第23話 半将軍
場が騒然とした。名を挙げられた重景はというと、ため息をつく。快湛と目吉良の大鴉二人が死んだ以上、謀反人の鬼幽斎は別として、鴉党の最高位はおれということになるにはなるが、元々十二鴉筆頭なんてものは細川京兆家に対しての鴉党のかっこつけ。術や人柄、はたまた知略が評価されたわけでもないし、筆頭になったらなったで権勢を振るったおぼえもない。それどころか鴉党の評定に一度たりとも出してもらってない。一方で鬼幽斎はというと間違いなく政元を恨んでいる。必然、おれという名が出ればここの連中は政元に対してどういう立場を取るか問題視したはず。鬼幽斎の熊野鴉党乗っ取りも、今度の粛清劇もその発端は政元なのだ。百歩譲って政元を味方につけようと言う者もいるだろうが、やはり敵対するのが順当だろう。そう考えると盟主を決める評定は、現最高位のおれを盟主にしたくないための策謀なのかもしれない。それならそれで都合がいい。おれとしてもそんなものは願い下げだからな。
「最後の候補!」 戒光院庵主が言った。「『啓明祓太刀』の伝承者!」
え? っと思ってもみない言葉に重景は驚いた。なにをいっちゃってんの? この場に落合清澄が来ていたなら松がそれを言うはずだし、『啓明祓太刀』の伝承者は世に出ないのだ。そもそも重景は落合に全てを託されてここにいると理解している。どう考えてもありえない。それなのに、馬鹿じゃなかろうか。おれの名を挙げるのはまだいいとして、候補者の名も分からない、その人もいない、そしてここにいる九割九分の人が風の便りにでも『啓明祓太刀』の存在すら聞いたことのないって状況で候補者であるといえるのか。いや、そんなの誰も納得しない。案の定、皆が口々に言う。
「なんだ、その啓明って!」
「どこのどいつだ!」
だろ? 十二鴉筆頭のおれだってつい最近知ったばかりなんだ。『啓明祓太刀』なんて誰もしらないだろうし、落合清澄がここにいるはずもない。群衆はというと当然納得出来ないし、黙ってもいない。罵声はあちこちから飛ぶ。どういうつもりなのか。あるいは評定に出でいた連中は落合の所在を知っているというのか。重景は松を見た。松はというと、首を横に振っている。
「わたしが説明しよう」
戒光院庵主の横に人が立った。京で重景らを襲った十二鴉の一人である。もう足は治ったようだ。普通に歩いている。
「その昔、鬼一法眼は『太白精典』を熊野から盗み出した。それを基にして編み出した刀法が『啓明祓太刀』なのだ。その後、『太白精典』の方は息子今出川鬼善に受け継がれ、その力を以て熊野はもとより大峰山、愛宕山、鞍馬山、南都北嶺に至るまで手中に収めんとした。それを阻止したのが『啓明祓太刀』の鍋倉澄だ。『啓明祓太刀』は鬼一法眼から源義経公に、さらにはその弟子に、そして鍋倉澄に伝わったといわれる。以降、歴史の表舞台に現れたことはないが、今もどこかにそれを伝えし者がいるという」
傍らで、望月葉が戸惑っていた。当然である。葉は『太白精典』は一人だと思っていたのだ。それがもう一つ、別の『太白精典』があることに気が付いたはずだ。
一方で、松はというと怒りの表情で十二鴉の男を見ていた。一族が始祖の言葉を守り、何百年も歴史の表舞台には出ず、ずっと身を隠してきたのが台無しになってしまった。きっと、殺しておけばよかったと思っているのだろう。いや、今殺そうと思っているのかもしれない。自業自得ではあるが、もしそうなったら大変だ。飯道寺山は大混乱に陥ってしまう。それなのにあのやろう、この忙しい時に面倒掛けさせやがって。
群衆の中から声が上がった。
「今もどこかってどういうことだ! いないのかここに!」
