な話になると益益大阪弁が強くなりました。

「大丈夫と思います。何度も連絡を取っていますので」

「思うじゃ困るがな。腹に入らんなあ。問題が起こらんように対処してや。代理店問題を簡単に考えては不味いがな。特に中東ではそうや。商社マンならその辺は分かるやろ。そうそう、こんな初歩的な問題に私を巻きこんだらあかんよ」

「いえ、そのような積りはありません。私の方で何とか解決します」

 私は汗だくになって辻部長に答えました。部長はその時、ふん、と受話器の向こうで嘲笑っているような気がしました。まるで私の自信の無さを見透かしているかのようでした。

「失敗してもな、長嶋君の場合は若い。挽回がきくやろ。だが私はもう歳や。失敗は許されへん。ましてや私の知らないところで事件を起こされたんでは適わんなあ。長期出張は御苦労さんや。けど、後先考えんと進めてしもうて、問題起すのは厳禁やで。国際電話代は高い、この辺にしとこか」


 受話器を置いた時、私は胃が重苦しくなるのを感じました。せっかくの大手柄が台無しどころか・・・。イルロジ社長の鋭い眼光、迫力のある言葉遣いを思い出しました。口論になれば私に勝ち目はありません。

 入社直後のある日、自分は商社マンに向いていないのではないか、と自信を喪失したことがありました。語学力や貿易知識の話ではありません。もっと奥の、性格の問題でした。例えば、白を黒と言いくるめる押しの強さや、物事に動じない図太さです。体力はもとより精神的なタフさも要求されるのです。同じ事象を、真正面で捉える真摯さと、場合によっては軽く受け流す逞しさ、余裕も必要です。本来的な商社マンとしての資質が自分には不足しているのではないか、と不安だったのです。あの時以来の重苦しさでした。今更、状況を元に戻せません。また、ここで失敗すればせっかくの苦労が水の泡と帰します。が、既に事態は自分の手に余っている、と予感しました。


 懸念は間をおかず、同じ日の夕刻に襲って来ました。私はぼんやりと事務所で机に座っていました。と、大室が受話器を私の目の前に付き出しました。私は電話が鳴っていたのに気が付かなかったのです。

「イルロジ社長からですよ」

 横から畑守が小声で付け加えました。イルロジと聞くなりビクッとしたが、もう居留守を使う訳に行きませんでした。

「はい、長嶋です」

 私は大室や畑守に背を向けて小声で言いました。

「イルロジです」

「社長ですか」

 情けないことに既に私の声は震え、喉が詰まりそうになっていました。

「長嶋さん、大変残念だが弊社は失注しました。今まで4カ月近くの苦労が結局報われませんでした」

「・・・」

「誰が受注したのかご存知ですね」

「・・・」

「受注した外国企業は紅忠です。代理店名はヤヒモナです。実は、オナキから呼び出しがあって何度か見積りの改善要求を受けました。我我の最大の競争相手は例によってヤヒモナでした。しかし、ヤヒモナは強敵だが、今回は我我より15%近く提示価格が高い、また、全品種の見積りを出せなかった、という裏情報も掴んでいました。そこで私は

『今回は日本の商社とがっちり取組んだ。最初からベストの見積りで、改善見積もりを出せる余裕は無い』

 と強気を通しました。先月の15日頃、再度オナキの責任者から呼び出しを受け

『今月末までには最終決定する。もう1度いうが、改善見積りを出すなら最後のチャンスをやろう』

 と言われました。それに対して私は

『既に回答した通りだ。改善の余地はない』

 と答えました。オナキは来年の3月末迄に全量欲しいのです。最早再入札は物理的にあり得ないと読んだのです」

 電話の向こうの語気は次第に強くなって来ました。私はピッタリとくっ付けた耳と受話器の間にじっとり汗が充満して来るのを感じました。心臓の鼓動が音を立てているようでした。また、部屋が揺れているように感じました。

