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第36話 天下大乱

 世界は暗黒と化していた。音も聞こえない。寒くもなければ暑くもない。無限に何もない空間。直観的に分かる。ここはどこかを闇が覆った訳ではない。おそらくここに唯一有るものが闇なのだろう。視覚も利かず、聴覚も使えず、皮膚感覚も役に立たない。痛覚さえないのであろう。そこにたった一人いる。そしてただ宙を漂っている。


 星?


 暗闇のただ一点に光を見た。小さな光だった。それがかっと視界いっぱいに広がった。宙にあった星から光が放たれたのだろう。唐突に、しかもそれをまともに受け、視界が真っ白になった。だがそれも一瞬、目の前に滝が立っていた。光輝いて、にやかにこちらを見ている。


 この空間に上下はない。だが、滝は天から降りてきたように思えた。滝が来た光の道の出どころが地獄なんてありえない。清廉潔白、そして誇り高かった。おれとまるで大違い。「友情のつもりか? 道理にあわないことをしといて? まるで世をすねた落伍者じゃ。皮肉屋で、軟弱で、筋を通すことが出来ん」っておれに言ったのはあんただぜ。そんでこうも言ったよな。「なにをくすぶっているんじゃ。鈴木殿とてどこぞの惣の地侍か国人であろう。紀州は古くから寺社がある。われらと状況は変わらんじゃろう。そんなことは止めて一刻も早く惣のために働きなされ。鈴木殿ならそれができるはずじゃ」


 ごめんよ、ばあさん。あんたの想いに応えられなくて。


 迎えに来たに違いない。滝は肉親なのだ。だけどおれの行くところは違うよ。あんたと一緒には恥ずかしくて行けやしない。


 それでも滝は微笑を絶やさず優しく言葉を掛けてくれた。


「重景。あなたは何のために飯道寺山に来たの?」


「?」 



 そうだ。松!





 鉄くさい血の匂いと焼けたような喉の痛みを伴って、重景の前に現世うつしよが、一挙に姿を現した。地に突き立つ無数の角材。砕けて散乱する瓦に、辺り一面死屍累々の様。

 その地表に、政元と一緒に金神と向かい合って立っていた。


「政元!」


 返事がない。政元はぼんやりと突っ立っている。金神に魅入られているのだろう。もう戦力にはならない。なら、おれがやるしかない。


 足をばっと開き、腰を落とし雄叫びを上げる。『不動金縛り』。金神の押し出す力とそれを押し込む力が均衡に向かってゆく。さっきはそれで目一杯であった。だが今度はまだ余力を残している。力が満ち満ちてくる。落合の惣で滝の霊魂に抱かれた感触。その感覚が残っている皮膚の至るところから、熱いものを感じる。


 倶利伽羅剣!


 それは巨大であった。ゆうに金神を頭の先から両断しうる長さとそれをなし得るための厚みがあった。さらにその刀身に沿って劫火が螺旋に巻いてせり上がって行く。それを上段に振り上げた。上空を覆う暗雲に、火災旋風のごとく渦巻く火柱が立った。


 一方で、金神はというと微動だに出来ない。それでも巨体から発する威圧感は衰えず、肌を切り裂かんばかりの冷気を伴って重景に襲ってきていた。


 やつは、あらがっている。だがやってみろ。今のおれにはそんなもの、涼やかに感じる。燃えたぎる魂。負ける気がしない。


 滅せよ、魔神!


 倶利伽羅剣を振り下す、その瞬間、それは止められた。政元が神刀ことひらで倶利伽羅剣を受け止めたのだ。さらにその政元が蹴りを放つ。胸に強烈な打撃を重景は受けた。もんどりうって転がる。何が起きた? 


 見ると、すでに手の倶利伽羅剣は無くなっていた。


 茫然とした。神刀ことひらに吸い取られたに違いない。政元は事ここに及んで金神の傀儡と化してしまった。不覚としか言いようがない。政元の手には神刀ことひらがあったのだ。二度と巡っては来ない機を失って足腰の力が抜ける。膝を折って虚空を見上げた。瘴気の流れがせめぎ合い、方向を失って幾つもの渦を巻いている。下っ腹に沸々と怒りがわいてきて、それが全身を駆け巡る。


「なんておれはばかなんだ!」


 重景は両腕を荒々しく振り上げて、それを地面に叩きつけた。


「五月蠅い! 重景! お前は黙ってこいつを押さえておけ!」


 政元の目が向けられていた。その目は魅入られた風でもない。それでいて金神を倒そうとする強い光はない。だが、そこには確固たる意思があった。やつは元々、金神を封印するつもりは、ない!


 なぜ? 


