新米パティシエ倉田純の災難
前半は真面目にお仕事、後半は「あるある」なギャグ。さらっと楽しんでください。
イチゴよりも自分の指が赤くなるまでイチゴを四分の一に切ったり、ひたすらサクランボの種取ったり、腕が動かなくなるまで粉を振るい続けたり。あんなに嫌いだった運動だって、小麦粉の袋(箱単位)が持てないと分かれば筋トレやり始めた。英語の授業なんて居眠りばっかりだったけど、料理や材料を覚えるためならフランス語だろうとイタリア語だろうと徹夜した。
あまりの手際の悪さに
「どけ、邪魔だ」
と言われ、先輩が倍の速さで仕上げてるのを涙目になりながら、それでも手元を見逃すまいと後ろから見てたことなんて一度や二度じゃない。
でも、ようやく、一人で仕事が出来る様になった。
前の結婚式では、先輩のパティシエと二人で仕上げたウェディングケーキ。
今回は、私が最後まで全部仕上げる。あ、たまたま新郎が前に通ってた美容室の担当だったってのもあるけど。これは私の初めてのウェディングケーキ。
最初の作品。最初から最後まで私が作る。
倉田純、勝負の日。
イチゴとブルーベリーが乗った、ウェディングケーキの中では割とシンプルなショートケーキ。ただでさえ朝早いキッチンスタッフの出勤、さらにその1時間前にやって来て、イチゴの角度やブルーベリーのバランスにまでこだわりにこだわった。
後はマジパンやアイシングクッキーのプレートを乗せるだけなんだけど、あまり早く乗せるとクッキーが水分を吸ってふにゃふにゃになるので、ここまでにして直前になったら仕上げをする。
最後にもう一度、全体を見回してつや出しなんかにムラがないかをチェックする。
「うん、よし!」
ふんわりとラップをかけて、風が当たらないように一段上の棚に移す。前、風が当たってべったりとラップくっついたんだよねえ。あれはショックだったわ。
「よっこらせ」
あのね、年じゃないの。生クリームと水分の塊、それも80cmもあるんだよ。重いんですよ。しかもケーキを乗せる台がこれまたゴージャスな装飾がついた金属製で、めっちゃ重い。それをうら若いか弱い乙女、乙女は言いすぎた、うら若いか弱い女子が持ち上げるなんて……
出来ちゃうけどさ。
棚一杯に置かれたオードブルやデザート、普段ならその棚に置かれている段ボールは私の背丈よりも高く積まれていた。棚と段ボールの間は人一人なら通れるくらいの幅だけど、またぐには大きすぎる段ボールが道を塞いでいた。
「午後のビュッフェ用かのプチリーフだったけ?」
ちょっと動かすと軽いのでやっぱりそうみたい。段ボールを頭上にまで持ち上げて、くるりと180度回る。また足元に置く。
言い訳するけど、いつもこうやって保存してるわけじゃないからね。今、ウェディングケーキを仕上げるのに使ってた段をこの箱の保管に使ってたの。仕上げが終わったら、箱はちゃんと棚に戻すからね。
「うう、さむい……」
ただでさえ冷え症気味なのに、流石に一時間も冷蔵されるのはつらい。今、いるのは冷蔵室、通称フードチャンバーで、その一番奥にある棚の前に立つこと一時間。しかも、冷たい空気が食べ物には直接当たらないように真ん中に向かって、つまりは私に向かって風が吹いているので、本気で氷の像にでもなるかと思った。世界的ブームになった氷の女王の映画では、真実の愛が氷を溶かしてくれたけど、ここで凍ってても誰も温めてなんてくれないし、あとからグランシェフの雷が落ちるだけだ。
冷蔵室専用の上着を脱ぐとさらに一瞬、背中が寒くなった。
震えながらチャンバーを出るとむわっとした空気に包まれて、愛なんかなくても体が解凍されてく。時間を見ると、九時。危ない危ない、直前ミーティング始まっちゃう。
「それでは、直前ミーティング始めます。本日、午前A会場、内山様、木村様、ご披露宴、担当は平塚です。よろしくお願いします。」
アレルギー持ちのお客様の食事についてや妊娠中のお客様についての飲酒可能かについて、その他注意することなどを全スタッフが一緒に確認して行く。
聞き流す様なことはしないけれど、そうやってミーティングしている間も、私の頭の中はウェディングケーキの完成予想でいっぱいだった。
「それではインカム配布します。九時半過ぎたら電源入れてください」
「フードチャンバー行ってきます!」
デザートに乗せるフルーツを二百人分近く切り終わり、バットを何段にも重ねて厨房を出る。もちろん、ウェディングケーキの仕上げに使う飾りも。
