第29話 種
何としてでも太刀の龍を動かそうとあえぐ鬼幽斎。狼狽する十二鴉なぞ歯牙にもかけない。重景はというと、そんな鬼幽斎を気にも留めない風を装って、妙塵居士をにらみつける。今、誰が主導権を握っているのか、それを分からせないといけない。
「妙塵居士よ。あんたが術を解かなければおれも解かない。固まっているが生きてはいるんだ。二三日ほうっておけば阿と吽は飢えで死ぬぜ」
自分のことで手一杯な鬼幽斎はどうにもならず、その様子に妙塵居士は諦めた。柏手を打つ。
「術を解き申した」
その言葉に、重景はうなずいて見せた。阿と吽の金縛りを解く。
二人とも動き出した。
それを見てないそぶりで重景は、鬼幽斎に近づく。
全く言うことを聞かない二匹の龍をそれでも操作しようとしていた鬼幽斎の手が止められた。目が合う。その目に、怯えが見えた。
「十五年前のあの日を覚えていますか?」
鬼幽斎が戸惑いつつ、うなずいた。
「大鴉よ。わたしはあなたにこの術のことを報せようとしていたのですよ」
鬼幽斎のえっと驚く顔。それがうらめしそうな顔に変わった。
「あれからおれは苦しんだ。理由はあなたならわかるでしょう」
悪夢にさいなまれ、なぜ悪夢を見なければならないかを重景は悩み続けた。鬼幽斎がなにをやったにしろ、夢は現実にあったことなのだ。必然、おのれに非を求めた。考えれば考える程、自分が嫌いになっていき、すると態度も斜に構えるようになった。自虐的にもなり、他人には馬鹿にされるようになるといつもいつもつまらないと心の中でつぶやくようになってしまった。何をやっても気力も沸かず、当然修行もおざなりになり、挙句、生きている意味まで疑うようになった。
「あの時いっそ、おれを殺してくれてればおれはこんなに苦しまなかったのに」
胸のつかえを吐き出すと、溢れんばかりに感情がこみ上げてきた。涙が止まらない。
「すまぬ」
そう言って鬼幽斎がへたりこんだ。そして地に手を付き、うなだれた。丸まった背中から滑り落ちた髪が、垂れた髭とごっちゃになって白い敷砂利の上に広がる。よく見れば、鬼幽斎が初老をとうに過ぎていた。そして一面に広がる白の敷石の上に丸まっているせいか、どんどん小さく縮まっていくようにさえ見える。
その鬼幽斎が両手で顔を覆った。泣いているのであろうか。重景は胸が苦しくなった。おれはなんて意地が悪いんだ。師父を負かしたのをいいことに一方的に自分の想いをぶつけてしまった。
縮こまった鬼幽斎はというと、わなわなと震え始めた。多分、なにか言いたいのだろう。師父にだって言い分があるんだ。前のめりに聞き耳を立てた。
「わしは嫉妬していた。だれよりも才あるおまえに。京兆家に慕われるおまえに。だから『太白精典』に手を出した。将軍義材様、畠山政長にもついた。だめだった。このだめな師を許してくれるか?」
血の気が引いた。なんてことを、おれは師父に言わせてしまったのか。
「許すも許さないもわたしはあなたの弟子です」とひざまずく。
「そうか。そうか。そう言ってくれるか」
鬼幽斎が頭を上げた。まなこが涙に溺れている。
「師父!」
「重景!」
鬼幽斎の顔色にさわやかな笑みがあった。そしてその頬に幾つも涙の筋が出来ていた。わだかまりがとけた。こんなうれしいことがあろうか。重景は声を上げて泣いた。
それからどれ位そうしていただろう、やがて二人は涙を拭いた。
「重景。わしは隠居する。『太白精典』も封印する。されどその前にこの者どもの行く末も考えてやらねばならん。わしが懇願しそれに応え、付いて来てくれた者どもだ。感謝しても、し足りぬ」
十二鴉が感涙にむせぶ。
「はい。彼らにはわたしも感謝しております」
「数日、待っていてくれ。その後は重景、わしの面倒を見てくれるか?」