 その二文字が稲妻のごとく頭の中に落ちてきて、想いも闘志も頭の中にあるもの何もかも吹っ飛ばした。呆けてしまって、ただ流れる光景を目に映す。


 政元が金神と話していた。


「金神よ。我の式神になれ! でなくばこの太刀に封印する。選べ!」


 何を言っている? 式神? ……どういうことだ? 政元。おまえ、まさか! こいつを手懐けようというのか? 馬鹿な! それがどういうことか分かってるのか! ……いや、分かっている。初めからそうするつもりだんだ。おかしいと思ったんだ。なぜ政元がおれらに介入したのか? 鴉党がなくなろうともなくならないとも、やつぁ関係ない。いや、むしろ無くなった方がましなんだ。それがどういうわけか鴉党存続に手を貸すから、興仙も赤沢も誤解した。おれのために政元が骨を折っているって。全然違うじゃないか。飯道寺にわざわざ来て皆を煙にまいたのは、おれを神護寺で主将にしたのは、金神を縛り付けるための『不動金縛り』欲しさ。おれ達は利用されたんだ! いいように操られていたんだ! いや! 利用されたとか、操られていたとか、そんなのは政元のやろうとしていることと根本的に全く違う。企みの枝葉でしかないんだ。半将軍になったのと金神を式神にしようとしていたのは企ての同じ線上。こいつは当初からこれを狙っていたんだ。俗界の覇者、そして法界の王。おれ達はずっと虫けらだったんだ。いや、ずっと糞だったんだ。それも分からずお前の傍らにいて、お前の苦しみを理解しているとおれはずっと思っていた。そしてお前こそおれを理解してくれている唯一の男だとおれはずっと思ってたんだ。それが、それが、おれは糞だった。そうなんだろ? いや、そうなんだ! 間違いない! 今頃気付くなんて、おれはなんて馬鹿なんだ!


 空っぽな頭に止めどもなく思いが沸いた。それが凝縮して一つの感情となり、反発する力もものともせず一挙に圧縮、粒子となって臨界に達した。


「まぁーさぁーもぉーとぉー!」 だましたな!


 重景が怒りを爆発させた次の瞬間、影が走った。

 政元の前を横切る。


 四朗! 


 そしてその手には神刀ことひらがある。政元から奪ったのだ。


 大切なものを失い政元が狼狽えていた。四朗に向けて、犬が水を掻くように腕を動かし、空気を掴んでは離し掴んでは離しをしている。それを四朗が眺めている。その目の色は蔑む、いや、しょうがないやつだと半ば呆れているようにも見えた。次に、四朗の目は金神に向けられた。恐れなんぞ抱いていない。その目が言っている。地獄に帰れと。


 四朗の手の平の中で神刀ことひらがクルリと回転した。逆手に持たれるや否や金神に向けて放たれる。神刀ことひらが空をまっしぐらに進む。


 金神を撃ち抜ぬいた。


 途端、金神の叫び声だろうか、奇妙な音が轟いた。金神が渦を巻いて神刀に吸い込まれていく。やがて金神は消え、神刀ことひらが地に落ちて転がった。


 口をあんぐりと開けていた政元が、一転、頭を掻きむしった。


「なんてこと! 望月!」


 そして四朗を睨みつけ、怒りを露わに言った。


「おまえは自分のしたことがわかっているのか!」


 四朗がたたずむ。聞いちゃいない。それに腹が立ったのか、政元がまくし立てた。


「天下はもう煮詰まってるんだよ! 古い法に、時の為政者が都合のいいように新しい法を上塗り、それを何べんも繰り返して、もう法は何十、何百にも重なっている! しかも馬鹿なことにそれが全て生きているときている! もう訳が分からないんだよ、だれも! それでどうやって天下が保たれる! おれにどうしろというのだ! ふざけんな! 誰にもどうしようもできないんだよ! だから一旦、ぶち壊す! チャラにしないといけないんだ、ぶち壊してな!」


「政元! それがさっきの理由か!」


 重景は政元に走り寄り、その胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「おれたちは生きている! 苦しんで苦しんでそれでもなんとか生きている! その子もその孫も、そしてひ孫も! そうやってずっと生きている! 生きてゆく! 法の上塗りうんぬんを言うのならおまえたちが勝手にやれ! ぶち壊すなりチャラにするなりすればいい! おまえらが撒いた種だ! だがそれに生きているものまで巻き込むな!」


 政元の鋭い視線。それに対して重景はその目玉を潰そうかという強い視線を返す。互いに鼻先をぶつけて睨み合う。


 突然、地面でカチンと鳴った。

 神刀ことひらである。

 それがカタカタ鳴り、ガチャガチャと地に躍った。

 そしてことひらは、爆音を上げ、飛び散って消えた。


 金神!

 

 そこにその姿があった。


 神速。


 ! 


 消えた。

 見渡す。


 上空! ……金神が飛んでいる!