ちなみに、この式場ではコールドチャンバーは三つあって、二つが冷蔵、一つが冷凍になってる。ドリンクチャンバーの前にはビールケースやワインケースが積まれた台車が置いてあった。もしかして、と思ってちょっとだけ歩くスピードを落とす。タイミング良く中から男性スタッフが一人出てきた。
「お、倉田、お疲れ」
―らっきー!!!!佐久間さんだ!―
「お疲れ様です」
フロアスタッフのリーダーをやってる佐久間さんは、憧れのイケメンギャルソン。大事だから二回言うね。イケメンギャルソン。しかも、仕事中だからおしゃれなスーツ着てるから破壊力倍増。彫がちょっと深めで、ドラマとか映画だと主人公っていうよりはライバルの立ち位置の二枚目やってそうなイケメン。ちなみに一回り年上で、素敵な奥様もいるので恋愛の対象ではない。目の保養ぐらいさせてくれ。他に癒してくれるモノなんてないんだから。
「佐久間さん、ちょうど良かった!」
向こうから平塚さんが小走りにやって来くる。よくあのヒールで走れるなあ。
「新婦のお祖母様んですけど、車椅子で入ることになりましたのでフォローお願いします。全く歩けない訳ではないらしいんですけど、席外す時にもしかしたら歩くの辛いかもしれないんで」
「了解っ」
冗談交じりに敬礼の真似をして、台車を押して行く。やっぱイケメン。
「あ、ジュンちゃん、今日ケーキよろしくね! 頑張って!!」
ああー、やっぱり嬉しい。平塚さん、覚えててくれたんだなあ。
「はい!」
よし頑張ろう!
『ザザッ、親族以外のゲスト入り始めてます。新郎新婦の移動、気を付けてください。プッ』
『ザザッ、平塚さん、もうすぐ親族の撮影終わります。プッ』
そうしてる間も絶え間なくインカムから状況報告や相談が流れる。チャンバーに入ろうと平塚さんに背を向けた時、
「平塚です、すみません、今のもう一度お願いします」
後ろで平塚さんの声がするのに、全然インカムからは音声が入って来ない。
「平塚さん、今の平塚さんの音声聞こえてないですよ。さっきの内容は親族の撮影終わります、ってことでした」
「ええ?」
焦った顔で、平塚さんがもう一度インカムに話しかけるけどやっぱり聞こえない。
「平塚さん、私、このままチャンバーに入っちゃうんで、とりあえず私のインカム持ってってください」
「ありがとう、助かる! 撮影終わって移動したらちょっとだけ落ち着くから、その時に代わりの持ってくるね。すみません倉田インカム、平塚が使います。倉田さんはフードチャンバーにいます」
インカムに話しながら去っていく平塚さんを見送る。
華やかでキラキラした結婚式場も裏は戦場。特に、担当になったウェディングプランナーなんて、ずっと走りまわってる。前、平塚さんが一日複数件担当した日なんて、万歩計アプリで測ったら一日二万歩超えだったって叫んでたもんなあ。一万歩だってくたくたなるのに。
大変だなあ、なんて平塚さんに比べたらのんびりした気分で、フードチャンバーに入った。
「あー、涼しー。ごくらくぅー」
ずっと厨房にいたせいで、汗ダラダラ。家庭用コンロの何倍もの火力と大きさのコンロがずらっと並んでて、オーブンフル稼働してて、大型の食器洗浄機はスタンバイになってる。ちなみに外の気温、今日は三十度越え。エアコン動かしてても全然追いつかない。シェフたちは自作の塩砂糖水をボトルに作って時々飲んでるくらいだ。
コールドチャンバー入った一瞬だけは、パティシエで良かったって思う。シェフ達はずっと火の隣だもんね。一瞬だけ。こんなところにずっとは居たくない。すぐに背中を伝わっていた汗を冷たく感じるようになって、上着を着た。
とりあえず分担になってるデザートの準備を早く終わらせたい一心で、お皿にフルーツを乗せまくる。あとは出す直前にアイスクリームを乗せれば完成。
ってことで。
―本日の私的最大イベント、ウェディングケーキの仕上げ! 頑張れ、ジュン!!―
誰もいない密室で作業してると、段々テンション下がってくるので、最近は脳内でもう一人の自分に励まさせてる。
またベビーリーフの箱を持ち上げて、ようやく一番奥の棚にまでたどり着いた。作業しようとしてケーキの台を下ろす時に、上着の袖が棚に置いてあったさらに引っかかり、かちゃんと音がした。
こんな大事な時に、うっかり袖でも引っ掛けて倒したら目も当てられない。上着を脱いだけれど、置く場所がなかったので山積みの段ボールの上に乗せる。
寒いけど、大事なケーキの仕上げと思えば体が勝手に熱くなってきた。
