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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
6.ミス・キャスト

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38/43

2

 ノックはしていない。足音が響き渡るほど派手に歩いてきてもいないし、声だって呟き程度のもの、第一、閉め切ったドアの向こうで薔薇の香りがするわけもない。

 俺はのろのろとルトに目を戻した。

 こちらを見返す澄み渡った金色の目、その向こう、いつぞやのように、周一郎の気配をはっきり感じた。

「まさか…」

 そんな馬鹿馬鹿しいことがあるのか。

 だが、結論は一つ。

「ほんとうに、見えるんだ」

 まだ信じられなくて呟き直す。

「今、俺が」

「ええ、聞こえもしますよ」

 まるで携帯電話で話すように、さりげなくドアの向こうから声が応じる。

「むちゃくちゃだな」

「ぼくもそう思います」

 何の脈絡もなく、緑のおばさんが横断歩道で笛を吹きながら片手で逆立ちする場面が浮かんだ。

「おいおいおい」

 慌てて首を振って、ふざけた映像を頭から閉め出す。それと入れ替わるように夕食のメニューを知っていると言った周一郎や、若子のスカーフと書類をくわえてきたり、俺や厚木警部を誘い出すかのように走るルトを思い出した。

 ルトの目で見え、ルトの耳で聞こえる。

 それが今回の事件の裏にあった法則だったのだ。

「いらっしゃい」

 ドアを開けると、ベッドに半身起こした周一郎は皮肉っぽい笑みで答えた。

 眩いばかりに日差しが差し込む中、目元のサングラスはその光を一切拒んで、染みのように黒かった。

「……種明かしをしろ」

 俺は唸った。

 花束をベッドの上に放り投げる。

 乱暴に扱われた花が、深紅の花弁を血のように散らせた。

「どちらの?」

 周一郎は落ち着いていた。どこか、からかうように、

「事件ですか? ぼくの、ですか?」

「両方だ!」

「……いいですよ」

 少し微笑んだ。

「あなたには、ずいぶん迷惑をかけましたから」

 穏やかな微笑は一転暗い翳りを帯びた。

「ぼくは、全てを見ていますから……たぶん、あなたを納得させられると思います」

 周一郎は抜き出した薔薇を一本だけ手元に置き、残りはサイドテーブルに載せて、ひたとこちらを見た。

「事件は、大悟が殺される前から始まっていた…茂が若子に近づいたときからです…」



 その夜。

 周一郎は、ゆっくりとした足取りで庭を散歩していた。

 大悟は周一郎が掴んで来た特殊な情報の受け取りに出ている。本当は別の人間を行かせたかったのだが、先方が大悟以外には渡せないと言ってきたのだ。

 それは確かに重要で必要な情報だった。緊急性もあり、それがあるのとないのとでは、この先の朝倉家の動きに大きな差が出る。

 大悟はその情報を得られるルートを見つけた周一郎を褒め、いい仕事をしたと言った。自分の片腕としてだけではなく、朝倉家を継ぐ者として十分な働きだとも言った。

「ふ…」

 満足の吐息をそっと漏らす。大悟と暮らし始めてから何度も与えられる承認、それまで決して得られなかった、自分の能力を誇らしく思う喜びと興奮、何より、自分を認めてくれる大悟の役に立てて嬉しかった。

 だが、何か、説明のできぬものが微かな警報を鳴らしているのにも気づいていた。現実にはまだ見えてきていない、そしてルトの感覚でも掴めない、けれど何か辻褄の合わない漠然としたすれ違い、理由のない不安、のようなもの。

 大悟に説明したかったが、うまく表現できなかった。強いて言えば予感のようなもの。

 そして、大悟は予感などの類を一切信じない男だったのだ。

 だからこそ、周一郎の能力を魔的なオカルトとして扱わず、人間に未だ発達しきっていない能力の発露として受け入れてくれた、とも言えるのだが。

 大丈夫だ、心配するな。

 そう笑って出ていった義父の背中を、周一郎はどこか怯えて見送った。

 気がかりなことが、実はもう一つあった。

 あまりにも大悟のプライベートな部分で、介入していいのかどうか判断しかねていること、けれど、もし事実なら、捨てておけないことでもあった。

 それを探る為に、周一郎はあえて大悟を追わなかった。屋敷に残り、ルトをその問題の根源に向かわせ、その感覚を拾い続けている。

 夜の闇を音もなく走る小猫は、朝倉家では見慣れた光景、周一郎が可愛がり、当主の認めている気まぐれなペットの行方を、誰も気にしてはいない。

 新しく雇い入れたらしい男の面接をしている高野の足下を走り抜け、倉庫から家具を運び出す指示をしている岩淵や、明日の仕込みにまだ忙しい厨房の側を通ってやがて、ルトは若子の部屋の前に立ち止まった。

 いつもはきっちり閉まっているドアが、今は少し開いている。

「……」

 庭の周一郎は軽く目を閉じる。

 屋敷は眠ったわけではない。なのに、ドアを開いておく不用心さならば、懸念していることは考え過ぎなのだろう。微かな安堵に緊張を解いて、ルトと一緒にそのドアの前を通り過ぎようとした意識は、中から漏れた囁きに一気に強張る。

 低い声、男のものだ。

 ルトは隙間から忍び入った。


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