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第30話 『穏行法』

「オン、マリシエイソワカ」


 四郎の姿が陽炎の中に消えた。だが実体はそこにある。姿が見えなくなっただけ。


 ……『穏行法』


 姿を消して敵地に入る。忍道にとってこれこそが奥儀であった。そして忍は皆、この力を欲した。しかし得たのは望月四郎ただ一人。そう聞いていた。多分、それは間違いではないだろう。陽炎の化身。日光の化身。それが摩利支天。陽の力を以て陰に転ずる。そういったことを体現出来る精神の所持者。それは希有である。しかし『穏行法』にも欠点がある。攻撃を受ければ傷をおうことになる。正真正銘、陽炎になったわけではない。また、攻撃に転じれば術が解けてしまう。対処としては全方位に放つ気のやいばと姿を現したときに一点へ飛ばす気のやいばがある。


 といっても、四郎は消えた位置から微塵たりとも動いていないだろう。


 どういう戦いになっても最後はこの形になる。四朗は敢えてここから始めた。それを逆手にとっておれが全方位の気のやいばを放てば!


 出来るわけがない。やつは自分の生き様をおれにぶつけて来たんだ。答えるしかあるまい。


 勝敗はただ一点!


 どっちが早いかだ。四郎が現れたらすぐに気のやいばを放つ。四郎の脇差か、おれの気のやいばか。


 ……あるいは二人とも死ぬか。


 古今東西、兵法において、共に死する一念、生はその中にありと教える流儀は少なくない。


 ……だがそうであろうか。


 さっきの鬼幽斎とのやりとりを見て四郎はどう感じたのだろうか。沢慶の願いにどう思ったのだろうか。やつは道理が分かりすぎるきらいがある。望月千早のことだって知るのは四朗自身のみ。その四朗がいなくなるとするならば……


 ……四朗はおれに勝ちを譲る気でいるのかもしれない。


 だめだ。今そんな考えは、止そう。全身の神経を研ぎ澄ます。


 ところが重景は、考えてしまう。オロオロしている葉。二人のあまりにも無謀な戦いに戸惑っている。その様子を見て四郎はどう思っているのだろうか。やはり、それが気にかかる。四朗がいなくなれば葉はどうなるというのか。詰まる所、四朗は勝たねばならない。


 よくわからない。ここは四朗の出方をうかがうべきか?


 いや、迷っているのはこのおれ。四朗は一途だ。勝つとか負けるとか、それでもって後の事とか、考えていようか。ただ単に今、おのれの出来ることを全力でやる。勝ちを譲るとか、葉のためにどんな手を使っても勝とうとか、そんな考えで四朗がこの戦いを穢すはずはない。


 となれば、やはりどちらが早いかだ。だが、四朗の様子をうかがいしれない。挙動を探るのは不可能なのだ。ただ、『穏行法』は攻撃に転じれば術が解ける。といっても行動を起こしたどの時点でその術が解けるかだ。


 ……たぶん、脇差がおれの肌に当たった瞬間だろうな。


 人の肉に刃を差し込む。いかに四朗とてこの時は箸でたくわん漬けを摘まむような心境でいられるはずはない。



 森に一人立つ。



 風が体を擦ってゆく。青葉がざわめく。そして風に吹かれた木の葉の影が、足元に映える木漏れ日をわさわさと掻き乱す。目には見えないが、間違いなく四朗はすぐそこにいる。




 しばらくの時が、流れた。


 長時間の緊張に耐えかねたのか、突然、葉が頭に爪を立てて叫んだ。


「嫌! もういい! 分かったわ!」


 聞いてはいない。全身の感覚をまだ見ぬその瞬間に集中している。

 誰にも耳を貸してもらえない葉はというと御鴉城を出て以来、ずっと蚊帳の外であった。いや、実際は神護寺を旅立つ頃から蚊帳の外だったのだ。ずっとのけ者にされて、やけになったのだろう。我を曲げた。


