表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
5.卑怯者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/43

1

「志郎」

「んー?」

「落ち着かないわね」

 確認するようなお由宇の声に首を傾げる。

「そうか?」

「急須にコーヒーいれて、落ち着いているとは言わないわよ」

「げっ!」

 ぎょっとして手元を見ると、しっかりコーヒーの缶を握っていて、その下に焦げ茶色の粉まみれになった茶っぱが見えた。

「わーっ」

「放っておいていいわよ。今さら、一つも二つも……三つも四つも同じよ」

 じたばたする俺を眺めながら、お由宇は悠然と言った。

「三つも四つも…?」

 引きつってお由宇を振り返る。

「ええ、部屋の掃除を手伝ってくれたのはありがたかったんだけど」

 お由宇は鷹揚に頷いて、立てた親指で指し示して見せた。

「わからない?」

 示されたところを振り返るが、相手が何を知らせたいのかよくわからない。

「何が?」

「……受話器のかわりに灰皿が置いてあるし、花瓶に花と一緒にはたきが生けてあるけど」

「う!」

 おかしいなあ、ほんと何考えてたんだろうなあ、あははは。

 乾いた笑いを漏らしつつ、慌てて灰皿を降ろして受話器を架け、はたきを抜いた。それから、間違い探しか失せもの捜しゲームのようにくるりと部屋の中を見回して確認し、やっぱりどうにもわからず、おそるおそる尋ねる。

「後一つは?」

「冷蔵庫に畳んでくれたタオル入れたわよ」

 俺は溜め息まじりに冷蔵庫を開け、よく冷えたタオルを取り出した。ばっさばっさと振りながら、もう一度洗濯すべきか、干すだけでいいのか聞こうとした矢先、突っ込まれる。

「周一郎のことがそんなに気になるなら、見に行ってくれば?」

「……」

 それができれば、こんなところで、灰皿を載せたり、はたきを生けたり、タオルを冷やしたりしていないだろう。

 面白そうに俺を眺めているお由宇の視線を感じながら唸る。

「…俺は馘にされたんだぞ」

 それに、周一郎が朝倉家で受け入れられて暮らせているなら、それはそれでいいじゃないか。周一郎は生きられる場所を探していた。その場所が見つかったのなら、それでいいはずだ。

 ただ一つ、茂が何か良からぬことを企んでさえいなければ。

 ひいやりと背中を撫でたのは吹き込むはずのないすきま風、それを首を振って追い払う。

「何となく大丈夫そうだから、これはもういいよな」

 タオルをぱたぱた畳んでテーブルに積み、時計を見る。

「すまん、もう行くからここに置いとくぞ」

「あら、出かけるの?」

 財布をポケットに捩じ込んだ俺に、お由宇は目を見開いた。

「実はバイトが見つかったんだ」

「こんな時間から?」

 夜の九時。確かに俺には少々不似合いな時間かも知れない。

「あんまり体力に自信ないから土方は諦めた。遠田町の『和子』で皿洗い、一日三千円なら雇ってくれるって」

「そう」

 お由宇はあっさり頷いて、一枚の紙を差し出した。

「じゃ、はい、請求書」

「二万二千円かあ……たまらんな」

 ふと、頭の中を週給七万の文字が掠めていった。溜め息をつきつき、お由宇に請求書を返す。

「もうちょっと預かっててくれ。しばらく返せそうにない」

「いいわよ」

 請求書を受け取ったお由宇はふと思いついたという顔で、出かけようとする俺に、

「私には関係ないことだけど、バイトに遅れないようにね」

 思わずどきりとした。

「え。そりゃもちろん」

 とぼける俺に、お由宇が嬉しそうにくすくす笑う。

「ちぇ」

 見抜かれて気恥ずかしく、そそくさと外へ出た。



 夜の大気は凍っていた。

 セーター一枚、薄いコート一枚で、こんな寒気の中、あの長いレンガ塀を見に行こうとしてるんだから、俺もかなり酔狂だ。

 放っとけばいいのだ。もう、周一郎はあの家でうまくやっていくに違いない。高野や岩淵もいるし、金もある。茂や若子が逮捕されれば、あの家は周一郎のものになるのだ。

 そう、周一郎一人、のものに。

「大金持ちで栄光の将来確約だぜ」

 格好つけて皮肉った先から、ほんとうか、と胸の奥で声が響いた。

 本当か? それが本当にあいつの望んでいることなのか。

 広大な屋敷の中で、豪華な調度品に囲まれ、意のままになる多くの人間にかしずかれて、一人で暮らしていくことが。

『周一郎でしか、ない』

 呟いた虚ろな横顔と、ぽんぽんと十字架を叩き続ける幼い手つきが交差する。

 死にたくないよ。

 いつかの声が耳の奥で谺する。

 死なないじゃないか、生きていけるじゃないか。

(そうじゃないよな、きっと)

 あいつは言ってたじゃないか、それでも『死んでいる』と感じるんだと。

(だからって、俺に何ができる?)

 手詰まりのオセロ、いいように駒を置かされて、朝倉家を追い出されている。

(何が)

 一緒に生きることを拒んだのはあっちだぞ。

(だよな)

 それでも。それでも。

 あれやこれやと考え続けて、それでも結構必死に足を動かして歩いてきたつもりだったが、朝倉家が見え出したことには、冷凍室のまぐろの気分がよくわかった。

 ところが、こんな夜にふらふら出かけるのは、俺だけではなかったらしい。

「?」

 レンガ塀の途切れた部分から大小二つの人影が、街灯の光を避けるようにそっと出て来る。一瞬光が小さな人影に当たる。夜だというのにサングラス、翳りを帯びた顔は……周一郎だ。

 こんな時間に誰とどこへ出かける気なんだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