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第31話 神刀ことひら

 重景ら三人は馬を駆っていた。神護寺の留守役に、さえない男をわざわざ選んで、文書ではなくわざわざ伝言を任せたのは政元らしいといえる。勝手にいなくなった重景への罰でもあったが、政元にとって重景は癒しでもあったのだろう。いつも期待する反応を重景は見せてくれていたのだ。おそらく今回も重景の反応を想像して腹を抱えて笑っているに違いない。


 とはいうものの、ことは急を要する。飯道寺山への道中、政元は関所に換え馬を残していた。そのおかげで馬に衰えが全くみえない。重景ら三人は遮二無二、馬を駆り立てた。少しでも馬の動きを邪魔しないように、少しでも風の抵抗を抑えるように。一刻も早く。下半身を浮かし、前傾姿勢での長時間の騎乗に体の感覚は、味覚、臭覚、聴覚、触感の順に馬上から脱落していき、残された視覚もすでに虚ろだった。一刻も早く。その想いこそが重景を動かしていた。


 ……飯道寺山!


 やがてそれが姿を現した。耕地の平原の向こう、鈴鹿の稜線を背に山がそびえていた。青い空に小さな積雲がぽつぽつと浮かぶ。だが奇怪にもその山だけに黒雲が渦巻く。稲光が走る。


 声聞師、蛟太夫の仕業!

 

 熊野の戦いでは式神を使い、鴉党の陣を混乱せしめたと聞く。血が逆流した。全ての感覚が一気に呼び覚まされる。気勢の声を上げ、馬に鞭を入れた。


 待ってろよ、松!

 加速した。四朗と葉が続く。


 ふと、前方、ずっと遠くに小さな砂埃を見とがめた。馬上の一団。旗指物を背負っている。図柄は丸の内に二つ線。足利の文様か? 違う。足利将軍家と先祖を同じくする細川家。


 飯道寺山の状況を聞きたかった。黒雲の中で政元はどう戦っているのか。味方が飯道寺山に向かっているということは、熊野で敗戦した鴉党のように四散した訳ではなさそうだ。といっても攻勢には出られないはず。政元になにか手があるのか。


 一団に向かってさらに速度を上げた。尾を引く砂煙の横からそれをなぞる様に駆る。前方を疾走するのは鎧武者の十人連れだ。皆、太刀に手をかけていた。おそらくは、こちらを警戒してのことだろう。手向かって来させないために名乗りを上げ、近づいて行く。一団は重装備で馬脚が遅い。だが馬の乗りこなしからその武者が選りすぐりと分かる。それが速度を落とさず、ずっとこちらを向いたまま走っている。追いつけと言うことか。馬に鞭を入れた。じりじりと距離が詰まり、程なくその一団と合流、轟く馬脚に消されないよう大声を張った。


「飯道寺山! どうなっている!」

「頂部を鬼幽斎に乗っ取られてしまいした。それを御舘様が囲んでいます」

「飯道寺山の軍は?」

「われらが着陣した時には鬼幽斎が飯道寺に入った後と聞きます。おそらく皆殺しかと」


 皆殺し! その言葉に心臓を鷲掴みされた。松を置いて神護寺に行った事も、鬼幽斎に合ったことも、旅行気分で神護寺に帰って来たことも何もかも恨む。そのまま心臓が止まってしまえと思った。


「諦めるのは早い!」


 即座にそう叫んだ四朗が、今度は鎧武者に問おた。


「鬼幽斎が入って何日だ?」

「御舘様が着陣したとほぼ同時。丸一日も経っておりません」

「重景! 夜叉蔵らはどこかの院に立て籠もっておるかもしれん。夜叉蔵を信じろ!」


 夜叉蔵とは松の偽名である。熊野に旅立つ前、四朗にはこれまでの事情を、落合の素性は伏せて全て話した。当然、松が金神の神気を抜いてくれたこともだ。そもそも『粋調合気』は『太白精典』対策に考案されたもの。誰が聞いても松は掛け値なく、強い。状況は絶望的だがあるいは、四朗の言う通りかもしれない。いや、生きていることを信じなければ。おれがこんなんじゃぁ、松に悪い。しっかりしなければ。


