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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
4.二重の罠

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27/43

5

 目を上げない周一郎に、封筒から三万抜いて突き出した。

「けど、宮田に借金してるから、七万だけはもらっておく。じゃあな」

 周一郎はあいかわらず体を硬直させたまま、受け取ろうとしない。仕方なく、俺はテーブルの上、真っ黒になって終わっている盤の上に札を載せて、部屋から出て行こうとした。

 弾かれるように周一郎が動いた。

「でも!」

 切羽詰まった声が背中に響いた。

「あん?」

 戸口で振り返ると、周一郎は左肩を抱いたまま、こちらを見て立ち竦んでいた。声をかけてしまった自分が信じられないような、初めて見る、我を失ってうろたえる顔だった。

「お金がないと、行く所に困るでしょう? 宮田さんに七万返してしまったら、あなたはどうするんです?」

「お前に関係があるのか?」

 俺は周一郎のまねをした。

 氷水を浴びせられたように周一郎は口を噤んだ。サングラスを透かして、黒い瞳が潤んだようにさえ見えた。何かを言いたげに開いた唇が、けれど、そのことばは『絶対』に口にできないのだと言いたげに、きつく厳しく引き締められていく。

 聞こえない声が繰り返されている、しまったしまったしまったしまった……。

「そう、です、関係がない、ことです…」

 見る見る空気を抜かれた風船のように、周一郎はしょげ返った。

「あのな……」

 あまりにもその姿が哀しそうで、いつもの周一郎らしくなくて、俺は溜め息をつきながら周一郎の側に戻った。

「出てけって言われたのは俺なんだし、そういう意味じゃ、落ち込むのは俺だろ? なんでそんなに落ち込んでるんだよ? そんなに落ち込むなら、何で馘にするんだよ?」

 見下ろした周一郎は答えない。俯いてますます小さく身を縮めていく。

 声はどこかで響き続けている、しまった、しまった、しまった…。

 まるで自分が、四、五歳のガキに絡んでるタチの悪い大人になったような気がして、溜め息を重ねた。

「ま、とにかく、何かがまずくて、俺は馘になった、そういうことなんだろ?」

 なんで俺がこいつの機嫌をとらなくちゃならないんだ?

 少し待ったが返事はやはりない。

「荷物をまとめてくるから。じゃあな……あんまり無理すんなよ」

 慰めというわけでもないが、ぽん、と俯いている周一郎の頭を軽く叩く。あからさまにガキ扱いしたやりよう、てっきり何か文句を言うかと思ったが、相手は身動き一つしなかった。

 部屋に戻り、ボストンバッグに茶封筒を放り込む。部屋の片付けはすぐに済んだ。

「高野さんには挨拶がいるな」

 歓迎はされていなかったにせよ、いろいろ世話にはなったことだし。

 一階に降りて事情を話すと、高野はひどく驚いた。

「馘、ですか」

 まさか、そんなことはあり得ないでしょう。

 ことばにならない返事は表情がよく語っている。苦笑いしつつ説明する。

「うん、『家風』に合いかねる、そうです。短い間だったけど、お世話になりました。ありがとうございます。それじゃ」

「は…あ」

 高野は何も知らされていなかったのか、珍しく見送ることもなく、俺が部屋を出るのを追うように出てきて、急ぎ足に周一郎の部屋に上がっていった。

 未練がましく見ているのも癪だったので、さっさと玄関を出て行く。

 門までの道も薄い雪に覆われていた。買い替える暇さえなかったぼろ靴で、足跡のほとんどついていない新雪を踏んで行く。

 ふと何だか、新しい道に踏み出したのだと思った。

「おかしいよな」

 今俺はバイト先を馘になり、これから住む所もない。大事に抱えていたものが終ってしまったような状況なのに、全てが始まったような気がしている。

「何が?」

 わからない。

 門のところまで来ると、いつの間に先回りしていたのか、ルトが待ち構えていた。

「にゃああぅん」

「すまんな。せっかく骨折ってくれたのに、お前の主人は結局、俺をお気に召さなかったらしい」

「にゃぁ」

「え? 後ろ?」

 ルトがちょいちょいと後ろを示すように頭を振って振り返った。

 小道の遠く、朝倉家が見える。

 窓の一つに、張りつけられ吸いつけられたように立っている小柄なスーツ姿があった。こちらが振り返ったのを気づいただろうに、今度は逃げない、俯かない。けれど距離が遠過ぎて、表情も視線もはっきりしない。

 けれど、あれほどあっけなくあっさり馘にしたのに、周一郎はずっと、俺が遠ざかるのを見守っていたのだ。

 わからない。

 何がしたい。

 何を望んでいる。

「……わかんない奴だよ、なあ」

「みぅ」

「ま、いいか。もう関係ないことだよな……お前とはまたいつか遊ぼうぜ、ルト」

 青灰色の小猫を残して、人一人通れるだけ開いた門を通り抜ける。それほど待つまでもなく、門は再び重い音をたてて閉まっていく。やがて、がしゃん、と固い音をたてて門扉は完全に閉ざされた。

「……今日もほんと寒いよなあ」

 せっかく少しは落ち着けると思ったのに。

 胸の中には窓辺に立っていた周一郎の姿が引っ掛かり続けている。

 何が何だかわからない。

「はぁ…」

 溜め息を一つつく。

 何はともあれ、昼飯を食おう。人間、腹が減ると考えも行き詰まってくる。

 だけど、どうして毎回、飯前に追い出されなくちゃならないんだろう。

 困ったときのお由宇頼み、重い足を引きずって、俺は歩き出した。


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