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「朝倉大悟は始めの妻をとても愛していたようね。先妻がいる間は、それまでしていた危ない仕事も一切していない。良き夫であろうとした、ようだわ。けれど、彼女は美華が十歳のころ病死している。それと前後して、大悟は若子を娶り、周一郎を引き取っているみたいね」
ほぅう、と重い荷物を抱えて歩いているみたいに、お由宇は深く長い溜め息をついて続けた。
「噂によると、先妻は周一郎を嫌がっていたみたい。けれど、朝倉家の当主として、大悟は有能な跡継ぎを育てておく必要があった。美華が周一郎に興味を示したのも先妻にとっては不愉快だったみたいね」
お由宇は少し目を伏せた。
「若子を娶ったのは、先妻がいなくなってぎくしゃくしだした家の中を緩和しようとした意図が大きい。けれど、美華は若子に反発していて受け入れが悪かった。逆に周一郎にまとわりついて、若子を追い出そうとしていたようにも見えるわ」
いつかの夜の絡みつくような美華の媚を思い出した。
「若子側にも、後からなだれ込むように同居してきた桜井親子がいて、大悟は家によりつかなくなりつあった。周一郎のせいではなかったけれど、周一郎がいることで、妙な勢力争いになってしまったところはあるかもしれない。けれど、周一郎は仕事上の片腕としてすばらしい才能を発揮しつつあった。周一郎を手放すことは朝倉家としては得策ではなかった」
ようやく手に入れた家が、ようやく自分を受け入れてくれた相手が、じわじわと目に見えないところで崩れていくのを、周一郎は気づいていただろうか。
そう、たぶん、気づいていたに違いない。
けれど、あいつには選べなかった。
あそこから出て行けば自分が死ぬことになり、出て行かなければあそこの暮らしを壊していく。
二つに一つ、どちらを選んでも、何も周一郎には残らないゲーム。
裏切りは想定内のオセロ。
どこにも味方などいなかった。
「桜井は始めから朝倉家の財産を狙っていたような動き方をしているわ。仕事に忙しい大悟に放っておかれて苛立っていた若子に茂が近づき、美華には信雄が近づいたようだから。……まあ、信雄と周一郎じゃ役者が違ったわね」
お由宇は少し黙り込んだ。胸の奥、心の底にある闇を見つめているような苦々しい口調になって、
「大悟はチンピラに絡まれたみたいよ。警察でははっきり掴めなかったみたいだけど、茂の息がかかった手合いで、大悟さえ落とせば周一郎は何とでもなる、そう踏んだのかも知れないわね」
ことばを切って、やがてぽんと、放り出すように繋ぐ。
「それに、あの日、その場所へ大悟を行かせたのは周一郎だとも言える」
「え」
俺はぎくりとした。
「表沙汰にはできないけれど重要な情報がやりとりされる予定でね、その情報を掴んだのが周一郎らしいのよ。けれど、それは罠だった」
そんな情報を誰からどこから掴んだんだ。
そう尋ねるより先に、物騒な想像が動いた。
「ひょっとして」
何とかしよう。
そんな茂の声が聞こえたような気がする。
「そう、桜井茂の計画ね」
「周一郎は知ってるのか」
「知っているでしょうね、今回の動きを見ていると」
そうだ、たぶん知っているだろう。
だが、それに気づいた時、周一郎はどれほどの衝撃を受けただろう。
だから、周一郎は自分を守る気などないのだ。傷を負って追い詰められて、その痛みの中でさえ、あいつの心に過るのはいつも大悟への罪悪感だから。自分のようやく得た居場所、それを失う要因が周囲の悪意や敵意ならまだしも、自分が居場所を失いたくないがために発揮した能力が招いた出来事だったと知ったから。
「あの……ばか!」
ひんやりとしたものが胸を貫いて、思わず唸った。
だめだ。
このままじゃ、あいつはほんとに死んじまう。
全てに絶望して。自分が生きていることこそが間違いだったんだと決めつけて。
けど、どうしたらいい?
俺は朝倉家を馘になって、金も力もコネもなく、今日の昼飯にさえ困って、お由宇に泣きついている有様だ。
けど。
「ようし!」
俺は立ち上がった。
確かに何もできないのだろう、けれど、とにかく。
「どうするの?」
お由宇がちらりと見上げてくる。
「とにかく! 俺はバイトを探す!」
「……頑張ってね」
お由宇がそっと溜め息をついた。