遠い昔が頭に蘇ってきた。一緒にいた五人の顔。皆、子供だった。それが満面の笑みで「徳叉迦」と呼んでくる。そのあまりに生き生きとした様から今もどこかに生きていると確信めいたものを感じた。
皆を呼ぼう。そして昔に戻どろう。名も無き修行者だったあの頃に。あの充実した日々に。
「はい。よろこんで」
松、ごめんな。おれはもう落合の惣には帰れない。
「おまえは本当に優しい子じゃ。かたじけない」
また鬼幽斎の目に涙が見えた。そしてうれしいのだろう、相好も崩れていく。
先頭を歩く沢慶に、重景ら三人が続いていた。子砂利の踏みしだく音が御鴉城にこだまする。鴉党の諍いを収め、今、帰路に着く。だが四人とも無言であった。それぞれ思うことがあったのだろう。葉はだいたい察しが付く。四朗はたぶん約束のことに違いない。そして沢慶。
物思いをし、先を行く沢慶の背中は、らしくなく、まったく後ろに気を配っていない。鬼幽斎の敗れた衝撃が大きかったのだろうか。重景らが足を止めれば後ろを置いて一人だけ行ってしまいそうである。その沢慶が不意に城門の前で振り返った。やはりそこにはあのにこやかな愛想の良い笑顔はない。
「ぶしつけにこんな大切なことを言うのは失礼かと思いますが、あなたを調べさせてもらいました」
はぁ? と思った。この男、なにを言わんとしているのか? 恨み辛みを聞く心の準備は出来ていた。だがそうではないようだ。見れば沢慶は真剣そのものである。目を一切逸らさない。おれの弱みを握ったとでも言って脅すつもりなのか。
「鴉党は貴人の種を珍重するという話、知っていますよね」
「ああ、知っている。鴉党は太古の呪術を継承していくため、血を尊ぶ。過去に天皇の種だという大鴉がいたと聞く」
「あなたもその選ばれた者の一人です」
なにをまた、この男は言い出す。もうそんなことはおれには関係ないことだろ。
「されどあなたの場合は特殊です。前例はたぶんないでしょう。あなたの父は貴人ではないのです。百姓です。あなたの父上は湖北生まれ。ただし百姓の英雄と謳われた清九郎の血を引いています。あなたの父上は清九郎の子息なんです。当時の大鴉が清九郎の血に興味を示したのでしょう。あなたの父上が京の河原に首をさらされるところを助けました。そして鈴木家の娘にあてがいました。日野裏松家の代官松平が三河を本所としているのはご存知ですよね。その者らが菅浦惣との戦の後、上洛したそうです。この時、彼らがあなたの父上を護送していたそうです。生きた替え玉を使ったのか、首だけの替え玉を使ったのか、いずれにしても鴉党は三河の松平に大金を渡したそうです」
ばかな。とするとおれと滝のばあさんは血がつながっていることになる。信じられない。が、沢慶が出まかせを言っているとは思えない。実際、鴉党の実務は沢慶が握っている。それ位の調べは簡単につくだろう。だが、解せない。滝のばあさまのおれへの厚情。おれが孫だと知っていたのだろうか。いや、有り得ない。それに誰の種かという事実を当の本人に知られてはいけない。それが鴉党の掟なんだ。考えられるのは、滝はおれを見て感応した。あのばあさんの霊力は確かだ。
それにしても沢慶だ。禁を破りやがった。重大な罪だ。それを犯してまでおれに何を言いたいのだろう。
「わたしはあなたに遁世してもらいたくない。もちろん鬼幽斎様にもです」
どういうつもりだ。この男、それが言いたかったのか。おれをだしにしてまでそんなに師父にへばり付いていたいのか? 残念だったな。それは出来ない。今、師父と約束してきたばっかりなんだ。
「これから世は乱れる一方でしょう。鬼幽斎様が言うように朝廷も幕府も役にたってくれるとは思えません。だから清九郎のような人が出るのをだれもが望んでいます。あなたと鬼幽斎様の御ふた方で鴉党をたてなおしてほしいのです。どうか、このとおり」
