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まるで、特大の雷に打たれたみたいに、周一郎が飛び上がるように立って、うろたえた様子で振り向く。
「滝さん…」
その膝からルトが零れ落ち、走り寄ってきた。身を屈めた俺の腕に、爪を立てて駆け上がる。
「ててって」
「坊っちゃま」
高野が白々しい丁寧さで頭を下げつつ付け加えた。
「滝様がお見えになりました」
「え、えーと」
俺はルトを抱き上げ、相手が腕に落ち着くのを待ちながら口を開いた。
「あの、さ、その、バイトの口がないかなと思って」
一瞬、薄曇りの空から突然日差しが差し込んだような笑みが、周一郎の顔に広がった。だが、すぐさまそれに気がついたのか、いかめしく眉を寄せる。
「必要なんですか」
突き放した口調で尋ねる。その口元が、ともすれば、ふわりとした温かな形に開こうとするのに気がつく。
「うん、あ、お前のところでなくてもいいけど、ぐわー」
思いっきり、ルトに引っ掻かれた。
わかったわかった、心にもないことを言うなって言うんだろ。
見下ろすと、ルトが口を開けて、ぴかぴか光る歯並びを見せてくれた。
「できれば住み込みのところがいいな。家賃溜めてて、そろそろ大家に追い出されそうなんだ」
周一郎は無言のまま、食い入るように俺を見ている。
「お由宇にも、今度は面倒見ないって言われたし」
「ふ、う、ん」
幼い声だった。
「じゃあ、仕方ないかもしれませんね」
あんまり気がすすまないけど、考えてみよう、そんな様子で、
「高野、部屋の余分はあったかな」
おい。
そりゃ、あまりにもへたな冗談だぞ。
呆気にとられた俺の視線に気がついたのか、周一郎はみるみる赤くなった。早口にことばを続ける。
「その、すぐに雇うって言うんじゃなくて、その、行きがかり上、少し部屋を貸すぐらいならいいんじゃないかと思うんだが。もちろん、次の場所が見つかれば、すぐに出て行ってもらうってことで」
「ほう」
意地を張り続ける周一郎に、さすがの俺も少々意地悪い気分になった。
「そうか、じゃあ、今日すぐに仕事が見つかれば、来なくっていいな、そういうことだろ」
周一郎はく、とあからさまに苦笑した。
「そんなすぐに、仕事が見つかるわけないじゃないですか。今日だって、食器を十五枚も割って…」
「おい?」
何で知ってる?
俺は引き攣った。
「ご心配でしたからね。お部屋もそのままになっております、そうお申し付けでしたから」
「高野っ!」
周一郎が見る見る真っ赤になって怒鳴った。その怒鳴ったことそのものが、事実を語っていると気がついたのか、ますますうろたえてことばを継ぐ。
「余計なことを言わなくていい!」
「失礼いたしました。それではお部屋を片付け、滝様にはお帰り願います。それでよろしゅうございますね?」
「え、あ」
高野があっさりと受けて、周一郎はことばを失ってしまった。
まったく。
みるみる不安そうな表情になってしまった周一郎に溜め息をつく。
どうしてそんな妙なやり方をするんだろうな。そんなことをしてるから、死にそうになっちまうんだぞ。
ここはまず、大人が大人として振舞うべきなんだろうな。
よし。
腹を括って口を開いた。
「あのさ、また門のところにバイトの口があるって貼ってあったんだ。あれが本当なら、俺はここに勤めたいと思って来たんだし、違うなら別の口を探すよ」
ルトを降ろして周一郎に向き直る。
「どっちだ?」
周一郎は俯いた。
とてもひどく叱られた子どものように見える、頼りなさそうな姿だった。
「ぼくは」
「うん」
「ぼくは『遊び相手』を探しているんです」
「うん」
『家風』はいいのかと言いたくなったが、ここで混ぜっ返したら最後、金輪際、周一郎は話さなくなるだろう。それぐらいは俺にもわかる。
「それで、まだ、誰も雇ってはいないので…」
唇を噛んだ周一郎は、唐突に目を上げた。
「あなたには……かなわない」
柔らかな笑みだった。
「一応、歳の分だけ、な」
周一郎は嬉しそうに笑みを深めた。
足下に寄ってきたルトを拾い上げ、俺の側に近寄ってくる。
「いつから来ますか」
「これから荷物を取ってくるよ」
周一郎の腕でルトがにゃあうと啼いて、上機嫌で喉を鳴らす。
雲が切れたのだろう。
陰っていた日が光を増して、ゆっくり世界が明るくなった。
おわり