「ああ、そうだ。急がねば」


 重景の返事に、四朗がうなずいた。そして目配せし、一団の中で走る一頭の馬を指差した。その馬は無人で、鞍上にサラシ包帯の弓反った棒が結ばれていた。即座に太刀と分かる。人を差し置いて馬に乗せるからには余程大事なものだろう。重景は鎧武者に問おた。


「はい。大和国一宮、三輪神社からお借りした神刀で御座います」


 ……神刀ことひら。


 伝説では興福寺の順覚がそれを擁して『太白精典』の今出川鬼善と五分の戦いをしたとされる。


「御舘様がずっと御所望でして、この惨事にあってやっと神官が重い腰を上げたので御座います」


 政元め。時間を稼いでいたのはこのためか。しかしいまさらなぜ神刀なのか。

 もう飯道寺山は目の前にあった。





 平素なら飯道寺山への参道は、左右から覆う木々で神秘的な洞窟を思わせた。ところが暴風に煽られた木々は参道を閉ざしたり開けたり、唸りを上げて波打っている。おごそかどころではなく、不吉極まりなく忌まわしい。固唾をのんで重景らは頭を覆い背を丸め、参道に踏み込んだ。石段はそこら中の雨水を集め沢と化し、足元はもはや濁流であった。もげた敷石の窪みに足を取られ、あるいは表面のなめらかな石段に足をとどめることが出来ず、その歩む様子は武者の一団と言い難く、まるで腰の曲がった老婆たちであった。それが歩みを止めた。前面に巨木が横たわっていたのだ。参道を斜に塞ぎ、鷲掴んで来そうな根をこちらに向けている。


 誰か一人が太刀を抜き、爪立つ幾つもの根を右から左から薙いでいく。するとこの近くで落雷したのであろう、轟音が空気を弾き、閃光が視界の何もかもを真っ白にしてしまった。太刀を握っていた武者は驚き、それを放り捨てて後ろに飛んだ。が、着地の際、足元を誤って参道を転げ落ち熊笹の藪に姿を消した。


 一団は雨と風でほとんど失った視界の中で、藪から参道に這い出る武者を見た。その光景は重景らに荒波から這い上がる溺者を思わせた。


 道を変えよう、と誰からともなく声が出た。巨木が道を塞いでいるのなら、それこそ落雷覚悟で木の根、木の枝を切って道を造り、あるいは幹の上を道にして進めばいい。だが先程の閃光で視野が広がり現状が呑み込めた。この巨木は落雷で参道に転がっていたわけではない。土砂崩れで参道に落ち、転がって道を塞いだのだ。今は暗くて見えないが確かに右の斜面が丸裸だった。そして先ほどの落雷で頭に残ったその映像は、斜面はいまなお動いているように思わせるほどの不気味さがあった。四朗が先頭に立ち、藪に分け入った。重景と葉が後に続く。四朗は甲賀者で飯道寺山を修行の場としてきた。この山を知り尽くしている。武者らもそれに従った。




 果たして無事、細川政元のいる陣に入ることが出来た。驚くべきことに、いや、案の定というべきかそこに広がる光景は悲惨なものがあった。千の将兵僧兵らが建屋にも入らず地面に縮こまっている。太刀や具足がそこかしこに転がっている。物見櫓が雷に打たれたのだろう、こげて横たわっていた。皆、落雷を恐れて身を低くしているのだ。


「政元!」


 その名を連呼して重景は走った。足を三角に曲げて膝を抱いて座る無数の将兵僧兵ら。その間を縫って行く。蹴る足がしぶきを上げる。泥が飛ぶ。だが、将兵僧兵の誰もそれを避けようともしない。弱り切っている。戦意が微塵も見えない。政元は何をしているんだ。


「ここだ!」


 固まった将兵の中で手を上げた者がいた。政元である。大将でありながら膝を抱かえて雨に打たれている。おまえまでもか! 苛立ち、そこへ走った。


「遅いぞ。重景」


 顔を見るなり言ったその声もこころなしか寂しい。らしくないじゃないか! 護衛の将兵を押しのける。


「嵐を止める手立てを!」


 政元が露骨に苦々しげな顔を見せた。


「今やっておる」


 後ろから一緒に来た一団が続く。四朗と葉はというとこっちに来ない。政元に嫌われていることを自覚してのことだろう、四朗らは政元を中心とした塊と距離を保っていた。政元が言った。


