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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
3.血の臭い

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21/43

7

「俺だ」

『あっ、この』

 かったるそうな声が一変する。

「わかってる、借金のことだろ、払うから取りに来てくれ、7万だったよな?」

『返しに来いよ』

「今動けない」

 むっとしたような相手に反論させずに続ける。

「それから、来る時に薬とか包帯とか止血剤とか、交換分を合わせて持って来てくれ」

 宮田の返事には少し間があいた。警戒心を満たした声が尋ねてくる。

『怪我をしたのか?』

「俺じゃない」

『お前なら行くか』

 間髪入れずに応じた後、

『医者に行けよ』

 俺は黙った。

『やばいのか?』

 なお黙る。

 宮田も黙った。

 しばらく無言の押し問答が続き、やがて諦めたのは宮田だった。

『わかった行ってやる。僕はお前が借金を返すと言ったから、たまたま出たついでに、たまたま寄ったんだ。その時たまたま、いろんなものを持ってたからって、お前に頼まれたわけじゃないからな』

「…ありがとう、恩に着る」

 こういう察しはいいんだ。

『着るな、たまたまだと言ってるだろ。それより金返せよ』

 ぶっきらぼうに電話が切れた後、

「すまん」

 俺は受話器に向かって改めて宮田に謝った。

 何せ、手元にそんな金はない。元気になった周一郎が払ってくれるか、払える状態なのかどうかも疑問だが、とにかく今はこれしか思いつかない。

 ベッドに戻ると周一郎が目を開けていた

 額にびっしりと汗をかいていて、顔色は相変わらず悪い。ただ、さっきよりは呼吸が穏やかになったようだ。

「電話?」

 掠れた声で尋ねてくる。

「知り合いの医者を呼んだ」

 かすかに周一郎は息を引いた。俺を睨みつけ、吐き捨てるように、

「余計なことを」

 あからさまな侮蔑の声。

「そうだろうな」

 同意した。

 俺が同意するとは思っていなかったのだろう、周一郎の眉が緩む。

「余計なことだってわかってる。だから、お前がどう思ってもかまわんよ」

 言いながら、あっけに取られた表情になる周一郎を見返した。

「俺には、お前がなんで美華を庇ったのかわからない。姉思いというんじゃないような気もする」

 周一郎の目がゆっくりと細められた。

「それに、桜井親子の妙な動きや、若子夫人をどうして放っておくのかもわからない」

 引っ掛かり続けていた疑問が、口からするすると零れた。

「うまく言えないけど………お前はもっとうまく動けるはずだよな? こんな怪我なんてせずに、いろんなことをもっとうまくやり抜けるはずだよな? どうも、そんな気がするんだ」

 周一郎はじっと俺を見つめている。サングラスに遮られていない黒い瞳が、こちらに飛びかかる隙を伺う野性の獣のそれのように見えた。

「確かにお前は大人しくて利口で、気弱な子どものように見える。目のことがあるから籠って生活してるけど、普通の子どもなんだって感じに。けど……違うよな?」

 周一郎は応えなかった。 

 相変わらず冷ややかに澄んだ、どこか無機質的で無感情な瞳。

 それは大人しくて利発な少年の後ろにいつもあった、人との関わりや介入を一切拒むような気配を同じものだ。

 関わるな。

 その目はそう言っている。

 ぼくに一切関わるな、と。

「お前は本当は、俺だけじゃなくて、皆嫌いなんだよな? けど、要らないってわけじゃないんだ」

 びく、と周一郎が体を竦めた。

「そうじゃない」

 聞いたことのない低い声で反論してくる。

「ぼくは、誰も必要としない」

「大悟も、か?」

「…大悟もだ」

 周一郎の声が怒気をはらんだ。

「それに、大悟も、僕を必要としていたんじゃない」

 今度は辛そうな声だった。

 ことば一つ一つに血がにじむような声だった。

 青かった頬にうっすらと桜色の赤みが差す。

「大悟が必要としていたのは、ぼくじゃない、『朝倉周一郎』だ」

 淡々とした響きは現実だけを話しているんだ、と主張するようだ。現実だけ、虚しくて何の救いも含まない、冷ややかでのっぺりとした現実の話だけ。

「だから? 『おまえ』は死んでもいいって言ってるのか? だからこんな無茶をしてるのか?」

 違うだろう。そんなふうに割り切れるなら、きっとここまで苦しんでいない。

「無茶なんかしてない、ぼくは…」

「俺は『おまえ』を死なせる気はないんだ」

 周一郎はことばを失った。見開いた目が戸惑っている。聞こえたことばがわからない、そんな顔だ。

 ノックが響いた。

 立ち上がってドアを開けると宮田が立っていた。

 ぼさぼさ頭にガラス瓶の底のような分厚い眼鏡、よれよれの、一ヶ月は着ていそうな上着と皺だらけのスラックス、その尻ポケットに、ごちゃごちゃと突っ込んであるゴムや金属の塊やガーゼで包んだ何かが覗いている。あれでちゃんと座れるのだろうか。シャツは垢染みているばかりでなく、コーヒーかみそ汁か、そういう食べ物系を思わせる染みが点々と飛んでいた。

 見るからに怪しげな風体だが、これでも大学の研究室では、十年に一度の切れ者で通っているらしい。

「来たぞ」

「すまん」

「患者は」

「あそこだ」

 周一郎は抵抗するように顔を背けたが、逃げられるほど体力は戻らなかったようだ。  

「ふうん」

 宮田が心なしか嬉しそうに周一郎の上着を剥ぎ、タオルを外す。苦しそうに眉を寄せ、それでもきつく唇を噛み締めて、周一郎は声を殺して目を閉じる。

「ひどいな、これは。ナイフだろ。刃が薄くて軽いやつ。傷は浅いけどしつこいぐらいに刻まれたね。何か恨みを買ったのか? ナイフを使ったのは女か、力の弱いやつだ。縫合は必要ないな」 

 宮田は解説しながら傷を確かめた。丁寧に手早く処置を終え、俺を振り向く。

「応急手当は済ませたけど、早めに『ちゃんとした医者』に行ってくれ」

 自分がヘンだという自覚があるらしい。

「それがだめなら、きちんと休養してくれ。でないと、後の事は保証できない」

 最後は周一郎に向けてだったが、相手はそっぽを向いたまま応えない。

「いい態度だ」

「すまん」

 一応謝っておく。ふ、と小さく息をついた宮田は、

「ま、いいか」

 ぼそりと呟いた。

 ちらりとベッドの上でぐったりしている周一郎を横目で眺め、

「美形だし、いい感じのシチュエーションだし」

「は?」

「気にするな、楽しみは必要だってことだ。それより」  

 微妙なことを付け加えたのを聞きとがめると、道具を手早く片付けて振り返った。   

「金は?」

「えーと……すまん」

「やっぱり」

 深々と溜め息をついて、苦々しげにことばを継ぐ。

「わかってたのに来たんだから、いいんだが」

 あ、意外といい奴だったのかもしれない、そう思ったのは束の間だった。

「何なら、あの子の生写真でもいいけど」

「み、や、た」

 そうだった。こいつの趣味をすっかり忘れてた。


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