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第34話 地獄絵図

 政元が肩で息をしていた。疲労困ぱい、多量の汗が滴り落ちている。


「重景! しっかり抑えとけよ」


 術を外されるなとでも言いたいのだろう。言われなくてもしっかりやっているさ。だが全部は掛けきれない。数もそうだが敵の攻撃をかわしかわしでは力を十分発揮できない。


「あぶない!」


 政元に向かって死体が飛んでいた。咄嗟に政元が己の兜をぶつける。宙で、死体が身のつり合いを失った。頭から落下するかと思いきや、その態勢から翻って太刀を振ってくる。だが、それも政元にとっては造作もないこと。胸を逸らして軽くかわす。


 取り越し苦労であった。政元は嘲笑っているかのように口角を上げている。敵の太刀をかわしかわし、己の篭手もほどいていく。有っても無くてもさして変わらない甲冑なぞ重くて邪魔だというのだろう。そこに左手の方角から地響きが聞こえてきた。撥ね散る泥と水飛沫で煙立って見える。それは地面を踏みしだく軍兵から発せられたのものだった。大手の軍! 敵を突破したようだ。赤沢が先頭で、黒山の人だかりを引っ張って来ている。反対側からも味方が集まってきていた。搦め手だろう。遠くにぞろぞろと姿を見せはじめた。


 赤沢が手を上げた。

 大手、搦め手両軍が足を止める。


「なんだ? どうして味方と戦っている、鈴木!」


 遠目でも声で分かる。赤沢は困惑している。そして鬼幽斎が妖しげな術を使っているのだろうと警戒している。


「それ以上、来るなーっ! そこなら鬼幽斎の術には掛からない!」

「わかった! 鈴木、あとはおれにまかせろ!」


 そう言うと、赤沢が手に持つ毬大の何かを二つ、投げた。それは地面に落ちて互いにぶつかり、別々の方向に転がっていった。小さくてはっきり見えないがきっと幸若舞の祥太夫と福太夫の首であろう。次に赤沢は指揮棒を水平に振った。大手、搦め手、両軍勢が広がる。合わせて千は超すだろう。それが鬼幽斎と重景らふたりの間隔をさらに倍にした距離で、元三大師堂を中心に半円を描いた。赤沢は指揮棒を鬼幽斎に向ける。将兵僧兵らが一斉に弓を引く。


 そういうことか。弓矢なら近づかなくても鬼幽斎を討てる。そしてこの数の射手。よもや外すなんてことはありえない。万が一、それを避けたとしても赤沢には悪いがこのおれがいる。鬼幽斎の虚を衝いて金縛りを掛けてやる。

 ところがその考えは甘かった。鬼幽斎とてただやみくものにここに来たわけではない。その笑い声が耳をつんざいた。


 中空。頭上を金神の神気が幾つも飛んでいた。


 山なりで不正確な弾道。だがそれで十分であった。将兵僧兵の数が数である。外れることはない。案の定、味方の上に落下した。当たった味方らはのた打ち回り血反吐を撒き散らす。一挙に恐怖が蔓延した。味方が秩序を失う。見境なく動き回り、互いにぶつかり合い、互いに押しやる。射手もそれに巻き込まれ、あるいは自らそうなるか。弓を投げ出したり、あらぬ方向に矢を飛ばしたりした。


 鬼幽斎が悦に入った。


「重景! おまえは良いことをわしに教えてくれた。『やいばの修験者』も悪くはない」


 鬼幽斎は元『やいばの修験者』であった。それをさげすみ捨てた。ところが重景と戦い、負けたことで考えを変えたのであろう。注入するばかりだった金神の神気を飛ばしてきている。愕然とした。『やいばの修験者』は熊野では正法なんだ。それで死者を弄ぶのか。止めてくれ!


