まず神の国と神の義を求めなさい マタイ伝より、(私のキリスト教遍歴ノートより)
まず神の国と神の義を求めなさい、マタイ伝より。
人はお金だ、愛情だ、友情だ、財産だ、家がほしい、結婚相手がほしい、
などなどいろいろなものをほしがり求めますね。
人はほしがる存在なのです。
あれがほしいこれがほしい。
しかし、イエスは言います。
まず神の国と神の義をもとめなさい。と。
そうすればその他のものなどは、自然と、付け加えられてあなたに与えられるであろうと。
重要なのは神の国です。
神の国とは神が支配している国という謂いです。
すなわちそこでは神の義が行われているということをさします。
私はこれを、このイエスの言葉をスピリチュアル的にこう解釈します。
まずあなたの心に神の国を打ち立てるのです。
神の国とは、博愛と、信仰と、善心と、完全な美と、希望です。
あなたの心をこれらで満たすのです。
偏屈であったりねじれていたり、恨みがましくあってはいけません。
これが神の国を求めるということだと私は思います。
神の義とはなんでしょう?
神の義とは神の律法と言ってもいいでしょう。
すなわち混迷の中にあっても染まらない一筋の正義の心です。
それが神の義だと思います。
こうした神の国と神の義を求めるあなたには、
まさにイエスの言うようなすべての神の栄光と歓喜が与えられるのです。
「剣を持つものは剣で滅びる」という言葉を聴いたことがあるでしょうか?
これはイエスキリストの言葉として有名ですよね?
イエス・キリストは使徒ペテロが神のみ子を守ろうとして「剣」を使った時,
「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は
剣によって滅びるのです」と言ってペテロを叱責されました。
そうです。
剣に生きるものはいつかきっと、剣で滅びるのです。
ですから剣を取ってはなりません。
剣で解決しようとしても、結局それは暴力の連鎖反応を呼ぶだけで
解決にはなりえないことが多いのです。
そして重大なカタストロフに終焉するしかないのです。
其のことは歴史が教えている通りですね。
「くれぐれも私はあなた方に言っておく。
おおよそ、持てる者はますます富み栄え、反対に持たざる者は
そのもてるものさえも取り上げられるであろう。
これが天の奥義なのである」 マタイ伝13章
このたとえ話はお金のお話ではなくて
実は魂の、、、富、
天の富のお話であると思いますが
巷間では
お金持ちはますます金持ちになり
貧乏人はますます貧乏になるという風に
受け止められていますね?
確かに実際そうですからイエスは卓見?だなあということにもなりかねませんよね?
ではお金に関してなぜそうなるのか?
それは簡単ですよね。
投資金額が大きければ儲けも大きいですね。
だから金持ちはますます金持ちになるというわけです。
それから金があると
心にも余裕が?生まれますね。
一種の富想です。
それがまた富を呼ぶということにもつながるわけです。
金がないと貧相、、貧想にもなりますね。
それも作用するのでしょう。
お金というものも
ある程度以上の金額になると
それ自体が引力?を持ち
他のおかねもひきつけるという作用もあるのだと思います。
だから大金は小金も引き寄せて集めてしまうのでしょう。
またお金というものは
富想を持つ人のところに集まるようです。
一種の福の神引力?でしょうか?
反対に貧乏根性の人のところには
お金はよっては来ません。
思いは実現するというか
思いはその念で
現実化するんでしょうね。
思考は現実化するといってもいいでしょう。
お金の悪口ばかり言ってる人のところに
お金がわんさと集まるってありえないですよね。
お金に好かれる?っていうか
そういう人のところにお金は集まるのでしょうね。
ただ、、、
お金に限りませんが
なんでもそうですが
あまりにも膨れ上がりすぎると、
限度を超えて膨張しすぎると、、
それは破裂しますよ。
その見極めが肝心ですね。
バブルのころ、
ある歌手の方で、、、
サイドビジネスから初めて
やがては、、
不動産王として有名になった方が
欲に目がくらんで物件を買いあさりすぎて、、
結局バブル崩壊で、、、破産、、、
借金50億円というのもいましたよね?
お金もふくらましすぎると
はじけてしまいますよ。
風船にはふくらませていい限度というものがある。
それを超えて膨らませ続ければ
やがてはじけるだろう。
イエスのありがたいお話から
それてしまって?
お金の話に終始してしまいましたが
実はこのお話の前後の
種まきのたとえ話や
毒麦のお話のほうこそ重要なんですけどね。
まあそれはまた次回ということで、、、。
それは無論、地上のはかない財産や札束ではないことは言うまでもないでしょう。
札束で、改心できますか?
札束で神の国に入れますか?
それはイエスが言うように
「ロバが針穴を通り抜けるよりむずかしい」でしょう。
地上の人生などは所詮幻に過ぎません。
それははかなく終わって、悠久の魂のたびはまた続くのです。
札束を死人の上に振りまいたって天国は約束されませんよ。
「まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすればその他のものは加えてあなたに与えられるであろう。」
新約聖書、マタイ伝より。
心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も、相手の胸に響かない。
たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、
やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。」(1コリント13:1-2)より。
(注)あくまでも私独特の聖書解釈であり、教義的な正当性や学問的無謬性は、保証しません。