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第4話 自治権

 相変わらず悪夢で、ぐっすりと眠れないのはいいとして、鈴木重景は朝食を済ますと棚田の家に向かった。湖上から見た菅浦惣はたかだか百数戸、ひいき目に見ても百二十戸。ところが政所から出てすぐ迷った。道は狭く、かつ真っ直ぐなところがない。階段は三階層一挙に降りるのと一階層しか降りられないのと色々ある。出たい道には、見えていたとしてもたどり着かず、その道に出たと思ったら行き止まる。調子よく行ったなと思うと今度はそのまま坂になり、いつの間にか湖岸に出る。元に戻ってやり直そうにも政所は一番上部の階層であるからめんどくさい。海岸沿いから行こうにも棚田の家は南の端の中段というからややこしい。どうしたもんかと歩いていると不意に笛の音色が耳を撫でてきた。


 百姓が風雅か。


 初めはほとんど馬鹿にして耳を逸らしていた。だがその音色は風の音や波音に溶け込み、するりと耳に入ってくる。と、なると気にもなってくる。ついつい耳が向いてしまう。足もその方へ向く。やがて板葺の小さな家の前に立っていた。


 女の声?


 耳をそばだてた。

 たしかに女の歌声である。それが笛の音に和している。今様か? こんな田舎に珍しい。だが考えてみれば菅浦は公家の日野裏松家と継りがある。とするとその関係者か? いや、菅浦は昨年、日野裏松家と縁を切ったはず。だとすると都から落ちた貧乏公家の金稼ぎか。百姓に芸を売っているのだな。


 それにしては、なかなかのものだ。耳はもう笛の音と歌声に釘づけであった。実際、妙な気分になっている。どういう訳か枝にぶら下がる蓑虫も、石垣の隙間に生える雑草も何もかも愛おしく思えるのだ。これが幸福感というものなのだろうか。


 流木で作った枠のみの門が垣根に設えてあった。心の任せるままくぐる。


 敷石に従って枯葉を踏む。


 軒先に被さるほど枝を広げた柿の木。

 うっそうと繁る斜面の木々。

 敷き詰められた枯葉。


 濡れ縁に笛を吹く男が一人、庭に歌い舞っている女が一人。枯葉がはらはらと二人に落ちていく。

 男の笛に女が、二人は永遠にいっしょだと歌い、扇子を流す。


 はっとした。


 歌舞う女に目を凝らす。浅黒の肌に黒目がちな眼の田舎娘。おれの熊野曼荼羅をひったくったやつじゃねぇか!


 しかし、似合わねぇ。確かに日焼けがとれて、化粧をし、着るもんもきれば変わるかもしれないが、風雅を習おうってのが、似合わねぇ。いや、まてよ。よく見るといい女じゃないか。これは掘り出しもんかもしれねぇな。


 そんなことをぼんやり考えていると、ふと、後ろに人気を感じた。振り向く。するとこれもまた十五六の娘であった。家に静かに入れということなのだろう、桜色の唇に白く細い指を一本あてがって、視線を玄関の方へ向けていた。





 指図されるまま、家に入った重景は、娘と座敷で向かい合った。


「私は松」


 くすくす笑う。


「おれは鈴木重景」


 笑われる理由は見当がつく。案の定、娘、いや、松はそのことを言った。


「熊野先達が起請文を撤回する起請文を書けっていうの、可笑しい」


 おかしいから、興味が出るだろ。これはそういう策なんだ。


「それとさる貴人って言うのもねぇ、ここじゃ誰もへへぇって頭を下げないわよ。ここの人ら、天皇皇族に鯉とか、貢進してるでしょ。それで朝廷に供御人の地位を与えられているの。供御を備えたる百姓。自分たちのことをそう呼ぶわ」


 それくらい知っている。それに竹生島は比叡山の管轄。その関係で菅浦の惣民は日吉神人でもある。日吉神人といえば神輿を担いで入京し、時の権力者に神威をかざして無理難題をふっかけることで知られている。菅浦の惣民はそれに加わっていたかどうかは知ったことではないが、あっちこっちにいそがしいこって。


「ところであれはなんだ?」


 重景は、親指を突き立てて笛の音と歌声のする方を差す。


「今様。源義経公の静御前とか、白拍子の。知ってる?」


 松の大きな目がきらきら光っている。


「しってるさ。俺の言いたいことは、なんで稽古事かということ。あの娘を遊女にでもするのか?」

「そんなんじゃないの。でも、ちょっと事情がね」

「ね」のところで笑顔を造り、頭をちょこっと傾げ、肩をちょんと上げた。


 これ以上訊くなということか。頬を人差し指でカリカリ掻いた。それにしてもこの娘、笑うと大きな丸い目が半輪になって愛嬌がある。それがどうも気になってしまう。どう接していいものか。