イチゴとブルーベリーで飾られた上にさらに飴細工や金箔、アラザンを飾る。やりすぎないように、でもフルーツがさらに映えるように。ケーキの周囲はレース模様のチョコレートを張り付ける。この模様作るのにですら何時間もかかった。真ん中には新郎と新婦に似せたマジパンの人形とアイシングクッキーのプレートを置き、薔薇の形の飴細工で飾る。
ちょっとだけプレートの角度が気になったので、ほんの少し直した。
ふうっと肺の中の空気を全部吐き出して、背中を伸ばしケーキを見下ろす。
できた。
初めての私のケーキ。
私のケーキが人生で最高の一日の最高の瞬間を飾る。
やり遂げたという感動、嬉しさと誇らしさ、そして今までの下積みの日を思い出してちょっとだけ目頭が熱くなった。
本当はだめだけど、今日くらいは見逃してもらおう。こっそり持ってきたスマホで写真を撮る。
ーやっぱ天才だよ、ジュン! さすが!!ー
自分で自分を褒めて上から横から何枚も撮る。
『電池が不足しています。充電してください』
「あーあ……」
これは仕事しろっていうお告げだね。
後は、運び出すために一旦入口近くの作業台に乗せるだけ。
「よっこらせ」
また年寄りみたいなこと言っちゃった。と思いながら振り返ろうとした時に、最初の頃、一度考えなしにケーキ持って振り返ったら、箱にぶつかってシェフにめちゃくちゃ怒られたことがあったのを思い出す。足元には、ベビーリーフの箱があったはず。
―成長したね、ジュン―
危なかった。ケーキもリーフも最後の最後に駄目にするところだった。
「えーと」
こういうことあると頭、止まっちゃうんだよね。
一度、ケーキを上の段に置いて、ベビーリーフを棚に戻して、あ、そろそろ手が痛くなってきて限界かも。
バランスを崩さないうちに持ち直さないと、と思ってさっきまで作業してた棚にケーキを戻そうする。ほんのちょっと前傾になったその時……!
ピキィィィィッ
「!!!!!!!!」
こ、こ、こ……腰……
腰がああああっ!!!!
一気に冷や汗が飛び出して今すぐにケーキの台を離しそうになるのを、必死に堪える。
だめ、このケーキを台に下ろすまでは死ねない!
ージュン! 頑張れ! あきらめちゃだめ!!ー
息を吸うことも吐き出すことも出来ないままゆっくり、ゆっくりと膝を曲げる。
ケーキの台の向こう側が棚に乗ってちょっとだけ、負担が減る。
―その調子! ゆっくり向こうに押せばいいの! ジュン!! ケーキを守りなさい!!!!―
もう一人の自分に励まされながら、必死に痛みと戦う。
―腰ごときでケーキを駄目にしてたまるかああああっ!!―
ピキッ
「!!!!!!!!!!」
「良かった……」
二度目の激痛が走ったけど、意地でケーキを棚に戻す。
代わりにそのままうずくまってしまう。
「やばい、動けない」
「い、インカム……」
―さっき、平塚さんに渡しちゃったじゃ~ん―
「す、スマホ……」
―さっき、写真撮って電池使いきったじゃ~ん―
「ど、どうしよう、まじで動けない。」
顔面蒼白でうずくまる私にさらに冷風が吹きつける。
湿布は冷たくても気持ち良いのに、冷風がピンポイントであたる腰はどんどん痛みが増していく。何で、さっき上着脱いじゃったんだ、馬鹿……。
「だ、だれか助けてぇ」
呼んだところで、誰もいないし。
今、扉開けてくれた人、白馬の王子様以上に愛しちゃう。
―オープンセサミ!!―
ガチャッ
―隣かよ!!―
隣のドリンクチャンバーに誰かが入ってくる音がした。
このチャンスを逃すまいと、痛む腰を宥めながら壁に向かって必死に叫ぶ。
「す、すみませ……『ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン』
「だれか……『ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン』
「開け……『ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン』
ピキッ
ガチャッ
……出てっちゃった……。
『ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン』
―ファン!! そんなに頑張って冷やさなくていいから!!―
く、くそう。仕方ないから、扉まで這って行くしかないな、と覚悟を決めて少しずつ床を這いつくばる様にして方向転換した私の目に飛び込んできたのは……
立ちはだかるベビーリーフ!
