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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
4.二重の罠

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4

「それも違う。確かに今は勝てないし、この先勝つのも難しい。けど、『絶対』勝てないかどうかはわからない。この宇宙に『絶対』なんてことはないと思うぞ、毎日変わっているからな」

 それはずっと昔、俺が居た施設の園長が、俺が、俺のせいじゃない、いろんなことで悔しい思いをするたびに話してくれたことだった。

『おおそうか、志郎、そりゃ大変だったなあ。何も見えてない奴はいつでもどこにでも居るもんさ。けどな、世界は変わってくんだ、今この瞬間にでも変わってるんだ』

 今日理不尽であったことは、明日は道理になっているかも知れない。昨日正しいと持ち上げられたことは、今日完璧な誤りだと言われたことかも知れない。

『いいか、よく覚えておくんだ。お前やお前の居る場所が変わらなくても…』

「お前や、お前の居る場所が変わらなくても、お前の知らないところでは、誰かが、何かが変わってる。今日のお前と今日の俺じゃ俺が負けるしかない。けど、今日のお前と明後日の俺、一年後の俺なら、ひょっとすると奇跡の大逆転が起こるかもしれない。でも」

 そんなこと、とんでもないほどかすかな可能性だろうな、と俺はまた笑った。

 そのとたん、何か、柔らかなふわりとしたものが、胸の中に湧き上がった。

 くすぐったげに肩を竦めて笑う俺が、呟く。

 けれど、それも、あまり関係がない、よな?

 胸に響いた声をそのまま呟く。

「それもあんまり関係ないな。正直なとこ、なんて言うのか、お前が笑ってられるなら、ゲームを続けてるのは嫌いじゃないんだ……ああ」 

 そうだっけ。

 俺はこいつの『遊び相手』だったんだっけ。

 思い出したことばが全てを物語っている気がした。

 『遊び相手』

 転げ回るように夢中で同じ時間を一緒に過ごす相手、勝ったり負けたり怒ったり笑ったり、互いの姿に喜びと興奮を反射させながら。

『ぼくが欲しいのは、「遊び相手」であって、人生の先輩ではありません』

 耳の底に響く、出会ったときに求められた条件、その本当の意味は。

 一緒に生きてほしい。

 たったそれだけの、けれどきっと、一度も叶うことのなかった、周一郎の、願い。

 すとん、と落ちた。

「そうか……。俺はお前の、『遊び相手』、だもんなあ」

 周一郎の横顔が薄赤くなり強張った。まっすぐに外を見ていたガラス玉のような眼が、きりりと強く何かを射抜いたように見えた。しばらく黙り込んだ後、のろのろと口を開いた。

「あなたは…」

 掠れた声だった。 

「だから、ミス・キャストなんだ」

 低くて険しい激怒の声。

「は?」

 また出た、このことば。

 意味を尋ね直そうとしたとき、こんと、ガラスに何かが当たった。

「ルト」

 ガラスの向こうで首を傾げる小猫は、何かをくわえて持ってきていた。

 周一郎が窓を開け、ルトの口から淡い紫の薄いスカーフに巻き込まれた、数枚の紙を取り上げる。

「何だ?」

 覗き込む俺に隠す風もなく、ぱらぱらと捲ってみせる。

「義母さんのスカーフと、書類」

「書類?」

「義母さんがサインした遺産譲渡の書類ですよ。それに、大悟の遺言書のコピー」

「何でそんなもん」

「義母さんは不用心な人ですからね、部屋にありました」

 周一郎は素早く中身を読み下したようだった。

「義母さんの受け取る遺産の半分が叔父に渡るようになってますね。義母さんの相続分は、姉さんがいなくなった今、ぼくと等分になっている。これじゃあ、叔父はぼくが邪魔でしょうね」

「邪魔でしょうねって」

 いきなり側から身を引いたようによそよそしくなった周一郎に戸惑った。

「どうするんだ、これ? 厚木警部にでも渡すのか?」

「いいえ、これは最後の駒なんです。これで全ての配置はすみました」

「配置?」

 おうむ返しに繰り返す。

 配置。一体何の?

「滝さん」

 突然くるりと周一郎は俺を振り向いた。

「本日づけで、あなたを解雇します」

「は?」

 カイコ?

 カイコ、って何のことだっけ?

 頭の中に巨大なイモ虫がもそもそと列を作って通り過ぎて行く。

 ああ、そうだよな、あれも確かにカイコだった、だったけどさ。

「一週間、あなたに来て頂きました。あれこれと新しい体験もしましたし、楽しかったのですが」

 周一郎は内ポケットから茶封筒を取り出して、淡々とした顔で俺に差し出した。

「はい?」

 無意識に受け取ってから、はっとする。

「え、ちょ、ちょっと待てよ」

「今週分に心付けとして少々加えておきました。機会があれば、またお会いできると嬉しいと思い…」

「周一郎!」

「つっ!」

 こちらの話を聞こうともしない相手に苛立って、思わず腕を掴んでしまった。

 眉を寄せて周一郎が顔を強張らせる。

「あ、すまん、だけど、何だって、つまり、俺は馘になった、そういうことか?」

「そうです」

 周一郎は目を伏せて、俺から腕を取り返した。そのまま左肩に手をあてて庇いながら、

「十万入っています、もしご不満ならいくらでも追加を…」

 俺と視線を合わさないまま続くつるつると続くそつのない丁寧な口調に、巧みに逸らされそうで苛立った。

「金のことじゃない。いきなりどうしたって言うんだ? 今の今まで、そんなこと言わなかったじゃないか、それを急に」

 そうだ、ほんの少しだが、こいつの願いが見えた、こいつの本音が、こいつの姿が見えてきた気がしたのに。

「当家の家風に合いかねるので」

 やはり周一郎は俺を見ないまま答える。

「家風?」

 そんなこと、始めからわかっていただろう。

 俺はなおも食い下がろうとしたが、周一郎は目を逸らせてこちらを一切見ない。今までも薄いベールの後ろに引っ込んでしまう気配はあったが、今はもう鉄条網の中に逃げ込んだような感じだ。引きずり出そうとするなら、今度は鉄壁の砦で身を包みそうだ。

 さすがにこれは、俺でもわかる。

「……わかったよ」

 こんなやり方をするのか。

 ぎりぎりと絞られてくる胸の怒りを堪える。

 こんなやり方で、いつも『ゲーム』を終わらせてきたんだな、『遊び相手』を願う、その一方で。

「これ、返す。一週間七万、俺は一週間働かなかった。加えて、お前の『遊び相手』にもならなかった」

 近づきかけた距離を一瞬に突き放された。掴みかけた真実を、いきなり『絶対』届かない位置に持ち去られた。

 これがお前の『勝ち方』なのか。盤を叩きつけて、勝負そのものをなかったことにすることも含めの『勝利』なのか。

 そんなことで、『願い』が叶うわけないじゃないか。


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