「だから兄様のことは忘れるって!」


 やはり、誰も答えない。自分の気持ちを押し殺し、ここまで折れたのにこの扱いである。それに絶望したのだろうか、望月葉が静かになった。それも束の間、唐突に葉が目の前に現れた。


「二人が死んだら生きてられない! わたしも死ぬ!」


 危ない! 咄嗟に重景はその肩を掴んだ。

 四郎も姿を現した。『穏行法』を解いたのだ。


「姫様、ご心配かけました。我らはもう戦いません」


 え? っと、重景は思った。願ってもない。負ければ師父鬼幽斎との約束を守れない。勝てば勝で、葉に憎まれる。どちらも望んではいないから、重景は内心、ほっとした。


 緊張が解けたのは葉とて同じだった。四朗の言葉を聞いて安心したのか、葉の顔がひしゃげていく。そして声を上げて泣いてしまった。その思わぬ涙に驚いたのだろう、四郎が慰める言葉に窮する。まごまごして困った顔を見せていた。


 この男がこんな面をするなんて……。なんのことはない。姫が一番強かった。

 四朗が、袂で顔を拭いている葉の頭を撫でている。


 さて、命を拾ったからにはやらねばならん。燃えてきた。

 思いは京の北。それと湖南。


 これで望月千早をうやうやに出来たとは思わんが……。先ずは神護寺に向かおう。それから飯道寺山。師父よ。待っていて下さい。こっちはこっちで後始末をしないといけませんから。






 海岸沿いを北に向かった。三人、馬をそろえて街道を行く。

 真ん中に葉。上機嫌である。重景に、四朗に、代わり代わり話かける。


 南海の潮風。


 三人はそれにつられて浜に出た。

 砂浜でなく石の浜。

 飛沫を上げるのは男波。

 そして、その両方が打ち合う耳触りがよい音。


 海岸線が弓反りにずっと続く。

 外海は黒く荒々しい。


「あっ」 葉が足元の石を拾った。


「きれいな石。……あっちにも!」


 しゃがんでは立ち、そして走ってはしゃがむ。


「こっちにはきれな貝殻」


 葉のはしゃぎ様。何か拾ってきては重景と四朗に見せる。


 やがて西の空が茜色に染まる。


 弓になった海岸線の先端、そこある山に日が沈む。

 三人は肩を並べ、それを眺めていた。






 高雄山神護寺。

 重景ら三人は、馬を並足で並べての意気揚々の帰還だった。これからやらなければならないことが沢山ある。政元に軍を引くよう説得しなければならないし、師父山本鬼幽斎の助命もしかりだ。だが、重景ら三人は不審に思った。


 山道に人気がない。いや、山全体に人気が感じられない。

 普段なら馬の番がいる厩も、誰もいないどころか肝心の馬がいない。馬をつないで、徒で進めば進むほどに違和感を持つ。三人の足が速くなる。


 山門は閉じられていた。


「開門!」と連呼しながら、扉をボンボン叩く。


 しばらくたってやっと門が開く。

 ところがそれは一尺程で止まり、その間からすり抜けるように男が出てきた。


「も、もしかして鈴木重景様で、あ、ありますか?」


 さえない男である。やっと門を開けたという感じであった。


「いかにも」

「あ、あのぉー」

「なんだ。申せ!」

「い、言いにくいのですが」

「だからなんだ!」


 まどろっこしすぎて、葉がイラついている。


「重景! 構わぬ。押し通れ!」


 さえない男を重景は押し退けた。そして門を開ける。

 神護寺は誰もいない、もぬけの殻であった。


「どういうことだ?」


 重景ら三人は呆然と立つ。

 さえない男がおずおずと前に出て来た。


「で、伝言があるんですが……」

「誰のだ!」


 その荒々しい声に、殴られるとでも思ったのだろう、さえない男は両手で頭を守った。そして伏し目がちに言う。


「お、御舘様です」


 ぞっとした。


「言え!」


 重景は、さえない男の胸ぐらをつかんだ。途端、男は溺れたように宙をもがく。


「重景。それでは言いたいことも言えんだろ」


 四朗の手が肩に置かれた。

 掴んでいる胸ぐらを突き離す。その押された勢いで、門の扉に背中を打ったさえない男はずるずると背中を滑らせ腰を落とした。イラつくことに返答する前に、いたがっている。重景はまた、かっとした。


