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「成熟するだけじゃない、恨むんですよ、世界全てを」
さらりと答えられてぎょっとした。嘲りを浮かべた凝視のまま、
「子どもはどこまでいっても子どもだから。大人に対しては未熟でないといけないから。未熟であるべしと強制され、拘束される」
淡々と続ける。
「そうでないと、子どもは大人に対する脅威でしかない。放置なんてしない。大人は、自分のプライドを守るためなら、何でもするんですよ」
抜き身の刃を突きつけられて身動きできなくなった感覚。
なおも細められた瞳が、今何を浮かべているのか、もう見えなくなっている。
「そうして『踏みつけられた』子どもがどうなろうと、知ったことじゃない……大人はそういう風に思ってるものなんだって、逃れようがない強さでわかってしまうんです、そういう『子ども』は」
俺の視線を引きずったまま、周一郎は再び窓の外へ目をやった。
「死にたくないなら『自分』でなくなるしかないんです。持っている力も才能も知識も、それは結局『自分』を殺すことにしかならないから、隠し切るか、捨て去るしかない」
いつの間にか、雪が止んでいた。
それでもまだ雪を降らせそうな灰色の空を、周一郎は何かを探すように一旦見上げたが、すぐに眩そうに視線を落とした。
「周囲が望む『子ども』のふりをして、周囲が望む『子ども』のように振る舞って。そうすれば何とか生きてはいける。殺されずに、死なずに済むんですよ……だけど、ときどき」
周一郎はことばを切った。
身内に満ちていた緊張が見る見る解けて、遠い何かを見るように、ことん、と額をガラスにつける。
幼い不安げな仕草だった。
「でも、そうやっていても、本当は死んでるんだってわかってしまう『子ども』がいるんです。周囲の望む通りに生きても、結局『自分』は死んでるんだって。けれど、『自分』では生きていけないこともわかってて」
唇が叫び出したそうに一瞬歪んだ。少し頭を起こす。そのままぐっと後ろに仰け反って、より強く激しく打ちつけてガラスを叩き割り、自分の首をかき切るようなことになるんじゃないかと思わず緊張する。
だが、激情を堪えて再び開かれた口は、静かに惨い結論を紡いだ。
「それなら、周囲があってもなくても、まともでも壊れていても……同じことじゃないですか? その世界では『子ども』は生きていられないんだから。その世界がどうなってしまおうとも知ったことじゃない……そう思いませんか?」
最後のことばで、もう一度、周一郎は俺を見上げた。
瞳の闇には底がなかった。微笑んだ唇をあっさり裏切って、そこにあるのは少年の形をとっている薄皮で、中身はと言えば、とうの昔に腐り落ちて崩れてしまっているだけのような気配、今にも口を突き破って出てくるのは、ただただ膨らんだ無というガスだけのような。
ぞくり、とした。
周一郎には何もない。
失うものも、守るものも。
世界は幻のようなもので、そこで周一郎は生きられないということだけが、唯一、確かなものなのだ。
「裏切りなんて簡単なものなんですよ」
唇が吊り上がる、楽しげに、形ばかりに、華やかに。
「単に裏と表の差なんだ」
言い捨てて、周一郎は窓の外を見た。白い横顔に動揺はない。人形じみて、端整で、隙がなくて、でも、ただそれだけで。
「オセロ…か」
思い出す。どのゲームも、俺はいいように周一郎に操られていた。
始めはいつも自分のペースで進めているように思っていたばかりか、周一郎をうまく誘い込んだつもりでいたのに、いつの間にか、白を黒が上回り始め、気がついた時には空いている場所に置いていくしかなくなって、しかもそこに置けば置くほど駒の数が減らされていく。
もがけばもがくほど動けなくなる沼にはまり込むように、あるいはまた、転がり出した岩の真下へわざわざ走り込んでいくように、誘導されていた、今ならそうわかる。
俺も同じだ。
周一郎はそう言っているのだ。
俺の迷いをきちんと読み取っていた。何かできないかと考えていたのを感じ取っていた。それをあからさまに拒否しても俺が近づいていくから、周一郎は示してみせた、それは絶対無理なのだ、と。
なぜなら、俺もまた、周一郎を受け入れてくれなかった世界の一部なのだから、周一郎を死なせないなんてできないのだ。たとえ、もし、周一郎を死なせないように動いたとしても、それは俺が世界の動きからはみ出すことを選ぶことになる。そして、それは、俺自身を死なせることになってしまうのだ。
どちらにしても、周一郎には手が届かない。
オセロのように、周一郎の手に乗れば俺が死に、それを見破り拒むなら、俺が周一郎を殺すことになる。
だから、周一郎は誰も必要としない、誰にも必要とされない。
それは当然の結論だ、と。
けれど。
その、当然、が俺の何かを刺激した。
誰もが思う当然の帰結、それに抗い歯向かいたいという衝動。
人生は勝ち負けだけじゃないだろう。生き死にだけが全てじゃないだろう。
「でも、ゲームは楽しめる」
俺の返事に、窓の外を見つめたまま、周一郎は体を固くした。
「確かに勝つか負けるかしかないんなら、お前か俺かってことになっちまうけど」
答えながら、俺は気づきつつあった。
俺が腹を立てたり落ち込んだりしながら、なぜ周一郎の側に居ようとしているのかを。
うまくことばになるだろうか。
胸の奥の自分の気持ちを確かめながら、一つずつことばに置き換えていく。
「確かに三連敗はまいったよ、疲れる」
誰だって勝ちたい認められたい評価されたい。
「次もその次も勝ちますよ」
周一郎が振り仰いで、冷酷な声で宣言した。
「だろうな、お前は強いよ。けど、じゃあ、このゲームが俺にとって、ただつまらないだけなのかって言われると、それは違うんだ」
思わず苦笑いした。
何て本音だよ、ったく。
その内側の声が聞こえたわけでもないだろうに、周一郎が不愉快そうに目を逸らせ、窓の外へと顔を向ける。
答えはなかった。
「俺は負け続けてる。お前は強いし、この先勝てる見込みもない。けど、なんて言うんだろうな」
俺はゲームをしている最中の周一郎の顔を思い出していた。
楽しそうに自分の作戦に集中し、目を輝かせている顔。ベッドで傷と辛い思い出に呻いている顔より、よっぽど幸せそうな顔。そして今、世界の何もかもを拒否して、窓の外を見つめているよりも楽しそうな顔。
ああ、そうだ。どれほどもがいてのたうっても、結局誰でも最後は死んじまうんだよな。勝ち負けで言えば、永遠に勝ち続けることなんてあり得ない。いずれは必ず負ける勝負。
なら。
「お前は勝つのが楽しそうだ。なら、それでもいいかって思っちまうんだ。楽しそうなお前がいるのなら、負けてるのも構わないんじゃないかって」
なんでだろな、笑っちまうのは。
胸の底から込み上げてくるこの喜びを、俺はよく知ってる。
真実に一番近い場所。
「きれいごとだ」
周一郎は吐き捨てた。
「永久に勝てないんです。あなたはぼくに勝てない、絶対勝てない」
今度は窓から視線を動かさない。
俺は首を振った。