「赤沢、下がれー」


 金神の神気に当たった者は死んでゆく。ところがそれらの内、鎧武者が動き出し、味方に攻撃し始める。元三大師堂を囲んだ大勢の将兵僧兵らは阿鼻叫喚の渦となった。


 味方同士が殺し合う光景。


 奇声、悲鳴、わめき声が飛び交う。


 生臭い血の匂い。


 いたる所で噴き上がる血飛沫。


 操られていようがいまいが関係ない。互いが近づく者に打ちかかった。こうなってしまっては手をこまねく他ない。絶望。ほとんど虚脱に近かった。重景はその光景を呆然と眺めていた。


「重景!」


 はっとした。

 政元が吠えた。具足を脱ぎ捨て俄然やる気を出している。金縛りにあっている死体を全て屠っていた。


「次!」


 さらに催促する。


 この場面でそれか! なんなんだこいつは! 舌打ち一つした。それからご要望通り、不動金縛りに掛けまくる。これで当初からの動く死体は全て金縛りに掛かったことになる。


「ヒョョョョョョョョェェェェェェェーーーーーーーッ!」


 政元が聞いたことのない気勢の声を上げ、斬って斬って斬りまくる。順調に数を減らしてゆく。しかし一方で、軍の混乱は依然として一通りではない。だれが味方か敵か分からない。そこにさらに神気の弾道が降り注ぐ。しかも、その精度も速度も上がってきていた。間違いなく、鬼幽斎はこの戦いの中で、金神の『やいばの修験者』を習得しようとしている。


 その想像通り、金神の神気が被害の少ないところへ、少ないところへ、正確に飛び始めていた。逃がさないというのだろう、鬼幽斎はそれを見越して陣から離れようとしている者たちへも金神の神気を当てていた。事ここに至り、もう逃げも隠れも出来ない状況に陥った。鬼幽斎の為すがまま。誰もが恐怖で我を失った。


 重景はというとその惨状に、鬼幽斎のやり方に、そして部下をもかえりみない政元に、茫然としていた。見渡せば、自ら頸動脈を切る者。死体に何度も白刃を突き刺している者。そして満悦に高笑う鬼幽斎。さらには斬ることのみに心血を注ぐ政元。狂気に呑み込まれた赤沢ら。おごり高ぶる鬼幽斎。斬りまくる政元。狂乱の赤沢ら。ぐるぐると視界が回る。鬼幽斎、政元、赤沢ら。ぐるぐると。もう止められない。ぐるぐると。叫び声も聞こえない。高笑いも消えた。鬼幽斎、政元、赤沢ら。鬼幽斎、政元、赤沢ら。鬼幽斎、政元、赤沢ら。はっとした。


 ここはどこ? 


 そこに地獄が現れた。


 なんなんだ、これはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!




 だが、……なぜだか分からない。ふと、重景は上空を見上げた。

 大鷲が旋回している。


「獅子王丸……」


 赤沢は、翼を広げれば三十五尺にもなる巨大な鷲を手懐けていた。青空に黒く小さく見えて確証はない。だが重景は直感的にそう思った。






 常応院の中にはざっと見て三十人はいた。それが折り重なって倒れている。どの目も見開いていた。しびれ薬の効果であろう。意識があるにもかかわらず身動きすら出来ないでいる。


「いました」


 四朗の声が低く飛ぶ。


「良かったわ。生きていたのね」


 ほっとして、葉は四朗に駆け寄った。四朗の目線の先、そこに夜叉蔵の姿があった。横たわっているが目は生気に満ちている。そしてなにか言おうとしているのか、桜色の唇が震えていた。


 葉は、夜叉蔵が言いたいのは何か、大体分かっていた。

 罵りたいのであろう?


「運び出せ」


 葉は命じた。

 四郎が夜叉蔵を肩に担ぎ上げた。


「行け」


 命じられるまま先を行く四郎の後を葉は続く。だが常応院を出たところで、はてと思った。


「待て!」


 四郎は立ち止まる。


「下ろせ」


 四郎は戸惑いながらも夜叉蔵を降ろす。

 葉は夜叉蔵を不審に思った。


 こいつ、女の匂いがする。


 夜叉蔵の顔をのぞき込む。

 夜叉蔵の大きな目に怒りが見えていた。

 だがそんなことは気にしていない。確かめるか!