「早く言え!」


 飛び跳ねるように男が立った。そしておどおど話す。


「あのぉ、お、御舘様が、い、一字一句、間違えないようにい、言えと言ったのでい、言いますけど」

「ああ、わかった!」

「く、くどいようですが、わ、わたしがい、言ったのではありませんので」

「わかった。わかった。だから早く言え」

「は、はい。で、では、い、言いますが、し、重景、おまえはば、馬鹿か。どこをふら付いておる。は、早く飯道寺山に来い。い、今すぐだ、です」


 重景らは顔を見合わせた。異変。明らかに何かが起こっている。


 ……松!


 嫌な予感がする。慌てた。


「なにがあった?」

「や、山本鬼幽斎が、飯道寺山を、せ、攻めたそうです」


 信じられない。「いつだ!」 


「お、一昨日ですぅ。皆、飛び出してい、行きましたが。……そ、そん時、わしはお、御舘様に捕まって。あなたにつ、伝えろって」


 気が動転した。

 おれはなにをのんびりと海を見ていたのか……。


 呆然とする重景に換わって、四朗が男に訊く。


「飯道寺山は健在か?」

「い、いやぁ、お、落ちたとか落ちないとか」


 風前のともし火!


 もう言葉がない。血の気が引いてゆく。

 松! 松に何かあったらどうする?


 鬼幽斎と泣き合った画が頭に浮かぶ。《このだめな師を許してくれるか?》という言葉が今なお耳にある。


 あれは嘘だった……。


 葉が言った。

「実際、うさんくさかったのよね。鬼幽斎の言葉を聞いた? 《わしは嫉妬していた、京兆家に慕われるおまえに、だから『太白精典』に手を出した》だって。重景はあいつに殺されかけたうえ鴉党から追い出されたのよ。その時はすでにあいつは『太白精典』に手を出していたはず。でないと、話が通じない。あれは重景の性格を逆手に取った口から出まかせ、はったりよ。それであの場をやり過ごした。そして追い詰められた鬼幽斎の出来ることは一つ。死ぬならもろともってね」


 四朗がその言葉尻をかき消すように声を荒げた。


「日数から見て、鬼幽斎は舟で白子まで出て、馬で鈴鹿峠を越えて飯道寺山に入ったのだろう。たぶん、あの後すぐだ!」


 その通りだ。経路は赤沢朝経もそう言っていた。だが頭の整理がつかない。


 一方でまた、葉。

「だいたい重景も焼きが回ったものよ。あんたはもっと小狡く、軽薄者だったはず。相手が師父かどうかしらないけど、あんた、そういう甘ちゃんな性格が嫌いで、ろくでなしを装っていたんでしょ。だったらそれを通さないと。似つかわしくないことをするから、なんでもかんでも裏目に出るのよ」


 混乱のあまり絶叫した。頭を抱える。


「重景! 急ぐぞ!」と四郎が走る。


 全身がわなわな震えるのを感じた。

 松! 松は大丈夫か。鬼幽斎、おまえは絶対に許さない!


 想いと怒りがない交ぜで頭ばかり働き、体が動かない。まだ山門に立っていた。


 石段を降り切ったところで振り返える四朗と葉。その二人に、「重景!」と呼ばれた。


 はっとした。


 鬼幽斎め!

 石段を駆け下りた。そして厩に走る。


 松、無事でいてくれ。









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