それに十二鴉の男が答えた。
「今、探している。もう少し待たれよ!」
罵声が飛んだ。それどころか物が飛ぶ。ひしゃくや棒切れ、石まで群衆の頭上を越えて十二鴉の男に向かってゆく。
「おまえが長引かしていたのか!」
群衆の怒りは収まらない。
飛んでくるものから頭をかばおうと手で頭を覆っていた十二鴉の男だったが、飛んで来た何かに当たってそれみたことか、頭から血を噴き出している。
「ばかめ」
たまらず重景は飛び出した。濡れ縁に躍り出ると声を張り上げた。
「英雄豪傑の皆々方、まずは怒りを収められよ」
なんだかんだ言おうとも、重景は現最高位十二鴉筆頭である。しかも盟主の候補にも挙がっている。十二鴉の男の前に立たれると投げたものが当たってしまう。それではいくらなんでもまずいと思ったのだろう。取り敢えず、飛ぶ物は止んだ。こっちはよしっと重景は思い、取って返すと十二鴉の男を怒鳴りあげた。
「奥に引っ込んでろ!」
その剣幕に、男は驚いたのだろう。それに重景は腐っても鬼幽斎が嫉妬したほどの才の持ち主である。恐れもあったに違いない。その一方で男は、引き下がるのにも納得出来なかったのだろう。後ずさっては止まり後ずさっては止まり、やっと奥に姿を消していった。
さて、と重景は思った。盟主を決めることなぞ、もうあてには出来ない。盟主の有力候補は愛洲殿だろうが、大峰系の梅本院、岩本院の連中が黙っていまい。山崎景隆を推して、決して引こうとはしないだろう。なにより愛洲殿本人が盟主を受けてくれるかも疑わしい。だが、ここでぐだぐだやっている時間はない。一か八か、直接訴えかるか!
「英雄豪傑の皆々方、まずは聞いてくれ。おれが山本鬼幽斎を隠棲するよう説得する。もちろん『太白精典』は責任を持って封印する。それで納得してはくれまいか」
場が水を打つ。それも一時。嵐の前の静けさだった。どっと批難が噴き出す。山本鬼幽斎を許そうという者は全く見えない。そりゃそうだ。だが、ここで引き下がれない。さらに説得の言葉を重ねようと重景は思案した。が、気の利いた言葉が浮かんでこない。よくよく考えればこれもまた、そりゃそうだ。人の意見に真摯に耳を傾け、それに適切に答え、場合によっては自分の意見を言って相手を説得させるという経験をこれまでしたことがない。結局、なんとか分かってくれと祈るばかりになってしまった。
だが図らずもその祈りが通じたのか、たった一人、重景と考えを同じくする者がいた。愛洲移香斎である。それが重景の傍らに立ち大音声を発した。
「取り乱すでない!」
その言葉で一挙に場が静まり返った。愛洲が言う。
「皆々方、わたしも同感である。お互い殺し合ったとしてその先、何が残ろう。そうやって栄華を極めた一族が消えてゆくのを皆々方は知っているはずだ」
やはり孤高、重景とは生き方の差が出たのだろう、愛洲の言葉には重みがあった。誰もが和睦を考え始めた。ところが、である。一人、それを遮った者がいた。望月葉だ。
「隠棲とは生ぬるい。鬼幽斎の切腹が最低条件。それ以外、望月家としては承服しない」
何をいまさら言うのかと重景は思った。せっかく話し合いが出来る状況になったというのに、その言葉で台無しである。案の定、そのとおりだと皆が口々に言う。ところが、威勢のいい言葉を発したはずの望月葉はというと、元気がない。山本鬼幽斎が仇でないとはもう分かっているはずなのだ。それなのにそう言わざるを得なかった。頑固者か、へそ曲がりか、それともよっぽどの馬鹿なのか。いや、お姫様なんだ。自分の非を認めようとはしない。ややこしくしやがってと思いつつ、松を見た。