「ところが昨日の晩、入札委員会よりおかしな情報が入りました。ヤヒモナが受注しそうな雰囲気だと。

『冗談じゃない、ヤヒモナは値段が高かったし、全アイテムの見積りが揃ってなかったじゃないか』

 私は思わず情報提供者に怒鳴りつけた程でした。ところが情報提供者は

『ヤヒモナの見積り内容はどうもイルロジと全く変らないようだ。イルロジは前回大きな納期遅れを来たしたので状況は不利だ』

 と報告するではありませんか。

『馬鹿な、絶対にあり得ない!』

 と思わず叫びました。しかし、昨日の深夜になって最終決定が下され、我我は失注しました。明日の官報に結果は公表されます。勝敗は時の運、それは仕方がない。しかし、どうして受注したのが紅忠なのでしょうか?その代理店がヤヒモナなのでしょうか?」

 公表資料には当然受注者として紅忠と記載されます。と同時に代理店名も付記されます。

「それは」

 と返答に詰まり私は口籠ってしまいました。口中が乾き、しゃがれ声になり、話すのも困難でした。

「我我は紅忠の独占代理店ではなかったのですか?」

「・・・」

「よりによって、ヤヒモナは我我の最大の競争相手ですよ」

「・・・」

「大会社なのに裏切りですか?受注に失敗しただけでなく、我我もフィクサーも面子まで失ってしまった。ヤヒモナに発注と決定した後で『前回の納期遅れがねえ』と、入札委員会に同情されましたよ」

「・・・」

「黙っておられては分かりません。一体、貴社の誰がヤヒモナに見積りを出したのだろう?独占契約があるのにおかしな話だ」

「・・・」

 私は答えに窮し、実際身動きが付きませんでした。

「まさか長嶋さんじゃないでしょうね?」

 イルロジ社長の低い声音が私の胸に突き刺さりました。私は蒼白になっていたと思います。頬が痙攣し、抑えることが出来ませんでした。

「長嶋さん、どうして答えないのだ?もしヤヒモナに見積りを出したのが長嶋さんなら、これは私に対する裏切りだ!それだけじゃない。私達のフィクサーに対する侮辱だ!」

 イルロジ社長も次第に興奮し、声を荒げ、今や叫んでいるように聞こえました。

「フィクサーを甘く見るのじゃない!あなたは自分のしたことが分かっていないようだ。こんな話は聞いたこともない。大変なことになる!」

 沈黙が30秒は続いたと思います。永遠に続く長さに思えました。脳みそは空白状態で部屋の壁がグルっと回るように感じました。私が答えられずにいると、ガシャンと電話は先方から切られてしまいました。私は呆然と電話を握り締めていました。1分ほど後だったでしょうか、漸く気を取り直し、固まった指1本1本こじ開けて、受話器を戻しました。茫然自失の態の私を、大室や畑守が眼を丸くして見つめていました。


 その晩、私はどのように大室や畑守と別れ、事務所を離れたか覚えていません。自分の狼狽を取り繕うこともできませんでした。2人が心配してエレベータまで見送ってくれた記憶があります。気が付くとテヘランの街を1人で、あてどなく歩いていました。事務所からタフテジャムシッド通りに沿って東に進み、石油公社の巨大な建物の前を通り過ぎました。さらに元アメリカ大使館の真向かいまで歩いていました。テヘランを代表する大通りも開戦後は街灯が消されたままです。車は頻繁に通るが、ライトは点けていません。『どうしよう。何か解決策がないだろうか。次の商売をイルロジと進めることで納得して貰えないだろうか。そのほか、何だっていい、解決法がないものだろうか』私は彷徨いながら、何とかしないと、何とかしないと、とオロオロするばかりでした。

 大通りを更に進むと南北に走る車道と交差しました。少し南に折れると小さなホテルがありました。暗いロビーにふらふら入り、コーヒーを注文しました。2時間半近くロビーで過ごしました。既に時間は午後11時を過ぎていました。思い直してチキンサンドとティーを注文しました。チキンもパンも固く、パサパサしていました。一口だけ無理やり胃に放り込みました。『ああ、大変なことを仕出かした』と改めて暗澹(あんたん)としました。3杯目の飲み物はコーヒーに変えました。元々イランのコーヒーの味は褒めたものではありません。『ネスカフェ』が一般名詞のように通用しています。時には頼みもしないのに、たっぷりの砂糖とコンデンスミルクをかき混ぜて運んで来ます。結局殆どコーヒーに口を付けず、レセプションの横の大きなソファーから立ちあがりました。時間が経つほど不安が増すばかりでした。日付が変わり、10月2日の午前1時を回っていました。気が付くと私は電話の受話器を握っていました。