「ていうかおれのことを言う前に、おまえ、なぜ役目を果たさなかった。それどころか余計なことをしやがって。誰が冬眠している熊を追いたてろと言った。だからおまえは馬鹿だと言われるんだ。見ろ、この体たらくを。全部おまえのせいだぞ。この糞野郎が」


 そうだ。馬鹿を通り越して、おれは糞野郎だ。さらに政元が言った。


「いいか? ものには段取りってもんがあるんだ。いや、馬鹿なおまえにも分かりやすく言ってやろう。種をまいたら実がなるまで待つ。そういうことだ。分かったらおれのいうことをきいてろ!」


「悪かった」


 返す言葉が見当たらない。

 呆然とするそこに、一団の頭が割って入ってきた。ひざまずき神刀を掲げる。


「ことひらか!」


 一挙に政元の機嫌が戻った。意気揚々と手を伸ばす。その掴む寸前で手を引っ込めた。稲光だ。どこかに落ちたのだろう。轟音がした。

 身をちぢ込ましている将兵僧兵を押し退け、政元は尻を擦りながら両手両足でどんどん後ずさっていく。相当落雷に悩まされたのだろう。


 とこの時、ぱたりと雷雨が止んだ。

 一挙に青空が広がる。日に照らされた。

 誰かが、

「興仙様が蛟太夫を退治した!」

 と叫んだ。

 千の将兵僧兵らからどっと喜びの声が上がる。

 あちこちの曲輪から歓声が聞こえる。


 政元が立ち上がった。猛烈に走り寄り、神刀ことひらを手に取った。そして鞘から抜き放つ。その刀身は陽光を吸って自ら光に変えているようである。さん然と輝いていた。そのきらめく神刀ことひらを天に掲げる政元はというと目が見開き、口角が上がって歯を剥き出していた。


「重景!」


 どきりとした。

 いつもの政元に戻っていた。何を言い出すか分かったものでない。その政元が不敵に笑った。城壁に囲われた寺院群に神刀を向けている。


「あの結界を何とかせい」


 ……呪師走りの高悦!

 お椀でふたされたように寺院群を結界が覆っている。なるほど、そういうことか。政元の『神足通』ならいつでもあの中は覗ける。赤沢の鷹の目も同様だ。あの結界のおかげで中の様子がうかがい知れないのだ。それで攻撃するのに二の足を踏んでいた。といって雷に打たれ続けるのも長くはもたない。それで興仙なのだ。声聞師、蛟太夫の術は呪師走りの高悦と相性が悪い。必然、結界の外で術が行われる。それを読んで、政元が『神足通』を駆使したのだろう。それなりの護衛がついていたと思われる蛟太夫を興仙と組んで二人で倒した。蛟太夫の術は法文を読み上げることで効果を発揮する。殺されれば確かに雷雨は止む。


 赤沢が現れた。早速、鷹を五羽、飛ばす。そして言った。


「鈴木! 早く結界を外せ」


 青い空に鷹が風を受けて悠然と旋回している。

 言われなくてもやるさ。参道を進んだ。


 その間、あちこちの曲輪から金属の擦れる音、かち合う音が起こる。山を覆う数千の将兵僧兵らが総攻撃の命令に備えている。具足を着込む。矢種を背負う。けたたましくうるさい。


 その騒音の中を、重景は結界の前に立つ。そして限りなく黒に近い紫色の壁を見上げた。生きていてくれよ、松。これを解けば総攻撃だ。鬼幽斎を倒して必ず助けに行く。


 その想いを阻もうとしているかのように、城門の二層目、盾板の間から間断なく矢が飛んできていた。重景はこともなげに、それを気のやいばで弾きつつ、『倶利伽羅剣』を発現させた。


 一刺しである。


 途端、結界は刺されたそこから野焼きの枯れ草のごとくじりじりと燃え上がり、やがて全てを失った。その間にも矢の雨に重景はさらされていた。ことごとく気のやいばで迎撃していたも結界が失せるに至って、

「五月蝿い!」

 と巨大な気のやいばを二つ、縦一線と横一線、放つ。


 城門が十字に刻まれた。きしむ音と同時に上半分が左右に崩れ、轟音と共に下半分が互い違いに傾いた。









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