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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
3.血の臭い

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20/43

6

「遅れてすみません」

 俺の側を擦り抜けた周一郎は着替えていて、シャワーを浴びたのか髪の毛が濡れている。傷を負っているとはとても思えない滑らかな動作で入って来る、そして、強烈なアルコールの匂い。

「昨日、少し飲み過ぎて眠ってたんで、呼ばれたのがわからなかったんです」

「かなり呑まれたようですな。未成年の飲酒は禁止されてるんですが」

 厚木警部は呆れた顔で周一郎を見る。

「すみません」

 にっこりと、この上なく艶やかな明るい笑みで周一郎は応じた。

「姉さんがあまりおかしなことを言うもんですから、なんだかむしゃくしゃして…」

 それから、ふいに不安そうな顔になって部屋の中を見回し、

「姉さんは…」

 厚木警部は意外そうに眉を上げた。

「ご存知ないんですか?」

「てっきり父のことだと……何かあったんですか?」

「美華さんは今朝、湖で溺死されているところを発見されました。何者かに殺されたと考えていますが、昨夜、あなたはどちらにいらっしゃいましたか?」 

「殺された…」

 周一郎の顔はゆっくりと白くなった。

「この割れた破片はサングラスのものです。……あなたのものですか?」

 厚木警部は別のナイロン袋を取り出した。

「…はい、そうです」

 とぼけてもいいところだろうが、周一郎は大人しく応じる。

「湖の岸に落ちていました。いつ壊されたのですか?」

 周一郎は応えない。

「信雄さんのお話では、昨夜あなたは美華さんと一緒におられたとのことですが」

「…はい、姉さんと喧嘩して…」

 仕方なさそうに応えた周一郎は、気弱そうに口ごもり黙り込んだ。

「なぜ喧嘩されたんですか」

 厚木警部がことさら丁寧に尋ねる。穏やかな表情で周一郎を見る、が目はさっきより鋭い。

「…言いたくありません」

 周一郎は俯いた。

 物静かな少年が、何か必死に耐えて隠している、そう見える弱々しい仕草。

「おっしゃらないと、いろいろ困ったことになるかもしれませんが」

 じんわりと厚木警部が圧力をかけるのさえ、何だか悪役に見える。

「…言いたくないんです、でも」

 周一郎は顔を上げた。

 何かを決心したというような、きっぱりした誠実そうな口調で、

「姉さんを殺したのはぼくじゃありません」

 その顔がさっきよりも白くなっているのは、美華が殺されたショックだけではないだろう。アルコールの強い匂いもシャワーも傷を隠すため、あれだけぐったりしていた人間が、ここまで平然と振る舞うには相当の努力がいるはずだ。

「困りましたな。美華さんが誰かを傷つけているのは確かですし、皆さんお一人ずつについて調べさせて頂くしかないかも知れませんな。血液や様々なものの検査も含めて、ですが」

 警部が暗にほのめかしたものが何か、さすがに俺にでもわかる。と、

「そ、それは困る」

 いきなり信雄がきいきいした声で遮り、注目を集めてしまった。

「あ、だ、だって」

 せわしく茂と周一郎を見比べる信雄に、茂が不快そうに顔を背ける。信雄は余計にうろたえたようだ。じたばたと手足を振り回して、なおも切羽詰まった声で繰り返す。

「そんな、犯人扱いされるようなことは不愉快だ、ねえ、そうでしょう」

 茂と若子への同意を求める声に、茂が息を吐いた。

「警部,私達もあまりのことに疲れておるんです。日を改めてもらえませんか。どちらにせよ、この屋敷のものが疑われているなら、逃げたりできませんよ」

「そうですか」

 厚木警部はゆっくり頷いた。

「ではまた、後ほど伺いましょう」

「お力になれなくてすみませんな」

 茂の皮肉な口調にも厚木警部は堪えた様子はなかった。

 軽く会釈して警部が出て行った後、部屋には気まずい沈黙が広がった。お互いがお互いを監視する冷たくて鋭い視線。お互いがお互いを詰る怒りを孕んだ表情。

 誰のせいだ? 何でこんなことに。お前か? お前か? それともお前が『へま』をしたせいか?

 もっとも、その視線が俺のところに飛ぶ気配はなく、それが少しは救いだが。

 天からの稲妻に打たれたように立ち竦んでいた周一郎の体が少し揺れた。顔の白さを見れば、体調が悪そうなのは一目瞭然だが、誰も周一郎を休んでいいと解放してやらない。逆に、ここで崩れ落ちてしまえばいいのにと責めてくるような視線にさえ思える。

「周一郎」

 あ、呼んじまった。

「はい」

 ふわりとこちらを振り向いた顔に溜め息をつく。こういうことをやるから、いつもいつも『厄介事吸引器』などと呼ばれるのだ。

「まだ酒が残ってるみたいだから、俺の部屋で休むか?」

「いえ、ぼくは」

 振り仰いだ周一郎の体がもう一度揺れた。倒れそうになったんじゃないか、そんな様子で足を踏み替える。唇を一瞬噛む、その姿からもどんどん気力が抜けていく。

「ほら、やっぱり酔ってるよ。じゃ、そういうことで失礼します」

 凍りついたように何も言わない3人を残し、俺は周一郎を押し出すように部屋を出た。ゆらゆらと今にも倒れそうな周一郎を抱え込むようにして支えながら、そのまま強引に部屋に連れ込む。

「お前なあ、一体何考えて……倒れるなーっ!」

 ドアを閉めたとたん、周一郎はへたへたと崩れ落ちてしまった。操り人形の糸が切れたようなものだ。どさりとも音をたてない。ぐずぐずと座り込み、駆け寄る間もなく、すぐに気を失ってしまった。とっくに体力の限界を越えているのだろう、青ざめて荒い呼吸を繰り返している。

「ったく、何やってんだ死ぬ気か、無茶ばっかりしやがって」

 俺だって大量出血した後動き回ったらまずいってことはわかるぞ? こいつの頭は俺以下なのか?

 上着の下では、さっきとは違っておざなりにシャツで押さえたタオルがぐっしょり紅で濡れている。重みを増した周一郎を何とかベッドに引きずり上げて、部屋の電話に飛びついた。

『何でしょう、滝様』

 出たのは高野ではなく岩淵だった。助けを求めようとしたが、岩淵が若子達の仲間ではないという保証はない。とっさに思い出した名前を告げた。

「あの、もう少しすると、俺の友達の宮田っていうのが来るはずなんで、俺の部屋へ通してもらえませんか」

 警察が入ってる中、通常は入ってくるのも無理かも知れない。が、さっきの茂の口調からすると、直接の関係者以外の出入りを一切停止するわけにもいかないとは考えているようだ。ましてや、どう見たってぺらぺらの学生一人、住所と名前は控えられても拘束されることはないだろう。

 もし、そういうことになったらすまん、宮田。

『宮田様ですね。承知いたしました』

 続いて、ボストンバッグのポケットから引っ張り出した手帳を見ながら、ややこしく繋がった番号を押す。

「あ、もしもし、研究生の宮田修くん、居ますか? はい、僕、滝志郎と言います」

 受付の女性は少しお待ち頂けますか、と応じた後、遠くの方でみやたせんせー、と声を張り上げた。やがて、

『はい、宮田ですが』

 横柄で不服そうな声が戻ってきた。


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