「おじさん」


 お、おじさん? まだ二十五だぜ。どうも調子が狂う。「鈴木だ」


「じゃぁ、鈴木」


 呼び捨てか。「重景にしてくれ」 呼び捨てならこっちの方がしっくりくる。


「じゃあ、重景。悪いことは言わない。早く菅浦から出て行くのね」

 松が笑顔で「ね」とまたあのしぐさ。あやされているようで面白くない。


「ほおっておいてくれ」


 この言い方も十五六の娘に対しておかしい。おれの方がガキみたいじゃないか。その重景の聞き分けのない返答に怒ったのだろう、松はというと真顔に変わっていた。


「あのねぇ、わたしも言いたかないけどしかたない。あえて言うわ。菅浦には諸河と日指という耕地があるの。五年前、前将軍足利義尚が湖南を遠征したわよね。その威勢を借りて将軍家の外戚、日野裏松家が諸河と日指の知行権をここの人たちから奪ったの。けれど四年前、湖北守護京極家の執権、上坂家信が代官を置かず年貢も軽減するという条件を提示してきた。菅浦は上坂と組んだわ。そしていっしょになって昨年、日野裏松家を完全に排除したの。だってそうでしょ。権力を傘に知行権を取り上げるのって百姓を馬鹿にしているわ。日野裏松家はそれでも懲りず今度は暴力で知行権復活を目論んでいる。知行権が欲しければ別の方法を考えればいいのよ。今やっていることは無駄。来た時、見たでしょ。ここの人らは武家より十倍強いわ。浅井家は上坂の押し売り。いてもいなくても変わらない」


 浅井直種はおまえらの見張り役も兼ねてるんだぜ。ま、なにを言いたいのかは、分かったよ。


「おれは殺されるって言いたいのだな」

「そう。惣のみんなはあなたを日野裏松家の回し者だと言っているわ」

「残念だな。見当はずれも甚だしい。だってそうだろ。暴力に訴える日野裏松家が起請文の撤回を望んでいるなんて笑い話にもならない」


 松が呆れ顔をしていた。


「重景、あなたは知らない。あの浅井って人はばば様が将来みんなのためになるっていうんで我慢してる。いや、我慢出来ている。あなたの場合は単にばば様に気に入られている、なぜだかね。それで誰も手出し出来ないでいる。ばば様しだい。あなたのさる貴人がどこのだれかなんてここでは関係ないのよ」


 世の中どうかしているねぇ。秩序もへったくれもあったもんじゃない。頼るのは自分たちだけ。となりゃ、怪しいものは片っ端ってことか。ま、理屈には合ってる。合わないのは滝というばぁさまだ。しかし、一体どういう了見か。


 たしかに滝のばばぁが、浅井の肩を持つっていうのは道理に合う。幕府に任命されて京から来た守護じゃなく、あいつは国人だし話も分かる。利用価値もあろう。しかし、このおれは? もしかして、たらしこもうとしてんじゃないか。だとしても、そりゃ、無理な話だ。こんなおれだって裏切れないやつがいる。


 が、まぁいい。ばばぁは、ばばぁ。好きなようにすれば。こっちも好きなようにするさ。


「そんなことよりあんたに一つ聞きたい。棚田の家って知ってるか?」


 松が丸い目を見開いた。


「だれからその名を?」

「そのばば様さ」

 松が慌てている。「ちょっと待って」と足早に出て行った。




 それからしばらくして松は、戻って来た。


「兄様は会わないって」

「ここが棚田家か?」


 松がゆっくりとうなずいた。


「日野裏松家と関係ないって言っても、どうせ起請文なんて口実なんでしょ。そう言う人もいるわ。じつはわたしもそっち派。あんた見たところ、そんな悪そうには見えない。けど、これ以上わたしらをかまうとわたしが承知しない」


 松の目は本気だった。





 面白くなくて、政所に戻ると酒を煽った。松の、「これ以上わたしらをかまうとわたしが承知しない」とはどういうことか。たぶん、滝の言いぶりから起請文が棚田らに関係するのはまず間違いないだろう。だがそれも京に帰れば分かること。別に、あの娘に、松に直接訊く必要はどこにもない。いや、起請文なんてものに初めから興味がない。どうでもよかったんだ。面白そうだから話に乗ってやったまで。それをなんだ、えらそうに。棚田なんてこっちから願い下げだ。


