トリート
有川愛・アリア
高校生。気が強い。捻くれてる。
幡木錬・れんたろー
高校生。穏やか。結構まとも。
「あれっ、アリア。まだいたの?」
当番であった視聴覚室の掃除を終え、教室に戻ってきた幡木錬は、一人窓際の席に座る有川愛に語りかけた。
アリアというのは彼女のあだ名だ。最も、そう呼んでいるのは錬だけであるが。彼女は窓の外を眺めていた。無個性な制服に包まれた彼女だが、誰であるかは後ろ姿でわかる。なにせ、昔からずっと一緒だったのだから。
彼らはいわゆる幼馴染というやつだ。だが、人前でそれを話したことはない。
こうやって話すのも久しぶりになる。愛が、学校では話しかけないで欲しいと言ったのだ。愛が錬と一緒にいることで、からかわれるのが嫌なのだろう。
「もう十月……そろそろ十一月だよ。暗くなるのも早いし、寒いし。風邪ひかないように気をつけた方がいいよ」
「遅かったわね、れんたろー」
錬の心配をよそに、素っ気ない口調で喋る。彼女は相変わらず窓の外を見ている。れんたろーというのは錬のあだ名だ。こちらも愛しか使っていない。
「ええ? それは僕が最後に視聴覚室を出たからだよ。鍵閉めなきゃじゃん、ね?」
「あんたはいつもそうやって損する方へ行くわね。あんたと同じ班の女子なんかとっとと帰っちゃったわよ。ハロウィンパーティーだの、仮装がどうだの言ってさー」
愛の声がだんだんと不機嫌になってくる。それでも錬の方は見ようとしない。
「アリアも混ざればいいじゃん。クラスの女子と仲悪くないだろ」
錬は、愛がこちらを向いてくれないので仕方なく、自分の席に置いていた鞄を取りにいく。掃除の時に、がさつなやつが寄せたのか、机の感覚が妙に狭かった。
「はぁ⁉︎ 嫌よ、あんなキャピキャピしたの。あんた知ってるでしょ? 何がハロウィンパーティーよ」
「あーあ。久々にはじまったよ」
机をばんと叩き、錬の方に顔を向ける。声を荒げる愛に、錬は呆れながら自分の席の付近の机の位置を整える。
「ハロウィンはどうあるべきか……そう、これよ! 今回の議題はこれ!」
愛は小学校の時から、こうして議題なるものを決め、錬に自分の考えを語りつくすことが多かった。議論という看板は飾りに過ぎず、錬に一方的に語るだけなのだが。
「なーにが『これ!』だ。帰るよ、アリア。鍵、僕が閉めるからさっさと出て」
「待ちなさいっ!」
「うぐっ」
愛は錬の鞄の紐を掴み、引きとめようとした。だが、錬は御構い無しに出て行こうとする。
「ほら、鍵返さなきゃだから」
「今日は私が鍵かけて持っていくわ!」
「暗くなるの嫌だし、帰ろうよ」
「もう少し帰るのは後にして、語り合いましょ」
「帰る方向一緒じゃないか……帰り道に話せばいいだろ……」
「ほら、外は寒いじゃない?」
「なんで急に喋る気になったんだよ」
「それは……ね?」
「さよなら」
「ええっ⁉︎ なんでよお!」
「くだらないことに付き合いたくない」
「くだらな……。ねえ、お願い。待ってよ……。ちょっとだけ私の話聞いてよぉ……」
愛は錬を上目遣いで見上げ、泣き出しそうな声を出す。錬は昔からこのパターンに弱い。
「……わかったよ。少しだけね」
「やった!」
ため息をついて、近くの椅子に座る錬を無視し、愛は先ほどの窓際の席に座る。新たに冷たい椅子に座るのが嫌なのだろう。
「えー、そもそもハロウィンというのは……もともとは収穫祭ね。えー、二千年以上昔、ケルト民族の宗教の一つにドルイド教というものがありましたー。 その儀式の一つのサウィン祭が起源といわれていますー。 サウィン祭とは秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う祭りでしたー。 古代ケルトでは一年の終わりが十月三十一日とされていて、この日は日本のお盆のように死者の霊が家族に会いに来るといわれていたのですー。……らしいわ」
「いきなりウィキペディア音読って……」
「こ、これは基本知識のおさらいよ!」
錬の指摘に、愛は早口でごまかす。