松は腕を組んで辺りを見回している。こっちはこっちでずっと頭に来ているようだ。今度は松が何を言い出すか分かったものではない。不安になってくる。
そこに群衆の後ろの方からあざ笑う声がした。それが言った。
「腰抜けどもが。やはり、盟主は山崎殿しかおるまい!」
「そうだ、そうだ」と声が飛ぶ。
それに対して前方から怒声が上がる。
「大峰山は熊野三山を乗っ取る気だ!」
「いや、潰そうとしてやがる!」
熊野系と大峰系の接点でもみ合いが始まった。もう収集がつかない。呆れ果てた。
松はというと見かねたのだろう。群衆から抜け出し、重景の傍らにやって来た。完全に怒っている。
「あなた、盟主をやりなさいよ。このあほども、好きにやらせたら大変なことになるわ」
といっても、それじゃぁ中立の立場ではなくなってしまう。どうしたらいいのか。重景が思い悩んでるそこに突然、また大音声の笑い声が響きわたった。先ほどのように馬鹿にした笑いではない。楽しんでいるかのようであった。
誰かが、
「半将軍!」
と声を上げた。
その一声で群衆の混乱は一瞬で収まった。皆、後ろを振り返っている。
あちこちでまた、「半将軍!」と聞こえる。そして黒山の人だかりがおずおずと二つに割れていく。その向こう、人垣で造られた道の先に細川京兆家政元が一人立っている。京での政変が成って以来、絶対的な権力を手に入れた政元は、半将軍が通り名となっていた。それが悠々と重景の方に向かって来る。
またややこしいのが……と重景は頭を抱えた。
誰かが、
「こいつのせいでこうなってしまった!」
と叫んだ。
確かに好きで集まったわけではない。戦おうと威勢のいい言葉を発して集ってはいても、裏を返せば粛清を進める鬼幽斎を恐れて徒党を組んだまでのこと。群れていればそうそう襲われることはない。
また別の誰かが、
「こいつを鬼幽斎に差し出そうぜ!」
と皆に訴えた。こんなことを言うやつは己が何を言っているのか分かっていない。恐れるあまりっていうやつだ。政元を差し出して鬼幽斎に許してもらおうっていうのが、みえみえである。
そんな中を、政元が悠々と視線を巡らして歩む。その視線にさらされた人垣があっちこっちでおずおずと後ずさっていく。
重景はというと、考えていた。あれは『神足通』であろうかと。本体は京にいるはず。こんな物騒なところに本体が来るはずがない。だが、それは道理で考えれば、の話である。政元に道理が通用するのか?
なにやら悪い予感がする。
やがて政元は元三大師堂の前、重景の間近まで来ていた。
「よう、重景。頑張ってるみたいだな。おれも微力ながら手伝いに来たぜ」
その表情は目が見開き、口角が上がって歯を剥き出していた。
ぞっとした。
「いや、いいよ、政元。ここはおれにまかしてくれ」
本体にしろ、『神足通』にしろ、良からぬことを考えているのは間違いないのだ。
「なにを水臭い。元々おれを助けるためにこんなこと、やってんだろ。人前に出るのを嫌うおまえがこうしているのだからおれも黙っていられん」
頼みもしないのに政元は濡れ縁に踊り出た。そして振り返って境内を埋めつくす群衆を見渡す。
「英雄豪傑の諸君、よくよく考えてみてくれ。このわたしを差し出して果たしてそれで鬼幽斎は収まるかな」
鬼幽斎は猜疑心の強い男であることは皆、知っている。政元は鬼幽斎が一度裏切った者を許すはずがないと言っているのだ。
群衆は静まり返っていた。飯道寺山に来ている自分たちの名はすでに鬼幽斎に知れていよう。もう引き返せるはずもない。その心境を揺さぶるように、政元が驚くべきことを言った。
「わたしが盟主になってもいいぞ」