「長嶋君か、こんな時間までご苦労様」

 何と私の方から小菅支店長宅に電話を入れたようでした。支店長は私が事務所から電話を掛けていると早合点していました。実際、駐在員も出張員も驚くほどよく働きます。真夜中まで働くことも再再(さいさい)でした。

「ご報告します。例のオナキ向けですが、お陰さまで受注が決まりました。60億円です」

「有難う。努力が報われたね。また、本当にご苦労様。これは朗報だ!経済封鎖が解除されてから初めての大型成約だ。これが弾みになって欲しいものだ。我我全員が勇気付けられる快挙だ」

「それから」

「うむ?」

「ついでにご報告しますが、少し問題も抱えたかも知れません」

「問題?」

 支店長はしばし間を置きました。私の声音から何か放置できないものを感じ取ったようでした。

「うん、仕事をやれば問題はつきものだね」

 と一旦同調し、さらに言葉を続けました。

「ちょうど河本君も出張中だ。彼は元イランの駐在員だし、同じ繊維部隊だ。明日にでも、いや夜中を過ぎたから今日と言うべきだな、一度相談してはどうだ。私も時間が取れ次第、聞こう」

 支店長は私の頼りなげな口調が気に掛かったようでした。また、河本さんの名前が直ぐに出てきたことからも、河本さんへの信認度が伺えました。

「いいえ、明日になれば何とかなるかも知れません。夜分遅くに突然電話を掛け、大変失礼しました」

 私は丁重に詫びを入れて電話を切りました。その時、受話器に向かって頭を下げ、そのままジッと受話器を見つめている自分に気付きました。『どうかしているな』と思いました。真夜中過ぎに電話を掛けたり、受話器に頭を下げたり、既に尋常の精神状態を保てなかったのです。


 1981年10月2日(金)

 入札結果は10月1日付けの官報で公表されました。イルロジへの懸念は念頭にありました。しかし、遂に正式受注したのです。ホッとしたのも事実です。また、どのようにして納期を守るかが念頭から離れませんでした。織物の生産管理と言っても簡単ではありません。場合によっては糸の手当てから必要となります。糸は日本で手当てし、染色と織りはタイ国、と分業が必要なケースもあります。しかも東南アジアでは旧正月があり、華僑系企業を中心に2月上旬に2週間近い連休が入ります。相変わらず電力事情も悪く、猶予を見ておかないと、たちどころに納期遅れに繋がってしまいます。まさに綱渡りでした。朝1番から生産管理表を作成し、納期の再確認を開始しました。日本、韓国、台湾、タイ、インドネシア、パキスタン、計6カ国での生産を前提としたグローバルな生産管理でした。

「大室君、君は先ずネシアに飛んで欲しい。ネシアが1番気掛かりだ。生産もさることながら、配船状況も心もとない。シンガポールかドバイでの積み替えしか手段がないだろう」

「長嶋さん、既にフライトはチェック済です。ドバイ経由はキャンセル待ちですが、フランクフルトの方は今晩のルフト便を押えています」

「フランクフルト経由で決まりだな。その方が確実だ。急がば回れ。遠回りだがフランクフルトに出ればあとは何とでもなるだろう。もう2時か、時間が飛ぶように過ぎて行くね」

「それでは、荷物をまとめ、空港に向かいます」

「僕と畑守君はこれからヤヒモナの事務所に行って来る。アポイントが4時だからね」

 仕事の段取りを考えていると神経が落ち着きました。また少しは冷静になれました。

 と、またもや脳裏ではイルロジを思い出しました。『誠意を尽くして話し合おう。商売はこれだけではないのだから』と楽観的になったり、社長の顔を思い浮かべ悩んだり、短時間に私の気持ちは揺れ動きました。プレッシャーにへこたれそうだが、本社に相談出来ません。私の方から辻部長に『何とか解決を図る』云々と電話しましたから。私が事務所を出ようとすると、受付のキアナ嬢が追いかけてきました。