沢慶がひざまずき、そして土下座をした。
言葉を失った。
この男はまじめなんだ。本当に鴉党のことを思っている。その上でおれと師父が熊野の森深くに姿を消すことを惜しんでいるんだ。あんたはいい人だ。一瞬でもあんたを疑ったのを誤るよ。でもな、その道はもう失われているんだ。
「残念だが沢慶。それは出来ない」
「なにとぞ。なにとぞ」
「この話は誰にもするな。いいな」
そう言って重景は門番に門を開けるように命じた。
門はきしむ音を上げて開いてゆく。
地に丸まっている沢慶の横を進んだ。それに続く葉と四朗。二人は互いに見合わせ表情を曇らせた。おれだってモヤモヤしてるんだ。だからってどうしようもない。それは沢慶も分かっているはずだ。振り返るとまだ沢慶は開かれた門の中央で小さく身を伏していた。
鈴木ら三人は山道を進み中辺路に出た。馬に揺られてゆるゆる進む。傍らで望月葉がずっと、ギャーギャー喚き散らしている。御鴉城を出て時間が経ったのか、いつのまにか元気を取り戻している。
「あんた、兄様といっしょにいたんでしょ」とか、
「自分だけ逃げ帰ってきたのか」とか、
「なぜ、嘘をついたのか」とか。
それに重景は取り合わない。すると今度は四郎にも当りだす。
「四郎も何か言いなさいよ」とか、
「四郎、あんたも湖北に係わっていたんでしょ。知っていたはずだわ」とか。
四郎も重景と一緒、聞いちゃいない。葉は二人が無視をするのに相当腹がたったんだろう、挙句の果てに、
「二人はぐるなのか」とか、
「あんたら二人、その実、兄様をはめたのね」とか、最後には、
「四朗は兄様にとって変わろうとしていたんだわ」と言い出す始末。
見境がもう無くなっている。
それでもどこ吹く風である。もちろん四郎もだ。
風が心地よかった。青葉が揺れている。
鬼幽斎がうなだれて、「すまない」と言った。それで十分だった。
松の笑顔が浮かんだ。目が半輪を描いている。
松。今、何をしているんだ?
あいつのことだ。きっと皆に可愛がられているだろう。それに愛洲移香斎もいる。あの男は昔、熊野鴉党ではえらい人気があった。人徳もあり、大陸に行ったという広い見識もある。おれのことは察してもらえるだろう。そして松を無事、惣に返してくれるに違いない。本当はおれがそうしたかった。だが、おれは四朗と戦わなければならない。仮に勝ったとして師父をお世話する。そう約束をした。
「そろそろ海に出るな」
「ああ」
四郎がうなずく。
一行は神護寺を目指していた。海岸に出たら紀伊路である。それを北上する。
「どうだ? この辺で」
「いいだろう」
「では」
馬を降りた。
四郎も降りる。
「あんたらなんなの!」
ずっと喚いていた望月葉がキレた。といっても二人にしてみれば、どうでもいいことだった。重景が言った。
「馬を頼む」
望月葉に手綱を渡した。
四郎も渡す。
「これから重景との約束を果たします」
「約束?」
四朗は答えない。その四朗といっしょに森の中に入っていく。
「なによ。待ってよ!」
後ろから望月葉の声。馬三頭分の手綱を渡されて、まごついているようだ。追いついて来れない。
森が開けている。この辺りか。四郎と向かい合った。
間合いは手の届く程の間近。
四郎が太刀ではなく脇差を抜いた。そこにやっと葉が駆け込んできた。
「あんたら、一体全体なんなのよ」
やはり、聞く耳を持たない。お互いに闘気を剥き出した。
その背中から炎が立つ。不動明王の姿があった。
四郎の背中に陽炎が立つ。摩利支天が見えた。
互いに一歩も引かない。凄まじい闘気に気圧された葉は、おずおずと後ろに下がり、離れたそこで狼狽えている。
「なに? なに? なんでこうなるのよ」
四郎が微笑む。
「重景、一度おまえと全力で戦ってみたかった」
「おれもだ」