 夜叉蔵の襟の合わせ目に手を入れた。


「!」 ふくよかな胸。


「こいつ! ……女」






 天高く巨大な鷲が旋回していた。長く幅の広い翼。太く鍵型に曲がった嘴。鋭く湾曲した爪。その名を獅子王丸と言う。


 飯道寺山は遥、眼下。そこが地獄とは思えない。小山の上にこちょこちょと建屋が小さく見える。遠すぎて、人影は見えない。音も聞こえない。するのは風きり音のみ。その獅子王丸の足にぶら下がる者がいた。司箭院興仙。鞍馬山に籠って『天狗の法』を得たという。


 その興仙が手を離した。


 果たして凄まじい勢いで落下してゆく。総髪が逆立っている。痩けた頬肉が風圧で波打っている。ところがその細い目に恐怖の色が微塵もない。むしろ輝きを見せていた。


 両手、両足を広げた。速度が急激に落ちる。袂がバタバタと躍る。興仙が体を横に傾けた。空を横滑りに走る。ここだというところで前傾。頭から一直線に滑空してゆく。面前に飯道寺山。みるみる内に近づいてくる。興仙は闘気を発した。


『天狗の法』 


 それは気を熱気に変え気流を生み出し飛翔する術をいう。興仙の廻りに空気が渦巻く。それが上昇気流に変わった。興仙の体がくくっと浮く。落下速度が一定となったのだ。前方下、飯道寺は乱戦であった。近づくにつれ味方同士が殺し合っているのが分かる。元三大師堂の上に鬼幽斎。混乱の中心であった。興仙が太刀を抜く。一直線に鬼幽斎へ向かって行く。どんどん近づく。視界から飯道神社や梅本院が消えた。さらに大勢の人が消え、眼前に元三大師堂の甍。踏ん反り返る鬼幽斎。その背中。


「!」

 

 興仙が鬼幽斎の横を摺り抜けた。地表から凄まじい突風が吹上げる。重景はとっさに腹ばいになり地面にしがみ付いた。その横を滑空してきた興仙が猛烈な速度ですり抜けていく。そして、着地。足からでなく殆ど肩からである。凄まじい砂埃が舞った。興仙は、頭を両腕でかばい、体をくの字に曲げて地を滑っていく。その通った後から渦巻く風が追って来る。呆然と興仙を見送った将兵僧兵ら。そこを狂風が襲う。一人、また一人と次々に宙に飛ばされていく。勢い余って横転する興仙。そこからさらに転がり、砂煙に巻かれて、やっと止まった。


 生きているのか? 政元も同じ思いだったであろう。地面にへばり付いて見ている。興仙が起き上がった。左肩を押さえている。生きていた。とすると鬼幽斎は……。


 元三大師堂の甍で鬼幽斎が目をカッと開いていた。


 白目を剥いている!


 固唾を呑む。


 鬼幽斎の胴に切れ目が走る。途端、上体と下半身が、ずるっとずれた。腰から下は棟の向こうへ。上体は棟の手前へ落ちて、甍を二度三度跳ねて落下、地を打って転がった。


 飯道寺山が水を打つ。


 果たして、猛威をふるった動く死体がそこかしこで崩れ落ちるに至り、歓声が上がった。


 政元が神刀を垂らす。

 地獄絵図は終わったのだ。


 かろうじて、生き残った者たちはその数を半分に減らしていた。それが喜びを隠さない。体一杯にそれを表現している。跳ねたり、手を上げたり、操られていなかったのかとお互い安心して抱き合ったり。だが重景は一人、立ち尽くす。


 上体のみとなった鬼幽斎の遺骸。白目を剥いてぽっかり口を開けている。髪と髭が全身に絡み、切断面から内臓がのんべんだらりとこぼれ出て、血の海にだらしなく浸かる。


 鬼幽斎……。


 あなたは優しい笑顔と悪鬼の表情を持つ人であった。一体どちらの鬼幽斎が本当であったのか? こうなった以上それを知るすべはない。ただ間違いなくこれは言える。優しい笑顔のあなたは間違いなくおれの師父だったと。


 涙を拭った。


 見渡すと、水たまりは血溜りと化していた。そこを溺れているようなかっこうの死体が累々と転がっていた。それが喜ぶ味方の足元で、泥と血の混ざった粘液に甚だしくもさらされている。


 震えが足の裏から脳天へ一直線に走った。


 鬼幽斎!


 だけど、許さない。これも間違いなくあなたのやったことだ!


 政元が天を仰いで呆け、赤沢が血溜りで膝を折り肩で息をし、興仙が虚ろな目で肩を押さえ左に身を傾けて立っていた。


 ……よかった。みんな無事だった。


 ふと、飯道寺山に瘴気が垂れ込めるのを感じた。


 木々の枝葉がざわめいていた。










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