 ふと、清権介の息子が立っていた。なにか珍しいものを見るような目で、こっちを見ている。


 重景は懐の金一枚を取り出し、清権介の息子の足元に投げてやった。


「やるよ」


 清権介の息子が嬉しそうに拾った。


「小僧、使ったら一回こっきりだぞ。見せるだけなら何回も使える」


 清権介の息子が難しい顔をしている。子供だから分かり良いように言った方がいいか。愛想のいい笑を造る。


「見せて、言うこと聞かせて渡さなければいいのさ」


 清権介の息子が戸惑っている。面白い。あ、そうそう、これを言わなくてはな。


「だれにも言うなよ」


 清権介の息子はその言葉に怖くなったようだ。数歩後ずさって、飛んで行ってしまった。


「ふっ」

 ちょっとは笑えた。酒を口に流し込む。だが気晴らしにはならなかった。


 ふらっと外へ出る。


 月が出ていた。


 片手に徳利をぶら下げたまま、石段を下った。まだ松のことが頭から抜けない。気が付くと湖畔、水面がずっと遠くまで広がっていた。

 思わずふきだした。


「気を抜くと湖岸に出るんだっけ、ここは」


 月が水面に光の道を造っている。


「景色はいいが……」 男十人に囲まれているのは分かっていた。姿を隠しても殺気で分かる。

「出て来いよ」


 家屋や石垣の陰から男たちがぞろぞろ出てきた。


「おれを殺そうというのか?」


「いいや、ふん縛る。こうもちょろちょろされると気分が悪いからな」


 月光に清権介の顔が照らし出された。政所にいた時のような間抜け面ではなかった。その目は鋭く光っていた。まさに猛禽の目というにふさわしい。


「そのまえに持ち物を検めさせてもらう」


 金か、面白い。ちょっと相手してやるか。腰の太刀を鞘ごと抜き、清権介の足元に投げた。途端、残りの九人に囲まれ、その内二人に腕を捩じ上げられた。残りの七人がたもとや懐を探る。押さえられた手に徳利。その口からちゃぽんちゃっぽんと酒が溢れ出ている。


「おいおい、酒がこぼれてる」


 清権介が投げられた足元の太刀を拾い、抜いた。


「放してやれ」


 タケミツであった。九人の顔に嘲笑が走る。だがそれも一瞬で消え、しかめっ面だけが残った。


「清権介、金がない」

 さっそくとぼける。「あれぇ、ここに来る途中に落としてしまったのかな、酔ってたし」

 九人が、「清権介っ!」と急いている。


「先ず、ふん縛れ。金はその後だ」


 やれやれ。やっぱり縛るんだ。視線が合った男に徳利を手渡した。


「こぼすなよ」

「へ、酔っ払いが」


 手渡された男が徳利をぐいっと口に運ぶ。

 





 かくして重景は、上半身に縄を食い込ませたまま西の端の道具小屋に放り込まれた。


「安心しな。殺しはしないから」


 男の一人がそう言って猿轡を押し付けてくる。その一方で男が酒を煽っている。


「おい、おい。酒はおれのだ」


 清権介を始め十人がククッと笑いを抑える。


「いいだろう。太刀も置いておいてやる」


 嘲笑を顔に蓄えたその内の一人から、太刀が重景の足元に投げられた。それから猿轡を噛まされる。酒は一度振られてから置かれた。量を確かめたのだろう、音からしてあまり残ってはいない。


 清権介が、気もそぞろに言った。


「お前には聞きたいことが山ほどある。誰の差し金か。何しに来たのか。が、その前に金だ。夜明け前までに探してしまわないと、こっちの立場が悪くなるからな。それまでおとなしくしとけ」

 男らが口々に言い合う。

「手分けして探んだ」

「見つけてもねこばばするなよ」

「そっちこそ」


 十人はすっ飛んで行った。間抜けな奴らだ。




 さて、暇つぶしになるにはなった。が、自分でも仏頂面になっているのが分かる。連中があまり間抜けすぎて笑えなかったのだ。半眼にまぶたを垂らす。すると縄がパラっと落ちた。肩を抜いたわけでもない。勿論解けたわけでもない。ましてや他の誰かがそうしたのでもない。縄は独りでに切られていた。その切り口はスッパリと乱れのない断面であった。


 足元の太刀を拾って腰に差すと縄と徳利を持ち、道具小屋を出る。


 まん丸の月が淡く光り、それが美しいと、ひとしきり愛でた。それから岸壁に座り、縄を湖面に投げる。


 水面に縄がだらしなく浮いていた。


 足を、ブラブラと放り投げては戻し、投げては戻しし、一杯やる。


「望月殿は一体いつ攻めて来るのか」


 正直、面倒になってきた。


「そしたらおれは大浦相手に大活躍、いいとこ見せて、菅浦ではありがたがれて、そんでこっちから大浦を攻めるっていう筋になるはずだったんだがな。これだとおれが大浦の回し者っていう筋の方をやらなくてはならん。ってことは誰かを殺してトンズラ。菅浦が怒って大浦を攻める。で、殺すとすれば、やっぱ、あのばばぁか」


 酒を煽った。


「どうも気が引ける」




 それはなぜか松にたいしてであった。









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