「長嶋さん、河本さんが探していましたよ。今晩支店長宅で食事を一緒にしたいのですって。他のアポイントを入れないで下さいね。はい、これが河本さんからのメッセージ」

 支店長が河本さんに連絡されたのでしょう。メモを受け取りながら、しかし、この場に及んでも河本さんに相談するのを躊躇いました。先方は元イラン駐在員とはいえ、ほぼ同年齢です。おかしなプライドが働きました。そこでキアナには生半可な受け答えをして、事務所を離れました。


 ヤヒモナ事務所は街の北にありました。山に近いので見晴らしも素晴らしく、晴れた日には遠くテヘランを超え南の砂漠やその向こうの山麓まで見渡せます。東の地平線には中近東の最高峰ダマバンドが眺望できました。日本人の間ではイラン富士と親しまれている標高5600有余メートルの大休火山です。事務所の建物は高い塀で囲まれており、敷地内の南面には広々とした庭がありました。スマートな作りだがまるで要塞でした。北面の建物はイルロジ事務所の3倍ほどありました。

 私と畑守は4時前にヤヒモナ事務所に到着しました。門から庭を通り抜け玄関に到着したところ、ドアの内側に飛びきりの美人秘書が待ち受けていました。鼻筋が通り、唇が引き締まっています。髪は黒く、眉に清潔感があり、大きな眼は深いブルーの瞳をしています。イランでは生まれた時に金髪の赤ちゃんが、大人になると黒髪になったりします。しかし、瞳の色は生涯変わりません。

「失礼いたします。紅忠の長嶋様と畑守様でしょうか?」

 吸い込まれそうな瞳が優しく私達2人を交互に見つめました。先ず相手を見つめ、それから微笑む。その効果の程を熟知しているのでしょう。

「はい、私が長嶋です、こちらが畑守です」

「お待ち申し上げておりました。私は秘書のナディアと申します。どうぞこちらへ」

 と我我を先導しました。玄関から入ったロビーの左右にエレベータがあります。業務用と来客用です。3階の社長室は広く、折上天井までの高さは5メートル近くありました。透明で大きなガラス窓が南面にずらっと並び、カーテンは開け放たれています。松の樹林が窓の下部を覆い、その先に白く輝くテヘランの街並みが一望できました。


 私が社長室に通されたのは2回目でした。ドア1つ隔てて接客室兼会議室に繋がっています。最初に訪問したのは夜で、接客室のカーテンを開けると満天の星を堪能できました。社長秘書長のチーホルが

「長嶋さん、戦争が始まって以来、夜空は一層綺麗になりました。街の灯りは殆ど見えないし、排気ガスが減りましたからね。我我テヘランっ子の記憶にもないほど星が輝いています。敵機が万が一来襲しても爆弾を落とすのは街の南の工場地帯やその向こうの砂漠です。事務所の北側は壁のように山が聳えています。自然の要塞そのもので、戦闘機も近付くことすら容易でありません。しかも山の中腹には、首都を爆撃機から守る高射砲が列をなして待ち受けているのですから。ここは絶対に爆撃を受けることはありません」

 と安心させてくれました。

「星空を(さかな)にスイカジュースを飲みたくなった折には、いつでもお越し下さい。ゴールデンキャビアもお待ち申し上げます」

 ブランデーやワイン、それらをスイカジュースと呼びます。禁酒時代になってからの習わしです。ゴールデンキャビアは最高級のキャビアとの評価が固まっています。豊穣な小麦畑そのものの色遣いで王侯貴族も賞味した逸品です。そのように歓待したチーホルは30を少し越した程度の年齢でした。英語をネイティブ並みに話し、控えめで偉ぶるところはありません。名刺には秘書長とタイトルが印刷されていました。同じような年齢なのに私は未だ平社員で、課長代行になるのもまだ4,5年先です。名刺を差し出す時、私は肩書もないのを恥ずかしく思いました。

