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さっきの話からすると、高野はおそらく客間に居るはずだ。
医者は呼べなくとも、もうちょっとまともな包帯とかガーゼとか欲しい。できれば、もうちょっと経験値の高い誰かの手が欲しい。
「急げよ、慌てるな、落ち着け」
ところが、自分に言い聞かせながら、できる限り急いで客間に飛び込んだ俺を待ち構えていたのは、不安そうに茂に寄り添って立っている若子と、当主のようにふんぞり返っている茂、相も変わらずへらへらとした薄笑いを浮かべている信雄だった。
それにもう一人、戸口に背中を向けている灰色の背広の男。
「……ということで、美華さんは、おそらく、昨日の夕方から夜にかて、湖近くで誰かと会い、その後、屋敷に戻る途中で襲われたと思われます。信雄さんのおっしゃるには、周一郎さんが美華さんと一緒におられたということですね。どうしてなのか、どなたかご存知ですか」
「さあな、美華は周一郎が気に入ってたしな。意外と禁断の何かってやつ?」
信雄がけけけ、と嗤った。
「厚木警部、はっきりおっしゃって頂きたい。あなたは、この屋敷の者を疑っておられるのですか」
茂が唇を歪めて問いかけた。
灰色背広の男はすぐに応えず、ぽんぽんぽんと体のあちこちを叩いた後、それらと無関係なポケットから煙草を取り出した。少しの間指で弄び、未練一杯の顔でポケットに戻す。
「まあ、はっきり言えば、そうです」
ふう、と吐息をつく。
「この屋敷の防犯装置は大したものです。外部から侵入するのは難しいと思いますね。勿論、ご家族以外の方にも聞き取り調査は続けていますよ、だがこれと言って動機がない、むしろ」
人を苛立たせるような間合いでことばを切る。そのまま、誰かが口火を切るのを待っているかのように、のんびりと首を傾げつつ、周囲を見回した。
「私達には動機がある、というわけですかな」
焦れたように茂がことばを継ぎ足した。苦笑を滲ませつつ、
「まあ…当主の大悟さんが殺された一件も、未解決のままになってますからな。それでなくても、遺産がどこへ行くのか、皆さん、ご心配でしょう」
厚木警部は含みを保たせて笑う。
「あなた、失礼ですわよ」
若子が噛みついた。
「見当違いなところばかり探さないで、お仕事をなさればいいんです」
「してますよ、十分に」
厚木警部はそこでようやく俺を見た。
わずかに目を細めて笑いかける害のなさそうな顔は、警部というより、終電に間に合ってほっとしている五十前後のサラリーマンだ。悪意も害意もなさそうで、とにかく今日一日の仕事が終れば一杯やる、それでいいんですよ私は、という顔をしている。
けれど、朝倉家に集まった面々がキリキリしているのを軽くあしらい続けられるのは、どうしてどうして一筋縄ではいかない男のようだ。
目元に皺を寄せてにんまりと笑い、
「滝さんですな? 由宇子から聞いてますよ。少しお待ち下さい、いろいろとお話をお聞きしたいのでね」
ゆっくりと若子に向き直る。
「さて、朝倉さん、満更見当違いでもないんです、というのはね」
厚木警部はテーブルに置いてあったナイロン袋を取り上げた。中には小さなナイフが入っていて、その刃が赤黒く汚れている。
「湖より少し離れたところでこれが発見されました。ついている指紋は美華さんのものですが、血液は別人のものです。また、これが発見された周囲と美華さんが殺されていた湖の端に争った跡がある」
自分のことばが周囲の人間にしっかり理解されたか確かめるように、厚木警部は回りを見回した。
「つまり、美華さんは誰かと争って、ナイフを出すようなことになった。それに傷つけられた人物が逆に美華さんを襲ったか、あるいは別の人物がその争いの後で美華さんを襲ったのかのどちらかだということです。だが、昨夜、この屋敷に何者かが忍び込んだ気配はないので、この屋敷内の者の犯罪だと考えるのが妥当でしょう」
茂に向かって頷いて見せた。
「加えると、美華さんの体にはナイフの傷はない……暴行はされていますが」
「暴行?」
落ち着き払っていた茂が急に動揺した。若子がうろたえた顔になって、一瞬不思議な方向へ目をやる。その視線の先に、薄笑いを引っ込めた信雄が居るのに、厚木警部も気づいたようだ。
「時間的なもの状況的なものを考えますとね、いろいろと問題が出て来るわけです。そこでやはり、皆さんがその時間にどこで何をされていたかを気にするのも仕事のうち、というわけです……ところで、周一郎さんはどちらにいらっしゃいますか?」
厚木警部が、人の良さそうな笑顔をふいにこちらへ向けて、俺はうろたえた。
周一郎を傷つけたのはどうやら美華らしいが、その後のあいつの無実は証明できない。あれほどの傷で美華を殺せたとはとても思えないが、厚木警部が、つまりは警察がそう考えてくれるとは限らないだろう。
どちらかと言うと、美華に罵倒された周一郎に殺意が芽生えたと考える方が自然かもしれない。
「滝さん、周一郎さんは?」
「え、あ、あの…」
「ここにいます」
口ごもった俺の背後から、涼やかなと言えるほどはっきりした声が響いて、ぎょっとした。




