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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
6.ミス・キャスト

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39/43

3

 寝室へ続く部屋の床に、若子の着ていた服が乱雑に脱ぎ捨てられている。そればかりか、男物のスラックスも落ちているようだ。

 絡みつくような熱い呻き声に、周一郎は部屋の中で何が起こっているのかに気づいた。ルトの感覚は遮断できない。離れた場所で立ち竦んだままでいる主人の、真実を確かめたいという密かな思いに応えて、ルトは声が聞こえてくる寝室の方へ足を忍ばせて近寄っていく。

 誰も入ってくるはずがないと思っていたのだろう、寝室へのドアは開いていた。

 ルトの低い視界に、雪崩落ちた上掛けが広がっている。見上げると、ベッドの端から白い腕が伸ばされた。巻き付くように、浅黒い男の手が絡み、楽しそうに撫で摩る。

「もう帰ってくるわ」

 物憂げな若子の声がした。

「帰りゃしないさ、もう二度とな」

 茂が応じた。

 庭に立つ周一郎の胸に氷が宿り、瞬時に手足の先まで冷えきった。

「どういうこと?」

「今夜の仕事、それであいつは終わりなんだ」

 茂の声は悪意を含んだ呪文のようだ。

「周一郎が掴んだ仕事よ?」

「賢くても子どもは子どもってことだな」

「そう…」

「悲しいか?」

「あなたがいるのに?」

 その後は再び忙しい呼吸が始まり、若子の含み笑いはまもなく別の声に変わった。

 ルトは主人の動揺を察した。身を翻して夜の街を走り、会合が予定されていた場所へ駆けつける。

 だが、全ては遅かった。

 大悟は冷たい肉塊となって暗い路地裏に転がっていた。

 ルトは大悟の側で哭き叫んだ。悲痛で激しい響きに周囲から人が集まってくるまで、喉の奥に血の味を感じるまで鳴き続けていた。



 周一郎はことばを切った。

 静かな瞳で薔薇を眺めつつ、指先で花を弄んでいる。

 それが『あそこ』だったのか。

 俺は白い十字架を思い出した。

 あそこで、周一郎は自分のミスで大悟を死なせたのに気づいたのだ。

 きっと、ルトさえいなければわからなかった、その真実。

「…」

 いつもそうだったのだろうか。

 気づかなければ知らないですむだろう、人の心の奥底や物事の隠された裏側を、周一郎はいつもそうやって、見せられ受け入れさせられていたんだろうか。

 拒んでも拒んでも、周一郎の能力は事実を暴き、ルトは真実を見せつけて来る。

 人がどれほど不誠実か、世界がどれほど汚れているかを、繰り返し繰り返し。

「大悟は、茂とのことに気づいていたにせよ、若子を愛していました。ぼくは、自分の責任を果たさなくてはならなかったんです」

 周一郎は茂の性格を熟知していたし、その動きも予想がついた。美華に遺産の件を持ち出されたときも、すぐに背後に動いている相手に気がついた。

 朝倉大悟亡き後、茂は巧みに朝倉家を乗っ取ろうとするだろう。それは避けたい、しかし、なまじな手段で引く相手ではない。消すか消されるかしかないのだ。

 だが、大悟が守った朝倉家に傷がついては元も子もなくなる。

 茂達を葬ると同時に、朝倉家を守るためには、朝倉家以外の人間で、なおかつ朝倉家に有利に働いてくれる者が要る。

「これから起こる数々の事件を、ぼくの側から好意的に見てくれる証言者、が」

 周一郎の静かな声が途切れて、どきりとした。

「俺、か?」

 一瞬、周一郎は黙った。が、ゆっくりと、

「ええ、でも、とんだミス・キャストになってしまいましたね」

 出た、このことば。

「ミス・キャスト?」

「本当は、証言者は、ぼくと朝倉家に有利な証言をしてくれるだけでよかった」

 冷めた口調で続ける。

「本当は何が起こっているのかなんて深く考えないで、金さえもらえば安心して、事件が終われば何事もなかったように忘れて、元の自分の世界に戻って行くような。………けれど、あなたは、そうじゃなかった」

 褒められているのかけなされているのか、よくわからない。

「……だから、あなたを最大限に利用するしかなかった」

「利用?」

 何だ、そりゃ。

「ひょっとして、あの日、俺の所へ転がり込んで来たのも、そうだって言うんじゃないだろうな」

「ある意味ではね」

 つい、と周一郎は俺の視線を避けるように目を逸らせた。

「あなたはぼくに同情してくれた。後々、いろいろとやりやすくなりました」

 窓からの光を受けた周一郎の横顔は動かない。

「美華さんはぼくを誘惑して仲間に引き入れようとした。ただ、彼女の本当の役目は殺されることだったんです」

 殺されることが役目?

 俺はぴくりとした。

 命を失うことが、役目、だって?

「ぼくが応じないのでヒステリーを起こした美華さんは、追いかけてきてナイフで切りつけてきた。ぼくの怪我に彼女は動揺したんでしょう。襲いかかってきた信雄には抵抗する間もなかったようです」

 自分が傷つけた周一郎のことが頭に過って逃げ損ねた、そういう見方はない、と?

「……その信雄も、若子夫人に殺される…」

 俺のことばに周一郎は微笑を返した。

 魔的な笑みだった。


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