「いやいや、肩書はあっても権限など何もありません。長嶋さんの方が遥かによく実務をご存知でいらっしゃる。しかも契約書にしても長嶋さんは現場でサイン権がおありで、長嶋さんのイエスは会社のイエス、長嶋さんがノーであれば会社のノー」

 普段なら平静に受け止めた社交辞令でした。が、今の私なら余りにも耳に痛く響いた筈です。

「日本の商社は若い方に権限が移譲されています。羨ましい限りです」

 チーホルは穏やかに褒め続けました。


 社長室にはヤヒモナ社長、チーホル秘書長、それに営業担当2名と法務担当の社員が1名待っていました。ナディアも同席しました。

「いらっしゃい」

 とヤヒモナ社長とチーホルが同時に微笑みかけました。

「長嶋さん、畑守さん、この度は紅忠のご協力を得て、繊維ビジネスでは当社にとっても最大級の契約にこぎつけました。特に長嶋さんのご尽力には感謝しております。さあ、これが契約書の原本です。貴社の見積り書が添付されており、契約の不可分な一部となっています」

 契約総額は6から始まり、あとにゼロが9つ並んでいました。60億円。イラン革命後、ドル建て契約はなくなり、円建てでの取引となっています。渇望した超大型成約でした。契約書は製本されていました。厚さは3センチもあります。契約書は1部がオナキ、1部は紅忠、もう1は外国貿易省に保管されます。凄腕のヤヒモナと言え、代理店は契約書のコピーしか貰えないのです。とうとうやった。

「ヤヒモナ社長、それに皆様、今回は大変なご協力をいただきました。短時間の間に受注に漕ぎ着けることが出来ました。私にとっては夢のような成功です。生涯忘れられない感激です。本来、小菅支店長もお邪魔させて頂くところでしたが、改めてご挨拶のお時間を拝借したいと思います」

 礼を述べた時、声は興奮で上ずっており、紅潮していたと思います。

「小菅支店長にも是非宜しくお伝えなさってください。当社が繊維ビジネスでイルロジを凌駕出来たのは初めてです。長嶋さんのお蔭です。紅忠は最近次々と大型プロジェクトを提案しておられます。我我も注目しております。今回の初成約を期にインフラ関連や、石化プラント案件でもお役に立てればと思っています」

 ヤヒモナ社長はそう言って、がっしりと握手しました。チーホル秘書長も嬉しそうに眼を細めました。『そうだ、チーホルがいくら優秀でも、所詮は脇役だ。契約価格の1円ですら上げ下げ出来ない。俺の方は対等にヤヒモナ社長とビジネスの話が出来るのだ』契約書は大部だったが私は何とかアタッシュケースに入れました。

「長嶋さん、畑守さん、もし宜しければ私の車でお帰りなさってください」

 とベンツを手配してくれました。紅忠のベンツと異なり、最新モデルでした。気密度が高くドアが閉まると車内に静寂が待ち構えます。車の中に畑守と2人きりになり興奮が醒めると、私は又もやイルロジのことを思い出しました。イルロジ社長との電話のやり取りはまるで悪夢でした。あれが本当に夢であれば、どれだけ今の幸せが膨らむことかと思いました。


 帰社してすぐさま契約書の主要部分のコピーを取りました。原本は日本へ発送の手続きを取りました。大室は既に空港に向かっていました。しかし、毎日のように出張者が出入国しているので託送者を探すのに苦労は要りませんでした。紅忠テヘラン支店は10階建ての建物の8,9,10階を占めています。繊維部隊は8階の一角に陣取っています。『わぁー、これが契約書ですか。60億円か、凄いじゃないですか、長嶋さん』駐在員や出張員が口々に祝ってくれました。


 仕事が一段落すると既に夜の帳が下りていました。小菅支店長はまだ事務所に戻っていませんでした。私は昨晩から殆ど何も食べていませんでした。もともと食が細い上に、食欲が湧く状況でもありませんでした。畑守と佐藤駐在員から強くすすめられて腹に何かを入れることにしました。『そうだ、支店長も河本さんに相談するようにと仰っていたな、このままじゃ神経が持たない、今晩相談しよう』私は会社の裏道に出ていました。近くでスパゲティでも食べる積りでしたが、思い直して引っ返そうとしました。『先ずは河本さんとのアポイントだな』と漸く考えたのです。が、振り返りざま、3,4人の男から体を挟まれ身動きが付かなくなりました。ハンカチ状のもので鼻を覆われました。それらは一瞬の出来事でした。思わず息を吸い込んだ瞬間、刺激臭が喉から肺に入り込み、急激に意識が薄れてしまいました。