―ベビーのくせに!! おっきい箱入ってるせいで!!! 小さいくせに!!! ベビーなんだから小さくなってればいいのに!―
今日から、嫌いな食べ物ナンバーワンはベビーリーフかも。
『さっきまで、ベビーリーフは、今ヘビー』
―あ、だめだめ、余計寒くなった―
とはいえ、ベビーリーフはそんなに重くないから、何とかずらしながら寄せる。そういえば、段ボールの上に上着あるんだった。後はあの箱の上の上着にたどり着ければ!
そう思ってまずはゆっくり立ち上がって上着を手に入れるミッションを目指す。
―立て、ジュン! 立つんだ!!―
そっと、そ~っと、棚につかまりながら、がに股になってそ~っと立つ。
いいかんじ。上着着て、ゆっくり外にさえ出れば、何とかなる。
―立った! クラタが立った!―
ここで焦ってはいけない。落ち着きなさい、ジュン。いきなり左手を伸ばしたらまたぴきって来ちゃう。
逸る心を押さえながらゆっくりと左手を上げると、あと十五cmほどの距離で上着に届かない。ダメダメ、ここで慌ててもいけない。その姿勢のまま少しずつ少しずつ、足をずらす。左足を五mmずらしたら右足を五mm。かたつむりの方が速いかもしれない速度でじわじわ上着に近づく。
そして、中指の先が上着に触れる。あと少し!!
ガチャッ
「倉田、グランシェフが呼んで……」
人の目がない所にいる人ならやってほしい。
まず、肩の幅に足を開きます。がに股になって腰を少し落とし、背中を丸め、右手を太ももの付け根に当てて上体を支え、左手だけを真横に伸ばし斜め45度に上げた体勢を。
ああ、この姿勢って見た事あるわー。横綱が土俵の上で四股踏んだ時のあれだよね。
何で、そんなポーズの時に来るんだ白馬の王子!
王子が最前線に居て助けに来るってやっぱ、間違ってる。
しかも! しかも!!!
「何やってんの?」
「腰……ぎっくりやって……」
なんでよりによって佐久間さんが……。
「プッ」
助けてくれたけど、この後しばらく佐久間さん命名の「ぎっくり腰+倉田=ギックラタ」が私のあだ名になった。心の中での呼び名は、「佐久間さん」から「あくまさん」に切り替えた。
むしろ、前はあんなに怒鳴ってばっかりだった先輩が「皆、腰は一度やるんだよ。体の要で腰って書くくらいだし、倉田は女の子なんだから、なおさら大事にしろよ」なんて優しい言葉をかけてくれたのが意外で、ちょっとほろりとしたり。
ごめんね、先輩。前に先輩が腰痛めた時に言ってたギャグ、「さむ~い」とか馬鹿にしてごめんね。今ならあのギャグ、標語にしてフードチャンバーの壁にお札の代わりに貼ろうと思ってる。
倉田純。
腰痛なんかにへこたれず、今日もケーキ作ります。
あ、でも、みなさん、腰は大事にね!
腰痛には要注意ですよ!
お仕事小説用に(途中までは)真面目に書いていたのですが、話が上手くまとめられずに、勢いで終わらせました。
本当は色んな人に叱られ、褒められ、成長していく女の子の、恋もあり涙も笑いもありの話だったんだけとなあ。どうしてこうなった。
ちなみに、笑いの部分だけ引き抜いたのが本作品です。
ご覧頂きありがとうございました。
青田