 政元が大声で笑った。失笑か、それとも嘲笑か、

「見ろ、やつを。これならおれの制御下の方がよっぽどマシであったぞ! あれではやつの好き勝手だ!」

 と、言いつつ、平手に拳をぶつけている。やったとでもいいたいのであろう。とりあえず天下は希望通りぶっ壊れる。その後のことはまた考えればいい。それだけの知恵は、おれにはある。政元の興奮ぶりがそう言っているように思えた。


 金神は遥か上空にあった。

 さらに上を目指している。小さくなる一方であった。


 ……もう、どうしようもない。

 天下大乱。

 だれもが諍いに巻き込まれる。多くの死人が出るであろう。だが、……。


 ?


 金神が引き返している。

 いや、上ろうとしているのを無理やり引き戻されているようだ。後ろ姿のままでどんどん大きく見えてくる。


 だれかが金神を引き戻している。

 見回した。


 松! 


 松が上空に向けて手の平を掲げている。

 地上間近に来ると金神はぐるぐる回り始めた。そして渦を巻き、松の手の平に吸い込まれてゆく。凄まじい勢い。あっという間に松の体内に消えた。


 途端、松が崩れた。


「松!」


 そこへ走る。そして松を抱いた。


「松! 松! 大丈夫か!」


「これ以上、進むと死ぬわよ」

 その声が葉であることはすぐ分かった。そして葉が誰にそう言ったのかも一目瞭然であった。太刀を拾った政元が松を殺そうとしているのだろう、殺気をみなぎらせ向かって来ていて、その行く手を遮るように両手を広げた葉がいた。


「このおれを殺すだと? おまえが? おもしろい!」

「わたしが遅れてきた理由が分かる?」


 あらぬ方向を葉が指差す。その先には妙塵居士が立っていた。


「あの人、すでに柏手を打ったわ。あんたが空を眺めているときにね」


 だれも気付いていなかった。それぞれがそれぞれの感傷にひたり上昇する金神を見ていた。そのために他に注意が向かなかったのだろう。


「わたしの合図で四朗があなたを殺すわ」


 葉の目は冷たかった。

 政元がどきりとして辺りをうかがう。確かに四朗がいない。


『穏行法』!


 ところが政元は大声で笑った。それもひとしきり。憮然として手にある太刀を地に投げた。


「金神は諦めた」と背を向ける。だが、続けた。


「これで終わりではない。金神で無理なら第六天魔だ。そしておれがだめだったなら別のだれかがやる。ただそれだけのこと」


 背筋に冷たいものが走った。おまえが言うならそうかもしれない。しれないが、違う! おまえほどの男がなんでそんなのに頼らなくてはならん! 


 背を向けたままそう言った政元が歩みを進めた。大股で行く、無数の死体を踏みしだいて。


 違う! 違うだろ! 考え直せ! ……そうじゃない。おまえだって分かっているはずだ。


 その重景の心の声も通じず、政元の背は遠ざかっていく。振り向く気配さえ見せない。



 政元! もう一度、おれの名を呼べ。いや、呼んでくれ!

 



 重景の想いもむなしく、政元の姿は失せてしまった。


 なにか大切なものを壊してしまったような気持に、重景はなった。それも、誤って手から滑り落としたのではない。岩か何か硬いものに向けて思いっきり投げ付けたのと同じだった。そう思うと耳の奥になにかが割れたような音がなまなましく聞こえてくる。甲高く、鈍く、重い音。それが頭の中で共鳴し増幅する。だんだんだんだん、おのれのやったことに血の気が引いていく。空恐ろしくなる。


 ……なぜだ! なんで一人で帰ってしまうんだ! こうなったのはおれのせいか。違うだろ。


 おまえが悪いんだぞ。




 やがて辺りがざわつき始めた。気を失っていた者たちが目を覚ましたのだ。その中には赤沢や興仙もいる。

 その様子に葉が、そろそろわたしらも潮時だと思ったのか、重々しく口を開いた。


「もう行かねばならない。だがその前に鈴木、おまえに約束してもらいたいことがある」


「ああ」 政元が去って以来、ずっと呆然自失であった。


「ならば、鈴木。おまえは『太白精典』を探せ。そして焼け。封印なんて生ぬるい。女、おまえは金神を子々孫々まで伝え、世に出すな。それを以て望月千早の命と替えさせるが、いかがか?」


 夜叉蔵ではなく、女? 二人の間でなにがあった? 松を見た。まだ気を失っている。おれはどうしたらいい? 松。


 重景が返事もせず松を見つめているのにいらっとしたのか、葉が言った。


「この女にはその旨、お前が伝えよ」


 え? いいのか、それで。っていうか、葉! おまえ、千早殿のことを許してくれたというのか。地にそっと松を置いた。そして両手を地につき、深々と頭を下げた。


「おれが至らぬばっかりに。ごめん」


 葉の目から涙が頬に伝う。こぼさぬ涙が笑みにあふれてしまったのだろう。


「鈴木、たっしゃでな」


 涙を腕でぬぐった葉。その傍らに陽炎、その中から四朗が姿を現した。爽やかな笑顔を見せた。そして二人は行った。振り返らずに。


「葉、四朗、ありがとう」


 去りゆく二人の背に、重景はもう一度、深く深く頭を下げた。













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