 意識が戻った時、私は中型トラックの荷台に転がっていました。頻繁に体を揺らされるのは凸凹道のせいでしょう。床には毛布が敷かれています。後ろ手に縛られており自由が利きませんでした。荷台は幌で覆われています。幌の隙間から見える夜空は真っ暗でした。周囲に他の車は走っていませんでした。荷台の隅に補助ランプが灯っていました。私の周りに鼻の頭まで目出し帽で覆った男が4,5人陣取っていました。低く、ポツポツとベルシャ語で話し合っています。まだまだ夏の夜の蒸し暑さは続いていました。が、それよりも恐怖からどっと汗が噴き出るのを感じました。思わず叫ぼうとしてもがきました。声が出ません。私は猿ぐつわをかまされていたのです。男たちは私が目覚めたのに気付きました。私はアイマスク代りのタオルでしっかりと目隠しされました。眼の前を闇が襲いました。動こうとしたが押さえ付けられ、身動きも付きませんでした。そして又もや何かを嗅がされました。意識は再び遠退きました。


「ミスター長嶋」

 と腹に響く声がしました。その声に聞き覚えはありませんでした。少し頭痛がしました。意識は朦朧としています。今はトラックの荷台でなく、どこか倉庫の中のようでした。虫の鳴き声が遠くで聞こえました。

「裏切り者め、お前を許さない。約束を破り、敵に味方し、我我の名誉を踏みにじった。死をもって報わねばならない」

 声の男はユックリと死刑宣告を下しました。相変わらず真っ暗で、タオル状のものでシッカリと目隠しをされていました。後ろ手に縛られています。漸くその時になって自分がうつむきで素っ裸なのに気付きました。厚手の毛布状のものの上で両足を広げさせられ、尻が浮いた状態で上半身を床に押さえ付けられていました。両足首と脛、それに上体を4,5人がかりで固定され身動きすら付きません。

「お前は死ぬのだ」

 無防備な私の背骨に沿って、固い金属状のものが後頭部から尻の方に移動しました。

「お前はこの銃で処刑されるのだ」

 と、声の主は固いものの正体を告げました。『わああー、助けて、助けて』と叫ぼうとしました。が、猿ぐつわでくぐもった唸り声を出すのが精一杯でした。と、真っ暗な中に閃光が感じられ、轟音が響きました。

「これが1発目だ。お前は3発目であの世行きだ」

 と、先ほどの声がしました。落ち着き払った声だが威圧感があり恐怖心を呼び起こしました。銃口は更に背骨を伝って下がり尾てい骨で止まりました。そこで又もや耳をつんざく音がしました。2発目の轟音でした。

「3発目はお前の尻の穴から体に入るのだ」

 熱を帯びた銃口は更に下がって行きました。もう駄目だ。そう思った時、全身に痙攣が走り私は気絶しました。


 1981年10月3日(土)

 誰かが私の頬を軽く叩いていました。薄目を開けました。老人がぼんやり見えました。目隠しは外され、猿ぐつわもありませんでした。何と、メガネを掛けており、乱雑だが衣服も着けていました。ソックスや靴まで履いています。夜明け時で、私は路上の果物屋の木箱の上に寝かされていました。焦点が定まると、日焼けした髭面の老人が心配顔で私を覗きこんでいました。

 どうやらテヘランに戻って来たようでした。更にあたりを見回すとそこはパーレビ通りでした。テヘランの中心部を南北に走る目抜き通りで、北はパーレビ国王時代の宮殿に、南は中東最大のバザールに繋がっています。道路の両脇にプラタナスの堂々たる街路樹があり、給水溝がありました。砂漠の街では街路樹を育てるのは大変な手間です。雨の降らない夏の間、朝夕計2回、街路樹に沿った幅1メートル程の給水溝に水を流します。テヘランはアルボルズ山脈の南の麓にあり、街全体が緩やかな傾斜を作っています。北から水をそそぐと南まで下って行きます。水さえ与えれば日光の恵みは十二分にあり、プラタナスも巨木に成長したのです。

