6
「お由宇〜」
「はあい、あら、どうしたの?」
お由宇は俺を見ると訝しそうに眉をひそめた。
「叔父の話じゃ、朝倉家に足止めされてるはずじゃなかった?」
「それがさ、何だか急に馘になって」
「馘?」
お由宇は首を傾げつつも、俺を部屋に入れてくれた。床にボストンバッグを置き、その上に本を積み、寒さと重さで固くなった体を伸ばしてからソファに座る。
「どういうことなの?」
「何が何だかわからん」
「ちょっと待ってね」
お由宇はテーブルにコーヒーを置き、電話に向かった。誰かと少し会話を交わした後、自分もコーヒーを持ってきて俺の前に腰を降ろす。
「一応、叔父にはあなたがここに居るって伝えてあるから。美華が殺されたってことだけど、何があったの?」
お前は警察の手先か。
「報告感謝」
「定時連絡は未受理よ」
肩を竦めたお由宇の興味津々と言った顔に溜め息を重ねる。
「どこから話せばいいのかな」
「そうね、できれば始めから、あなたが朝倉家に戻ってからのことを順に話してくれると、よくわかると思うんだけど」
「やってみるよ」
時折お由宇が口を挟んで整理してくれたので、何とか事の成り行きを順序立てて話すことができた。
周一郎と美華が揉めていたこと。
美華が周一郎にせまっていたこと。
その夜、周一郎が肩に怪我をして俺の部屋に転がり込んで来たこと。
傷を負わせたのはどうやら美華らしいこと。
ところが、美華は同じ夜に暴行され溺死させられたこと。
周一郎は美華殺しの疑いをかけられたが、信雄が不審な動きを見せたこと。
茂や若子も、何かそのあたりによからぬ関わりを持っているらしいこと。
話しながら、じんわりとした不安が胸の底に澱んできた。
高野は周一郎の味方のようだ。だが、信雄や若子、茂は違う。
屋敷の残りの者は、どこまでが周一郎の味方で、どこからが茂の側なのだろう。
もし、桜井親子や若子が周一郎を罠にかけようとしたら、周一郎は逃げようがなくなるんじゃないか。単に美華殺しを押しつけられるだけじゃなく、大悟殺しまで押しつけられて、へたをすれば命も狙われることにならないか。
俺が屋敷を出て行くのをじっと見送っていた窓際の小さな姿が脳裏を過った。
「どうしたの?」
俺が黙り込んだのに、お由宇がコーヒーを飲む手を止めた。
「やばいよな。いつ始末されてもおかしくないよな」
もう十分傷ついているじゃないか。もう十分苦しんできたじゃないか。
一人で必死に生き延びてきて、ようやく手に入れた場所さえ失いかけて、回りの誰も信じられなくて、このうえ、そんな目にあったら、周一郎はどうなるんだろう。
「そんなに心配なら、どうして周一郎を一人で放ってきたの」
お由宇がふんわりと笑った。慈母観音を思わせる、柔らかな優しい微笑だった。
「どうしてって…」
あいつは俺じゃだめだと言ったんだぞ、俺じゃあいつに何もできないって。それに、俺は必要じゃないとも言った。挙げ句の果てに『家風』に合わないから辞めてくれなんて言われて、しかも昼飯前に追い出されたんだ。
続けようとした幾つもの理由はもごもごと口の中で消えていった。
「わかってるんでしょ?」
心得過ぎるほど心得たお由宇が、胸の中に浮かび上がって来た心配をあっさりとことばにする。
「周一郎が本当は何を考えてるか、あなた、わかってるわよね」
俺はコーヒーを口に含んだ。そうしないと、喉まで上がってきたことばを吐きそうだったのだ。
ああ、わかってる。
きっと俺は、周一郎本人さえわかってない、あいつの心の底にある答えを聴き取っているに違いない。
その声は、小さな泣きそうな声でこう言っているのだ。
死にたくないよ、と。
それを、誰に言えばいいのかわからない。
言っていいのかさえもわからない。
だけど、その声は何かのたびに膨れ上がって、周一郎を追い詰めているのだ。
死にたくない。
なのに、生きていていい理由がどこにも見つからない。
「あれから、少し調べたの」
お由宇が低く言い出した。