「ま、確かにイベントごとになると、もともとの意味から離れてとりあえず騒ぐって風潮はあるよね。ハロウィンに限らず」
「でしょ⁉︎ そういうの良くないわよね!」
「良くないとは言ってないよ。お祭り騒ぎは嫌いじゃないし」
愛の嬉しそうな顔が、みるみる不機嫌そうな顔に変わってゆく。自分の意見に同調されなかったのが気にくわないのだ。
「あんたはこういうの好きだったわね」
「だって、楽しそうじゃないか。機会があれば参加したいなと思ってるよ」
「機会もなにも、あんた女子受けいいから連れてってくれるんじゃない? 今からでも一緒にハロウィンパーティー行けるように頼んでみたら?」
「僕はアリアと一緒に行きたいけどなあ」
「……! わっ、私はそういうの嫌いって言ってんじゃん! れんたろーも分かって言ってるでしょ!」
愛はムキになって怒鳴る。はじめと比べると、少し顔が赤くなった気がする。
「ごめんって」
「で、話が逸れたけど、そのお祭り騒ぎに物申したいの」
「一人で勝手に申しててくれよ……」
「なんか言った?」
「何もないよ……」
頭を抱える錬を尻目に、愛は語り出した。
「いい? 元は収穫を祝っていただけの祭がなぜこうも煩わしいものになったのか」
「やっぱり企業戦略じゃない? そういう意味では、だいぶ収穫してると思うけど、お金を」
「もう! 私が話してる途中で茶々をいれないでっ」
愛がふくれる。これ以上怒らせると面倒なことになりそうだった。
「ごめん、続けて」
「うん」
それから愛はスマホ片手にハロウィンのことをちょいちょいと調べては自分の勝手な意見を交えて、錬に話した。なぜ神聖なものを俗なものにしたのか。本来の目的が薄れつつあった時期はいつか。日本に持ち込んだ不届き者は誰か。そして一々それに対して文句を並べる。もう無茶苦茶だ。
「で、……えっと、トリックオアトリートの語源は……。さっき言った、悪霊を払う祭として完成されてきたあたりね」
「うん、なんだっけ」
「もう、れんたろー、ちゃんと聞いてたぁ? もう一回最初から話した方がいい?」
「いやいやいや! いらない!」
「じゃあ、続けるわね。ハロウィンが悪霊を払う祭となった際、子供たちが悪霊に扮して家々をまわったの。そしてそこでお菓子を渡して、帰ってもらう──追い払ったってわけね」
もうすでにハロウィンの解説になってしまっている。物申すとは何だったんだ。錬はそう思った。
「悪霊のセリフとしてトリックオアトリートが使われたってわけね。トリックが、人をだまして困らせる。トリートが、喜ばせるように施しをする。ええっと、あとは……。これでおしまいかな」
愛はスマホをロックして、机の上に置いた。
「ありがと、れんたろー。帰ろっか」
「帰ろっかじゃないよ。だいぶ長いこと話したじゃん。はーあ、まんまとトリックされたよ」
「……私が悪霊って言いたいの?」
「そうだね。今日はさっさと帰りたかったのにさ」
「あら。じゃあ、なにかやり返す?」
冗談交じりの愛の一言に、錬は立ち上がった。そして愛に近づいていく。愛は逃げる隙もなく、壁際の席に座ったまま、錬に追い詰められた。
「ごめん。だって、最近、れんたろー、私に冷たかったじゃん。学校では話しかけないでって言ったのは私だけど。でも、ちょっと、寂し……くはないんだけど」
「トリックオアトリート?」
「え? 何の冗談……?」
錬の一言に、愛は不気味さを覚えた。背中を壁にぴったりと貼り付け、錬とはできるだけ距離を置こうとする。
「トリックオアトリート?」
それでも錬は同じ質問をなげかける。
「……と、トリート?」
答えを返しても、錬は動く様子がない。
「れんたろー? どうし──」
心配になって体を前に倒しはじめたところで錬はかがみ、彼女の唇を封じた。
一瞬の出来事だった。愛は今起こったことに理解が追いつかない。
「れんたろ、あんた……何を……」
「ハッピーハロウィン」
錬は一言だけ残し、逃げるように教室を出ていった。我にかえった愛は、真っ赤になった。感覚を反芻するように目を閉じて、両手で顔を覆う。
外はすっかり暗くなっている。冷たくなった机の上には教室の鍵が置かれていた。