 体の節々が痛い、が、外傷もなく、木箱の上は毛布で覆われていました。昨日トラックの荷台や倉庫に敷かれていた毛布でしょうか。私はその上に寝かされていたのでした。麻酔のせいか頭に鈍痛が残っていました。次第に昨晩の出来事を思い出しました。ああ、それは悪夢そのものでした。私は昨晩拉致されたのです。事務所の方向には怖くて足が進みません。と言って人混みの中では誰に狙われているか分かりません。

ハレショマ(げんきかい)ベファールマイン(どうぞ)

 と老人はメロンの切ったのをくれました。メロンは日本語で『変だわね』と言うとイランの人たちに通じます。と思う間もなく老人は『ヘンダワネ』とメロンを指差して教えてくれました。

「メルシー」

 まるでフランス語のようだが、これが『有難う』というペルシャ語です。のどの渇きを覚えて思わず2切れ食べました。久し振りに賞味しました。お金を渡そうとしたが、老人は顎を下から上にあげました。ノーという意味で金は要らないというのでした。私はそのままノロノロと早朝の大通りを北の方に向かいました。会社は監視されている、出来るだけ事務所から遠ざかろうと咄嗟に思いました。昨日襲撃を受けたのは事務所裏の路地でした。今も監視されているかも知れないのです。日本人が早朝背広を雑に着てフラフラ歩いておれば目立ってしまいます。『安全なところに隠れねば』と、ボンヤリした頭ながら考えました。パーレビ通りを上がると通りの右側にワールドホテルの大きな建物が見えました。通り過ごすように真っ直ぐ歩き、突然直角に折れ曲がって正面ドアから中に入りました。急いで後ろを見回したが不審人物は見当たりませんでした。ワールドホテルは紅忠も良く利用します。運よく空き部屋がありました。

「長嶋様、当ホテルでは一泊に付き100ドルの保証金をお預かり申し上げております」

 丁寧な口ぶりだが、抜け目なく前払いの要求を受けました。しかも敵国である米ドルでの前払いの要求を受けました。財布を覗くと現金が入っていました。拉致されたが、現金は盗まれていなかったのです。早朝チェックインで取りあえず200ドル(2日分)を預けました。部屋番号は523番でした。部屋に入り、チェーンロックを掛けると少しは落ち着きました。まだ朝の6時を過ぎたところで会社に電話を掛けるには早すぎました。相変わらず頭の芯がズキズキ痛みました。シャワーを浴び、倒れるようにベッドに仰向けになりました。恐怖感が蘇り、全身が震えました。『ああ、大変なことになってしまった』と気が動転しました。イルロジのフィクサーが脅したに違いありません。『何とかせねば』とボンヤリ考えるうちに意識が朦朧としました。


 ジリーン、ジリーンと電話が部屋に鳴り響きました。飛び起きたものの自分の居場所も分かりませんでした。電話はけたたましく鳴り続けています。まだ8時前でした。

「ハロー」

 疲れたしゃがれ声で私は答えたが、電話の向こうは沈黙を保っていました。再び怯えが全身を包み鼓動が早くなりました。弱々しく『ハロー』と繰り返したが、応答はありませんでした。5秒ほど後、電話は向こうから切られました。昨晩の仲間に違いありません。『ああ、駄目だ、私は狙われている』もうジッとしておれませんでした。次の瞬間に襲われるかもしれないのです。休んでいる場合ではありませんでした。

 その時枕元の目覚まし時計がピーッピーッと響きました。私自身が8時にセットしたのに失念していました。小さな音だったのに驚き怯え不安に駆られました。既に神経がおかしくなっていました。なにはともあれ、河本さんと連絡を取ろう。見栄を張ったり、斟酌したりする余裕はありませんでした。私は震える手で会社に電話を入れました。


第二章へ続く





本小説の挿絵を募集予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