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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
4.二重の罠

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24/43

2

「自滅、ですか」

 周一郎が静かに駒を置く。くるくると駒の色が変わっていく。

 駄目か、やっぱり。悔しいけど、ここまでか。

「へえへえ、自滅ですよ」

 お前はどうせ無力なんだ、そう言い聞かされているようで、いささかいじけながら答え、最後の駒を盤に置いた。

「無茶な、人だ」

 微かな苦笑を浮かべて、周一郎が最後の升目に駒を置いた。それからゆっくり丁寧に、けれども寸分の怯みも容赦もなく、残りの白を全てひっくり返していきながら、

「どう置いても無駄なのに」

 声は淡く虚ろな響きを宿していた。

 あなたには、無理ですよ。

 静かな優しい諭し。

 盤の上は一面、黒。

「う〜〜〜ん」

「終了ですね」

 確認するまでもないのに、わざわざこれみよがしに覗き込んだ周一郎の白い首に、この間の血の赤さが幻のように重なって、ずきりと胸が痛んだ。

 無理か。もう無理なのか。

 つい呼んでしまう。

「周一郎」

「はい」

 きょとんと顔を上げる、その表情に緊張感はない。

「怪我はどうなった?」

「……大丈夫ですよ。そう見えませんか?」

 周一郎は微笑んだ。

 見える。見えるから心配になるんだ。そんな軽い傷じゃなかったと知っているから。その傷を抱えた時の苦痛を目の当たりにしているから。

 けれど、今の周一郎は本当に大丈夫そうに見えた。何ものに侵されたことも傷つけられたこともない、痛みなんてこれっぽっちも味わったことのない顔に。

 じゃあ、あの『現実』は何だったんだ? 夢か? 妄想か?

 それとも、今俺は、お前が作り出す『現実』に取り込まれているのか。

「少し休みましょう」

 よっぽど何か言いたげに見えたのだろう。周一郎は俺の視線を避けるような動作で立ち上がって、音も立てずに窓際へ移動した。そのまま壁の隙間を擦り抜けて消えてしまうような奇妙な感覚に囚われて、思わず口を開く。

「大丈夫に見える、だから」

 心配してるんじゃないか。

 そう続ける前に、こちらに向けた周一郎の背中が強張ったのに気づく。そのまま窓に寄り、掌をガラスに当てて、周一郎はじっと外を見つめている。

「何だ?」

 何を見てるんだ、と俺も窓に近寄った。

「雪か」

 外では、いつの間にか降り出した雪が積もり始めていた。灰色の空から舞い落ち続けている淡いひとひらひとひら、見れば見るほど広大な庭が、ゆっくりと遥か遠くまで白い平原に変えられていく。

「積ってきたな」

 あの暗く深い黒の湖も、この雪は白く変えていってくれるだろうか。この屋敷に囚われて動けないこいつの心も新しい世界へと塗り替えてくれるだろうか。

 もういいだろう、そう思わないか?

 湖の側に立つ白い十字架の主に問う。

 こいつは十分あんたを悼み、あんたのために頑張った、そう思ってやってはくれないか? あんたは確かに、こいつに生きる場所と手立てを与えたのかも知れないが、今こいつはその重さに苦しんでる。自分の未来なんてどこにもなかったふりをして、あんたの死を堪えている。

 もういいじゃないか。

 空を見上げた。

 そこに居るのか? 聞こえているか?

 そろそろこいつを、あんたから解放してやってくれないか?

 返事はもちろん戻らない。

 ただ、素知らぬ顔で雪が全てを埋めていくだけだ。

 ふと、何かが動いた気がして、手前の方に目をやると、葉を落とした木々の間を黒い染みのような二つの影が横切っていくのが見えた。

「桜井さんと若子さんか」

 二人は寄り添って歩いていた。美華がいなくなったことで最後の壁を越えたように、周囲を憚ることさえなく、屋敷のそこここで一緒に居る二人をよく見かけるようになっていた。

 今も何かを話しながら歩く二人は、時折立ち止まって抱き合い、しばらく身動きせずに居てから名残惜しげに離れ、粘っこい熱さをまとわりつかせながら散策を続けている。

「オセロで勝つためには、何が大事かわかりますか?」

 淡々とした口調で周一郎が尋ねてきた。

「オセロ?」

 隣を見下ろすと、周一郎は、両方の掌を窓に当て、じっと茂と若子を見つめている。サングラスをかけた整った顔は仮面のように動かない。

「う〜ん」

 いきなり何の話だか。

 戸惑ったまま、相手を見つめる。

「始めは負けているように見えてもいいんです。覚られないよう、重要なポイントだけを丁寧に確実に押さえていくことだけに集中する」

 こちらを見ない周一郎は、冷ややかに続ける。

「相手の計画を読み取り、お膳立てに乗りながら、それを最大限に利用する。相手が自分の計画がうまくいっていると十分思い込むまで、相手が望んだ通りに振る舞い続ける………だけど、手のうちは絶対見せちゃいけない」

 周一郎は俺を見上げた。サングラスの奥の瞳がまっすぐに俺を捉えているのが、外の雪明かりではっきり見える。

 そのまま、ふいに笑った。一転して艶やかな、目を奪うような笑みだった。

「ねえ、滝さん」

 美姫を思わせる整った唇が囁いた。

「もし、子どもが、義務教育を完全に理解したうえで、人間観察のあらゆる機会を与えられ、それを分析し、理解し、整理し、発展させ、まとめあげて、再び現実の人間にそれらのデータをあてはめて検証出来る能力を持っていたとしたら、どんなふうに育つと思います?」

 確かに生き生きとした鮮やかな笑み、そこだけ見れば楽しい遊びの計画について打ち合わせているかのような活気のある顔、なのに、周一郎の瞳はただ一つの揺らぎさえなく、動かず、凍てついていた。整ったきれいな笑みが、このうえもなく残酷なものに見えた。

「どんなふうに育つ、って…」

 どんな大人になるかってことだよな?

 周一郎の瞳から目を離せないまま、応えを探す。

「年齢以上に大人びるんじゃないか。いろんなことがよくわかっていて、早くに成熟するっていうか」 

 何と言うか、内側の経験値みたいなものが、通常よりうんと積み重なるってことだよな、きっと。それはそれでいいことだよな、と考えた俺の考えを読み取ったのか、嘲笑うように眼が細められる。

 莫迦じゃないの、あんた。

 そう詰られた気がした。


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